47 リーヴェ
螺旋階段の一番上には重そうな鉄の扉があった。表面には青い塗料で模様が描かれている。
ヘリオドールが扉の取っ手を掴もうとすると、その手は蒼白い光に弾かれる。
「……おっと」
光には質量があった。手を離せば途端に見た目には分からなくなるが、手を近付ければドアノブは再び蒼白く発光し、触れようとする侵入者を拒まんと牙を剥く。
ドアノブが発光する時にふと顔を上げれば、扉の模様もまるで星が流れる天の運河のように、共に輝きを放っていた。どうやらこの模様を創り出している塗料が原因のようだ。
大昔の王族は資金を注ぎ込み人を使って、各地に点在している遺跡を調べてはその中で眠りに就いていた古代の遺物を掘り起こし、手に入れているという話は知っていた。それらの多くはシュルクの持つ魔力を封じ込めたり拒絶する、魔封具の類が多いらしい。
遺跡を造った者達に魔力がない為に、魔力を持つシュルクに対抗しようとして造ったものなのではないかというのが学者の見解である。
もう遺跡の内部の遺物は既に採り尽くされてはいるものの、遺跡を造った民族も遺跡を見つけた時にはとうに滅んでいた為に、それらをどのように造っていたのかももう分からない。
魔封具は各国の王族が所持し宝物庫などに厳重に管理しているものだと思っていたが、まさかこのように使用しているとは。
扉に塗られた鮮やかな青の塗料は、魔封具を砕いたものだろうか。模様は、恐らく王族のみに対してはそこまで強く反発しないように計算された魔法陣なのだろう。
王族だってシュルクだ。この部屋への出入りには扉へと触れざるを得ないだろうし、かと言って魔封具に触れるのは辛い筈。そこまでしてこの扉を護りたいのか。
掴もうとしている指先を弾かれていくのは実に小賢しい。強い魔力を持つジェイド──否、ヘリオドールは尚更強く拒絶される。
然し、この中にある物を考えると納得の仕掛けである。
それもまた、ヘリオドールには関係のない事だが。
扉から数歩、階段を数段降りる形で離れる。
触れられないのなら触れなければ良いのだ。ただ、それだけの事。
「なっ、何だ……!?」
金属同士がぶつかる音を鎧から響かせながら階段を登っていた兵達は、突然の揺れと轟音に一旦足を止める。
自分達が向かっていた階段の上から音が聞こえてきた為に、兵達には更なる戦慄が走る。あの扉はシュルクを通さない。通さない、筈だ。
彼らは嫌な予感を胸に抱き、階段を駆け上がる脚を再び進めるのだった。
扉に触れられないのなら、扉ごと魔法陣を吹き飛ばしてしまえばいい。
そうして螺旋階段の最終地点に大穴を開けてしまうと、そこから流れるのはせせらぐ水の音。
ここに、彼はずっと来たかったのだ。
室内に照明器具らしき物は一切存在しないが、ここにはそんな無粋な物は必要ない。広い無骨な石壁の部屋の中央に鎮座するのは、蒼い光と水を放出し続ける神の齎した魔石、“水のヘリオドール”。
円形の室内の中央の台座に安置されている魔石は、放出する魔力が強過ぎる為かその場に浮くようにして留まっていた。
大きさは縦に約三メートル程だろうか、それに合わせたように造られた部屋もまた広く、室内には蒼い光が満ち満ちていた。
台座の下には魔石から止めどなく滴る水を、効率良く受けては運ぶ細くて深い堀がいくつもある。堀の下は水が流れる以外は深淵であり、魔石からの光が射しているにも関わらず暗くて良く見えない。
塔の構造を考えると、螺旋階段部分の壁の中に水路がいくつもあるのだろう。それを他の塔へと流したり、排出口から流す事で城の外堀を水で満たすのだ。
城には塔が無数に存在はしていたが、どこに魔石が安置されているかなどすぐに分かった。一番水の排出口が多い塔がそれだ。
それに、目で見なくともヘリオドールは城に近付いた時点で感じていた。
女神、リーヴェの気配に。
男は真っ直ぐに、迷う事もないその眼差しで女神の神体を眺め、迷う事もないその脚で一歩ずつ確実に、彼女へと近付いていく。
水の流れる音だけが響く部屋の中。
手を伸ばせば届く距離に、追い求めていた“それ”がある。
「…………逢いたかったですよ。リーヴェ」
男の手が、魔石へと触れた。
「うう……」
シャルロット・セラフィスはヘリオドールの言いつけをしっかりと守り、まるで池のようにも見える堀の手前でしゃがみ込み空を見上げていた。正確には空ではなく、ヘリオドールがぽっかりと空虚なまでに開けてしまった、ハート型にくり抜かれた窓を眺めていた。
城に忍び込むつもりでいるのだろう事は雰囲気で分かってはいても、一部を破損させてしまうだなんて誰が予測出来ただろうか。大体何故ハート型なのか。ふざけているのだろうか。
バレて弁償などになったら、一体金貨何枚になるのやら。否、そもそもヘリオドールが城の中でやらかしている事の次第によっては、金貨などでは到底贖えないかもしれない。
その考えに至って、今更震えが襲ってくる。ヘリオドールのかけてくれた温熱の魔法はまだ切れてはいないから、身体は温かい筈なのに何故か背筋が冷たい。けれど、「逢いたい人がいる」と言っていたヘリオドールの言葉も否定したくはない。それだけなら、きっと恐ろしい事にはならない筈なのだ。
シャルロットは未だにヘリオドールの考えている事の殆どが理解出来ない。どこからどこまでが本気で、どこからどこまでが冗談なのか分からない。分かったところで、全部本気でも困るし全部冗談でも困るのだが。あの窓の件など特にだ。出来れば夢であって欲しい。
そう願っていた時間は、まるで夢から醒めるように終わりを告げた。
眺めていた、ハート型の穴が開けられた窓の横の壁。そこからプシッ、と排水口でもないのに水が一筋噴き出した。
見間違いだろうか、と目を凝らすのも束の間、間もなくして塔の至る所から同じように細い水流が次から次へ、我先にと石造りの塔の隙間から溢れてくる。
塔はシャルロットが頭に疑問符を浮かべ立ち上がるまでに、まるで水で出来た花火のような姿に変貌してしまう。
そして、大気を震わせる轟音と共に爆発し、大量の水と瓦礫を噴き上げるのだった。
「はっ!? え、っ……ええっ!?」
勿論シャルロットには何が起こったのかまるで分からない。分からないが、目の前で起こっている事は宛ら災害である。
サエス王国の象徴でもある、噴水のような形の城が一つの塔を中心として半壊。城を構築していた石壁は崩れ、内部からの水圧により吹き飛ばされた瓦礫が大量に堀へと落ちていく。瓦礫と混じって落ちていくのは、城の兵だろうか。人が何人も水の中へと呑み込まれていった。
細かい物は水圧と風に煽られてシャルロットの近くや更にその向こう、城下町の方へと吹き飛んでいく。大量に降り注ぐ礫はエストリアルの街々の屋根を叩き、夜更けだというのに喧しい音を奏で始めた。
「……」
シャルロットにもその礫は降り注ぎ身体中に細かい傷を負うが、その痛みなど気にもならない程に目の前で起こっている事はショッキングである。
否、そもそもシャルロットやエストリアル中の建物を傷付ける礫など、些細なものなのだろう。大々的に屋根を叩いているのは、石の欠片などではない。雨だ。
噴き上げる大量の水が、これでもかという程に激しい大雨のように街を覆ってしまった。雨と表現するのも悩ましい程に、まるで街が滝の下へと移動させられたかのような水量がエストリアルを襲う。
水路はあっという間に嵩を増し、細いものだとあっという間に水を溢れさせ、それは道路にまで流れ始める。水路の脇に停泊されていた小さなボートなどは揺れ、運が悪いものだとひっくり返る。
水路脇の家々など浸水が始まった所もあるのだろう、街から水音の合間を縫うように人々の悲鳴が響き渡り、騒がしくなり始めた。
土砂降りの水の中、シャルロットは服も髪もぐしゃぐしゃに濡らしながら空を見ていた。街も気にはなるが、何よりも気になるのはヘリオドール──ジェイドの安否だ。
彼の入っていった塔が瓦解したのだ。まさか、この水量に流されて目の前の堀に落ちたのでは。覗き込んでみれば、何人かの兵士がお互いを支え合い水に浮かぶ木材などに掴まり、必死に流されないようにとしている。
少女はここで、待つしかない。彼が帰って来るその時を。
そしてその時は思ったよりも早く訪れた。
シャルロットは気配に、視線を上へと向ける。塔の天辺よりも更に上、雲もないのに大雨を齎す夜の空へとだ。
その空から真っ逆さまに落ちてくるのは、青いフードを被る見知った男。フードで表情が隠され分からない為、意識があるのかも不明だ。けれどシャルロットは咄嗟に、受け止めなければと思い両腕を広げて右往左往する。
シャルロットが予想した彼の最終着地点は物の見事に外れたが、男は意識だけは手放さなかったようで、魔力を振り絞って風の魔法を使い落下速度を和らげた為に石畳の地面との激突は免れた。
瞬間的に強く柔らかな風に抱かれたその身体は静かに、俯せに地面へと横たえられる。シャルロットは大慌てで彼の傍らへと膝をつく。
「だ、大丈夫ですか!? せんせ……えっと、ヘリオドール様……!?」
「…………ヘリオドールの、方です……」
彼は未だその身体をジェイドへと返してはいなかったようだ。俯せのまま動けないでいるヘリオドールは顔だけシャルロットへと向け、彼女と同じく服も髪も全身ずぶ濡れの状態で息も絶え絶えに力無く笑う。
「……シャルロット、お願いしていたお仕事の時間です。一走り、……頼めますか」