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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
44/192

44 愛しのあの子と宵闇デート



 シャルロットは、目の前に跪き自分を見上げる男、ヘリオドールを重度のキス魔だと断定していた。忠犬のように見上げてきたってもう騙されない。これはもう癖のようなものであり、偏執的なものなのだとまで思うようになっていた。

 今までも何回か彼の口付けの毒牙にかかったが、彼は誰にでも軽々しく愛という感情を向ける。本人の口からそう聞いたのだから間違いないだろう。

 ならば、愛を囁くのも。口付けでさえ。誰にでもやっているのだろう。昼間に聞いた時には、マトモに会話したのはシャルロットが初めてだと言っていたが、そんなのは分からない。特に彼が発現する暁闇の時間、ジェイドは外で活動していて殆どシャルロットとはいないのだからどうとでも言えてしまう。

 昼間に突発的に出てきた事を考慮するならば、例えばゼリーを食べてから別れた後に発現し、見知らぬ女性相手に愛を囁いていたとしても何ら不思議ではない。

 そう考えれば考える程に、弄ばれているような気がして腹が立つ。けれど、もう腹立たせる事すら疲れてしまったのも事実で。真面目に取り合うのも些か馬鹿馬鹿しいとすら、シャルロットは感じていた。


「と言うか、……ほら、王都に来ましたよ。来たがっていたじゃありませんか。何故エストリアルに来たかったのです……?」


 この思考は良くないと思った少女は、首をゆるゆると左右に振ると話題の方向転換を試みた。

 彼との話題と言えば、少しばかり冷静さを取り戻し落ち着いてゆっくりと話せそうな現状であれば最早これしかない。

 喫茶店で別れた際、今宵王都に来た理由を話したいと言っていたのは他でもないヘリオドール自身なのだ。


「嗚呼、覚えていて下さったのですね。嬉しいです」

「貴方が行きたいと言い出したのでしょう……?」

「まあ、確かにそうなんですけれど。ふふ、感謝を口にする事くらい許して下さいな」


 言葉通り、本当に嬉しそうに頬を綻ばせて立ち上がり膝の埃を払うヘリオドールを、シャルロットは一瞥する。

 嗚呼、本当に。ジェイドと同じ姿をしているものだから、彼と会話をしていると酷く混乱する。慕う師の姿を持つ彼に対して冷たい態度を取る事すら、いけない事をしているような気持ちにさせる。

 そんなシャルロットの想いも素知らぬ様子で、ヘリオドールは手を差し伸べる。その手の意味が分からず、分かる訳もなく。シャルロットは小首を傾げるしかない。


「?」

「お出掛け致しませんか」

「……今からですか? まさか、その為に王都に来たがっていた訳ではありませんよね?」

「最初にお顔合わせさせて頂いた日に、目的は聞かないようにと申し上げた筈ですが。……ある程度はお話出来ますが、詳しくはお伝え出来ません。そして、出掛けたいという“ある程度”は既に今お伝えさせて頂きました。他の“ある程度”は目的地に着いた時に改めてお話させて頂こうかと。と言うか、オリクトを壊されたくないのならば貴女は黙って従うしかないと思うのですけれどね?」


 オリクトの名を出されてしまえば、シャルロットに拒否権が無い事など明確である。オリクトを壊されたくなければ目的を聞かずに共に王都へ行く、という約束は確かに成されていたのだから。

 少女に選択肢を与えるような素振りをしておいて、決定権は最初から彼が握り締めていた。嘘か本心かはさて置いて、愛を囁く相手に対してそのような脅し文句を使う彼には、不信感しか湧かない。


「……でしたら、疑問系で言わないで有無を言わさず連れ出して下さい。貴方の言い方は狡いです」


 少女は男を睨みながら、差し出された手を無視して扉の方へと向かう。背中からでも分かる程に怒りのオーラに満ちたシャルロットに臆する事もなく、ヘリオドールはにこやかに笑った。


「成程、多少強引な方が望ましいと。……覚えておきます」





 もう大体の者は夕食も終え帰路につき、暖かい家の中で家族の団欒を迎えるような時間だ。早い家だと既に就寝時間になっている家もあるだろう。現に、シャルロットもアルガス王国の実家にいた頃そうであった。冒険者となった今では仕事の時間も始まりから終わる時間までバラつきがあり、決まった時間に眠れる事はなくなってしまったが。

 もうすっかりと秋となり、月が真上で微笑む今の時間は少し肌寒い。何処も彼処も水に満ち溢れる水の国サエスならば尚更だ。

 荷物になるのを嫌がり長袖とは言え、夏の装いのままでいるシャルロットにとっては多少辛いものがあるが、冬の長いケフェイド生まれの彼女にとっては耐えられない寒さでもない。

 途中ヘリオドールが羽織る青みがかった外套を差し出された時には丁重にお断りをした。ジェイドではない、彼に何かを施されるのは癪である。

 そもそもそれはジェイドのケープマントだ。アンダインにいた時にはジェイド自身が羽織る事を許可した為にその厚意に甘えたが、今この場に“ジェイドはいない”。勝手にヘリオドールが他人に貸す事も、シャルロットが安易に借りて良いわけもない。


 一度脱いで差し出した外套を羽織り直して前を歩くヘリオドールの背中を、シャルロットは見上げながらも着いて歩く。


「どこまで行くのですか?」

「……取り敢えず、王城近くまでですかね。観光名所としても有名なサエスの城。間近で見てみたいでしょう?」


 見てみたいか見たくないかの二択を提示されれば、それはどちらかと言えば前者だが何もこんな夜更けでなくとも良いではないかとも思う。

 それに、そんな所まで行って何をすると言うのか。もし城の壁に落書きでもしようものなら全力で止めなければとシャルロットは考えていた。


 確かに部屋から見上げたサエスの、噴水にもよく似た城は月明かりに晒されては輝き、昼間とは違う趣きがあって美しいものがあった。

 然しそれはシャルロット達の泊まっている、王都の中と言えど中心地にある城から一番遠い位置にある宿の窓からでも良く見えるものなのだ。高台の上に位置する城なのだから当たり前と言えば当たり前である。


 初めて王都入りした日は夜だった為に、エストリアルに入って直ぐの位置にあった宿に駆け込んだのだ。それから喫茶店で別れた際、合流するのが難しくなるのも困る為にまた昨夜と同じ宿に戻っていると告げたのはシャルロットの方である。

 故に、二人は王城に一番遠い場所から人通りの少なくなってきた大通りを歩いて、かの場所を目指している。

 サエスの城は余りにも巨大で、距離感が分からない。身長差から歩幅も大きいヘリオドールに置いていかれないように──時折立ち止まって振り返ってくれるので、本当に置いていかれてしまう事もないのだが──シャルロットは必死で着いていくのだが、城はとても近くに見えるようで、それは虚像であるのかなかなか辿り着く事が叶わない。

 見兼ねたヘリオドールは、次に振り返ると同時に再度少女へと手を伸ばす。


「やはり手、繋ぎませんか?」

「結構です!」


 これだけハッキリと断ってしまえば悲しそうな表情の一つでも見せてくれたら良いのに、彼は全く傷付いた様子も見せない。


「貴女の歩みに合わせれば、その分深夜のデートも長引く……ふむ、悪くはないですね」


 寧ろ物凄いポジティヴに捉えたようだった。誰もそんな事は言っていないというのに、そう勝手に納得してしまうとシャルロットの歩みに合わせようと歩く速さを落としてくれる。

 そのポジティヴさは一体どこから発生しているのか。同じ身体を共有しているというのに、ジェイドは何故彼のようなポジティヴさを喪ってしまったのか。その原因となったのは、やはりアイスフォーゲル家だろうか。

 シャルロットは、アンダインのアイスフォーゲル家の面々とジェイドの関係性を思い返していた。昼間に現れたヘリオドールの言葉は確かこうだ。


『言っておきますが、ジェイドは本来イザベラ夫人を嫌ってはいませんでしたよ』

『夫人は子供達全員を可愛がっておりました。そんな夫人が、自分だけのものにならない事がやがて憎しみに変わったのでしょう。自分から夫人を奪う兄弟全員が嫌悪の対象なのでしょう』


 可愛さ余って何とやら、という事なのだろうか。

 自分だけの物にならないイザベラと、イザベラの寵愛を受ける他の兄弟達。彼らを憎むようになり、母からの唯一の愛を望んだが手に入らず、やがて他人からの愛情を信じられなって受け取らなくなり、代わりに愛をばら撒くようになった存在が目の前の彼、ヘリオドールだとしたら。

 我儘な人だとも、不器用な人だとも思った。


 シャルロットにも姉がいるが、両親からの愛情を独り占めしたいと思った事はない。それは自分が後から産まれた、妹という立場だからかもしれないが。

 アイスフォーゲル家には沢山の子供達がいたから、あの中でイザベラ一人から配分される愛情も僅かなのかもしれない。そう考えると、そこまで考えが至らずに自分の趣味で少年達を集めるイザベラはやはり些か残酷な気がしたし、ジェイドを我儘だと言い切ってしまうのもなかなか難しい。

 然し、例えイザベラが引き取った子供の数が通常の家庭のようにジェイドを含めて二人ないし三人であっても、絶対に平等に愛情を注ぐ事も、ジェイドだけに愛情を傾けるという事も出来ないだろうと思えてくるから悩ましい。

 本当の親子ではないのだから、憎くなる程にイザベラからの愛情に執着する気持ちもちょっと分からないのも現状である。ベッドマナーすらも手取り足取り教わるのがあの家の少年達の習わしと知ってしまった今では、ジェイドからイザベラへ向けられた感情が親子のそれであったのかすらも疑わしいのだが。


「何か悩んでおいでですねぇ。ほら、顔を上げて下さいませ愛しき人。今宵の月は余りにも美しい」

「……わ、わっ!」


 声を掛けられ顔を上げれば目の前にジェイド──否、ヘリオドールの顔があった。

 少し屈んで見下ろす彼にぶつかってしまいそうで、シャルロットは驚いて歩みを止める。どうやら彼は器用に後ろ向きで歩いていたようだ。人通りも減ってはいるとはいえ、完全に無い訳ではないし街灯も立っている。よくぶつからないで歩けたものだ。


「危ないですよっ! せ、先生の身体で怪我でもしたら許しませんからね!」

「心配なさって下さるんですか? 嗚呼、感激の極みで御座います……!!」

「先生の心配をしてるんです! 貴方ではありませんっ」


 自分の身体を両腕で抱き締め、長い髪と外套を翻してくるくるとその場で華麗に回転し始めるヘリオドールを、シャルロットは上空に煌めく月よりも更に寒々しい目で見つめるしかない。

 どんなに辛い事が、悲しい事があったとしたって、ジェイドはヘリオドールのこのご都合主義過ぎるポジティヴさを多少己の心の中に残しておくべきだと思った。

 で、あれば目の前で幸福そうに踊る彼も、多少は落ち着きがあったのではないかと思わずにはいられないのだ。

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