42 兄弟の盃
「…………いつから兄弟になったんだっけか」
カインローズの世迷言も、聞かない振りをすれば良かったのに何故だかジェイドは真面目に反応してしまったのだ。こんな、文面通りに面倒臭い男と兄弟なんて、冗談ではない。盃も血判も、口約束だって交わす気はない。毛頭ないのだ。
ただでさえアイスフォーゲルの家には、ジェイドすらも認知していない“兄弟”とやらがウジャウジャといるのに、その上更に面倒臭いのが増えるのか。
「そりゃ、お互い聞かぬが花じゃねぇか? もしくは、これからなろうって話だな」
どうやら聞かないのが正解だったらしい。問い質す事もなく、聞こえなかった振りでもしてしまうのが確かに、ジェイドにとっては“花”であった。
目の前で朗らかに笑うカインローズの顔を見ていると、やはり酔っているのではという気にさせられる。だったら、その台詞は明日の朝には忘れていて欲しいものだと、ジェイドは心の底から願う。
「……いや…………君みたいなむさ苦しいのが兄とか……気が狂いそうになる」
そうは言ってもここで光属性の魔法を使うのを止め、アルコールに身を任せて溺れ、前後不覚の“気狂い”になる勇気も、ジェイドにはない。
それでも何故だかカインローズは食い下がらない。どれだけ兄弟になりたいのか。一人っ子で寂しかったとか、そういう感じなのだろうか。そんな事ジェイドには欠片も関係ないのだけれど。
「あん? まあ、そう言うなって。生き別れかもしらんだろ?」
「……どこも似てないだろ、君と俺は」
「そうか?」
どこをどう見たらそのような反応になるのか、切実に教えて欲しい。髪の色も、目の色も、体格だって似てないのだ。カインローズがキョトンとした表情で首を傾げてしまう姿を、ジェイドはマジマジと見つめる。何が悲しくてこんなゴツいオッサンを、テーブルを挟んで見つめなければならないのか。
自分の上下で色違いの物珍しい両の目は女性を注視する為に存在していると、ジェイドは自負している。故に、“似ている所”を探し出す為にオッサンを眺められるのも一分が限界だ。
「手が二本、足が二本、頭が一つとかなら……まあ……一緒だな」
こんなザックリとした共通点しか見つからない。やはり、兄弟などではない。ジェイドは自分の目を信じる事にした。そして、安堵した。
けれど、それを聞いたカインローズは何だか嬉しそうだ。
「ほら見ろ、三箇所もあんぞ?」
だからどうした。
そんな事を言い始めたらシュルクもベスティアもエルフも魔物も、王族から奴隷の子まで皆が兄弟という事になってしまう。それは余りにもスケールが大き過ぎる話だ。
「じゃあ君多分ヘルハウンドと兄弟だぞ。手が二本、足が二本の頭が一つだからな。良かったな」
「ん、ああ、親戚にいるかもしれねぇな。ヘルハウンドくらいなら」
何が楽しくてベスティアなら未だしも、たかが魔物などと親戚でいなければならないのか。
然しジェイドはこれで確信する。カインローズは既に酔っ払っているのだろうと。でなければ、先程からこんなにも微妙に噛み合わない回答ばかり返っては来ない筈だ。もしこれで素面だというのならば、どちらかと言うと馬鹿にされているに違いないと穿った見方すらしてしまう。
「そうかそうか、良かったなおめでとう」
「獣類皆兄弟だぜ?」
適当に右から左に聞き流してしまおうと酒のグラスを傾けては相槌を打つと、やはりカインローズからは良く分からない返答が返ってくる。
これは会話のキャッチボールなどではない。よもや双方丸投げの状態である。片やボールは店に返品してしまい、片や手にしたボールを土に埋めているかのような状況だ。
ジェイドはもう彼とのこれ以上の会話は打ち切り、食事に集中しようと思い香草が練り込まれた衣を纏ったリーフシャークのフライにナイフを入れた。鮫の肉は時間が経つと臭みが強くなるのだが、このリーフシャークに関しては体質がそうさせているのか、一般的に「臭み」に該当する香りが薬草の匂いに近く、逆にそれを生かして調理される事が多い。特に魔物などと言われる事もなく、普通の鮫と比べても大人しい種類の魚なのだが、それ故に個体数の少ない高級魚でもある。
声を掛けられなくなったカインローズも、特にそれを不思議に思う事はないようで新たに追加されたラム酒の瓶を持つと勿論グラスに一度注ぐ事もなく、直に口を付け一気に飲み始める。
折角オリクトが埋め込まれているのだから、グラスに入れ冷やした方が美味だと思うし、そのような飲み方は店にも酒屋にも失礼だと思うのだが、ジェイドはもう窘めるような事もしなかった。例え、来たばかりの酒がジェイドのグラスに入る事もなくカインローズの口に直に流し込まれる事態になっていようとも、だ。
ジェイドはこっそりと店員を呼び止め、自分用のドリンクを注文する。事前にゼリーを入れていた為に空という事はなかったが、一発目からラム酒に付き合わされた為に胃を休ませようと、水出しダージリンのチェイサーを頼んだ。
先にゼリー、その前には昼食を食べてからの、そんなに間を開けずにカインローズと会食をしている訳だが、苦しさ自体はそう感じない。
今でも酔わないようにと魔法を使い続けているのだ。使った分は食物や睡眠で魔力回復を図るのがシュルクという種族故に、現在も食べ物ならいくらでも入る。
それでも胃を思ってチェイサーを頼むのは、酒焼けの不快感の中で食事をするのが嫌なだけだ。ジェイドの場合、胃痛も魔力でどうにかしてしまえるとはいえ、一瞬でも体調不良を感じてしまうのは本意ではない。彼は割と保守的なのだ。
それを考えると何も考えてなさそうな顔でガバガバと阿呆のように酒を飲み続ける目の前の男、カインローズはなかなか凄い奴だなと、ジェイドは僅かに畏敬の念すら抱く。
他人を治療出来るだけの光属性すら持っていないという事は、明日の事も考えないで飲んでいるという事なのだろう。そもそも彼は仕事でこの場にいるのではなかっただろうか。もう良いのだろうか。
そう思いながら観察していると、不意に彼と目が合ってしまった。不味い、と目を逸らしてももう遅い。
「なあ、聞いてくれよ。うちの上司が、ひでぇんだよ」
唐突に再び始まった仕事の愚痴。カインローズの職場と言えば、オリクトを扱う組織アル・マナクだ。
ろくに働いていないジェイドからしてみれば、上司──誰かに仕えるというのが嫌ならば、辞めてしまえば良いのでは、と安直に思うのだった。彼は子供ではなく、自分で取得選択を出来る大人なのだから。聞いてくれよ、と言うくらいなのだから返答を期待して話しているのだろう、無視するのも余りにも可哀想だ。
だから、思った事を至極簡潔に述べる。
「転職すれば良いだろう」
「色々しがらみがあってな。辞めるってのは選択肢に無いんだわ」
「……具体的に、どう酷いんだ?」
酷いと言ってもその酷さの具合は物にもよるだろう。ジェイドにはしがらみだとか面倒事は極力避けて生きてきた為に、辞められないカインローズの気持ちはあまり分からないが、それでも上司の酷さとやらが本当に酷いものであるのかどうか、判断する頭くらいはあると思っていた。
「見ての通り俺は体が丈夫だ。だからといって毒に耐性がある訳じゃねぇんだ。おい、食ったことあるか? 食った途端に気を失う料理や、口の中に二時間は残る腐敗臭のある料理をよ」
何を話し始めたのかと思いきや、酷い仕事内容というよりは酷い料理の事を漏らし始めた。ジェイドはつまらなそうにナイフとフォークを操る手の動きを止めると、じっとカインローズへ視線を向ける。
「知ってるか? そういうのは料理って言わないんだぞ」
「ある意味食材を殺し切らないとあんなもんにはならねぇんだ。興味があるなら直々に宅配してやんぜ」
「料理なら受け取ってやらなくもないさ、料理ならな。……で、その料理モドキと上司が酷いってのはどういう関係が?」
それだけ聞くとどうしたって、アル・マナクの上司とやらがどう酷いのか頭の中で繋がらない。酷いのは上司の料理の腕という線も考えるが、思考するよりも先に問い質すのは必然と言えよう。
「食わされたんだよ。毒味だな毒味」
「……毒味?」
「実際毒じゃなかったんだが口に入れた瞬間から口の中で腐敗臭を纏ったスライムがのたうち回る感じだな。果ては口の中が痺れてきて舌も鼻も効かなくなって来て、死期を感じたぜ」
「なあ、君酔ってるだろう。酔いとここの代金に免じて聞かなかった事にしてやるから、その話はおいそれと他人にしない方が良いぞ」
オリクトを扱う組織アル・マナクは、今現在ジェイドの中では毒味などを部下にやらせるような悪どい組織という扱いになってしまった。
組織の風評や面子を、部下にこうして余所で話され落とされていると知ったらアル・マナクの上層部などどのような顔をするか。
カインローズは嘘を吐けるような人柄はしていない、と思う。そう思わせようと演技をしている可能性もゼロではないのだが。事実確認は簡単に出来るものでもないし、する気もジェイドにはないのだが、アル・マナク上位に座するセプテントリオンに籍を置くカインローズ・ディクロアイトの口から語られる組織内部の話を、嘘だと思えと言われる方が難しい。
彼が故意的にしろアルコールによる事故にしろ、ジェイドからも掘り下げておいて何だが──こうして組織内部の事を、特に今世の中で最も需要があると言ってもいいオリクトを扱う組織の事をベラベラと他言して良いものではないだろう。もっと可愛いものだと思っていたのだ。割り振る仕事量が多過ぎるだとか、雑用が多いだとか。
彼が、アル・マナクを辞める気がないのなら尚更だ。単純に、居辛くなる可能性だってある。
ジェイドの忠告を聞いたカインローズは二、三度、分かったか分かっていないのか判別し難いような首肯を繰り返すと、そのままテーブルに突っ伏すようにしていびきをかき始めた。
唐突に始まった爆睡に、ジェイドは驚いて数度瞬きするしかない。そして、どう叩き起して宿に帰ろうかと思考を巡らすのだった。