41 机上の攻防
兎にも角にも、ジェイドには何故自分がこの場でこのような目にあっているのか考える必要があった。故にこの質問は必然である。
「……そういや、何で王都になんかいるんだ」
何の気無しに尋ねた質問に、カインローズは酒瓶から口を離して律儀に答えてくれる。
「そりゃアレだアレ。オリクトが届かなくて、クライアントがカンカンでな。ま、お前のせいだな」
誰のせいかまで律儀に答えてくれるのだ。つまり何だ、この席は説教でもさせろ、若しくは奢れなどという、そういう事なのだろうかとジェイドは踏む。それで弱味でも握ったつもりなのだろうか。
けれど、ジェイドにとっては痛くも痒くもない。鬱陶しくネチネチとあの日の事を言うのを止めるとでも言うのなら、食事代くらい喜んで出そう。但し説教はなるべくご勘弁願いたいものである。
オリクトの届け先が王都だったという事か。ならば、ここ、王都エストリアルにカインローズがいるのも納得というものである。彼はクライアントへ詫びに来たのだろう。
「ふーん? 流石オリクトを扱うクライアント様。王都にいるから呼びつけられたって事か」
「だぁぁぁあ! あのハゲ、思い出した思い出しただけでムカつくぜ!」
クライアントの話題になって、彼の記憶が呼び覚まされたようだ。途端にカインローズは怒りに燃える目を細め、握り締めていたラム酒の瓶の底をテーブルへと叩き付ける。
話している間に次々と届けられた、この店自慢の魚料理だというホースサーモンとポテトのチーズグリルに、オリーブオイルとブラックペッパーの香りが食欲をそそる仔羊の肉とアーティーチョークのオーブン焼き、カステルフランコと照り焼きチキンのサラダの器が、先にテーブルの上に鎮座していたプリプリにボイルされたソーセージの器と共に仲良く揺れる。
食べ物の器は兎も角として、自分の近くにある酒のグラスが倒れては困ると、ジェイドは自分の分のラム酒のグラスを掌を被せるようにして抑える。蒼く煌めくオリクトに継続的に冷やされている為、そのグラスの淵は指先にヒヤリとした冷たさを伝えてくる。
「大きな声を出すな、騒々しい奴だな……」
そう、溜息混じりに窘める。
「お前のせい」と直接言われて尚怯まずに、嫌味を含ませこちらに罪の意識はないという事を示す発言は、カインローズが唐突に思い起こした苛立ちにより有耶無耶になる。それはそれで構わないのだが、自分に大きく関係のなさそうな話題での、耳や頭にクるような大声は勘弁してもらいたいものだ。
それでも彼は腹立たしげにフォークを勢い良くソーセージに突き立てかぶりつきながら愚痴を続ける。
「だってよぉ! あのハゲ賠償にリンとリナを置いてけとか言うからよ」
ハゲとリナは知らないが──ハゲとは話の流れ的にクライアントの事なのだろうが──リンという単語には覚えがあった。彼がリン、と言うのならそれは一人くらいしかいないのではないだろうか。
丁度、あの後の経過も気になっていた事もあったし、何より話題も変えてしまいたかった。これ以上カインローズの不満げな声を聞くのは、主に耳が辛い。
「リン…………リーンフェルトか。治ったのか?」
傷付けた方が傷付けた相手の怪我の経過を気にするというのもおかしな話ではあるが、彼女は曲がりなりにもシャルロットの姉だ。弟子の身内を心配する事は悪い事ではない、筈。リーンフェルト本人にとっては、余計なお世話以外の何物でもないかもしれないが。
「あんたが命まで持って行かなかったからな。もし死んでたらここを巻き込んでお前と本気で殺りあうとこだったぜ」
それは本心なのだろうか。もし死んでいたらここを巻き込むも何も、こうしてテーブルを挟んで顔を突き合わせる事もなかっただろうに。ジェイドはサラダを取り分け、カインローズの前に皿を置きながら小さく笑う。
「命まで持っていくようなやり方はしてないから、あれで死んだのなら君達の手当てが下手くそ過ぎるだけなんだけどな?」
「俺は生憎と治療なんぞ出来ねぇから分からねぇよ、そんな事。意識を失ったあいつを教会まで連れて行っただけさ」
普通はまず何よりも出血を抑えようとするだろうと思い、ジェイドは当然のように呟いたのだが、カインローズの言葉を聞くにあの後すぐに止血もせず、真っ直ぐに教会に走ったという事か。それだけ焦っていたという事なのだろう。あの場でその焦りを表情に出さなかったのは見事である。
けれど、それはそれ。これはこれ。ジェイドはずっと彼には言わなかった言葉を吐露する。
「何だ、手当ての一つすら他人任せなのに、もしもの話とは言えリーンフェルトが勝手に突っ走って喪った命に対しての八つ当たりを、君がするというのか? ……悪いが、君には感謝はしていても謝る事はしないぞ?」
感謝はしても、謝罪はしない。
それが、ジェイドがカインローズに想う感情の総てだ。あの日、オリクトを破壊した事もリーンフェルトを傷付けた事も、一切を黙秘してくれたカインローズには感謝しかない。けれど、それだけだ。
オリクトの輸送馬車を破壊せしめた当時の記憶のないジェイドにとっては、謝罪するとしてもそれは上っ面の謝罪でしかない。故に、それだけなのである。
そして、それから派生したリーンフェルトとの戦闘もジェイドにとっては自分に覚えのない事象について詰られただけのような気持ちであり、謝罪の意思など到底湧かないのであった。どうにもオリクトに纏わる己の行動については、罪悪感が余り湧かない。良くない傾向である事は、一応把握しているつもりではあるのだが。
「俺に謝るは筋違いだ。謝罪なら当人同士でやりゃいい。そんな事よりあのハゲだハゲ、お前借りを返すつもりで、あのハゲの店燃やしてこねぇか?」
気の良いカインローズはジェイドの言葉に、リーンフェルトに対しては謝罪の意思がある、と汲み取ったようだが。彼の提示する「借りを返すつもり」の提案も、それこそジェイドが“そう”してしまうのは筋違いな気がする。
カインローズがハゲだかクライアントだかに不服の念を抱くのは、例えそうなってしまった原因がジェイドにあったとしても、彼にとっては知った事ではない。オリクトを台無しにするという犯罪を隠蔽してくれたカインローズが、何故更なる犯罪をジェイドに提示してくるというのか。流石に冗談だと取るしかない。
と言うか、再び話題が「ハゲ」に戻ってしまった事に、ジェイドは内心頭を抱えるしかなかった。そしてその筋違いな提案に対して、答えなど決まり切っていた。
「王都で? 絶対嫌だ。その店がどこかの無人島にでも移転するというのなら、額次第ではやらなくもないけれど」
勿論冗談のつもりだ。半分くらいは。ここで具体的な金額を提示してくるようなら──そこまで考えていると、カインローズは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「じゃ仕方ねぇ、ハゲを連れてくるから燃やしてくれ」
彼もまた、半分は本気で半分は冗談だとでも言うのだろうか。その目の色から内心が読み取れなくてジェイドは一応、事務的に“依頼”というていで対応する。
本気だと言うのなら無碍にする事もあるまい。そこまでして、リーンフェルトとリナとやらを護りたいのかも知れない。
「…………。……いくらで?」
「ここの飲み代で」
「寧ろここの飲み代は、君の世話代だと思っていたけれど」
哀れ、リーンフェルトとリナ、二人の価値はカインローズにとってはここの飲み代程しかないという事だろうか。それとも冗談のつもりだったのを、ジェイドが真摯に受け止めすぎただけか。マトモに対応しようと思ったのが馬鹿だった。
「先の件でか今の件でか。遅かれ早かれだろ? それに俺はまだ酔っちゃいねぇしな! おい次の酒持って来てくれ!」
「ペース早くないか? リーンフェルトの手当ても出来なかったってことは光属性の魔力、持ってないんだろう?」
アルコールを分解するだけの光属性の魔力がないのなら、それこそ身の丈にあった酒の飲み方をするのが酒呑み達の暗黙のルールだとジェイドは考えていた。
見たところ、カインローズはジェイドよりもずっと大人に見える。詳しい年齢は聞いてはいないが、パッと見ても十は離れているのではなかろうか。だからこそ、人として恥ずかしい飲み方だけはしないだろうと思いつつも、それでも多少は心配もする。酔っていないとはいえ、ラム酒を一気飲みしたのだ。それもまた、このような格式の高い店内ではなかなかに“恥ずかしい飲み方”ではあるのだが。今更どうこう言っても仕方がない。悪酔いさえしなければ良い。
カインローズが二本目のラムへと行き着くまでのこの間、ジェイドのグラスは三分の一程しか減ってはいなかった。
「呑むなら、んな無粋な方法使うんじゃねぇよ。酔いに身を任せる事も楽しまなきゃだろ?」
成程、無粋ときたか。確かにその意見も一理あるのかもしれないが、ジェイドは今現在酔いに身を任せたいなどとは微塵も思ってはいないのだ。
「多少はアルコールも残してはいるさ。無様にならない程度には」
「だははは、カッコつけて呑んでるうちはまだまだ餓鬼だぜ?」
「その餓鬼を煽ってどうしたいんだ、オッサン」
「ん? 俺がオトナの呑み方を教えてやるって事だよ」
何て面倒臭い大人なんだ。餓鬼だ大人だと強調してくる者もまた餓鬼と大差ないぞ、と忠告しようと思ったが、更に面倒臭い事になりそうで止めた。
「そうか、ではそのように。好きに飲んでくれ、俺を巻き込むな」
実はカインローズは既に酔っ払っているのではないかと思い、ジェイドは適当にあしらう事に決めた。先程から妙に喋っている内容の辻褄が合わない気がするのだ。気のせいなら良いのだが。
アーティーチョークをナイフとフォークで切り分け、柔らかい仔羊と口に運ぶ。オリーブオイルで作られたソースは重くはなく、いくらでも食べられそうだ。
テーブルには料理が、店員の説明と共に止めどなく運ばれてくる。所狭しと皿が並べられるが、最初に店員が告げた通り魚料理が多い。
次はアシュタリア風、スターライト・フィッシュの活け造りとやらを食べてみよう。皿に盛られても尚、まるで鱗一つ一つが小さな光属性のオリクトなのではと見間違う程にキラキラと、美しく明滅するそれは名の通り星の鼓動のようで。
それにフォークの先を伸ばそうとして、カインローズの言葉により動きが止められるのだった。
「何言ってんだ、兄弟? 俺とお前の仲じゃねぇか」