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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
39/192

39 水の都の城下にて



「嗚呼、でも」


 小さな掌で顔を覆って、ある種の彼との壁を物理的に作り出してしまったシャルロットの様子を、彼女をそうなるまでに至らしめた“彼”自身は、事もなげに甘酸っぱいラズベリーティーを口に含みながら見つめる。ゼリーに冷やされた口内に染み渡る飲み物は、喉から胃の腑までしっかりと温めてくれる。

 “彼”がそのようにしてティーカップから口を離しては呟くものだから、シャルロットも恥ずかしがってばかりはいられずに指の隙間から黄緑色に煌めく花の芽のような双眼を覗かせて、不埒に愛をばら撒く目の前の男を見つめた。


「一番愛しているのは、貴女ですけどね」


 声を掛けられ指の隙間だけでも開いて、折角作った“彼”との壁を僅かにでも打ち崩してしまった事をシャルロットは後悔した。すぐ様開き気味だった指を閉じ切り、自分の視界も表情も何もかも隠蔽し堅牢な壁の中へと押し込めてしまう。

 最後に見た景色は“彼”の笑顔であった。まるで罪も穢れも何もかも、何一つとして悪い事などした事がないとでも言うような無垢なそれであった。

 “彼”の吐く愛とやらが誰にでもひけらかす、挨拶のようなものなのだろうと納得しかけたところでこの仕打ちなのである。一番とか二番だとか、そういう事は望んでいないからせめて少女の心を弄び、誑かすのだけは止めてはもらえないだろうか。彼女の心は“彼”の浮かべるだけで中身のない無垢な笑顔と同等に、やはり無垢なのだから。


「誰にでも……そういう事を言っているのでしょう」

「え? “僕”が自我を持ち始めてから出てきたのはこれで二回目です。誰にでも、どころかマトモに会話した方すらシャルロット以外には一人たりともおりませんよ?」


 少女の震える声で問われれば、男は笑顔のままで否定する。そう言われてしまえばそれ以上追及する事も出来なくなる。

 すんなりと彼の言い分を素直に信じてしまわずに、他の女性と夜を過ごす日には時にこっそりと、今のようにジェイドと入れ替わって愛を囁く事だってあるだろうと疑ってしまう事も出来る。

 然しもし疑うのであれば、きっと“彼”の言う事の総てを疑わざるを得なくなる。そもそも疑ってかかったところで少女は、ならばどのような答えを“彼”に期待しているのか。

 ──“彼”に期待しているのか、それともジェイドにその答えを求めているのか。“彼”とジェイドを分けて考えていられないのは、よもや自分の方ではなかろうか。逆に分けて考えられているとして、そのような疑問を胸に抱いてどうすると言うのか。


 遂には頭を抱えてウンウンと唸り始めたシャルロットを見て、無責任な目の前の“彼”は思い出したようにステンドグラスの窓を見る。そうして、ゼリーを三分の二にラズベリーティーを半分だけ残したところでぽつりと呟いた。


「さて、“僕”はそろそろお暇致しますね。王都での目的については今宵、またお話の時間を頂きます。それではご機嫌よう」

「…………えっ?」


 なんてあっさりとした、それでいて素早い行動。そうだった、身悶え過ぎて忘れていたがそもそも王都へ来たがっていたのは他でもない、“彼”なのだ。

 けれど彼の言葉にシャルロットが反応する頃にはもう遅かった。“彼”は少女の目の前で二、三回瞬きをしてから暫く目を閉じ、やがてゆっくりと重たそうな瞼を開けた。



「…………あれ、……すまない、ぼうっと……してたかもしれない」



 ジェイドが戻ってきた。

 無機質と無類の慈愛、そして享楽さえも感じるかのような“彼”の醸し出す空気は一転、ヒトらしさと眠たさからの倦怠感入り交じるジェイドの空気へとガラッと書き換えられる。


「……」

「いつの間にこんなに食べたかな……まあいいか」


 お帰りなさい、も変だしお早うございます、も可笑しい。“彼”の事を師に隠し立てしておきたいのなら、黙っているのが正解なのだろうと直感し口をキュッと結んでしまうシャルロットを尻目に、ジェイドは残りのゼリーを食べ始める。

 そもそも良いのかそれで。折角金を出して用意した高級菓子は自分の知らない別人格に食い散らかされた後だと言うのに、ジェイドは眠たさの為に回らない重たい頭で、特に気にしないという判断を下したのだった。

 それでもシャルロットは未だ顔を隠しがちな両の手を降ろせないでいる。彼の前での照れや葛藤はたかだか数分で消え失せるような感情でもないからである。





 やがて二人は喫茶店を出て別れる事となる。シャルロットは少し独りの時間が欲しくなり、それはジェイドが女性を漁りに行く夜の時間まで待てないものだったから。

 そもそも“彼”は去り際にまた夜に時間を貰う、とも言っていたから今日は女性と寝る事はないのかもしれないが。


 宿は昨日泊まった所へ戻っているとは言っていたものの、夕飯も一人で取ると言われ暗に明日の朝まで放り出されてしまったジェイドは途端に暇になり腕を組み、夕方も差し迫る頃のエストリアルに長い影を落とすシュルクの一人となる。秋故に陽も落ちるのが早いのだ。

 そもそも王都でゼリーを食べるという約束は果たした為に、もうここにいる意味もない。また適当な魔物狩りで生計を立てる暮らしに戻りつつ、シャルロットへ魔法の手解きをするならばこんなサエスの中心地にいるよりも、またルエリアやヴェルディのような王都から離れた地の方へと戻った方がやり易い。それとも王都らしい、王都にしかない仕事もあるものなのだろうか。

 ならばあの、大層立派な佇まいのギルドへと向かってみようか。どのような仕事があるのか覗いてみて、報酬金や内容共々良さそうなのがあればまた明日以降受けてもいいし、予想通りつまらない仕事ばかりが殺到しているのであれば鼻先であしらって冷やかすのもいい。


 そうして目的が決まれば他の街のそれよりも一回りも二回りも大きい、まるで貴族の住む屋敷のようなギルドの建物を正面に見据え歩いていると、ふと背後から声をかけられた。


「こんなとこで再会するとはな。お前何してんだ?」


 聞き覚えがあるような、無いような。他人への興味が薄いジェイドだけれど、男の声は殊更に記憶し難くていけない。けれど、覚えがあるような声がしたのだから足を止めて振り返ってしまうのはジェイドの律儀さ故か。

 そこには俄然見覚えのある赤色が在った。自分よりも背が高く、だらしのない無精髭。赤い短髪に金色の瞳。カインローズが自分を見据えてシュルク達の雑踏の中、そこに立っていた。

 然し、何しているかと問われれば何とも表現のし辛い事。そもそもカインローズこそこんな所で一体何をしているのか。尋ねる事は容易だが、ジェイドは彼にそこまで興味らしい興味がない。と言うか男に興味がない。

 暇なのでちょっとそこのギルドに、と正直に答える事すら馬鹿馬鹿しく思えてしまい、彼に背を向ける。


「……君には関係ないだろう」


 その一言でカインローズはあっさりと納得したらしく背で聞く声から察するに頷いてはくれたらしいのだが、続く言葉に耳を疑わざるを得なかった。


「関係ない? まぁ関係ないな。ところで飯食ったか? 飯。飯を食わないと大きくなれないぞ」


 秋は陽が傾くのが早いとはいえ、それは太陽の都合である。夕方とも昼過ぎともつかない微妙な時間ではあるが、こんな時間なら昼食くらい済ませているのが一般的である。

 シャルロットと先程ゼリーを食べはしたが、あれは昼食後に立ち寄った喫茶店での出来事、言うなれば食後のデザートのつもりだったのだ。つまり勿論、昼食は済ませていての事。

 それに、大きくなれない、とは。彼は何を言っているのだろうか。彼には自分が見えていないとでもいうのか。ジェイドはカインローズ程ではないにせよ、そこらのシュルクよりかは断然身長が高い。底の高いブーツを好んで履いているから尚更である。それを、「大きくなれないぞ」とは。舐めているのか。

 文句と言う名の突っ込みの一つでもくれてやろうかと思って、歩く事もなく振り返ったのがいけなかった。いつの間に間合いを詰めてきていたカインローズに腕を掴まれ、半ば強引に引っ張られる。


「何を……俺はもう食事は済ませている! 離せッ」

「まあ良いじゃねぇか。んで、お前酒はいけるクチか?」

「何が良いんだ、何が!」


 回答しなかった事に痺れを切らして掴まれたと思ったのだが、どうにも違うようだ。慌てて答えを示しても離してはくれない。それどころか、ジェイドを置いてけぼりにしたまま、勝手に話が進んでいってしまう。

 初めて逢った時ジェイドがリーンフェルトを散々に傷めつけた事を、彼は忘れてはいない筈だ。忘れる程の月日が流れたとは思えない。だというのに、何だというのだこの馴れ馴れしさは。

 というか、酒だ飯だと言っている辺りもしかしてもしかしなくても、カインローズは自分を食事に誘っているつもりなのだろうか、こんな真昼間から。馬鹿ではなかろうか。

 暇で時間を持て余しているジェイドからすれば有難いような、然し男と飲んで何が楽しいのかと自問自答すれば有難迷惑のような。

 そもそも太陽が出ている時間から飲むのは流石に抵抗があるのだが、彼はそのような事は気にしないタイプなのだろうか。斜め前を歩くカインローズの横顔をチラリと見れば、彼は何も考えてない事が伺えてしまって嘆息する。そのように悩んでいるうちにカインローズの強引さを振り切る事が出来なくなり、最早抵抗する事もないままに取り敢えず彼へと大人しくついていく事に決めた。

 一応気にはなるし、リーンフェルトのその後を聞くのも良いかもしれない。逆に連れられた先にリーンフェルト本人がいるようなら、面倒事となる前にさっさと逃げてしまおう。頭の中で幾つか対策を考えながら、ジェイドは王都の雑踏の中を引き摺られるようにして歩くのだった。

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