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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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38 博愛主義者の戯言



「……それでですね。僕もこの時間はそんなに長時間表に出られないので……一つだけ」

「何でしょう」


 いつになく──と言っても逢うのはまだ二回目の、ジェイドのもう一人の人格である“彼”が真面目な表情を浮かべる。

 その表情に対して手元にあるのが女性に人気のスイーツである事が、厭にギャップを演出するのだが。

 チョイチョイと手招きされればシャルロットは“彼”へと耳を寄せる。


「グランヘレネの国名は、なるべくどんな場所でも伏せて下さいね。かの国の住民は他国では嫌われておりますので」

「……はい」


 “彼”にも言われてしまうとは余程なのだろう。初めてジェイドがグランヘレネの出身と知ったのは冒険者ギルドで食事をとっていた時だっただろうか。

 ジェイドが出身を明かした瞬間、周囲の者の数人が目に難色を示してその場を離れていったのはシャルロットもよく覚えている。何故そのように嫌われてしまう民族であるのか、シャルロットに理解出来ないのはジェイドがグランヘレネの民特有の強烈な信仰心を表には出していないからだろう。

 初めて見た、かの国の出身者がジェイドであり、そのジェイドから宗教絡みで何か被害を被った訳ではないのならシャルロットにはグランヘレネを嫌う理由がない。

 けれど、伏せろと言われるのなら伏せよう。それは自分自身の為ではない。ジェイドの為だ。ジェイドがこのサエス王国で生き難くならないように、シャルロットは従う。上手い事立ち回る。その為には理由など要らないのだ。


 そう思って頷き、離れようとした瞬間。

 頬に柔らかい物を押し当てられた。これには覚えがある。直近だと確か、額に感じた物だ。

 また口付けされたと知った頃には“彼”の顔はとっくに離れていて、嫌味ったらしくも腹立たしい“彼”らしい笑顔をにこにこと浮かべていた。


「貴方また……!」

「はいはい、飲食店では静かにしましょう。先程注意したばかりですよ?」


 誰のせいで声を荒らげていると思っているのか。シャルロットは先程と同じように、頬を片手で抑える。

触れる場所はじんじんと熱を持っているような気さえするが、それは彼女が頬を赤らめているせいであると気付くのは、そう時間も掛からなかった。

 傍から見れば初々しい付き合いたてのカップルのやり取りである。但し、人前でそのような事をするなんて少々品性に欠ける。

 周りのテーブルからの視線が痛いが、“彼”は気にならないとでも言うのか。凄まじい精神力である。


 そんな風に心を乱すシャルロットを置いてけぼりにして、“彼”は勝手に話し始めてしまう。


「まあ、そういう訳で……ジェイドはあの国からやって来た……孤児、……と言って差し支えないでしょうかね、そういった子供だったのです。

それを拾ったのがイザベラ夫人。あの家の者は元々サエスの土地に根付いております。故に、ジェイドはアイスフォーゲル家の誰とも血は繋がっておりません」


 ゼリーをつつきながら、目の前の男は爆弾発言をさらりと口にする。それを聞けばシャルロットはキスをされた事により、照れたり怒ったりするばかりでもいられなくなってしまった。


「それは……可笑しいじゃないですか! だってイザベラ様は先生に家を継がせると……そのお話が本当なら、家督を継ぐのは本来……ッ」

「“正統なるアイスフォーゲル家の血筋の者”が継ぐのが正しい、とでも言いたいのでしょうか? いませんよ、誰一人としてそんな者は」


 更なる爆弾発言。

 Aランクの火のオリクトを二つ立て続けに破裂させたかのような衝撃がシャルロットを襲った。実際Aランクなどという高級品二つが、目の前で破裂したところを少女は見た事もないが。

 一体彼は何を言っているのか、理解が追いつかない。


「可笑しいとは思わなかったんですか? イザベラ以外の全員が男である事、主人はとうの昔に亡くなったというのに子供が増えるという事。あの大人数の兄弟達。全員似ても似つかぬ顔立ち。イザベラに子を成す胎は御座いません。

……イアンも、ディビッドも、ルーネも。全員赤の他人ですよ。彼らは家族ごっこをしているに過ぎない」


 “彼”はそこまで一気に語ると紅茶を啜り一息つく。そうして小さく、囁くような口調で続ける。


「あそこはね、それこそ金に物を言わせた孤児院のようなものなのですよ。それも夫人の趣味で見目形整った少年ばかりを掻き集めた、悪趣味な貴族の娯楽の本当に最低な部分を凝縮させ、具現化させたかのような彼女の箱庭。

スラム街の子供も孤児院の子供も、彼女の御眼鏡に適えば晴れてアイスフォーゲルの姓を名乗る事を許されます。そうして少年達は貴族らしい立ち振る舞い、マナー、稽古事から……女性とのベッドの上での過ごし方まで。総て彼女の手解きを受けるのです。

…………嗚呼、気持ち悪い。気持ち悪いですねぇ。けれどその気持ち悪さもまた愛おしい」


 シャルロットにとってはやはり、目の前の男も何を言っているのかちょっと理解出来ない。

 あんなにも優しそうなイザベラ夫人がそのような悪癖を持っていただなんて、信じたくなかった。けれど、それ程の人物であるからジェイドもあれだけ家族──今となっては家族と言っても良いものなのか悩ましいアイスフォーゲル家の者達──を嫌っていると言われれば合点がいく。

 その話が本当なのであれば、シャルロットは同じ貴族としてイザベラに嫌悪感すら抱く。借りた寝間着があんなにも露出が激しかった理由を考えると、吐き気すら覚えた。

 然し、それによりあの家の少年達が温かい屋敷の中で食事を与えられ、柔らかな毛布に包まって眠れるのであればシャルロットは無責任に怒る事は許されないのだ。

 彼らが心の底からイザベラを慕っているのか、それとも洗脳されているのか媚びているだけなのかはシャルロットには分からない。

 けれど、それを不幸な事だと自覚し嘆く者はジェイドやルーネのように、若しくはあの時にはいなかったが寄宿学校などに入ってしまったという子供達のように。

 独りで生きていく力を身につけるなり、外に出る為の理由を見付けた後に、自分で選択して外の世界に飛び出してしまうのだろう。


 実家に帰れば父の金で養われ、結婚すれば嫁ぎ先の夫に養われる。今現在冒険者をして稼いで生きてはいるものの、アイスフォーゲル家のあの人数を食べさせていけるだけの金は到底一人では稼げない。

 そんなシャルロットに彼らを哀れだと嘆いたり、可哀想だと憤慨する権利はない。


 然しモヤモヤとした、怒りも嘆きも出来ない訳の分からない感情を独り処理出来る程には、十六歳の少女はまだ至ってはいない。

 胸につかえる苦しさを取り除く助け舟を出したのは、意外にも“彼”だった。


「……言っておきますが、ジェイドは本来イザベラ夫人を嫌ってはいませんでしたよ」

「では……どうしてあんなにも……」


 チラ、と向けられる少女の黄緑色の瞳に映る“彼”は、果たして彼女に笑いかけているのか。それとも、乙女の瞳の中の自分自身の姿を──もう一人の自分を嘲笑しているのか。


「愛しているからじゃないですか?」

「……?」

「夫人は子供達全員を可愛がっておりました。そんな夫人が、自分だけのものにならない事がやがて憎しみに変わったのでしょう。自分から夫人を奪う兄弟全員が嫌悪の対象なのでしょう。……嘆かわしい事です」


 まるで他人事のような言い方に、“彼”とジェイドは別人なのだなと再認識させられる。そうして、彼の吐いた言葉にシャルロットは少しだけ安心もした。

 愛していた、という事は愛し方はどうであれイザベラは引き取った子供達を一人一人、きちんと愛していたという事なのかもしれない。愛されるだけの人物であったという事である。ならば、今度こそシャルロットは何も言う事はなくなってしまった。

 師の生い立ちに少しばかり驚きはしたが、それだけだ。世の中には沢山のシュルクがいる。シュルクの数だけ人生はある。とんでもない人格破綻者でない限り、生い立ちくらいでジェイドを嫌ったりする程少女は心狭くない。


 そうして自分を納得させる事が出来た頃、ふと先程聞いた言葉の中で一抹の不安を感じたので詳細を尋ねてみる事にした。


「ちょっと待って下さい」

「はい?」

「気持ち悪いのに……愛おしい、とは?」

「そのままの意味ですけど、何か」


 そう、ジェイドの想いではなくそれは“彼”の言葉だ。

 首を傾げられるが、傾げたいのはシャルロットの方だ。然しこれ以上何て聞けば良いのかが分からない。頭を抱えそうになる少女の気持ちを、彼は先程出現した瞬間のように表情だけを読み取って答えを囁くのだった。


「貴女は、愛おしい人です」

「あ、有難うございます……」


 突然何なのかと思いつつも、好かれるのは悪い事ではないのだから照れはするもののきちんと礼を言わねば。毅然とした態度で聞いていれば恥ずかしさも半減する。そう思ってきちんと応えるのだが、そうした事をシャルロットはすぐに後悔した。


「イザベラ夫人も愛しい方です」

「……」

「昨夜ジェイドが声を掛けた女性も愛しております」

「……」

「アイスフォーゲル家の兄弟達もまあ、愛してます」

「まあ……?」


 まあとはなんだ、まあとは。そんな微妙な言い回しで愛を語って良いものなのか。

 というか一晩共に過ごしただけの女性もイザベラも、シャルロットでさえも同列だというのか。あの日の口付けと愛の言葉であんなにも悩んだ自分が馬鹿みたいではないか。


「愛とはそんな風にばら撒くものではないかと思いますけれど……」


 自分が自惚れ愚かであった事を認めたくない一心で、シャルロットは怨めしそうに“彼”を睨み付ける。けれど、その相手は初日からあんなにも会話の噛み合わなかった男だ。平然と残酷な事を少女へ告げる。


「貴女も夫人に対するジェイドと同じような気持ちでいらっしゃるのですね? 愛を独り占めしたいのは分かりますが……愛のない、侘しい心はどうかと思いますよ」


 非常に、腹が立つ。

 あんなにも悩み、ジェイドが夜遊びする度に妙に苛立ってしまっていた自分をいっその事殺して欲しい。シャルロットは両手で顔を隠し胸の内を業火が如く焦がす羞恥心に打ち震える他なかった。

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