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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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36 明け方のキスの味



 途中休憩も挟みつつ歩き続けて、ルサルカの街に辿り着いたのはもう陽も落ちる直前の事であった。


「真っ暗になる前に林を抜けれて良かったですね」

「そうだな……」


 シャルロットは夕暮れの下、ポツポツと仄かに街灯が灯され始めるルサルカの街を眺めて、安心したように表情を緩ませる。

 ジェイドは九年前とは違い、ふんだんにオリクトを散りばめ整備された町並みを見て、懐かしさなど微塵も感じていない様子だ。彼の知るルサルカの街は舗装のされない道を忙しなく馬車や馬が駆けるものだから、土埃が酷かった記憶しかない。


 基本的にあの林の中の道は、物品の流通の為に使われる。

 広大なアイスフォーゲル領では街と街を繋ぐ道などは、通るのも作物や乳製品などを積んだ荷馬車や馬が前提であり、徒歩で進むという事は如何にここがアイスフォーゲル領内でありジェイドがその領主の子供であろうとも、なかなかない事である。

 否、領主の息子であるからこそ危険なのだ。

 何も知らない盗人などから見れば身なりの整った男女が二人、護衛の冒険者なども付けずに人気のない林の中を歩いているようにも見えるだろう。

 二人の力を知っている者ならば愚かな真似はしないのであろうが、危険は何処に潜んでいるか分からないものであり、この場合の“危険”とは何も知らない“愚か者”に降り掛かるものである。


 ジェイドとしては早く実家のある領域から離れ王都へ向かいたいものだが、急いでも夜に移動するのは流石に危険である。盗人、それらが群れを成した盗賊。そういった者を危惧して空の移動をしても、サエスの空は時にグリフォンが現れる事もある。

 自分一人ならば何とかなる事でも、女性であるシャルロットを連れていると────否、ここまで共に行動して分かった事があるが、シャルロットはきっとそんじょそこらの男性よりも逞しい。

 夜に移動がどうのだとか、細かい事は気にする必要がない相手である事をジェイドは薄々気が付いている。

 けれど、一日中歩き通したのだ。そう思ってチラリと背後に控える少女を見ると、屈託のない笑顔を向けられた。

 彼女の身体の中の光属性の魔力が、シャルロット自身を疲れさせてはいないようにも感じる。けれど、一応、大事を取って。

 宵闇の中では何があるか分からない。目の前にはちょうど良い具合に街もある事だし、ここで休まなければ次の街までまた歩き通す事になる。

 因みにジェイドはどちらかと言うとフェミニストだ。自分の“フェミニズム”の体面を保つ為にシャルロットを休ませる。

 これで、ルサルカの宿に入っても何らおかしくない理由の出来上がりだ。



 田舎町とは言えルサルカは交易の多い街だ。

 オリクトが普及した今では道はきちんと舗装され、馬車の車輪の事などが考えられている。白い石畳はオリクトを使った街灯に優しく照らされ、サエス特有の穏やかな水路は月明かりの下で輝く。

 豪華とは言えないがそこそこの食堂でアンダインの野菜がふんだんに使われた栄養満点の食事を取り、そこそこの宿屋で小綺麗な部屋を二部屋取る。そうして一泊。

 そう決まった途端に、ジェイドはいつもの調子で酒場へと出掛けてしまった。勿論睡眠を摂るついでに女遊びをする為だ。

 イアンやディビッドなら領主の息子達という事で顔も割れているだろうが、何せジェイドは九年もこの地に寄り付かなかったのだ。金貨をチラつかせて女を囲っていても、誰に何を言われる事もなかった。シャルロットですら、いつもの事でもう慣れっこにもなっている。咎める事はなかった。


 ただ、酒場で酒を煽っても何となく宿屋に置いて来てしまった少女の事を思い出すだけだ。

 罪悪感なんかない。付き合っている訳でもあるまいし、ある筈ない。

 気になる。そう、何故だか分からないが理由もなく気になるだけだ。


 名前もろくに知らない胸の豊かな女を宿の部屋に連れ込んだ所で、弟子が泊まる隣の部屋が気になってしまう。

 寧ろその胸がシャルロットを更に思い起こさせてしまうのはとんでもなく罪深い事なのではないかと、ジェイドは頭を悩ます。

 悩みは首を左右に振る事で吹き飛ばす事にした。折角大枚叩いて相手をさせるのだから、楽しまなくては損ではないか。

 そう決めてしまえば後は総てを忘れるかのように暗がりの中、情欲に溺れるだけだ。



 ジェイドと同じような悩みをシャルロットも持っているだなんて、今この現状で誰が知る事が出来ただろうか。


「……」


 シャルロットはシャワーを済ませ宿屋に借りた簡素な寝巻きに着替え、頭からすっぽりと毛布を被り、早く寝てしまおうとベッドの上で手負いの獣が如く息を潜めていた。

 何だか無性に苛々するのは何故だろうか。

 自分に対して愛を囁いた男が今夜もその口で別の女を誑かし、あまつさえ隣の部屋に連れ込んでは睦言を囁いているからだろうか。

 いや、愛を囁き額に口付けを落とした者と隣の部屋にいる者は違う者だと理解している。……している、筈だ。

 頭では理解していたい。然しそれに感情がついてくるかと言われると、それはまた別の話だ。


 また、ツッコミすらしなかったものの、女性と寝るという状況は今になっては必要なのかと問いたくもなる。

 暁闇の夜に現れた“彼”は、目的に協力さえすればもうオリクトを壊す事はしないと約束してくれたのだ。けれど、それをジェイドに説明する為には“彼”との接触についても説明せざるを得ない。

 また、オリクトを破壊しないと言っても口約束だ。本人からすれば目的を果たすまではまだ壊す気でいるのかもしれない。その辺りを詳しく聞かなかった事も悔やまれる。


 兎に角現在シャルロットは、無性に腹が立っている。そもそも何となく隣の部屋から声が聞こえるのも、年端もいかぬ未成年の少女の精神衛生上宜しくない。田舎の街だから仕方がないのであろうが、壁が薄いのだ。

 少し思い知らせてやろうと、少女は意地悪にも考えてしまう。壁を殴ったり蹴ったりすれば、自分の力では冗談抜きで穴を開けてしまう可能性もある為それは控える。

 なので、ここは隣の部屋への嫌がらせとしてはオーソドックスに、壁を引っ掻いてみる事にした。

 カリカリ、カリカリ、と白い壁を軽く爪先で撫でる。暫くすれば壁向こうの会話や物音はぴたりと止んだ。

 別に師に怨みが──ない訳ではないが、これで漸く静かに心穏やかに眠れるというもの。シャルロットは一人、瞼を落とした。



 そんな風に二人それぞれ夜を過ごし、少なくともシャルロットにとっては何だか気まずい朝が訪れた。昨夜、眠る直前だったとはいえど嫌がらせにも程があったかもしれない。反省である。

 シャルロットが身支度を整え部屋から出ようと扉を少しだけ開けると、それよりも先に師の泊まる隣の部屋の扉が開き、化粧の派手な女性が廊下へと出て来る。

 それに気付いた少女は無意識に、まるで条件反射のように開けようとしていた扉のドアノブを掴む手を止めて、その影に息を潜めて隠れてしまった。

 女性と共に出てきたのはジェイドだ。見送るつもりなのだろう、彼らは部屋から出た先で立ち止まった。


「有難う、また」

「こちらこそ。またね」


 言葉を交わし、笑い合う。

 それだけで早く離れてしまえば良かったのに。二人は覗き見る少女には気付かないまま、まるで恋人同士のように軽く唇同士を触れ合わせるキスをする。


「……!!」


 シャルロットは自分の口を両手で塞ぎ、驚きの声を上げないようにするだけで精一杯だ。

 絵本などでお姫様が王子様にされるようなキスを見るのとは訳が違う。見知った人物が、情事の後を彷彿とさせるような雰囲気の中で交わす口付けは──生々しいのだ。まだ恋愛のレの字も経験したことのないないような乙女には、そのようなものをこんな至近距離で見学するのも刺激が強過ぎるのである。


 どちらかというとこの口付けは女の方がヒールを履いた爪先で立ち、背伸びをして彼の頬を両手で捕らえ勝手に唇を奪ったようなもの。

 された側のジェイドは、いつものように困ったような表情で穏やかに笑うだけ。

 それを最後の挨拶とするかのように二人は離れ、女は歩き出す。

 イアンから予備のオリクトは譲られたとはいえ、ランクの高いオリクトはまだ調達出来てはいない。それでも、金貨は常に潤沢に持ち歩くジェイドからかなりの額を貰ったのだろう。昨夜シャルロットから横槍を入れられたというのに、彼女は気にする様子もなく上機嫌だった。

 時折振り返っては可愛らしく笑みを浮かべて手をヒラヒラと振る女に、ジェイドも応えて笑顔で手を振り返す。


 そんな女の姿が完全に見えなくなると、ジェイドはさっと真顔になり唇に付着した鮮やかな緋色の口紅を、汚れを嫌がるかのように手の甲で強く拭ってから部屋へと戻っていった。


 ジェイドの部屋の扉が閉まると、シャルロットも扉を閉めて部屋の内側へと篭もり、漸く脱力する。なんてシーンに出会してしまったのだろうか。この後どのような顔をして会えばいいと言うのだろう。



 とは言えいざ部屋を出て合流し、顔を合わせてしまえばどうとでもなるもので。とんでもない現場を見てはしまったものの、気にしなければどうという事はないのだ。

 当のジェイドはと言えば、見られた事には気付いていないようだった。昨夜壁を引っ掻かれ邪魔された事については、ジェイドから文句を言い難い案件な為に有耶無耶にするしかない。

 シャルロットはジェイドに魔法を教えてもらう為に傍にいる。異性だからといえ、例え同じ顔の赤の他人に愛していると告げられたとはいえ。それらに無意味に意識し浮ついてしまうのは、自分がまだまだ修行が足りない証拠だ。

 そう自分を律して、朝食へと向かうのだった。


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