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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
35/192

35 決別への道



「…………はは、結果は分かってたけど。こうも圧倒的だとなぁ」


 ジェイドとシャルロットが立ち去った後、雲の切れ間から再び太陽の光が注ぎ僅かに暖められる農道。

 その真ん中でイアンはジェイド達が去って行った方角を見つめながら、気の抜けたような笑顔しか浮かべられないでいた。


 弟の魔法の腕は九年前から比べると更に磨かれていた。魔力を魔法としてただ放出しようとするだけではなく、浮く、飛ぶなどという綿密なコントロールさえ身に付けていた。

 多少なりとも足止め出来た事が奇跡に等しく、捕まえよう、連れ帰ろうと思う事がそもそも愚かであった事を嫌という程思い知らされる。

 それでもベストは尽くしたのだから、イザベラに何を言われようとも後悔はしていない。ジェイドの代わりにはなれなくても、彼女の傍にいる事しか出来ないイアンはやり切ったという思いで胸を満たして、屋敷に帰ろうと馬へと歩き始める。


「おい、ルーネ」


 イアンの後ろを着いて行くルーネを、兄弟二人に目の前を横切られようとしているディビッドが呼び掛けた。


「…………なぁに、兄様」


 ルーネはゆっくりと次兄へ振り返る。

 視線でイアンに先に行って欲しいと語り掛けると兄は何も言わずに頷き、馬へと跨り屋敷へと駆けていった。彼の姿はすぐに小さく遠ざかっていく。


 イアンは分かってはいたけれど、何も言わずに黙っていようと思っていた。

 けれど、ディビッドは黙ってはいられない性格だった。それだけだ。

 ルーネを前にすると、ディビッドは彼を睨みつける。


「どうしたの兄様、怖い顔して。用があるなら早くしてよ」


 睨んだまま一向に要件を述べようとしないディビッドに、ルーネは自分の髪の毛先を摘み弄りながら発言を促す。

 彼も、何を言われるかもう分かっていた。

 だから、恐れるような事など何一つないかのような態度でいられる。

 吐き出されるディビッドの言葉は、彼との決別を意味していた。


「……アンダインから出てけよ。二度とここに戻って来るんじゃねえ、裏切り者が」





「……流石にそろそろ良いか」


 広大なアンダインから脱出する程の時間と距離を風の魔法で飛んでいたジェイドだが、徐々に速さも高度も落ちてきていた。

 アイスフォーゲル領内とは言え、かなりの速さで街は抜けたのだ。ここまで離れれば例え馬を使ったとしても、早々追い付いてくる事はないだろう。

 目の前には雑木林。中を飛んで行くには狭き道を縫うように動かなくてはならなくて些か危険だし、かと言って飛び越える為に高度を上げるのも戦闘時ではあるまいし不必要な気がする。

 ジェイドは何でもかんでも魔法で出来てしまうが、かと言って何でもかんでも魔法に頼ってしまうのは好きではなかった。

 地を踏み、己の足で歩くのが好きなのだ。

 故にジェイドは大地へと降り立つ。腕の中に抱えていたシャルロットを、共に歩んでもらうべく地面へと降ろす。


 ジェイドは気付いていた。

 ルーネの魔力など恐れるに足らないものだという理由で、強引に彼の頭上を通り抜けようとしていたあの瞬間。

 ルーネの魔法は恐れる程ではないものだと認識はしていたが、それでも咄嗟に魔法で抵抗の一つでもしてくるだろうとは思っていた。

 それが、全くの逆だった。


 ルーネの使った魔法は、ジェイドの風の魔法に添うように放出された追い風。

 ジェイドを逃がす為の後押しをしたのだ。

 彼が何を考えてそうしたのかは分からないが、もしかしたらジェイドと同じであの家のおかしさには気付いていたのかもしれない。

 それが、どのタイミングで気付いたのかはジェイドには分からない。自分と同じで家にいた頃からか、それとも王都へと働きに出てからか。

 今となってはどっちでも構わない。大した事ない魔法を使って、裏切り者の烙印を押される可能性がある中でジェイドとシャルロットをあの場から逃がしてくれたのは、事実なのだから。


 今から自分達は王都、エストリアルへ向かう。王都で働くルーネとは何れまた、遠くない内に逢えるかもしれない。

 そうしたら、ゼリーの一つでも奢ってやるのも悪くはない。ジェイドの中で兄弟に対するわだかまりが少しだけ減ったような気がした。


「行こうか」

「……はい」


 ここで立ち止まる訳にはいかない。

 何せここは田舎過ぎる。アンダインの隣町、ルサルカならここよりは少し栄えているし流通も盛んだ。金を出せば王都まで乗せて行ってくれる辻馬車もあるだろう。

 急ぎの旅でもないが、なるべく早くこの地から離れたい。二人はアンダインとルサルカ、二つの街を繋ぐ林へと足を踏み入れた。



 緑の香りが濃い中を、何十分も二人は無言で歩いていた。

 手前をジェイド、その右後ろに控えるようにしてシャルロットが進む。

 アンダインとルサルカの街の者が日を取り決めて交互に訪れ、適度に手入れの施されているそこは鬱蒼としている事もなく寧ろ落ちる木漏れ日が優しく進むべき道を照らす。

 アイスフォーゲル領、ルサルカの街はアンダイン程の土地がある訳ではない。代わりにサエスの中心部へ近いので、物の流通が非常に多いのだ。

 アンダインで採れた物をルサルカへ。その為に通らなければならない林は、茸や木の実などの恵みも多い為なるべくそのままの姿を残され、人が通るのに不便しないだけの最低限の手入れのみがされている。

 だからなのだろう、歩き難さなどは微塵も感じない。

 そんな中、二人は何となく気まずくてお互い一言も言葉を発さなかった。


「……」


 何が気まずいかって、それは勿論ジェイドにとっては屋敷を出た直後のやり取りを今更になって思い出した事であるし、シャルロットにとっては深夜に落とされた額への口付けを思い出してしまう事だ。


「…………」


 ジェイドは無意識に、またケープのフードを被っていた。その蒼い衣類の背を見て、シャルロットは無言でついていくしかない。


 昨夜の“彼”は“ジェイドの考え方や想いが総て”と言っていた。

 だから、彼の言った愛の言葉が、彼からの口付けが。ジェイドの物なのか“彼”の物なのか判断に困ってしまって、少女は今こんなにも苦しんでいる。

 羞恥心に暴れ出しそうになる心を何とか抑え込みながら、シャルロットはやはり疑問が払拭出来ないでいる。


 “彼”は、彼自身の目的がありその為に王都へ行きたいと言っていたが、ジェイドの考え方などを汲み取るのであれば王都へ行きたい理由を、実はジェイド本人が理解している可能性はないだろうか。


 然し、何て聞き出せば良いのかなんて皆目検討もつかない。今王都へ向かっているのだって表向きはシャルロットの、ゼリーを食べたいという我儘を叶える為だ。

 それに“彼”は言っていた。「ジェイドの事を思うなら、黙っているのが懸命」だと。ならば、やはり現時点ではジェイドに問い質す事は出来ない。

 きっとまた、“彼”とは暁闇の夜に会えるだろう。元々と言えば目的があると言い出したのは“彼”であるし、少なくとも王都へつけばその目的の真意を語る為に再び相見える事をシャルロットは確信していた。

 師を騙しているような気分にさせられる事だけが少しばかり胸を痛ませるが、今は致し方ないと自分に言い聞かせ、ただただひたすらに歩くのだ。





 屋敷に戻ったイアンとディビッドの二人は、イザベラの執務室にて先程とあまり変わらない姿勢で書類に目を通している母の前に立っていた。

 この部屋で変わった事と言えば、射し込む陽射しの角度くらいだ。

 紙とインクと、木製の家具の入り混じる香りも、ひらひらと風に揺らされ踊るカーテンの靡き方も。

 もうずっと、変わらないのだ。

 机の上に伏せられた写真立て以外は。


「母様、……その……」


 先に口を開いたのは長男らしく、イアンだった。けれども続く言葉が上手く喉から零れてはくれない。

 母が渇望した三男をあっさり逃がしてしまった事実を、どうやって彼女を傷付けない言い方で伝えられるか、この場に立つまで分からないままだった。


 そんなイアンを横目に見て、ディビッドが続きを語ろうとする。彼は態度と性格が災いしてか、憎まれ役ならイアンよりかは慣れている。

 純朴なイアンがその役割を担うより、自分がイザベラを傷付けてしまう方が幾分か幸せであるだろうと感じた。

 少なくとも、きっとイアンくらいなら幸せには出来るだろう。あの温厚な兄がへこたれるのを見るのは、恐らく自分が悪役になる事よりも苛々してしまうだろうから。


 けれど、それより早く口を開いたのは意外にもイザベラであった。


「お帰りなさい、二人共。……イアン、馬達に餌はあげてきたかしら?」

「え、ああ……それは勿論」


 突然、馬の話題。確かにイアンはこの家の馬番をしているけれども。このタイミングで言う話だろうか。

 いの一番にジェイドの事を問い質されると思っていただけに、二人は面食らう。


「ディビッド、そろそろお昼の準備をお願いするわね」

「は?……あー…………うん」


 続く言葉も、全く以て予想だにしていなかった。ディビッドは突然話を振られて頷く事しか出来ない。

 まるで、先程部屋に集まって話した事など──ジェイドなど、最初からこの家には戻って来ていなかったかのような態度。


 更に言うならば、ルーネが帰って来ていない件についてはやはりノータッチ。イアンとディビッドはイザベラのそういうところは最初から分かっていたから、ルーネに対しての態度も特には驚かないけれど。

 自分達他の兄弟は兎も角、爵位を譲りたいジェイドにだけは執着していると思っていた。

 けれど、見る限りそうではないのかもしれない。

 イアンとディビッドは示し合わせるべくアンバーと紫色の目を見合わせる。妙な雰囲気になる事もなく部屋を出て行くならば、今しかない。


「……じゃ、昼飯の準備してくるわ」

「俺も手伝って来ようかな」

「そう。ご飯の時間になったら声掛けて頂戴ね」


 母に泣かれる事もなく厭になる程簡単に、部屋を後にする事が出来た。扉を背にして男二人、深く溜息を吐く。


「……何か」

「ああ」

「拍子抜けだなぁ……」


 二人は知らないままでいられる。

 「ジェイドは帰って来てなどいない」

 「一瞬、アンダインにいたのはただの夢幻である」

 そう思い込む事で、胸中を焼く刃の痛みに耐えようとするイザベラの意図など、幸福な事に知らないままでいられるのだ。

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