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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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32 新たなる旅立ち



 朝食も済ませて荷造り。

 とはいえジェイドに持つべき物など殆どない。荷造りというよりかは持ち物の確認だ。いつものように釣鐘型のケープマントを羽織ってフードを目深に被り、そうっと部屋を抜け出した。


 裏地に付くポケットの中には飴玉がギッシリ詰められた小さなキャンディボトル。それと、オリクトの入った物と金貨や銀貨のしまわれたそれぞれの皮袋。何れも片手に収まる程のサイズで荷物になどならない。重くもない。

 貨幣の入る袋の中には預金を降ろしたり換金する為の金色のプレートも入っている。これは雷のオリクトの組み込まれた装置に通すと、持ち主の顔写真と登録情報が表示されるという代物だ。

 以前は紙で管理されていた銀行業務もオリクトの出現により、より効率良く回るようになった。

 それらの重みを。

 昨日シャルロットの肩へと預けたその重みを。

 変わらず、いつものように自分の肩へ感じて歩く。


 今はイザベラも執務の為に部屋に引き篭ってしまったし、イアンもその時間に合わせて牧場の方へ行ってくると屋敷を出て行った。

 朝食の直後だからディビッドも弟達と片付けると、キッチンへと引き下がったのを見届けたばかりだ。

 屋敷を出るならこのタイミングしかない。

 家族と顔を合わせれば止められるに決まってる。


 シャルロットには結局「ついてきて欲しい」の一言すら言えなかった。


 そもそも自分はついてきて欲しい、のだろうか。行く場所も決まってない癖に一体どこへ。



 ────違う。



 一緒にいる理由を保持しているのは魔法を学びたいシャルロットの方だ。そして、魔力があると分かった彼女はこれから先、学ぶという事はジェイドの下でなくとも出来てしまうだろう。

 魔法現象として魔力を外に放出する事が出来ないシャルロット。彼女が魔法を使えるようにしてやる方法など、ジェイドには分からない。

 分からないのであれば教える事は出来ない。“先生”で居続ける事など出来はしない。


 更に、ジェイドには理由がない。

 シャルロットを傍に置いておけるだけの理由がないのだ。

 寧ろ最初は厄介払いをしたがっていた癖に、一体どういった心境の変化なのか。ジェイドは自分で自分が分からない。


 ついてきて欲しいなどと無責任な事は言えないし、言わないという事は当然食事を終えてから彼女の顔は見ていない。一声掛ける事もしない。

 これ以上胸の裏側をじりじりと焼き焦がすかのような、痛みも苦しみも味わいたくはない。少女に無益で無駄な時間を使わせる事もしたくはない。

 さようならすらもろくに言えない臆病者は、一人で屋敷を抜けた。


 常に開けっ放しにされた鉄製の正面門を抜け、少し離れてから風の魔法で移動してしまおうかと歩き始めたところで、背後から声を掛けられた。

 聞き慣れた、柔らかい少女の声。


「先生!」

「……」


 シャルロットだ。

 一応昨夜、本日中にアンダインを離れるという事は告げたからここで張り込んでいたのだろうか。それともシャルロットを置いて出ようとしている自分を見掛けて、追い掛けてきたのか。

 ジェイドは振り返る事もなく返事をする。


「どうした? 俺は──」


 ちょっと散歩に、と言って誤魔化そうとした。きっともう帰る事のない遠くて長い道程の散歩だ。

 またいずれどこかで出逢えたら。そう思って屋敷を出たのに、顔を見てしまえば決心が揺らぐではないか。

 ジェイドが言葉の続きを発するよりも先に、シャルロットが声高に叫ぶ。


「王都へ参りましょう!」

「そうそう王都に…………って、……はァ?」


 余りにも突拍子もない事に驚いて振り返ってしまう。先程までのセンチメンタルな気持ちを返して欲しい。


「王都に何しに」

「……え、えーと……」


 シャルロットはもう決めていた。

 昨夜突然現れたジェイドの内なる者に協力すると。それが、ジェイドが苦しまなくなる手助けになるのなら。

 だから何としてでも王都エストリアルへ行かなければならない。この提案をしてきたのは昨夜の“彼”であり、ジェイドではない。何も知らない師を説得し、王都へと導くのが彼女の役割だ。

 その為の理由を探す。

 理由を探してから声を掛けるだなんて悠長な事、独りで出て行こうとするジェイドの背中を見てしまえば出来る筈もなかった。


「…………ゼリーを食べに」

「ゼリー」

「サエスはゼリーが美味しいじゃないですか! 王都に有名なお店があるってルーネ様が仰っておりました!!」


 苦しい。

 確かにサエスはゼリーが有名だ。素晴らしい水質で作られたフルーツを使用したゼリーは見た目も美しく絶品である。サエス中の娘は年頃になると、皆挙ってあの宝石のような見目麗しい菓子に心奪われるものだ。

 だからといって今このタイミングでそれを言うか。咄嗟に思い付いたとはいえ、とんでもなく苦しい嘘だ。


「ゼリー…………」


 ジェイドはというと、その嘘にあっさり騙され頭を抱えていた。シャルロットがここを離れて王都へ行くのであれば、行く宛もない事だし自分が連れて行った方がいいのだろうかと悩む。

 王都周辺で賑わっている辺りならば兎も角、こんな人気のない田舎で今更女性の一人旅をさせていいものなのだろうか。大いに、大いに悩む。


 そこまで考えるが、ジェイドはふと顔を上げフードの下から覗く瞳でシャルロットを見据える。


「……君はここにいるつもりはないのか?」

「何でそのようなお話になるのでしょう?」

「いや、だって…………ディビッドと……」


 シャルロットがあっけらかんと首を傾げてしまうものだから、ジェイドもうっかり口を滑らせる。案の定シャルロットは目を細めてじーっと、フードの下に見え隠れする師匠の表情を伺おうとする。


「……聞いてらっしゃったんですか?」

「…………。あんな所で話し込んでるものだから聞こえてしまったんだ。不可抗力だよ」


 誤魔化す気すら起きない。

 ジェイドは溜息を吐き頭部を覆っていたフードを降ろす。そうして、キツい顔立ちを作る両の瞳でシャルロットを見据える。  ディビッドの婚約の申し込みを受けるのか否か、答えを聞きたいが故に。今になって答えを聞く勇気が漸く湧いたが故に、だ。

 然しシャルロットはやはり軽い調子で答えてしまう。


「私、ディビッド様とは婚約致しませんよ?」


 バッサリ。

 あんまりにもさらっと言い放つものだから、先程漸く勇気を絞り出したのが馬鹿馬鹿しくなる程の簡潔さ。

 ディビッド本人がこの場にいなくて良かったと、ジェイドは何故だか嫌いな兄を想って胸を撫で下ろす。

 流石に仲の悪い人物といえど、こんなにもバッサリと拒否されてしまう所を見るのは同じ男として忍びない。

 本当に兄の為に胸を撫で下ろしたのかはさておきとしてだ。

 ジェイドは無意識の内に心の澱みが一つ晴れたような気がして、僅かに表情を輝かせる。


「そ、……そうか。そうだろうな! あんな奴と結婚したってろくな目に合わないだろうからな! 懸命な判断だぞ!!」


 腕を組み漏れそうな笑みを必死に顔面筋を総動員して抑え込む。うんうんと首を立てに振るジェイドの様子を不思議そうに見つめながら、シャルロットは理由を答える。


「いえ、私を胸で判断してなさそうな辺りは、普通の殿方よりはきっと素敵な方なのでしょうけれど……」

「うん?」


 素敵な殿方。

 その言葉を聞くとジェイドの動きはピタリと止まった。伏せがちだった目を片方だけ開ける。


 シャルロットとしては文字通りに胸が邪魔をして、男性からの欲望の目に晒されるのは慣れている。

 まず初対面の他人から感じる視線の先は、胸だ。それも余程目立つのだろう、男女関係なくである。

 けれど、ディビッドからは余り胸への視線を感じる事はなかったのだ。目を見ていれば分かった。申し込みの理由はもっと別の所にあるのだろう、と。

 けれどもそれは彼の理由であり都合だ。


「……ディビッド様と結婚してしまったら、私先生の“義姉”になりますよね? それはちょっと…………嫌です」

「義姉の何が嫌なんだ」

「先生を弟扱いなんて私、出来ませんもの」


 確かにシャルロットの言葉も一理ある。

 ジェイドとしても今更シャルロットを「義姉様」と呼べる筈もない。

 そもそもイアンとディビッドさえ呼び捨てにしているというのに、何故シャルロットは姉扱いしなければならないのか。

 ジェイドは納得しかけて、有り得もしないifを問う。


「……ルーネだったら申し込みを受けていたのか?」

「? …………うーん……申し込まれてないのでちょっと分かり兼ねます。何故そのような事を聞くのですか?」


 ジェイドが弟ではなく兄としての立場になるのであれば、また判断は違うものになるのではないか。

 そう思って尋ねたのだが、シャルロットに突っ込まれればジェイドは視線を逸らすしかない。

 二人の価値観は本質的に違うものだ。家を継ぐ気もなく、今まさに再び出て行こうとしているジェイドはその気になればいつでも結婚出来てしまう。

 然しシャルロットは公爵家の娘、ひいては己が政略結婚の道具として扱われる可能性がある事を幼少期から叩き込まれてきたのだろう。

 基本的に自分に選択権は余り無い、とシャルロット自身は考えていた。家出してしまった今では自由なのだろうが、それでも今はまだ夢を追う事に夢中で結婚というものを真面目に考えられないでいた。

 育たなかった結婚への選択意欲と、現状を鑑みれば答えは自然と曖昧なものになる。


 然し、ジェイドにはその答えだけで充分だった。


「……せ、先生? どうされました? どこかお加減でも悪いのですか?」


 ジェイドは気付いてしまった。

 気付いてしまったが故に、その場に蹲って動かなくなる。


 ジェイドを弟扱いしたくない。

 兄になるのなら、分からない。

 彼女の選択の中心が自分自身である事に気付いてしまったのだ。


 それが分からず傲慢な質問をしてしまった己自身を恥じ、嬉しいやら苦しいやら情けないやらでジェイドはしゃがみ込んだ体勢のまま立てなくなってしまった。


「……ちょっと五分でいいから時間くれ」


 シャルロットは天然なのか、それとも自覚ありなのか。

 自分が優先されている事の喜びがこんなにも幸福なものなのか。

 そもそも自分は何だってこんな少女の言葉に一喜一憂して振り回されているのか。

 五分で答えは出るのだろうか。否、断言出来る。無理だ。





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