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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
31/192

31 また、いずれ

 

 彼からの提案は、内容としては振り出しに戻るのだった。


「僕の目的の内容を一切聞かずに、然して協力して下さるなら良いですよ」

「…………その為に起こしたのでしょう?」


 目の前の彼はその為にシャルロットを起こした事を、シャルロット本人は忘れた訳ではない。

 ふと思うが、あの時ジェイドの人格が切り替わった事に気付かずにいたらどうなっていたのだろう。特にオリクトなどは今頃無事で有れたのだろうか。


「貴女、僕の愛を受け取りたくもないのでしょう? 

ま、受け取って下さらなくても構わないのですけどね。貴女は僕を目覚めさせて下さいました。それだけが事実であり、それだけが僕にとっては充分過ぎる幸福なのですから。そんな貴女とこうしてお話出来る事すらまたとない幸福。

ただ貴女には護りたい石があり、僕には目的がある。交換条件として妥当だとは思いませんか?」


 ナイスアイデア、とでも言いたげに笑う彼はまるで子供のようだ。子供のような無邪気な笑顔で、悪魔のような取引を提案する。

 然し、彼のいう“目的”とやらが何なのか全く分からない。分からないまま、頷く訳にはいかない。

 頷かないとオリクトは壊される。

 悩む少女の頭上から更に提案が降り注ぐ。


「協力して下さるのなら、僕はもうオリクトを二度と無駄には致しません」

「……!」

「お約束しますよ、如何でしょう」

「…………その、約束の根拠は。絶対に守って下さる保証は」


 少女はまだ疑いの視線を彼へと向ける。

 二年間、ずっとオリクトを壊しジェイドを悩ませていた存在が彼なのだ。それが目的に協力するというだけで、今後はオリクトへ手を出さないという。

 信じる事など、出来る筈もない。

 抱き締めた少女が下から睨み付けて来ても、男は“睨まれている”という事実ごと愛おしげに見下ろすだけだ。

 唐突にシャルロットの額の上にぽす、と何かが置かれる。オリクトの入った皮袋だ。頭の上でオリクト同士がぶつかる硬質な音が響く。


「今夜はこれを担保とさせて頂きたいですね。今の僕にはこれしか御座いませんから」


 それはジェイドのオリクトだと言うのに、何故我が物顔で信用を勝ち取る為の担保に使うのか。シャルロットはそう思いつつも言葉を飲み込んだ。

 額の上に不安定に乗せられた皮袋を慌てて手中に収める少女は、大切な物を抱き締めるように両腕にそれを抱える。

 そうして俯きながら、小さく尋ねるのだ。


「……どうして貴方は、オリクトを壊してしまうんですか」


 こんなにも素晴らしいものなのに。

 この二年間、この石のお陰で沢山のシュルクが救われてきた。

 ジェイドすらも大切に扱い、求める石であるというのに。何故後から目覚めたと自分から申告する存在に、オリクトを破壊する権限があるというのだ。


「貴女は、育てている大切な花に虫がついていたら駆除をしますか?」


 頭上から降ってくるのはこれまたよく分からない質問であった。

 質問に質問で返さないで欲しい。シャルロットはこの僅かな時間に、そう何度も願っていた。


「意味が分かりません……」

「虫に情を持ってしまったが為に花を喰わせて、花ではなく虫を育てますか? この場合選択肢は二つであり、僕はその内の一つを選んでいます」

「あの、……」


 何を言っているのだろう。

 その言葉の意味を理解するには少女にはまだ情報も感情も、何もかもが足りなさすぎた。


 男は不意に、少女へ向けていた視線を外へと向ける。空が少しずつ白み始めた。

 深い藍色と星達は太陽に追いやられるように逃げていき、光が蒼天を伴って山間の向こうから伸びてくる。

 夜が、明けるのだ。


「嗚呼、……そろそろ時間ですね。もうご質問はないでしょうか?」

「……えっ」


 時間など決まっているのか。

 そう言えば、話し始めた当初は彼から「暁闇の夜が明けるまで」と言われていた事を思い出す。

 やはり、ジェイドが寝付けない深夜帯の時間が彼の時間なのだろうと痛感する。


 唐突にタイムリミットを告げられシャルロットは慌てる。何か質問をしたいが、何をすればいいのやら。

 そこで一つだけ思い出す。

 寝ていた所を起こされた上に、直後から頭を使いすぎてマトモな質問の一つも思い浮かばない。

 故に口をついて出た質問が、これだ。


「……あの、貴方は先生の考えを受け継いでいるんですよね?」

「そうですねぇ、大体は」

「……………………私を、……その、愛している……と、いうのは……」


 “貴方”がそう思っているのか。

 ────それとも。


 最後まで言い切れないが、質問内容の意味は伝わってはいるだろう。口にしてしまうと、その質問の恥ずかしさは更に計り知れないものとなってしまう。

 少女はじっと押し黙る。

 俯いて答えを待っているとトントン、と肩をつつかれる。何事だろうとシャルロットが顔を上げる。

 すると、黒い影が視界いっぱいに広がって。


 額に柔らかいものが軽く押し付けられた。


「……」


 硬直。

 それが何を意味するのか暫く考えて。

 すぐに少女の頬は熟れた果実よりも真っ赤に染まる。


「な、……ななな、な」

「あは、真っ赤になっちゃってかーわいいですねぇ。……ま、本日の所はこれが答えという事で」

「答えになっている訳ないでしょう!?」


 胸から口から、あらぬ方向へと心臓が飛び出してしまいそうな少女は周囲の部屋に気を使う事もなく大きな声で怒鳴ってしまう。額にキスを落とされたのだ。

 尊敬するジェイドの姿でされた、まるで恋人同士でするようなその行為に少女が叫ぶのも仕方がない事だろう。


 途端に、隣の部屋から物音がした。

 隣の部屋はルーネが借りている客室だったか。驚ろかせてしまったかもしれないと、シャルロットは慌てて口を噤む。


 目の前の彼は、目を白黒させ今の口付けの意味を考えては思考を放棄し考える事を止めてしまう少女をその腕の中から解放し、そのままふらりと足元を縺れさせ目の前のベッドへ勢い良く倒れ込んだ。

 驚く少女を横目に見据えて。


「ジェイドは貴女と共にいた事で自分は寝れているものだと思っている筈ですので、本日はこのような形で失礼致します。

ジェイド本人に僕の事を言うのは自由ですが、彼の事を思えば黙っているのが懸命かもしれませんね。では、……また暁闇の夜にお会い致しましょう」


 そうして、一人勝手に注意事項まで付け足すと目を閉じ穏やかな寝息を立て始める。

 前にジェイドから聞いた話を考えると、起きてオリクトを破壊している時間は身体は休まっていないと言っていたか。

 なら、今宵はジェイドにとって休めた事にはならないのだろう。


 シャルロットは独り、置いてけぼりにされた気分でいた。

 ふと先程唇が触れた額に手のひらで触れる。自分の額が熱を持っているのか。それとも手のひらにまで熱は一瞬で広がってしまったのか。

 身体中が熱くて、良く分からなかった。





「…………んー……今何時だ……」


 夜もすっかり開けて午前の爽やかな空気が室内を満たす頃に、ジェイドは目を擦りベッドの上起き上がる。

 風にそよぐレースのカーテンは、昨夜のままなのに夜に見るのと朝に見るのとでは雰囲気もがらりと変化する。

 まるで新たな一日の産声を太陽と共に祝福する、可憐な乙女が踊るドレスの裾であるかのようだ。これを見るのがアイスフォーゲル家の客室のベッドの上でないのなら、なかなか良い一日のスタートを切れたのではないだろうか。

 然し現実は残酷である。

 そう思うジェイドの心は、窓の外の蒼天のようには晴れないものだった。


 気付くと、隣にいる筈の少女がいない。

 寝惚け頭で部屋を見渡すと、既に少女は寝巻きから黄緑色のワンピースに着替え、革製のポシェットと黄緑色のリボンカチューシャまで身に付けて椅子に腰掛けて座っていた。


 こちらに背を向けて。


「…………うん? お早うシャルロット。早いな」


 身体をベッドの上で横向きに横たえると、枕の上に肘をつきその上に頭を乗せてジェイドは弟子へと声を掛ける。

 普段寝れていない分を取り戻そうと、一度寝てしまえばなかなか起きる事が出来ないジェイドにとっては、誰が隣に寝ていたとしてもその相手が早起きである事に変わりはないのだが。

 昨夜の態度には触れないでもらいたくて、寝起きの調子いい精神状態でもあるし割と気さくに話し掛けたつもりではあるのだが、その挨拶は無視される。


「……? シャルロット?」

「…………」


 少女は背を向けたままだ。

 まさか寝ている間にまた自分は何かしでかしてしまったのではないか。もしくはやはり、昨夜の態度を彼女も気にしすぎているのではないかと心配になり、ジェイドはベッドシーツから上体を引き離す。

 ジェイドは寝る前に、本日ここを去る事をシャルロットへと告げた。それについてくるか、またはついて来ないで──要は、ディビッドの言葉を受け入れるかは彼女次第なのだ。

 それはもう、ジェイド自身は納得してしまっている。どんな結果になっても構わないとさえ思えてしまう。

 彼は人生の中で幾度となく諦めるという事をしてきた。辛酸を舐め、痛苦を学んできたのだ。今更、“この程度”の事で何日もウジウジしてはいられない。寝てしまえば忘れる程度の痛みだ。

 ジェイドは自分自身にそう言い聞かせる。


 ジェイドの起き上がろうとする気配を察知したのかシャルロットは思い切り立ち上がる。その勢いが良すぎた為に椅子が大きな音を立てて横転する。


「先生もお着替えなさるでしょうし! 私、ドアの向こうで待っていますね!! 着替えたらご一緒に食堂まで参りましょう!!」

「え、……あ、ああ……」


 何故だか上擦った声で背を向けたまま、半ば叫ぶようにそう告げるシャルロットはズンズンと大股で部屋の扉まで歩み、それを思い切り開くと後ろ手に勢い良く開く。

 その勢いが余りにも良すぎて、部屋の壁に掛けられた時計が振動で僅かに揺れ埃を落とす程だった。

 シャルロットの怪力で部屋の扉が破壊されなくて良かったと、ジェイドが旨を撫で下ろす程の勢いだ。


「…………何なんだ一体」


 ベッドから降りて倒れた椅子を元に戻す。彼女がこんな風に、自分で倒した椅子などを片付けていかないなど珍しい事もあるものだと男は呑気に考える。

 久し振りに健康的な時間に寝て、沢山寝た筈なのにまだ眠いとは。一晩では慢性的な睡眠不足も解消されなかったという事だろう。

 ジェイドは欠伸を一つ噛み殺して、真白いシャツを片手に掴むのだった。

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