3 弟子入り志願
「…………ぅ、……」
次にジェイドが目覚めた時に見たものは宿屋の天井だった。ぼんやりと不揃いな木目をその視界に捉え数度瞬き。
そうして状況を把握する為に脳を使っての更に数秒の末に、思いきり毛布を跳ね除けて寝台の上起き上がる。
「……!?」
生きてる。
あの恐ろしい少女の蹴りを頭部に喰らって生きている。
彼女の身体を風で包んで浮かせておいて良かった。拘束系の魔法ではない為に手脚の自由を許してはしまったが、それでも踏み込める大地がなかったというのは大きかったのだろう。頭蓋骨を粉砕されずに済んだのだ。
生を実感すべく、自分の頭部を撫でる。体内に満ちた魔力が自動的に怪我らしい怪我は治してくれたのだろうか、コブなどはないものの頭がズキズキと痛む。昨日は飲み過ぎたし、二日酔いという線も否めなかったが。
それとも夢だったのだろうか。
そうだ、夢だったのかも知れない。
あんな恐ろしい娘はいなかった。
そうだそうだ、そうに違いない。
そう自分に言い聞かせながらジェイドはふと隣に視線をやる。
いた。
ベッドの上、自分の隣。
すやすやと心地良さそうな寝息を立て、あの、悪魔が寝ていた。
「う、わ、ああ……あああああああ……!?」
ジェイドは遂に「やっちまった」のかと思った。あれ程未成年に手を出さないとしていた己への誓いが破られたと思い、彼はまず真っ先に毛布を捲り自分と彼女の衣服を目視で確認した。
大丈夫、着ている。どこか破れたり汚れたり肌蹴ていたりという事もない。多分大丈夫。多分。
恐怖に絞り出されたジェイドの悲鳴に少女が身動ぎ、目をパチリと開けた。
「……ッ」
目が合った瞬間、本能的に即時魔法を展開。少女の周囲に草花が生えその身体を太い蔦でがんじ絡めに拘束する。これで手足も動かせまい。昨夜の轍は踏むものか。
「おはようござい……ふぁ?」
起きたばかりの少女は植物に全身をぐるぐる巻きに拘束されて、間の抜けた声を上げる。
ジェイドはベッドの上に座り直し、横たわるままの少女になるべく冷静に語りかける事にした。
「……何で君がここにいるんだ」
「えっ、私が先生を運んだからですよ?」
少女は色とりどりの花の中でふにゃりと柔らかい、屈託のない笑みを見せる。騙されてはならない。
「あの後少し時間が経ったら歩けるまでに回復したので、先生をおんぶして街まで帰ったんです。
街の入口の宿屋は昨夜の騒動で皆避難してしまってもぬけの殻、奥の宿はどこも避難民が押し寄せてしまったみたいで漸く入れた所も一室しか空いてなく……仕方なく同衾させて頂きました」
「おんぶ……」
現在ベッドの上で芋虫のようになった少女はパッと見ても身長百五十センチと少し程しかないように見える。百六十はないと、ジェイドの勘が告げている。
頭に飾る兎の耳のようなリボンが触覚のように揺れ、それが更に芋虫っぽさを演出していた。
そんな彼女が、──ヒールの高い靴を履いているのも原因なのだが──靴も入れると百九十センチを超える長身のジェイドを背負って運んだという。
絶対高さが足りてないだろうと思ってベッドの下に視線をやる。脱がされたのだろう、揃えられたジェイドのブーツは爪先のところに真新しい傷を作っていた。
「……ところでさっきから先生って……なんだ」
靴について物凄くツッコミたいところだが、ツッコむと話が進まなくなると思ってジェイドはぐっと我慢し、新たな疑問を投げ掛ける。
「あ! えっとですねぇ、……えいっ」
良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりに少女は黄緑色の目を爛々と輝かせて、己の身体を縛り上げる蔦を腕の力のみでブチブチとひき千切る。
「……」
ツッコむのを我慢し過ぎて頭痛が酷くなってきた気すらするが、ジェイドは少女の発言を待ち耐える。
蔦から開放された少女はベッドから降りると真っ直ぐにジェイドを見つめ、口を開いた。
「私、シャルロット・セラフィスと申します! この度大魔術師ジェイド先生に魔法を教わりたく、弟子入りをお願いしたいのです! 宜しくお願いします!!」
「断る」
勢いよく頭を下げるシャルロットなる少女を視界から消し去るべく、頭から毛布を被りベッドに蹲り拒絶する。
冗談じゃない。こんなお子様連れて歩いていたら女漁りもままならない。
「そんな事言わずに!」
シャルロットは引き下がらずに、寧ろ毛布を引っ張り奪おうとしてくる。一応師とするジェイドに気を使っているのか、クイクイと可愛らしく引っ張るだけだが二度言おう。騙されてはならない。
彼女程の力があるならば“中身”のジェイドごと毛布をバラバラの粉微塵にする事も訳ないのだろうと、彼は自身の現在の境遇を危惧していた。
「止めろ! よせ! 触るなッ!! 俺は弟子なんか取らない! 絶ッッ対に取らないからな!!」
毛布に包まれながらもベッド周辺にキラキラと光を纏う植物を喚び、そのしなる長い茎で毛布を掴む少女の小さな手をベシベシと強めに殴打する。
勿論そのような抵抗で引き下がるシャルロットではない。
「わぁ! 可愛い魔法っ」
先程の植物とは違い、光魔法を纏わせて硬度を強化した魔法植物である光の花をいとも簡単にブチブチと毟り取り無邪気に笑う少女の姿を、毛布の隙間からジェイドは見た。
目が合った。
「次はお前だ」と言われているような気すらして、ジェイドは再び毛布の中に貝のように引っ込んでしまう。
魔物より魔物じみている気すらする。生きている人が一番怖いとも言うが、恐怖の方向性が違いすぎる。どう対処したら良いものか、ジェイドは布団の中で思考する。
やはりあの時見捨てておけば良かったのかもしれないとの考えに至ったが、過ぎてしまった事は仕方がない。
然し彼はふと、昨夜の事を思い出して再び勢いよく起き上がる。
「そうだ! 君、家は? ご両親が心配してるんじゃないのか? 送ってやろう」
彼女を家に送り届けてから別の街なりに移動すればいいのだ。そうすればもう顔を合わせる事もないだろう。簡単な事ではないか。
浮かんだ解決策に晴れやかに微笑むジェイドの表情は、シャルロットの言葉を聞き絶望に固まる事となる。
「私、北の大陸から家出してきたんです。帰る気はありません!」
もうやだ。
たかが家出如きで北のケフェイド大陸からはるばる移動? 馬鹿じゃないのか。
ジェイドは完全にシャルロットとの交流を絶つべく、毛布に包まって彼女が諦め部屋から出て行く時を静かに待っていた。
「…………出て行って……くれないか」
「弟子入りさせてくれるまで出て行きません!」
時たまこうして声を掛け退室を促すのだが、もう何十回目になるやり取りだろうか。なかなかにしつこい。
気になってしまって、頭が痛いというのに二度寝すら出来ない。
もうかれこれ二時間程になるだろうか。空腹で胃もキリキリしてくる頃だ。
彼らシュルクという種族は生まれながらにして魔力を持って生まれてくる。
今やこの世界で一番繁栄しているのはシュルクだ。
似た種族にエルフなる種族もいるが、エルフと比べてシュルクは耳が尖らずに丸く、そして短い。割と見分けは簡単につく。
更にエルフよりも随分と短命だ。寿命は平均して七十歳程だろうか。
魔力を持っているとはいえ、それは大多数の者にとって大して役に立つものでもない。大体は一日に一度小さな火を灯したり、コップ一杯を水で満たすのが精一杯だ。だからオリクトが普及する。
ある程度魔物との戦闘などで魔法を行使出来る者は“魔術師”などという仕事として、世に貢献する事となる。
それでも世界各国の魔術師を探してもジェイド並の魔力量の者などいないだろう。彼は桁外れ、規格外、非常識なまでの魔力を有していた。
それはそれこれはこれで、使った分の魔力は本能的に補おうとするのがシュルクという生き物だ。それは生まれたばかりの赤子でも、魔術師として生きてきた老人でも同じ事。ジェイドですら例外ではない。
消費した魔力は睡眠や食事で賄うことが出来る。ジェイドが昨夜酒場で延々と甘い物を食べ、平原で魔法を行使する直前にも口の中で飴を転がしたのはそういう絡繰りだ。
単純に消費した分だけ食べ、食べた分だけ浪費する。魔力を使うと疲れてしまい、身体が甘い物を欲する。魔力量が多い彼だからこそ、どれだけ食べても足りないくらいなのだ。
こうして出来上がった彼の偏った食生活は、それでも彼自身の身体の理にかなってはいるようで今まで不調を齎した事はない。
然し、今現在まさに身体の不調をきたそうとしていた。ベッドの外にシャルロットがいるので食事にもいけないのだ。
いや、無視して食事に行ってもいいのだが着いてこられるのも鬱陶しい。
ジェイドは昨夜あれだけの魔法を行使したあと、何も食べてない。
つまり端的に言うと、腹が減ったのだ。
「せんせー、せんせーってば!」
空腹のイライラとシャルロットの鬱陶しさで色々限界を迎えそうなジェイドは、遂に毛布を捲りゆらりと起き上がった。
長時間毛布の中に隠れていた為に乱れた髪に構いもせず、座った目で少女を見やる。
「……分かった。弟子入りは前向きに検討しよう」
「!」
「但し」
シャルロットの瞳が一際強く輝くのを制するように、ジェイドは言葉を続ける。
そうして彼は不意に、今まで少女に見せた事のないような勝ち誇った下衆い笑みを浮かべて見せた。
「胸を揉ませろ。それを対価とする」
「!?」
視線はシャルロットの、歳の割には不釣り合いなまでに育った胸へと注がれている。そこらの高級娼婦に引けを取らない美乳がそこにはあった。
然しジェイドの目的はその胸に触れる事ではない。
年頃の少女には耐えられない条件だろうとジェイドは踏んだのだ。ここでごねるようなら諦めてもらえばいい。
諦めさせる為の無理難題だ。何なら失望でもして自主的に部屋から出て行って欲しいとさえ思っていた。
シャルロットは案の定俯いてしまう。そうして縮こまっていればまあまあ可愛らしいのに、あのオークも裸足で逃げ出す怪力は一体何なのだろうか。
然しそれも数秒、少女はゆっくりと真っ赤に染まった頬でジェイドを見上げた。
「……どうぞ」
「は?」
ちょっと良く聞こえなかった。
いや、聞きたくなかったという方が正しい。ジェイドは自分の耳を疑った。
昨夜は己の目を疑い、今日は聴覚を疑う。もう自分の身体は色々と駄目なのではないかとすら感じていた。
「先生になら…………いいですよ?」
思考停止というのはつまり、こういう事なのだろう。詰んだ。もう打つ手は何もない。
お手上げ状態だ。この上がった手でシャルロットの胸を好き放題に揉みしだけば良いのだろうか。未成年の胸をそうした所で何が楽しいのだろう。
ジェイドは現実から逃げるように再び毛布の中に帰っていくのだった。