21 ノブレスオブリージュ
「そ、それにしてもグランヘレネからお引越しなされて来たというのに、サエスで爵位を与えられるなんて凄いですね……!」
シャルロットは素直に引っ掛かりを口にする事にした。ジェイドは生まれをグランヘレネと言っていたのだ。
グランヘレネにいたアイスフォーゲル男爵家が、サエスに来て尚爵位を持てるものなのだろうか。
少女は貴族の成り立ちについて余り詳しくはなかったが、それでも自分だって貴族の端くれだ。基本的には貴族とはその土地と共に生きる、と言うことはぼんやりとでも知っている。だから、その中途半端な知識がシャルロットに引っ掛かりを与えていたのだ。
少女の言葉を聞いていた筈なのに、向かいに座っていたアイスフォーゲル男爵夫人は何の反応も示さずにニコニコと笑みを顔に貼り付けるのみ。
ずしりと空気が重くなった気がする。ジェイドは硝子窓の外に流れる景色を眺めながら口を開き、それを聞いたシャルロットは失言したような気すらした。
「俺は…………、……僕は青い血ではないので」
「青い血、……ええと……」
「貴族の事よ、シャルロットちゃん」
一応母を立てて一人称を言い直す師の言葉の意味が分からずに首を傾げていると、すかさずイザベラがそっと教えてくれる。
こういう事だけは教えてくれるのに、先の言葉には反応を示さなかった理由は彼女の口から語られる事はないだろう。
シャルロットはイザベラに軽く礼を述べた後、ジェイドの言葉に食いつく。
「貴族ではない、……って事ですか?でも……」
先程、アイスフォーゲルは男爵の称号を有している家と聞いたばかりである。
彼の言葉は家と、自分そのものを否定しているのだろうか。それは日々の立ち振る舞いからか、それとも家を出てしまっている現状を思ってか。
母であるイザベラもいる手前、それはきっと彼女をも傷付けるのではないだろうか。シャルロットから投げ掛けられる疑問にジェイドは答えようとした。然しそれは母親により遮られる。
「そ──」
「そんな事ないわ、ジェイドは立派な貴族。アイスフォーゲル家の一員よ」
「……」
再び馬車の中に静寂が訪れる。
余りにも不自然で薄気味悪い静けさだとシャルロットは思っていた。勿論完全な無音ではない。馬車が揺れる度に車輪が転がる音が、申し訳程度にこの場を無音にはしまいと耳へ届く。
けれど、主にジェイドからイザベラへと向けられる一方的な空気が最悪なまでに沈痛な重さを醸し出し、家族間特有の暖かさを微塵も感じられないのだ。
それでもイザベラは笑顔を絶やさない。
「ジェイドはいずれ、ウチを継ぐのよ」
「継ぎませんよ。僕にノブレスオブリージュはありません。果たす気もない」
母の言葉を即一刀両断する。
それでもイザベラは笑顔のままめげる事はない。ある意味鋼のメンタルなのかもしれない。
「全く、今更反抗期かしら? 昔は母様母様ってベッタリだった癖に」
「僕、貴女を母様とお呼びした事一度もありませんけどね。ま、こちらはこちらで好きに呼ばせて頂きますので……そちらもお好きにどうぞ。ご自由に名乗って頂ければと思います」
この親子、何があったのだろうと思う程に仲が悪すぎる。シャルロットはいたたまれなさに窓の外に視線を向ける。
するとサエスの騎士団だろうか、甲冑を装備した男達がローブ姿のシュルク数名を取り囲むようにして引っ立てている様子が、タイミング悪く見えてしまった。
すぐ傍らにはディスプレイ用の硝子が割られた店が見える。路面に、折角綺麗に並べられていたであろうオリクトが道路へと無残に零れ、いくつかは落ちて割れてしまっていた。
それを横目で眺めるジェイドの瞳を、まるで餌を前に待てをされる哀れな犬のような目を。
──シャルロットは、見て見ぬ振りをする。
「あれは……」
「多分王家派、じゃないかしら。ケフェイドからサエスに入り込んだ人達よ……ああやって集団で行動するんですって」
シャルロットの疑念をイザベラは拾ってくれる。彼女の目にも、あの異様な人の群れは見えていたようだ。
ちょっとした事件現場はすぐに通り過ぎてしまうが、彼女は続けて説明してくれる。
「アルガス王国って王室を解体されちゃったでしょう? その残党がサエスに入り込んでいるのよ。……全く、物騒ねえ」
ニコニコとしているだけのイザベラも、この時ばかりはその笑顔に影が差す。頬に手を当てて陰鬱な溜息を吐いた。
二年前、オリクトを開発した組織アル・マナクの存在を良しとしなかったアルガス王国が、アル・マナクを相手取り戦争を仕掛けた結果返り討ちにあい、逆に国を追われる事となってしまった──大衆からすれば笑い話にもならないような陳腐な話。
その戦争にて生き残ったアルガス王の子孫や血族がケフェイド大陸を離れてここ、サエス王国に入り込んでいるのだという。
「何の為に……やっぱりケフェイドじゃ、肩身が狭いのでしょうか」
ぽつりと呟いたシャルロットの言葉。それに対してイザベラから、意外な回答が帰ってくるのだ。
「それもあるのでしょうけれど、……やっぱり自分達を敗北へと追いやったオリクトが許せないのでしょうね。
たまにオリクト販売店への強盗だとか襲撃だとかあるでしょう? あれ、アルガス王家派の仕業が大半なんですって。
怖いわねぇ……シャルロットちゃんも女の子なんだから、夜道を独りで歩いたりしたら駄目よ? 何があるか分からないんだから」
「…………え、ええ」
オリクトへの襲撃。
その言葉を聞いてジェイドとシャルロットは同時に息を呑んだ。悪い事をしてそれを詰られているような気分だ。
それと同時にジェイドはルエリアのギルドでのやり取りを思い出していた。
手続きをするシャルロットを待っている間、声を掛けてきたローブの男の言葉がこのタイミングで頭の中に響く。
『やって欲しいのはオリクトの破壊。……好きでしょう? ジェイド・アイスフォーゲルさん』
あれは、つまり。
「…………」
そこまで考えて、考え過ぎだろうと首を緩く左右に振る。王家派に何らかの形で自分の悪癖がバレ、そこに目を付けられて声を掛けられたなどと。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
偶然だ、偶然に決まっている。
それにしてもこの馬車、いつ停るのだろう。ジェイドとシャルロットは不審に思っていた。
食事を共に、とは言うがどこの店を目指しているのか。馬車が動いている時間を考えるともしやルエリアは出てしまっているのではなかろうか。
別にそれは構わない。グリフォンも倒してしまった今、二人は行き先も決まってはいなかったのだから。
もしかしたら目指している食事処も、イザベラが宿泊している施設の近辺なのかと思いおもむろにジェイドは尋ねる。
「……そう言えばバロネス、ルエリアには何用で?」
「観光よ、もう帰るけれど。観光先で貴方を見つける事が出来て本当に良かったわ」
「それは何より。で、食事はどこでとるおつもりですか。この馬車はどこへ向かっているんです?」
「家よ」
それを聞いたジェイドは揺れる馬車を物ともせずに、低い天井の中で身を屈めながらも立ち上がると馬車の窓を開けて身を乗り出し、前方で馬を駆っているであろう御者へと声を張り上げる。
「馬車を停めろ!」
「ジェイド、危ないわよ。座りなさい」
クイクイとケープの裾を引っ張られるが知った事ではないと言ったように、ジェイドは座るように促す母の手を振り払い睨み付ける。
「謀ったな!? 貴女を信用した俺が馬鹿だった! 俺はあの家に帰るつもりはない!! もう降り──」
乾いた音が響く。
ジェイドがイザベラに頬を張られたのだ。まるで小さな子供扱いである。
シャルロットは余りの光景に驚いて目を閉じてしまった。
当のジェイドはというと打たれた事がそんなにもショックだったのか、ふらつきながらも再び座席に座るのだった。
「お行儀が悪い子ね。大丈夫よ、お昼ご飯はきちんと食べさせてあげるから。ルエリアを抜けるまで待って頂戴ね。
アンダインはここから遠いもの……数日はかかるわ。ああそうだ、弟も増えたのよ? 皆貴方に会いたがっているわ」
まるで何もなかったかのように微笑み、雑談を続けるイザベラを見てシャルロットは萎縮してしまう。
ジェイドは赤くなる頬を抑えて呆然としている。回復魔法さえ使えばすぐにその赤みも消えるだろうに、それを忘れる程に彼は衝撃を受けていた。
そんな息子の様子をイザベラは訝しがるようにしながら手を伸ばす。
「……痛かった? ごめんね」
「ッ、……!」
先程までのジェイドなら「触るな」とでも叫んでその手を叩き払っていただろう。然し、それをしない。
母の冷たい手を受け入れて、好きなように頬を撫でさせる。
もう痛くはない。ただただ、その指先の冷たさに身を固くしこの時間がすぐ終わるようにと耐えるだけだ。
気持ち悪い。実に十年近く会っていなかったこの女性が、信じられない程に気持ちが悪いと感じていた。
ジェイドはこの母と名乗る女性が嫌いだ。
大嫌いだった。
同じ空間にいるだけでも虫唾が走る。
自分を愛おしげに見るその目を潰したくなる。慈しむように撫でる指をへし折ってやりたくなるのだ。
そんなジェイドの気も知らず、イザベラの言う事しか聞かない御者は先のジェイドの叫びなどお構いなしに馬車を走らせていく。
けれどもう、馬車を降りる気力もない。
逃げようと思えばいつでも逃げられるのだから、九年ぶりに帰って家の様子を見てやってもいいかもしれない。最早投槍な気持ちを抱き、ジェイドは質のいい馬車の座席に深く腰掛けて先程打たれた顔に一応の回復魔法をかける。そんなに強く叩かれてはいなかったから、簡単に光魔法を肌に這わせるだけで赤みは呆気なく引いた。
アイスフォーゲル家所有の馬車は隣に座るセラフィス公爵嬢にとっては粗末な造りなのかもしれないな、とジェイドは小さく鼻で笑う。
それでも九年の歳月を経て久々に乗った馬車は、腹が立つ程に乗り心地が良いと感じるものだった。