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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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2 星空の下での出逢い

 街から出ると平原が広がっていた。

 ヴェルディの街が所属するサエス王国は、なだらかな丘の上に出来た国だ。

 大陸の中心に位置する王都の城から、外へ外へと向けて川が流れる水の都である。

 水を運び大地を潤し木々を慈しむ国だ。大陸の中心から離れた場所ではその恩恵が受けられずに、砂漠と化している所も多いらしいが。


 その水で育てられた森の中で育つのは魔物達。普段は人と距離を置いて生きているそれらが、“何か”が原因で森から出てきて人里を踏み潰さんと押し寄せてきているのだ。

 森とヴェルディの距離はそこそこにあるとはいえ、もう十分もしないで魔物達は人々の喉笛を喰い千切るだろう。


 ジェイドは周囲に風を纏わせてふわりと空に浮かんでは、月を背負い森や街を見下ろしていた。

 この距離なら月明かりで黒い影達の正体が分かる。ヘルハウンドの群れだ。牛のような大きさの真っ黒い犬。

 それらがまるで何かに扇動されるかのように何十頭も、森から出てきては怒りに燃える目を夜闇に瞬かせながら走り抜けていく。

 一頭二頭なら魔物狩り初心者にも相手取り易い生き物だが、こうも数がいて尚且つ興奮状態だと一筋縄ではいかないだろう。


 街から確認した時も、群れは蛇行しているように見えた。目的があって街へと向かっているのなら真っ直ぐ向かえばいいものを。

 それをせずにあっちこっちへと群れの先頭が頭の向きを変えている。何故。


 まるで何かを追っているようだと思ったし、正にその通りだった。

 群れの先頭から更に離れた場所で小さな“何か”が爆走していた。よく目を凝らして見てみると、それが人である事が分かる。


 女の子だ。

 小柄な娘が小型の荷車に大人の男二人を乗せ、魔犬にも劣らぬ素早さで平原を疾走していた。


 ジェイドは見間違いを疑って目を腕で擦り、もう一度眉間に皺を寄せて目を凝らしてよく見てみた。

 酒もかなり入っているから、自分では気付かないだけで幻覚を見る程に酔っているのかもしれなかったからだ。


 やはり女の子だ。

 小柄な娘が小型の荷車に大人の男二人を乗せ、魔犬にも劣らぬ素早さで平原を──


 二度見しても結果は変わらなかった為、ジェイドは彼女達が何らかの理由でヘルハウンドを怒らせてしまったのだと認識した。

 普通男が女の子を運ぶものでは、とか何故女性の脚が魔犬に勝っているのか、とか色々と疑問は残るものの、それらは今考えた所で答えなんか出ない。

 ジェイドは考える事をやめた。


 取り敢えず、ヘルハウンド達が真っ直ぐに街に突っ込まない理由は分かった。荷車を引く娘が魔物達を、街へは行かないようにと誘導しているのだ。然し、もう蛇行させようにも街と彼女達の距離は余りない。詰むのは時間の問題だ。

 彼女達を餌食にすればヘルハウンドの群れも満足して森に帰るのでは?とも思ったが、よく考えれば酒場でオリクトをあげた女には嫌われてしまったかもしれない。割とトゲのある言い方をした気がする。

 それはそれで良いのだが、愛想の良くない女に一晩相手させるよりも“命の恩人”だと泣いて縋る姿を見せる女といる方が、楽しい夜を過ごせるのではないだろうか。


 そう。

 例えば今追われている娘の“命の恩人”にでもなれたら、彼女は自分の“救われた命”を天秤にかけて何を差し出すのやら。


 それが無性に見たくなって、ジェイドは口端を吊り上げて笑う。

 多少脚が速いのは気にしない事にした。チャームポイントなのだろう。

 そう自分を納得させると、懐から小瓶を取り出す。中に入っているのはカラフルな飴玉だ。その中から適当に一つ、オレンジ色のキャンディを摘んで口に放る。


 そうして、魔犬の群れに向けて手を翳すと、背後の月を飾るように展開されるのは巨大な魔法陣。

 次々と未だに森から出てくるヘルハウンドを見る限り、派手な魔法で脅かす必要もある。もう既に森から出てきてしまったものは、可哀想だが見せしめだ。





「……っ、はっ、……は、……」


 息を切らしながら走る少女は、突如として現れた、夜空を彩る輝きに目を細めながら見上げる。

 もう大分走ったし、疲れてしまった。流石に今回ばかりは駄目かもしれないとも思った。このまま街へ行けば住民達に被害が及ぶ。大量の人々を犠牲にするくらいなら、自分が噛み殺される道を選んだ方が楽かもしれないとも考えた。

 けれど、そうした所で荷車に乗る二人は上手く逃げられるのだろうか。走りながら考えても思考が纏まる訳がなかった。

 だから、頭上から降り注ぐ光は天からの迎えか何かかと思ったのだ。

 光を背負い長い髪を靡かせる男は黒い髪に暗い色の衣服も相まって、死神にすら見えた。





 紅とオレンジの混じり合う色に輝く魔法陣。それから次々と浮かぶ術式の数が、一般的な魔法と比べても規模の違いを物語る。火の魔法の式にも見間違うそれは、土の魔法も組み込まれていた。

 通常、魔法は一つの属性を一つずつ扱うのが基本だ。二つ以上の属性を掛け合わせるだなんて芸当、なかなかお目にはかかれない。


 飽和して膨らんだ夥しい程の量の魔力は形を為さずに留まり渦を巻き、呆然と空に浮かぶ魔法陣を眺める少女一行の肌にまでもピリピリと這い回る。


 一瞬だった。ジェイドが冷たい視線を大地に向けて、翳した手を横に凪いだ瞬間。

 走る魔犬達の頭上目掛けて降り注ぐのは、最早隕石。

 炎を纏う岩や石の礫が、魔法陣から次々と喚び出され一斉に平原へと雨のように降り注ぎ、緑豊かな草の波と黒い犬達を焼いていく。

 魔物達は悲鳴一つ上げる暇もなく魔力で練り上げた炎にその身を包まれ、あるいは巨石そのものに叩き潰され簡単に絶命していく。

 森から今この瞬間に出ようとしていたヘルハウンド達は運がいい。恐怖に駆られ森の奥深くへと引き返し、逃げ帰る事を選択出来る。

 仲間達を瞬時に殺める猛火に怯えた生き物達は、勿論生物として正しい道を選択するに至ったようだ。

 生きているヘルハウンドは、平原に一匹たりともいなくなった。





 美しかった平原は瞬く間に地獄と化した。荷車を引いていた娘は巻き込まれぬよう、自慢の瞬足を用いてヘルハウンド達から距離を置こうと走る。

 が、位置が悪かった。荷車の真横に火達磨の大岩が墜ち、潰されこそしなかったがその衝撃で荷車は横転する。


「あっ!」


 少女は荷車から離れた所へ投げ出される。疲れて、もう立てる気すらしない。

 なのに、荷車に乗っていた男達は焦った様子で二、三言二人だけで耳打ちすると荷車の中の荷物だけを引っ掴み少女に目をくれる事もなく、街の方へと駆け出してしまった。


「待って……!」


 少女の声に立ち止まる事もしなかった。それどころか振り返る事すらしなかった。


「……待って、くれたって……良いじゃないですか…………」


 視界が涙で滲む。

 仲間だと思っていたのに。

 見捨てられた、……のだろうか。

 そう思うと溢れそうな涙を止める術はないと思われたのだが、少女の意に反して涙は引っ込んでしまった。


「立てるか?」


 頭上から降り注ぐ人の声。

 少女は驚いて顔を上げる。


「…………んん、若いな」


 先程、頭上より派手な魔法を辺り一帯にばら蒔いて魔物達を一掃した青年が、地上より数十cm程浮いたところから話し掛けてきていた。

 少女の顔を見るなり、何やら意味不明な独り言付きで。


「貴方は……」

「初めましてお嬢さん。俺はジェイド。ジェイド・アイスフォーゲル。君の命の恩人だ」





 うっかり巻き込んで殺しかけた事は黙っておこう。アレは事故なのだから。

 それに死人は結局出る事はなかったのだから、終わり良ければ全て良しとしようではないか。

 助けた三人の内、二人は逃げてしまったが問題ない。用があるのは彼女だけだ。


 ジェイドはニコニコと笑みを浮かべながら、何とか身体を起こして地べたにへたり込む少女を観察する。

 明るく、金色に近い茶髪は品良く切り揃えられ、穏やかそうな黄緑色の瞳を持つタレ目気味の目元はとても先程逃走劇を見せた脚力の持ち主とは思えない。

 目を見張るのはその胸元。薄緑色のワンピースに包まれたその肢体は、身長こそ低いものの実に発育が宜しいようだ。合格である。


然し──


「時にお嬢さん。……年齢は?」


 顔立ちも、幼さが残るものの整った可愛らしい顔をしている。合格、としたいところだが「幼さが残る」のが問題なのだ。

 流石に未成年者に手は出せない。遠巻きから見る分には背格好から女子だと分かったものの、細かいところまではこのくらい近付かないと流石に分からない。

 大の男二人を乗せた荷車を引っ張って疾走するような娘が、まさかこんなにも若さの残る子だとはジェイドも思ってはいなかったのだ。


「ええと、十六です」


 アウト。

 この世界では十八歳からが成人だ。

 ジェイドは脱力して溜息を吐きながらゆっくりと空中から降りてきて、地面に両脚をつける。


「子供がこんな時間に何してるんだ……」


 彼が夜毎酒場を巡る理由。

 酒場なら未成年者がいる訳ないからだ。安心して好みの娘を探す事が出来る。

 子供と呼ばれた目の前の子供は、子供らしくキャンキャンと吠えて噛み付こうとしてくる。


「こ、子供じゃありません!」

「子供は寝る時間だぞ」

「子供じゃありませんってば!」

「そうは言っても仕方ないだろう。ルールはルール。十八歳になって出直してこい」


 最悪だ。

 早いところ酒場へ帰らなくては。

 既にジェイドの興味は少女にはなかった。“時間”は差し迫ってきているのだから。

 踵を返して街へと戻ろうとした時に、羽織っているケープ型のマントの裾を掴まれた。


「ま、待って下さい! 置いてかないで……!!」

「……」


 当然そうなる。

 当たり前だ。こんな平原に一人ぼっちで置いて行かれるのは嫌だろう。嫌に決まっている。

 ジェイドは少女へ振り返ると、自分の身体を浮かせた時のように風の魔力を用いて少女の身体を浮かせ、再び背を向けて歩き出す。


「家はどこだ。この街の者なのだろう? 家の前までは送ってやる」


 宙に浮かされた少女はジェイドの歩みに合わせて、まるで誘導されるように着いてくる。そのように風を操っているのは勿論ジェイドなのだが。


 そんなに大きな街でもないし相手は子供だ。正直報酬がどうのというやり取りをしている暇もない。

 そんな暇があるならさっさと酒場に戻りたいというか、今日は寝る事自体を諦めてしまおうかとさえ思えてきた。派手な魔法を使った為に魔力の消費が激しいが、一日くらいなら眠って魔力の回復をせずとも何とかなるだろう。明日はなるべく宿で大人しくしていよう。


 別に命を賭けるような仕事でもあるまいし報酬なしでも送るくらいなら、と子供相手に珍しく親切心じみた物を出したのがジェイドの運の尽きだったのだろう。

 ふと返事がない為に、答えを促そうと少女の方へと振り向こうとした瞬間に、


「こっち見ちゃ駄目ですっ!!」


 後頭部を蹴られた。

 平原を大爆走していた馬も真っ青な脚力の持ち主に後頭部を蹴られたのだ。

 凄まじい衝撃に脳を揺らされ、視界がブラックアウトする。

 最後に見た景色は、風の魔法に捲られそうなスカートを必死に抑えている少女の姿だった。

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