19 魔女の才能
目を閉じて、言われた通りに集中する。魔力がゼロのシュルクなど聞いた事がない。どんな者だって大きく役に立つ程の魔法は起こせないが、だからといって何も出来ない訳でもないのだ。どんなに才能がない者であってもそよ風の一つを数秒吹かせられたり、コップ一つを水で満たす事くらいは出来る。何が出来るかは持って生まれた属性に寄るのだが。
シャルロットも産まれてこの方一度たりとも魔法らしい魔法が使えた事はないが、それはきっと魔力量が少なすぎて自分でも使った事に気付かない程微細な力だったのだろう。そうに違いない。
魔導協会ベリオスは、凡その魔力値しか教えてはくれない。彼らは石を持つに値するか否かしか興味がないのだ。
それはそうだろう、産まれた時から魔力総量が決まっているのなら石を持つ事の出来ないシュルクはベリオスにとっては「それまで」でしかない。
石にはあともう少し足らない残念な者になら、それはそうと教えてくれるし心優しい派遣員ならば励ましてもくれるだろうが、シャルロットの魔力量は「平民以下」なのだ。細かい数値を調べたところで魔術師としての未来はない。彼らは未来がない者に何時間もかけてはいられない。ベリオスの人間に魔力量を測って欲しい者が世界中に待っているのだから。
シャルロットは悔しさを思い出しそれをバネに集中力を高めていく。
だから気付かないのだ。背後でジェイドが叫んでいる事に。
「シャ、シャルロット! ちょっ……ストップ……!!」
シャルロットの真下の芝生の大地は、柔らかな草が植えられ根を張り柔らかなターフを造っていた事などお構いなしにヒビ割れていった。
そのヒビは物凄い勢いで広がり、近くで魔法の練習をしていた父子は一目散に避難していった。離れた場所で遊んでいた子供達も遊ぶのを止めて近場で起こる恐ろしい災害じみた事象を遠巻きに眺めているが、感受性豊かなのだろうか、中には泣き出す子供までいた。
シャルロットの背後から肩を支えていたジェイドはそのままの体制で離れるに離れられないでいた。
ヒビ割れる大地を修復すべく魔法を行使しているのだ。土の魔法で喚び出した砂や土塊と植物で隙間の出来た地を埋め、水の魔法で補強しなるべくヒビが広がっていくのを阻止する。
然し物が壊れるのが一瞬であり、壊れた物は二度とは同じ形に戻らないように、シャルロットが地を割る速さにジェイドの魔法が追い付かないでいた。
結果、完璧な修復とはならず広がる地割れを遅らせるだけに留まっている。このままではこの美しく、人々の憩いの場である自然公園がルエリアの街から消滅してしまう。
それだけは忌避すべく、ジェイドは必死にシャルロットに声を掛けるのだ。
だが肝心の彼女は聞いていない。ならば、とジェイドは掴んでいた少女の華奢な肩を強引に引き寄せて自分の方へと無理矢理振り向かせる。
「聞け! シャルロット!!」
どれだけ集中していたとしても強引に向きを変えられたとあっては、それも途切れるのは容易い。
少女は驚いて目を開き、黄緑色の輝きを満月のように丸くする。
「せん、せ……?」
「見ろ、この有様を! 一体何なんだ君は! 今何をした!!」
ジェイドの声にシャルロットは立ち竦み、恐る恐る確認するように視線を巡らせる。
割れた部分を無理矢理適当に修復された事により、所々地割れに巻き込まれ端正な美しさを失った芝生。
怯えたような子供達とその保護者の視線がいくつも自分に突き刺さる。
どうしよう。シャルロットはただ、集中していただけだ。こんな事になるなんて思ってもいなかった。
事の重大さを認識し、パニックになりかけたシャルロットを救ったのはジェイドの声だった。
彼は声を張り上げ離れていった周囲の人々に呼び掛ける。
「すいません皆さん、彼女はちょっと魔力が強くて!
抑制のトレーニングに来たんです、お騒がせして申し訳ない! ここは俺が責任持って直すので、少し時間を下さい!!」
魔力が強いなんて大嘘だ。
けれど納得してくれるシュルクも多数いた。やっている事は魔法の練習をしている子供と、何ら変わりはないのだ。
シャルロットを見ても他人を傷付けようという気概は感じられない。ならば通報する事もまた無粋である。
納得出来ないシュルクはそそくさとその場を後にするだけだ。
芝生を直すジェイドの作業の邪魔にならないように、周囲の者は更に二人から距離を取る。その時家族連れの男性が一人、ジェイドへと声を掛けた。
「兄ちゃんも彼女の尻拭い大変だな! 頑張れよ!!」
「……ええ、どうも」
否定するのも面倒臭いが、そうか自分達は恋人同士に見えるのかとジェイドは魔力を展開しながら独り看做していた。
自分が若く見えるのか、それともシャルロットが──否、それはないだろう。シャルロットはどう見たって幼い。二十代には見えない。
なら自分が若く見えるのだろうと無駄にポジティヴに受け取ったジェイドは、芝生に跪き地べたに掌をつける。
そこから魔力を流して壊れた大地に再び緑と潤いを与えていく。
そこに、シャルロットの影が落ちた。
「……これで貸し一つ返せただろう? 怒鳴ってしまって悪かったな」
少女へと顔を上げる事なく、ジェイドは静かにそう告げる。彼女がどんな表情をしていようとも、地べたに視線を下ろしてさえいれば知らぬ存ぜぬを突き通せるというもの。
シャルロットの苦しそうな表情など、知らないままでいられるのだ。
乱れた芝生が再生し次々と息を吹き返していく様を遠巻きに見ていた他のシュルクは、一人、また一人と小さく拍手する。
やがて輪唱するかのようにこの場は拍手の渦に巻き込まれ、ジェイドは立ち上がり手と膝の土埃を払った後に流麗な動作で一礼する。
こうしてシャルロットの起こした小さな事件は、何事もなかったかのように終結した。
「……すいませんでした」
「本当にな。今度ガトーショコラでも作ってくれ」
綺麗に修復された自然公園の隅、ベンチに二人で腰掛けぼんやりと休憩する頃にはシャルロットは漸く口を開いて謝罪の言葉を吐き出した。
気にする事はない、と声を掛けても彼女はどうしたって気にするだろうからジェイドは敢えて軽口を叩く。ジェイドにとっては先程も言ったように、オリクトに纏わる諸々の事についての貸し一つ返したような物なのだから、本当は気にしないで欲しい所ではあるのだがそれは無理な相談だろう。
そうだ、とジェイドは思い出したように呟いた。
「それにしても……一つ聞いていいか?」
「……?」
「君、本当に魔力がないんだよな?」
目から鱗。
シャルロットにとってはまさにそうとしか形容出来ない質問である。驚きの余り少女は立ち上がり、座るジェイドに対して向かい合わせとなる。
「ベリオスの方はそう言ってましたもの……!!」
「……その派遣員、本当にきちんと測定してたのか? 手出してみろ」
ジェイドは顔も知らぬベリオスの派遣員を小馬鹿にするように笑う。
スッ、と差し出された彼の右手に誘われるようにシャルロットも右手を差し出し、握手するかのように握る。長い指を持つ骨張った手が、彼を男性なのだと意識させる。
爪は吸い込まれてしまいそうな黒色に塗られていた。
もう手は繋がないって言っていたのに、とシャルロットは内心思うが口にも顔にも出さないように務めた。
「そのまま強く握ってくれ」
「!?そ、そんな事したら……」
続くジェイドの指示をシャルロットは恐れた。今まで何度も自分の力で迷惑をかけ、怪我をさせている。
今だって、指示通りに力を込めたら冗談ではなく最悪骨折させてしまうのではないかとシャルロットは心配しているのだ。
「俺の手をきちんと意識して力入れてみろ。……大丈夫だから」
じっと見上げてくる不可思議な紫色と翠色の色彩と、目が合った。
師がそういうのなら。
シャルロットは彼を信じ、決意する。
「で、は…………失礼します……っ!!」
少女は力一杯、思いっきりジェイドの手を握る。
傷付ける事を不安に思いながらも、言われた通り万力のような力を込めているつもりでいた。
「あ、……れ?」
いつも通りならこれでジェイドは激痛に喘いでいる筈だ。なのに何ともないかのようにケロッとし、勝ち誇ったかのように笑みまで浮かべている顔が視界に入った。
二人を繋いでいた手はするりと解かれる。
「やっぱりな」
「ど、どういうことでしょうか……!? 先生、何ともないのですか?」
「ああ。……君が力を使うつもりが微塵も感じられないからな。万一の為にこちらも同じような魔法を使わせてもらったが…徒労に済んだ」
「何を……一体どういう事ですか!?」
話の中身が見えなくて、シャルロットの声は急かすようにだんだんと大きくなる。
ジェイドはそんな弟子を落ち着かせようと、座るようにと隣を促す。少女は言われるがまま再びベンチへと腰掛けた。こうして教師と生徒、二人だけの課外授業が始まった。
「結論から言おうか。君は魔力を持っている、……それも相当な量だ」
「!?」
「但し、その魔力を魔法として外部に放出出来ないタイプなんだろうな」
魔力を相当量持っている。
信じられない言葉にシャルロットは言葉を詰まらせ目を白黒させるしかない。
「今まで君は咄嗟な時など無意識に魔法を使っていたのだろう。
身体強化の魔法……つまり、一応君の望む光属性だ。良かったな」
「ひかり…………」
「今俺の手を握ってもらっただろう? その時、俺の手を傷付けないようにって気を配っていただろ。
……それじゃあ魔法は発動しないだろうな、君にやる気がないんだから。こっそり俺も身体強化の魔法を使って、手を握り潰されそうになったら振り解けるようにはしていたがな…………仮説が正しいとは言い切れなかったから」
もうジェイドの言葉など半分も頭に入って来ない。シャルロットのキャパシティはとっくにオーバーしていた。
それでも一つ。一つだけ。どうしても確認したかった。
「…………何で、私に魔力があるって思ったんです、か?」
ベリオスの派遣員も見抜けなかった事を、ジェイドは見抜いた。
家族の誰も、自分に魔力があるだなんて言ってくれた事はない。ベリオスに連絡するまでもなく、実は父も母も薄々はシャルロットに魔力がない──と思い込んでいただけなのだが──事に気付いていたのだろう。
ただ、姉であるリーンフェルトの才能を見て育ち彼女に憧れていたシャルロットの手前、妹の魔力測定を怠る訳にもいかなかったのだろう。
十二歳のあの日、派遣員が帰ってからは寝込んだ自分も悪いのだが暫く家族からは腫れ物のようにも扱われた。
なのにも関わらず。
彼女の欲しかった言葉は割とあっさりと、思いがけない形で与えられる事となった。