18 光魔法の授業
明け方、シャルロットが起きる頃には既にジェイドは手土産にサエスの豊富な水で育った梨の籠を片手に、少女の泊まる部屋の隣の部屋へと戻っていた。
早朝に仕入れをしていた八百屋の夫妻に金貨を数枚渡して、開店前に購入させてもらったものだ。本来なら迷惑行為になるだろうが、金貨を見せると夫妻も目の色を変えて包んでくれた。
最近はこうして、夜遊びの後には必ずシャルロットへ土産を買う事が日課となっていた。そうする事で彼女には何も言わせないようにしていた。
否、土産がなくても彼女は何も言わないだろう。ジェイドが自分の金で自分の時間を浪費しているに過ぎないのだ。弟子とはいえシャルロットに何かしらの文句の言葉を言う権利はないだろうし、実際彼女もジェイドの夜遊びについては口を閉ざしたままだった。
シャルロットが彼の自由を尊重して何も言わない、言えないその理由をジェイドが補完し理由としての練度を高める。一々咎められても腹が立つが、何も言われないまま年端もいかない少女を放っておくのも、何となく罪悪感が募らないと言えば嘘になる。ジェイドと出会う前から一年は、シャルロットもそのように暮らしてきたと知っていてもだ。
誰が悪い訳でもない。咎められる理由も特にはない。けれども何となく、そのままだとお互いに気まずいだけだ。
だからその気まずさを分かち合い、うやむやにする為の土産だった。
然し、気まずさ霧散させる筈の土産なのに朝から部屋の空気は最悪だった。
「……」
「先生、……む、剥けましたよ」
「んー……」
空返事。
土産の梨を綺麗にナイフで切って、部屋に備え付けられた皿に乗せてテーブルの上に出すもののそこに手が伸びる事はない。
ジェイドは椅子に座り、窓の外をぼんやりと眺めたまま。髪も結ばずに降ろしていると椅子に座っていて尚、毛先が床に触れてしまいそうな長さである。
窓から射し込むサエスの爽やかな朝日がレースのカーテンを透かして綿密な影を部屋に落とすが、外に対して部屋の中が陰鬱としている。まるで冬場の外と内の気温差を彷彿とさせるが、残念ながら今はまだ秋が近いとはいえ夏だ。
朝帰りのジェイドのテンションが低い事などいつもの事ではあるのだが、それはただ単に寝不足のせいもある。
そもそもジェイドはいつ寝ているのだろうとシャルロットは疑問に思っていた。夢遊病となっている時は身体が休まらないと言っていたのだから、寝る為に女性を同衾させているのだろう。
然しそれで、果たして本当に寝れているのだろうか。寝ていない気がする。
きちんと眠れているのなら、帰ってきた途端に眠たそうにしているという事も続かなかっただろう。然し、ヴェルディからルエリアまでの道程でシャルロットはそんなジェイドを幾度となく目の当たりにしていた。
寝る為に誰かを共にしているのに、結局寝ていないのなら本末転倒ではないのだろうか。
そんな疑問は置いといても、睡眠不足に加えて機嫌の悪そうなジェイドと同じ部屋にいるのはシャルロットも些か苦痛ではあった。
目を全く合わせようとしないのだ。やはり昨夜の事を気にしているのだろうか。
シャルロットも姉の事が心配ではないと言えば嘘になる。然し、あの姉ならば大丈夫な気がしていた。
自分よりも数段強く、ついでに気も強い娘だ。かの見合いの時には色々あって、見合い相手である王族のマルチェロ王子に魔法で火傷を負わせた事すらある。
そんな彼女が、折れる筈はない。シャルロットは妹としてそう願っていた。
それにカインローズも着いている。きっと上手く手当してくれるに違いない。
こんな重たい空気を味わう為にシャルロットはジェイドに弟子入りをした訳ではない。ここは一肌脱いでやろう。そう思って少女は師の背後へと回る。
「…………何してるんだ」
背後でシャルロットがもそもそと動く気配がする。若干不安になり流石のジェイドも声を掛けた。
「このままだと御髪が邪魔かと思いまして……結って差し上げようかと」
ジェイドの長い黒髪を摘んで、さてどうしたものかとシャルロットは首を傾げる。ジェイドがいつもしている髪型を作るのは些か無理な気がする。
左から右に通るように襟足が編み込まれ、右側で長い前髪と襟足の編み込み、そして残りの髪が纏められ、長さを調整する為に髪で一度輪を作ってから残りを降ろして……いるのだろう。
普段のジェイドの髪型を思い出して、シャルロットはやはり無理だと確信する。
「先生っていつもご自分で髪を結ってらっしゃるんですよね? あの髪型作るの、難しくはないですか?」
「……慣れると簡単だぞ」
そうは言われてもこんな長さの髪に触れるのは初めてだ。少女は悩みながら不器用に手を動かし始める。
ジェイドはシャルロットの行動に少し心の雲が晴れたのだろうか、彼女への土産の梨を摘み始めた。シャクシャクと耳障りの良い音を立てながら、大人しく髪を弄らせている。
この流れなら必要になるだろうとジェイドは右手を上げる。その手首には髪を纏める為のゴムが二つ存在していた。シャルロットはそれを「有難うございます」と一声掛けると二つとも手首から抜いていく。
そうして数分後。
見事なツインテールが出来上がったのだった。
「…………」
ジェイドはシャルロットが背後から離れていくと同時に自分の頭に手を伸ばし、二つに結われた女児向けの髪型を指先で確認しすぐさま解くのだった。
「あっ!? 折角結んだのに……」
「いや、どうしてこうなった!?」
椅子の上、上体を捻ってシャルロットへと噛み付くように叫ぶ。手櫛で髪を整えると、結局自分で結い直す事に決めた。
何というか、声を張り上げた事が要因となったか毒気が抜けた。こうしていても仕方がない。動いて思考を分散させてしまおうと、ジェイドはさっさと手を動かし髪を纏めるのだった。
食事は宿で摂り、その足で建物を出てギルドへ。昨日の仕事の結果をジェイド自身がその目で確認する。
相変わらずベリオスの石がないからと足元を見たような金額──それでもグリフォン一匹討伐の最低値なだけあり、莫大な額ではあるのだが──が自身の口座に振り込まれている事を確認すると、次にまるで目的地が最初から決まっているように歩き出す。
「先生? ……どちらへ?」
シャルロットの疑問にジェイドが足を止める。少し遠くに見える看板を指差すと、そこには「自然公園はこちら」と示してあった。
「…………公園?」
「魔法の手解き、受けたいんだろう? それならある程度広い場所が欲しい」
「!!」
それを聞いたシャルロットの顔はみるみる明るく輝く。そうして感極まったか、ジェイドの手を取り握ろうとして──振り払われた。
「…………君とは手を繋がないって言っただろ」
「むぅ……」
前に思い切り手を握って痛め付けてしまった事をまだ根に持たれているらしい。自分が悪いのは分かってはいるのだが、こうもあからさまに拒絶されると少しショックだ。
そんなシャルロットを無視してジェイドはスタスタと歩き出す。
さっさと進んでしまえば公園などすぐそこだった。
豊かな水で育った芝生はしっとりとしていて土壌に根付き、兎にも角にも広大の一言に尽きる。遠くでは子供達がボールを蹴り遊んでいたり、木を加工して出来た遊具を取り合ったりしている。
これだけ広い敷地なのだから他人を怪我させる事もないだろう。公園で魔法の練習をする者など珍しくもないのだ。少し視線を巡らせれば、幼い男児が父親に風の魔法を教わっているのも見える。
「それじゃあ……ええと、使いたいのは……光魔法だったな」
「はい」
正直使いたいからといって光魔法が使えるようになるかと言われれば、とても難しい。
シュルクは生まれつき使える属性が決まっている。火、水、風、雷、地、光、そして闇。
七種の中で大体使えるのが一種類。稀に二種類扱える者がせいぜいであり、ジェイドやリーンフェルトが異質なのだ。
シャルロットが光魔法を使いたいのなら、最初から光魔法を扱う才能がないと難しいだろう。とはいえ、それを測る為の魔力もないと言われているのだから、最初から総てにおいて難しい問題なのだ。無から有を生み出せと言われているようなものである。
それに光魔法、強いては回復魔法だと先日も言ったように怪我をしなければ練習のしようがない。
ならば、まずは魔力を光属性の攻撃魔法として扱えるか見定めようではないか。
攻撃としてならば誰しも咄嗟に使う事もあるくらいだ。つまり無意識下でも出易い。動物の反射のような物だろう。どんなに魔力が乏しい者でも、例えば光属性の魔力を持つのなら一瞬の目眩しになる程度の光を放出出来る筈だ。
ジェイドはシャルロットの背後に立ち両肩を掴む。
「腕や脚を動かすのに意識って一々しないだろう? 俺も魔力を使うのに一々意識したりしない。だから、どう教えたものか分からないんだが……兎に角やってみるしかないよな。
目を閉じて。身体の内側をイメージしてみろ。……筋肉や神経、這うような血管……その中にもう一つ魔力の流れがあるイメージだ。出来るか?」
「………………むむむ……」
シャルロットは言われた通り目を閉じ、イメージする事に頭を使う。
「イメージが出来たら更にそれを形作る想像をしてみるんだ。
……そうだな、俺は……光属性なら矢を想像する事が多いな。こういう感じに……」
一度目を開けさせるべくシャルロットの右肩を数回つついてから手を離し、今から行う事が良く見えるように彼女の眼前へと、肩をつついていた右手を差し出す。
その手を手首から一度くるりと回すと、光の粒が集まるようにしてジェイドの掌の上でキラキラと輝く一筋の白い光の塊となった。先端は鋭く、「矢」と形容するに値する形である。
光が凝縮しているだけだというのにそれはまるで触れられそうな見た目をしていた。これがもし何本も襲い掛かってくるなら酷い怪我を負いそうなものである。それ程にそれは硬質な輝きを放っていた。
こんな、自分にとっては難しそうな芸当をいとも簡単にしてしまうジェイドを心の底からシャルロットは尊敬する。
然し、その美しい輝きはすぐに目の前で霧散して何事もなかったかのように掻き消えるのだ。
「じゃ、君もやってみろ」
「えっ!? あ……っ、はい!」
そうとも。
これは自分の魔法の練習であり、勉強なのだ。自分でやってみなければ、出来なければ意味がない。
シャルロットは慌てて、再び己の中にあるであろう僅かな魔力を探るべく目を閉じるのだった。