16 集結
シャルロットはギルド職員数名をジェイドの元へと案内する為に街の入口を目指して歩いていた。
やはり職員の話を聞く限りオリクト輸送中の馬車の話は微塵も出て来ない。和やかな雰囲気で時折雑談を交えながら夜道を数名で歩くだけだ。
その筈だったのに。
「なぁアンタ、あん時の娘だよな?」
見覚えのある男とすれ違ったかと思えば、声を掛けられた。シャルロットは知らんぷりをして少しだけ歩を速めるが、男はこちらの気も知らずに着いてくる。
正直シャルロットの心臓は飛び出してしまいそうだった。着いてくる男は、あの時──オリクト輸送中の馬車を攻撃した際、姉と共にいた赤毛のシュルクだったのだから。
無視されているのだから諦めれば良いのに、男はわざわざ少女のペースに合わせ早足になる。
というか、この状況だとシャルロットの事をあの場にいた者だと確信しているのだろう。
当たり前だ。不用意に、顔も隠さずにあの場に出て行ったのはシャルロットの方なのだ。
少女は心の中でギルド職員達へと謝罪しながら、男を振り切るべく一目散へと逃げ出した。今ここで、人目がある所で馬車や師の話をするのはまずいと感じた。否、例え男と二人きりになったとしてもまずい。
彼にとって自分達は犯罪者であるだろうから。自分は兎も角ジェイドはどうなる。彼の顔を思い出すと、いけないとは思いつつもここで捕まる訳にもいかないと感じたのだ。
「って、おーい! おーーい!! ……だぁっ! 逃げやがった!」
何か喚いてはいるが振り向いてはならない。
風のように走り出すシャルロットを見て、男も駆け出す。少女の華奢な脚から繰り出されるスピードに彼は目を丸くして唸る。
「なんだ!? 思った以上に速い! こりゃ本気出さんと追いつかんかなっ!」
そうしてかれこれ二十分程は追い駆けっこをしていた。
「ったく! 取って食おうってわけじゃねぇんだ! なぁ待てコラ! 逃げんなーー!!」
「こ、来ないで下さいーっ!!」
シャルロットは身体能力が高いが、こんな街中だと人混みが邪魔で思うように走れない。
オリクトの街灯が並ぶようになってからは、昼ほどではないにせよ夜間も人通りが疎らにあるのだ。人とぶつからないように気を配るだけで精一杯である。
そうしている内に走る事に集中し過ぎて、遂には街から飛び出してしまった。
「…………っ!」
一瞬立ち止まって街へと引き返そうかと思ったが、引き返してどうする。寧ろ追ってくる男を街から引き離してしまった方が好都合かも知れない。
視界の先には師が浮かべるグリフォンの氷塊が見えた。
シャルロットはジェイドに助けを求めるべく、そちらの方へと駆け出した。一人ではどうにも出来なかったが、二人なら対処出来るかもしれない。そう、軽く考えただけだったのだが。
「…………え?」
然し、その脚はすぐに止まる事となる。柔らかな草地の上にうつ伏せに横たわる、見覚えのあるプラチナブロンドの髪が見えたからだ。
月光の下、ぴくりとも動かないそれはまるで────
「お、姉ちゃ……!」
シャルロットは一目散へと姉の元へと走り寄って──どうしたらいいか分からないでいた。
右脚からは血が滲んでいる。怪我をしているのは明らかだ。動かして揺さぶって良いのだろうか。もし、酷い怪我をしているのなら動かさない方がいいのかもしれない。
そもそも生きているのだろうか。姉がこんなにも痛々しい姿でいるのを見るのは初めての事で、判断出来ないでいた。
シャルロットの記憶の中では、彼女はいつだって強くて剣の腕も一流で、魔力も豊富で才能に恵まれていて……そこまで思い返して、胸の奥がチクリと痛んだような気がした。
心の奥底で燻った感情に気付かない振りをするだけで精一杯だ。こんな時に自分は一体何を考えているのだろうかと、シャルロットは己を恥じる。
然し、今はそんな感情に悠長に振り回されている場合でもない。違う、感情の整理が追い付かないのだ。
俯く視界の隅にジェイドの靴の爪先が見えた。判断を仰ごうにも、シャルロットは顔を上げられずにいた。自分と姉に重なるように落ちる、彼の影がただ恐ろしく感じた。
だって、この状況はどう見たって。ジェイドが姉をこのような目に合わせた、……ようにしか見えない。
シャルロットはジェイドの力を何度も目の当たりにしている。シュルクを殺めるのも造作もない事なのだろうと薄々勘づいていた。
きっと彼にかかれば子供が虫の羽根を千切るかのように。野に咲く花を手折るかのように。
何事もなかったかのように死ぬ事も簡単なのかもしれない。
そう。
その相手が例え弟子であっても、だ。
まるで少女の心を見透かしたかのようにジェイドが小さく囁き、その声にシャルロットはビクリと肩を跳ねさせる。
「彼女をそのようにさせたのは俺だ。……命までは奪ってない」
その言葉にシャルロットは少しだけ肩の力を抜く。ならばすぐに手当てをしなければと、姉に手を伸ばす。
然し、その手は後ろから響いた声に反応して止まってしまった。
振り向かなくても分かる。自分を追い掛けてきた赤毛のシュルクがここまでやってきたのだ。
「だぁぁ! やっと追いついたと思ったらなんだこりゃ……? これやったのは……まぁそっちの兄ちゃんか」
立ち止まり困惑するものの、すぐに事態を把握する男にジェイドは薄く笑う。
「……そうだと言ったら?」
「別にどうもしねぇよ。どうせリンが突っかかってったんだろ? 意外とキレやすくてな。
とりあえず死んでないならこっちで回復させるさ」
遠巻きに見ただけで彼女が生きている事が分かるのか。のんびりとした口調とは裏腹に、恐らくこの男は“出来る”。
ジェイドはそれを感じ取り警戒するのが、顔に出ずとも自ずと態度に出てしまっていたようだ。空気中に濃度の高過ぎる魔力が少しずつ放出され、バチン、バチンと弾けるような音を響かせる。まるで相手を威嚇するかのように。
少女を傷付けた茨は、シャルロットの姿を確認すると同時に大地へと溶けるように消えていったのだが、それがまた男を新たな獲物と見定めて鎌首をもたげそうである。
その攻撃的な魔力のうねりに晒されながらも目の前の男は、リンと呼んだ横たわる少女を肩に担ぎつつ平然としていた。
「おいおい、こんなか弱いおっさん捕まえて睨むなよ。どうしてもってんなら相手してもいいが……まともな身体で帰れると思うな」
「………………」
その言葉を聞いたジェイドの溢れんばかりの魔力は、一瞬にして空気中に霧散する。何を考えたのやら、ジェイドは気まずそうに目を逸らして呟いた。
「いや、……その、すまない……。俺、男色の趣味は……」
「違うそっちの意味じゃねぇ」
すかさず男はツッコミを入れる。
少しだけ弛緩した空気にシャルロットが小さく息を吐いた。そうしてジェイドの傍に歩み寄ると、そっと耳打ちをする。
傷付いた少女がシャルロットの姉、リーンフェルトである事。目の前の赤毛のシュルクはリーンフェルトと共にオリクトの積んでいた馬車を護衛していた事を。
「ああ、……君もオリクトに関わっていたのか」
それを聞いたジェイドは、男を見つめて呟く。リーンフェルトをしっかりと担ぎ片腕で支える男は、溜息混じりに答える。
「どうせアンタのお陰で任務は失敗だからな。サエスの温泉でも入ってのんびりしたらケフェイドに帰るぜ。
あ〜……そうだ。あんまり派手にやるとセプテントリオンとして対処せにゃならん。リンの妹ちゃんのダチだしな。今回は見逃してやるぜ?」
セプテントリオン。
聞いた事があるようなないような。
顎に手を当てて暫く考えていると、漸く思い当たった。
「……アル・マナクのか」
「まあ、そんなとこだ」
「オリクトの総本山の、更に上層部がわざわざ護衛任務とはな。人手不足なのか?」
もう少し茶化してやろうと笑うも、何だか笑う元気もなく表情はさっとなくなっていく。向こうも見逃すと言っているのだからこれ以上煽るのも無意味だと感じた。
一つ、疲労混じりの溜息を吐いて問う。
「……君、名前は」
何故名前を聞こうなどと思ったのか、ジェイドは自分でも分からないでいた。ただ、相手はこの世界に広まる奇跡の石を取り扱う組織の一人。そして猪突猛進なリーンフェルトと違い、少しは話が分かる相手のように見える。
敬意を払ってもいいかもしれないと思えたのだ。
「俺はカインローズ・ディクロアイトってもんだ。兄ちゃんは?」
「……ジェイドだ。ジェイド・アイスフォーゲル」
カインローズと名乗る、自分より10は歳上に見える男を見据えてジェイドは胸に手を当て頭を下げる。
そのように畏まる師を見て、シャルロットはギョッとした。彼もそのような、他者に敬意を示すような態度を取ることがあるのかと驚いたのだ。
カインローズは片手で後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「アンタらがやった事は黙っておく。貸し一つだ」
「恩に着る」
「んじゃ、うちの弟子を連れて帰るわ。……ああそうだ」
ジェイドとやり取りをして背を向けたカインローズは、最後に振り返った。その視線はシャルロットへと向けられる。
「リンの妹なんだろ? ご両親が心配していた。俺達は数日中にはケフェイドに帰るが、何か伝える事はあるか?」
「え、…………っ、と……」
突然話を振られてシャルロットは戸惑ってしまう。助けを求めるようにジェイドを見上げるが、その目は「自分で考えろ」と言っていた。
当然の対応だろう。自分の事なのだから自分の言葉で示さなくては。
一年離れていた両親に伝える言葉を、シャルロットは必死で考えた。然しこの言葉は果たして正解なのだろうか。自分自身の中で諮る前に言葉は唇を滑り出てしまう。
「……私は、……シャルロットは元気でやっておりますので何も心配しないでと。お伝え下さい……」
「ああ、伝えておこう。それじゃあまたな」
シャルロットの言葉を聞いて、今度こそカインローズは背を向けてこの場を去って行った。
カインローズとリーンフェルトの姿が見えなくなったその途端に、ジェイドとシャルロットの傍らに巨大な塊が落ちてきた。
氷漬けのグリフォンだ。ジェイドが魔法で支えるのを止めてしまったのだ。重々しい音を響かせて、怪鳥の塊は草原にクレーターを作る。
驚いて見上げてくる少女に目を合わせる事もなく、ジェイドはスタスタと歩み出した。
「…………後は任せた」
「え、っ……!? 先生!! ちょっと、先生っ!」
「街の中も問題なかったんだろう? ギルドの向かいの宿にでも泊まってろ。明け方には戻る」
無表情とは裏腹に頭の中はグチャグチャで、気持ちが昂って収まらない。カインローズの計らいで、取り敢えず街に入っても問題はないのだろう。
ならば少し気分転換で遊んで来よう。
弟子の声はとっくに耳に届かないでいた。