14 グリフォンの丘
ギルドで妙な男に声を掛けられた事もあるし、問題や悩みが次々と現れる事や問題そのものにジェイドがあれこれと思考を巡らせていたその時だ。
巨大な影が頭上を横切っていった。
突風が吹き二人の髪は大きく揺れる。シャルロットは身を屈めて風に耐えていた。
「……グリフォンが来たな」
ジェイドは考え過ぎてパンクしそうな頭のまま、ゆらりと立ち上がりボトムスについた葉を叩き落とす。
そして風で乱された髪を軽く手櫛で直し、空を見上げる。
今までどこかへ餌でも求めに行っていたのだろうか、探し求めていた魔物がそこにはいた。
鷲の上半身に獣の下半身を持つ大型の魔物、グリフォンが悠然と翼を広げて夕刻へと向かい始める大空を掌握し、太陽を隠す。
グリフォンは金色に光る瞳を二人に向けているが、ジェイドは臆する事なく魔物を睨み返す。
「シャルロット。弟子になると言うのならよく見ておくといい。
空中戦になるだろうから君は手出ししなくて構わない。安全な場所で見ていろ」
「先生、魔力は大丈夫なんですか!?」
先程瞬間的にあれだけ暴れたのだ。
毎日凄い量の食物を摂取している彼を、シャルロットが心配しない訳はなかった。
「……腹が減るだけで魔力はある。俺の魔力は切れる事はないから大丈夫だ」
それは自信なのか、シャルロットを心配させない為か。事実なのか、それとも嘘か。シャルロットには判断出来ない。
それだけ言うとジェイドは懐から飴玉の詰まった小瓶を取り出してオレンジ色のキャンディを口に放り込み、風を操りゆっくりと浮上していく。
グリフォンをにらみつけたまま近付いていき、やがて正面へと辿り着いた。
「……デカいな」
間近で見るとその巨大さをありありと感じる。大きいなら大きいで全然構わなかった。
的は大きい方がいいし、その方が弟子も見易い。寧ろいい事尽くしだ。
さて、今回はただ殺すだけでは駄目なのだ。シャルロットがいるなら“魅せる”戦闘をしなくては。
「せいぜい長持ちしろよ、教材」
グリフォンは頭がいい。
言葉の意味を理解したのだろうか、鳴き声を上げると翼を羽ばたかせ鋭い嘴を突き刺そうと突っ込んできた。
こんな短時間で“魅せる”なんて、出来たのだろうか。
勝敗は呆気なくついてしまった。
翼を水魔法の水圧“のみ”で切り落とし、落下しそうになったグリフォンを地面から伸ばした数本の蔓で絡め取り支える。
そうして空へ手を翳し暗雲を即座に生み出すと、そこから一筋グリフォン目掛けて落雷を落として蔓ごと焼いて終了だ。
いつも通り、反撃させる暇も与えないスピードで仕事が終わった。
地に落ちる魔物の死体を追うように、ジェイドはゆっくりと地に降りる。地上ではシャルロットがグリフォンの翼や羽根を集めながら待っていた。
「先生、お疲れ様です!」
「……何の属性なら扱えそうだった?」
「?」
今、ジェイドは水、地、風、そしてほぼ戦闘でしか使わない雷の属性の魔法をシャルロットに見せた。
そうでなくとも初めて逢ったあの日には炎と地属性を合わせた魔法、怪我を治した時には光属性魔法なども見せてきた。
シャルロットは魔法の才能がない。だったら最初から初心者向けの火や水の魔法だとか言わずに、使いたい魔法の方向性を決めてそこを重点的に伸ばしてやろうと思ったのだ。
地属性や風属性は少しだけ扱いが難しいし雷属性は戦闘以外では余り役には立たないが、彼女がそれでもやってみたいと望むならそれから教えてあげた方が伸びる可能性がある。興味をより引くものの方が相性が良いのでは、と思ったのだ。
あくまで可能性の話だが。
「ええと……」
それでも彼女は歯切れの悪い反応をする。まるで悩んでいるようだ。
「出来る出来ないかは聞いてない。出来ないなら出来ないで構わないし、そもそもベリオスの落第生にそこまで期待はしてない。
どういう事の為に魔法を使いたいのか教えて欲しいだけだ。難しく考えるな」
「ら、落第生……」
ジェイドなりに気を使って尋ね方を変えたのだが逆効果である。確かにその通りなのだが落第生とは。
シャルロットはショックにその豊満な胸を痛める。
然し成程、師の言ってる言葉の意味を理解してシャルロットは考え直す。
「ええと、人の為に使いたいので……光? ですかね」
「光か……」
傷を治したり肉体強化に使う光属性魔法。ジェイドはグリフォンの死体に向き直りながら考える。
魔物を討伐したならその証明として一部を切り落とし、ギルドへ提示しなくてはならない。だが、ジェイドは切り落とすだなんて事はしない。
一部切り落として提示したとしても、食用にしたり武器や薬などに加工する為に後々ギルドの者がここまで総ての死体の回収をしに来る。それだと二度手間になるし時間の無駄だと感じているジェイドは、いつも死体を丸ごと浮かせて運ぶ。
それが喩えグリフォンでも、オーク百匹でも、巨大な竜であろうともだ。
シャルロットが集めてくれた羽根や翼を丸焦げの死骸周辺に寄せると、バラけて散らばってしまわないようにまず纏めて氷漬けにする。
出来上がった巨大な氷塊を、風の魔法でとても高い位置まで浮かせてしまう。こうして両手は空いていても、頭上には凄まじい気流が発生し強い風に抱かれるように死体は運ばれる状況となる。
簡単な魔法に見えるが頭上の風はほぼ竜巻であり、その風の流れや強さは内部の氷塊に対してしか配慮されていない。グリフォンを外に弾かないようにと計算されて渦巻く竜巻は、鳥などが間違って巻き込まれればまず命の保証はないだろう。
随分大掛かりで派手な魔法だ。
「……この状態で先生がもし気絶したらどうなるんですか?」
「上からグリフォンが降ってくるから気をつけろ」
「……」
成程、と思ったシャルロットはチラチラと頭上を気にしながらも街に向かって引き返すジェイドについていくのだった。
「光、光ねぇ……」
歩きながらジェイドは考える。
考えなければいけない事は沢山あるにはあるのだが、今は考えたくない。シャルロットの望みを考えてやる方が気楽だ。つまりこれは所謂現実逃避というやつで。
「…………俺はあまり光属性は得意じゃなくてな」
「そうなんですか?」
「攻撃魔法として使うならまぁ、まだ良いんだが。回復や肉体強化はそんなに得意では……人並みにしか出来ないぞ」
人並みに出来るのであれば充分なのでは、と思うがシャルロットは口を閉ざす。ジェイドは自分が人並み外れている自覚があるのだ。
それは傲慢でもなく、ただ事実をありのままに受け入れているのみ。この世界に「人並みに回復魔法が扱えるシュルク」がどれだけいるのだろうか。
「回復魔法を覚えたいというのなら……そもそも怪我をしなければ練習の仕様もないな?」
「怪我…………」
確かにそれもそうだ。
とはいえ、その為に怪我をするというのも気が引ける。シャルロットは痛い思いをするのが苦手だった。
最初こそ自分を認めてくれなさそうな師には暴力を奮ったが、今の現状では彼に怪我をさせようという気にも勿論ならない。本の角で怪我をさせようとしていたあの時のシャルロットは、どうかしていたのだ。
そもそもそんな事をすれば上からグリフォンが降ってくるだろう。危険だ。
ウンウンと悩みながら歩くシャルロットと咥内で飴を転がすジェイドは、ルエリアの街を眼前に見据える距離まで帰ってきた。
もう陽も沈みかけている。街は光のオリクトを仕込まれた街灯が並び、ほんのりと明るく照らされていた。
シャルロットはジェイドから離れていく。
「では、私ちょっと様子を見て参ります! 今暫くそこでお待ち下さいねっ」
「ん。行ってらっしゃい」
ジェイドは一人、駆け出す少女に対して手をヒラヒラと振って見送ると少し道から外れて草むらの上に静かに腰を下ろすのだった。
少し冷たくなった空気が頬に気持ちいい。頭上の凍る死体と渦巻く風のせいかもしれないが。
街の中は、昼間の時とほぼ大差ないようだった。強いていうならば街灯のお陰で、街は夜の顔へと変貌している所だろうか。
オリクトは割れ物だ。過失で落として割れてしまう事もある。だから割る事自体は他者の心象を悪くしようとも大した罪ではないが、テロや強盗など犯罪行為ともなれば別である。
オリクトは国の、世界の宝だ。
販売店や輸送船の襲撃などは後を絶たないとも聞く。それでもオリクトを扱う商人がいなくならないのは需要があり、かつ儲かるからなのだろう。
シャルロットはジェイドに、姉と出会った事は伏せて説明していた。あの時のジェイドは記憶もなく、与える情報を増やしても混乱させてしまうだけだと思ったのだ。
然し、街は本当に特に何も問題ないように思えた。
ギルドを利用する際は個人情報を登録するのだ。名前、年齢、性別など簡単なものではあるのだが。
あの馬車はルエリアに向かっていたのだ。もし姉達が告発していたのなら今頃ギルドから街中へ、街から王都へとジェイドのギルド登録情報は広まり、犯罪者として祭り上げられていてもおかしくないのに、だ。
そのままその足でギルドに戻っても、職員に笑顔で「お帰りなさい」と迎え入れられるだけだった。
「お仕事は終わりましたか? あら……アイスフォーゲルさんは……」
「あ、っ……えっと……」
流石、オリクトを使用した最新式の射影機を使って個人情報を登録、管理しているだけあって、初対面であってもシャルロットの顔は覚えられてしまっていたらしい。
そうでなくともここ最近の仕事の中では特に難しいとされていた、グリフォン討伐に向かっていた二人だ。職員の印象に深く残っていても仕方ない事だった。
シャルロットとしては覚えてないだろうとタカを括ってギルドの様子を覗きに来ただけなのだから、話しかけられるだなんて思っても見なかった。
「…………あ、の……グリフォンが大きいので……街の外に待機してもらってます」
嘘は吐いてない。
それに、この雰囲気ならジェイドも街の中に戻ってきても大丈夫だろうと少女は確信した。
ギルド職員の女はその言葉に表情を輝かせて手を叩く。
「本当に退治されたのですね!? こうしてはいられません、すぐにお迎えに参りましょう!」
慌ただしく職員は準備の為にカウンターの奥へと戻っていってしまった。
シャルロットはキョロキョロと周囲を見渡しては、胸の内に燻る疑問に首を傾げるだけだ。
「お姉ちゃん……」
姉は告発してはいない。
少女はそう悟り、姉を想っては目を伏せる。
続く言葉は、飲み込まれた。