13 邂逅
二人はギルドを離れてグリフォン出没情報のある丘に一番近い街、ルエリアから数km離れた場所に辿り着いた。
なだらかな道がゆっくりと続いているのを、丘の方まで徒歩で進むのだ。
穏やかで天気のいい午後の陽気の下、のんびりとまるで散歩のように歩いていたのだが、不意にジェイドの歩みが止まった。
「……」
「先生? 如何されましたか?」
反応はない。
彼の視線は遠くに注がれていた。
その視線の先には二台の馬車。ガラガラと音を立てながら連なる馬が駆けて来る。
この先はグリフォンの住まう丘があるものの、ルエリアのギルド職員の話では道は二股に分かれていて右側の道に件の丘があると言っていた。
目の前の馬車は左側の道からやってきたのだろう。でなければ魔物の餌食になっている筈だ。
「あの馬車、グリフォンの餌食にならなかったんですね。良かったですねせんせ……、……っ先生!?」
穏やかにシャルロットがジェイドの方に微笑みかける頃には、ジェイドはそこにはいなかった。
少女は視線をさ迷わせ彼の姿を必死に探す。
いた。
脚に風の魔法を纏いほぼ跳ぶようにかなり先にいる馬車目掛けて突っ込み、馬の脚に魔力で喚び出した植物の蔦を絡ませ横転させている所だった。
そのままジェイドはふわりと宙に浮き、馬車に手を翳す。横転させた横倒しの馬車の幌の下から、まるで串刺しにでもするかのように美しく輝く水晶体が次々と生え、馬車の荷台の中を荒らしていく。
水晶体により馬車の中から弾き出され、太陽の光を受けキラキラと輝くのは────オリクト。
シャルロットは己の浅はかさを怨んだ。どうして気付かなかったのか。
どうして、あの話を聞いておきながら止める事が出来なかったのか。
あれは、オリクト輸送用の馬車なのだ。
普段彼が手にするオリクトより数倍もの数を察知して、正気を失ったとでもいうのか。
「駄目です先生……!!」
シャルロットの悲鳴なんか届きやしない。
横転した馬車から御者は転げ落ち頭を打ったようだ。反応がない。蔦に絡まれた二頭の馬はひたすらにもがく。
ジェイドは水晶体の突き刺さる馬車に翳した掌を、ゆっくりと握った。
すると水晶体は一瞬チカチカと、内部に星を抱いたかのように瞬く。次の瞬間。
──────ドンッ!!
御者は馬車から叩き落とされて幸運だったと言えるだろう。
突き刺さった水晶達は高熱を孕んで破裂し、哀れ捕らえられた馬達は瞬時に鬣を、尾を、皮膚を真っ黒に焼け爛れさせて命を落とす。オリクトは強い衝撃波に耐えられず千々に吹き飛び、残らず硝子片へと変えられる。
馬車一台は炎に包まれ黒煙を勢い良く上げた。
そうしてジェイドは漸く、無表情から安心感を得た子供じみた笑顔を少しだけ浮かべた────ように、シャルロットには見えた。
然し、白昼堂々こんな破壊活動をして向こうも黙っている訳はない。
馬車は二台あるのだ。後ろの馬車の馬も爆風により焼け死に、乗っていた御者は風圧により吹き飛んだ。
その、後ろの馬車の左右に配置されていた馬に乗る二人組は護衛の者だろう。彼らは馬から降り、未だ空に浮き髪とケープマントを風の力で翻すジェイドへと歩み寄る。
一人はプラチナブロンドの髪を緑色のリボンで後ろに一つに結いた、ツリ目の少女。
もう一人は赤茶の短髪に金色の瞳を持つ大柄な男だ。
娘の方は声を荒げ、腰に下げていたレイピアを勢い良く抜いた。
「貴様、王家派の者か!」
「……」
勿論問われるジェイドは答えない。答えようとも質問の意味など、ジェイドは理解出来ないのだろうが。
つまらない物を見るような目で、地面から吼える少女を見下していた。
シャルロットは漸く治まった破壊行為を確認し、ゆっくりとジェイドの傍へと歩み寄る。脚力のある彼女は猛然と馬車へ突っ込んで行ったジェイドに追いつく事は容易かったが、だからといってあの勢いで放たれる魔法を何とか出来る程の力を兼ね備えてはいなかった。
彼女には、師に噛み付くように剣を構える娘に見覚えがあった。
「お姉ちゃん……」
「シャル!? 何故貴女がここに……」
そう、姉だ。
三つ年上の姉、リーンフェルト・セラフィス。縁談話を滅茶苦茶にした後に家出同然で士官学校へと行ってしまい、それから音沙汰のなかった姉。
その姉が実に四年の歳月を経て久々の対面だというのに、自分の師に剣を向けている。
お互いに成長していたって、きちんとお互いを認識出来た。
当たり前だ。だって姉妹なのだから。
「早く離れなさい! そいつは危険だわ!!」
勿論、悪いのはこちらだ。
大切なオリクトを破壊し、馬を四頭も殺めてしまった。御者二人はどうなったのか分からないが、怪我は確実だろう。
どう考えたってジェイドが悪い。そんな事シャルロットは分かっている。
けれど。
「…………ごめんね、お姉ちゃん。また今度逢えたら詳しく話すから……」
シャルロットは地を蹴り宙に浮かぶジェイドの首に両腕で組み付くと、そのまま絞め上げ地べたに引き摺り墜とす。
ぼんやりとしていたジェイドは何の対応も出来ず、あっさりと沈黙する。
大人しくなったのを確認し彼が羽織るケープのフードを引き上げて被せてやると、シャルロットはジェイドを両腕で抱えてその場から物凄い勢いで走り出した。
今度は爪先が地べたに付かないように両肩を使って背負ったので、靴は大丈夫だろう。
ジェイドもオリクトへの破壊衝動について悩んでいた。そんなもの言い訳にはならないって分かってはいるけれど。
──共にいる情だろうか。
どうしても彼が総て悪いだなんて、思えなかった。思いたくなかった。
また、あの夢だ。
まるで己の中の闇の魔力で精製したかのような、真っ暗な森。
月明かりもなく、星も瞬かない寒い森の中。
子供の姿の自分はただ一人、森の中を彷徨う。裸足で夜露に濡れる草を柔らかく踏み、ゆっくりと歩む。
目的地もなく、目標もない。ただ、同じ所をぐるぐると歩いていくだけだ。
まるで瞬きするだけの時間とも言えるし気の遠くなるような時間とも言える刻を過ごしていると、周囲はだんだんと白い霧が満ちていく。
それが身体にまとわりつき黒い髪の毛先から指先まで。すっぽりと覆ってしまう頃に──
────ジェイドは、目を開けた。
「……」
目を動かし周囲を確認する。
すぐに目に付いたのは、優しい黄緑色と木漏れ日色の茶金の髪。
「……あ、おはようございます。お加減は如何ですか?」
「…………うん?」
前言撤回。
まず目に付いたのはふっかふかの柔らかそうな胸だ。胸の先にシャルロットの顔が見える。
どうやら膝枕で寝かされているらしい。そう気付いてジェイドは勢い良く起き上がる。何だかとてつもなく危険な絵面であった気がしたのだ。
何だかよく分からないけれどこの未成年の怪力馬鹿が若干、ほんの若干だが無条件に可愛らしく見えた気がした。いや、シャルロットはとても可愛らしい見た目はしているがそうじゃない。
見た目の話のようで、見た目の話はしていない。
余り嬉しくはない夢を見た直後に視界に入ったのが、彼女の優しげな色だったからだろうか。
いやいや有り得ない。ジェイドは他人に好意的な感情を抱く時には条件を設ける事にしている。“自分に対して利益となり得るから”協力しよう、だとか。
ヘルハウンド達を殺め、ヴェルディの街を救った時もそうだ。彼は報酬をきちんと貰っている。
“魔力を持つ者が無条件に街を救う”という、“誰にだって出来そうな構図”を嫌った彼は“自分”という一人のシュルク──ジェイド・アイスフォーゲルという一人の男が、“皆に渇望される”という状況になった事で行動を決めた。
それが彼の中で報酬となり得た。
あの時の視線はとても心地好かったと思いつつ、ジェイドは現状に頭を抱える。
そうだとも、シャルロットはそもそもジェイドからしてみれば条件なんか全く美味しくない状況で、無理矢理弟子としてついてきているだけなのだ。
利益とならないどころか不利益を被っている。然し、それは出会い頭の話だ。
今ではジェイドのオリクトに対する奇行に対して貴重な意見をくれた、唯一の重要な人物である。いやそれは今だからこそ言える話であり──一人で悩み唸るジェイドの背中に、シャルロットは声を掛ける。
「せ、先生……大丈夫ですか?」
ジェイドはビクッと跳ねる。
そして勢い良く振り返る。
「……うん」
小さく、囁くように呟き頷く。
取り敢えず体調はどこも悪い所はないのだから、そう答えておくのが懸命なのだろう。そうしてシャルロットの方へと向き直る。
シャルロットは良かった、と胸を撫で下ろしいつになく真面目な顔をしてジェイドを見据える。
「先生、どこまで記憶がございますか?」
「…………どこまでって……」
「ここはお仕事で向かっていた丘の近くです。街に引き返すのと悩んだのですが…………その……」
オリクトの輸送馬車はルエリアに向かっていた。つまり、リーンフェルト達はルエリアへと行くのだろう。引き返すと同タイミングで姉達と再度鉢合わせる可能性があった。
ジェイドが気を失っていた状況で上手く説明出来る気がしなかったし、何より国の財産であるオリクトをアレだけ破壊したのだ。姉達が告発してもおかしくはなかった。
ただ何の準備もなく、既にジェイドが犯罪者として手配されている可能性のある街に戻るのは危険と判断したのだ。
サエスで行動しにくくなってしまったかも知れない現状で、ジェイドには何も知らないままでいさせる訳にもいかないのだ。
シャルロットは一つずつ丁寧に説明をする事にした。
結果、ジェイドは再びシャルロットの膝の上に寝込んだ。
先程の彼女への葛藤など最早どうでも良くなるだけの破壊力が、今の話にはあった。
「先生、一応ここはグリフォンの巣の近くの危険地帯ではありますので…起きてるのでしたら余りそのような格好での休憩は良くないかと……」
「……んー」
動く気配を見せない師の頭を撫でながらシャルロットは思案する。何と声を掛けたら動くのだろう。
「せめてお仕事終わらせてからお休みになられた方が良くありませんか……?」
「うーん……」
「お仕事終わってから街へ戻る時、先に私が様子見して来ますので……」
「……んー」
「確かにあんな量壊してしまったら罪悪感が凄いとは思いますが……過ぎてしまった事ですし……」
「いや、…………そこじゃなくて」
漸くジェイドは起き上がる。
そうしてシャルロットに背を向けたまま、ポツリと呟くのだ。
「俺の話、覚えてるか?」
「ええと……」
「オリクトを壊してしまう時間帯の話」
「……夜の二時くらいから…………あ」
シャルロットは気付いてしまった。
ハッとして顔を上げる。夕刻に近付いているとはいえ、まだ太陽は高い位置にあった。
夜の二時なんかまだまだ先なのだ。
「ぐ、偶然って事もありますし!」
シャルロットの言葉は無視してジェイドは考える。恐らく、拐われたあの時も“そう”だった。
小屋に転がされている時、小窓から射し込む光は間違いなく太陽の出る時間を示していた。
深夜帯なんかでは間違いなく、なかった。
意識が途切れたのは、自分自身の闇の魔力に取り殺されそうになっていたあの時だ。
次に目覚めた時にはベッドの上だった。
(…………助けてくれた?)
“記憶を失っていた時の自分”が、危険な目にあっていた自分を救った……とでも言うのだろうか。
シャルロットの話によると会話らしい会話はせず意思疎通は出来ないという。
けれど、毎夜オリクトの為にまるでジェイドの代わりにとでも言うように目覚め、ジェイドが危険に晒されると助け、沢山のオリクトを前にすると後先考えずに突っ込んで行く“それ”は。
──まるで、意志を持っているかのようじゃないか。