12 故郷
「夜の俺、どうだった」
ジェイドの唐突過ぎる質問にシャルロットは瞬きを繰り返すしかなかったし、通りがかる他のシュルクはその言葉しか聞こえなかった為に二人のテーブルをジロジロと見てきた。
質問の仕方を間違えたとジェイドが気付いた頃には、周りの者はヒソヒソと明らかに自分達を見ながら会話をしていた。
「すごかったです」
「やめろ……」
ジェイドが問いを変えようと考えあぐねいている隙に、シャルロットは返事をしてしまう。
勿論彼女は暴れるジェイドを思い出して言っているのだが、会話の一部分しか聞いていない周囲の者が勘違いするには十分過ぎる回答だった。
更にヒソヒソ声が際立つ気すらする。
「あんなに荒々しく……」
「ちょっとシャルロット。ストップ」
「激しく……」
「君わざとだろ!」
ジェイドはテーブル越しにシャルロットの口を手で塞いで、更に喋ろうとする彼女の言葉を遮る。
これ以上喋らせたら変な噂が立ちそうで気が気じゃない。彼女は未成年者なのだから。
「俺が聞きたいのは! どういう雰囲気だったかとか、その時の俺と会話らしい会話はしたのかとか!! そういう事だよ!!」
そう叫んでシャルロットの唇を開放する。
これこそ先程彼女に聞きたかった事だ。発言権を譲ってはみたものの、タイミング的に今こそ尋ねる好機だろう。
「あ、えっと……会話らしい会話は何もしてません。というかあの時の先生は何も喋ってくれなくて」
開放されたシャルロットの口はさらさらとジェイドの望む回答をしてくれる。そうそう、そういう事を聞きたかったのだ。
ジェイドはゆっくり頷きながらシャルロットの言葉に耳を傾けていた。
「昼間の、戻ってきて下さった直後の先生に雰囲気は少し似てました」
ぴく、とジェイドの眉が一瞬動いた。
シャルロットは自分の記憶を探りながら、一つ一つなぞっていくように呟く。
「すごく優しい雰囲気でしたけど、……冷たそうにも見えて? 不思議な感じでしたね」
「そうか……」
「それが何か……?」
訝しがるシャルロットの問いには答えない。言ったところでどうしようもないのだ。
ジェイドが左右に首を振ると、シャルロットはそれ以上踏み込まないようにと何とか納得したようだった。
少女は冷たいアールグレイで喉を潤しながら口を開く。
「もう一つ質問、宜しいですか?」
「ああ、どうぞ」
「先生、ご出身はどちらです?」
ジェイドははたと真顔になる。真顔になったかと思えば、直ぐに笑みを浮かべた。
聞いてはいけない事を聞いてしまったのかと、シャルロットは少しだけ視線を落とした。
「……何でそんな事気になるんだ?」
「な、…………何となく、ですけど」
「グランヘレネだ」
そうジェイドが呟いた瞬間に、周囲の者数名の顔色が変わった。
先程シャルロットが勘違いさせるような発言をばら撒いてしまった時とは毛色が違う。ジェイドを避けるようにその場を後にする者さえいた。
ジェイドは分かっていた、とでも言うようにそのようにあからさまに自分の存在を嫌がる者達をせせら笑った。
然し、シャルロットは違う。無知故に、周囲のそのような反応を見ても疑問は深まるばかりだった。
皇国グランヘレネ。
サエスより南のヴィオール大陸にあるという、土のヘリオドールを所有する国だ。
しっかりとした土壌により食が豊かで花も緑も咲き誇り、そして宝石業なども盛んな温暖な気候の国だ。
然し問題もある国である。一つは大陸全土に広がるように、アンデッド系の魔物の数が多い事。
もう一つは土の女神であるヘレネへの信仰が強過ぎる事だ。
各国、所有するヘリオドールを齎したとされている女神を信仰している。
火のヘリオドールを所有していた旧アルガス王国は、女神クラスティアを。
水のヘリオドールを所有するここサエス王国は、女神リーヴェを。
雷のヘリオドールを所有するアシュタリア帝国は、女神レヴィンを。
風のヘリオドールを所有するマディナムント帝国は、女神アレンティナを。
そして、土のヘリオドールを所有するグランヘレネ皇国は、女神ヘレネを信仰していた。
ほぼ全国民がヘレネと、その声を唯一聴けるという教皇を敬愛している宗教国家なのだが。自国愛が強過ぎる余り、他の国の宗教及び女神の存在を許せないでいる者が多いのだ。
故にグランヘレネの民は他国に非常に排他的とも言われている。グランヘレネ国内で他国の女神をひっそりと信仰しようものならば、村八分とされて弾圧される事もままあった。
他国の全国民がグランヘレネの民総てを嫌っている訳ではない。
現に、ジェイドがグランヘレネ出身だと聞いても全く動じない者もここにはいる。
然し、数人は席を外したのだ。これが現実である。
なのにも関わらず、シャルロットは周囲の反応の意味合いがよく分からないといった顔で首を傾げていた。
シャルロットはグランヘレネの民に出会うのはこれが初めてだったし、実家にいた頃も他国の産業などについては学んではいたものの、わざわざ負の部分まで教わる事はなかった。
ジェイドは、そんなシャルロットの反応に逆に首を傾げる事になる。
「何だってそんな事聞いてくるんだ」
「宿屋のご主人が、先生の事をサエス国民じゃないって言ってましたので……」
「ああ、……俺を着替えさせてくれたのって彼なんだろう?」
「ええ」
頷く少女を見て、ジェイドは納得する。成程、恐らく宿屋の店主は“アレ”を見たのだろう。
一人合点がいっている所に、ギルドの女性職員が二人のテーブルに近付いてきた。一枚の書類をテーブルの上に提示する。仕事の依頼だ。
「大変お待たせ致しました。いつもご利用有難うございます。
今回の討伐対象はこちらにございます。如何でしょうか?」
ジェイドはこのギルドの常連になりつつあった。向こうも彼の力量は分かっている。なので、最初から相当厳しい仕事を持ってくるのだ。
今回の仕事はグリフォン一頭の討伐。サエス北東側の丘に近頃出没し家畜や、時として人を拐って喰らっているという。他の魔術師では歯が立たず、逆に命を落とす者も出ている仕事だ。
「如何でしょうかって……俺がやらなきゃ被害はもっと出るんだろ? まぁ、やってやらなくもない。報酬は弾んでくれよ」
「勿論です。伝えておきますね」
ギルドは喩えここ、ヴェルディで仕事を受けたとしても北東の街ルエリアに達成報告をし、報酬を受ける事が可能だ。ルエリアの民も、なかなか討伐されないグリフォンの存在に最近は安心して眠れる日などないだろう。
ヴェルディの職員が通達せずとも、グリフォンを討伐すれば書類に書いてある額よりも上乗せされるであろう。
勿論ベリオスの石を持たざるジェイドは、持つ者より最低でも四割は報酬額が低いのだが。
金貨をテーブルの上に数枚置くと、早速国の東側へと移動すべくジェイドは立ち上がる。魔力も大体満ちてきたし長居する必要もないだろう。
シャルロットも慌てて続くように立ち上がりギルド職員に頭を下げた後、師を追い掛けるように出口へと駆けていった。
ヴェルディから東側へ。
そもそも同じ国内ではあるので、そんなに遠くもない道のりだ。
馬車に揺られ、途中で二泊程宿に泊まる。その間オリクトがない為ジェイドの女遊びはなりを潜めるかと思いきや、そんな事はなかった。普通に金貨を使うだけだ。
シャルロットが「監視役になりましょうか?」などと寝言を言ってきたが、ジェイドはそれを勿論寝言と認識してさっさと宿を抜け出すのだった。
監視役になるという事は一緒に寝ると言っているのだろう。
無理だ。あと二年成長してから出直して来て欲しい。
一日目、朝方戻るとシャルロットはとてつもなく不機嫌だった。
二日目に、土産にビスケットの箱を買って持って帰ったら機嫌が良くなった。とてつもなく単純である。
ルエリアのギルドに辿り着くと、ヴェルディのギルドからの仕事の引き継ぎ手続きをシャルロットがやるというので、彼女に任せてジェイドは壁際に寄り掛かって眺めていた。
ぼんやりと薄暗い室内を眺めていると、不意に肩を誰かにトントンと叩かれる。
「……?」
見ると、ローブのフードを深く被った男が一人ジェイドの傍らに寄ってきていた。
男だと分かったのは声での判断だ。
「もしもし、お兄さん。もし宜しければ我々と仕事をしませんか」
ギルドにいればこういう事もままある。現にシャルロットもこうして声を掛けられ、平原にてジェイドと出会う事になったのだ。
然し先日あんな目にあったばかりで他人と仕事する気なんか起きる訳がない。そもそもジェイドのやり方だと、他人がいた方が邪魔になる。
だから「断る」と言い放とうとした、のに。男が耳元に囁いてきた言葉にジェイドは固まった。
「やって欲しいのはオリクトの破壊。……好きでしょう? ジェイド・アイスフォーゲルさん」
「…………!!」
何でそれを。
それに名前まで知られているなんて。驚愕するジェイドに対し、男は更に続ける。
「珍しい目をお持ちですね。見ればすぐに分かる」
また目の話か。
どうやらこの目はジェイドが思っているよりも悪目立ちするらしく、その魔力量も相俟ってサエス国内ではちょっとした有名人のような扱いになりつつある。
それが嫌でジェイドは国中を転々としているのだが、それでもオリクトについて言及されたのは初めてだった。オリクトを壊したり、内装を破損させてしまった宿屋については口止め料も含む形で慰謝料を支払っているのだが、どこかの宿が漏らしてしまったのだろうか。
然しジェイドはオリクトを壊したくてやっている訳ではないのだ。不可抗力でやってしまっているようなものを、本人が悩んでいる事を。まるで利用してやろうという気概が相手から見て取れた。
ジェイドは今度こそはっきりと告げる。
「断る」
その声の鋭さに相手の男は気圧される。
そもそもオリクトの破壊をする奴など、自分で言うのも何だが正気の沙汰ではないのだ。この男が何個のオリクトの破壊に手を出そうとしているのかは分からない。大体何故それが仕事となると思っているのか。
そんな、得体の知れない仕事とすら呼べなさそうな物に付き合う程暇でもない。
ちょうど手続きを終えて戻ってきたシャルロットと入れ違うように、男はそそくさと離れていった。
「今の、どなたです?」
「……知らん」
知る由もないし、知りたくもない。
今後とも関わる事がないようにと切に祈るばかりだった。