第一話・蠢動
いつからか感じ始めた不穏な陰。
それに気づいた第一皇子は、不穏な空気に包まれながらもその根本がなんであるかを探ろうとする。自分の知らないところで何が起こっているのか。
いつからか様子が変わった父に何が起きているのか。
長編小説第一部、始まりです。
いつから不穏な空気が城内に燻り始めたかは定かではない。
父の周りの側近はそれまでファレディウル・イースが献身的に努めていたが、いつしか見知らぬ人間が増えていた。ファレディウルは私の側付き任命され、彼はそれでも全くの不服を持たす、また私に対して献身的に尽くしてくれたものだ。けれどその不穏が確実なものとなってきた10歳頃からは、私は確実に全てを欺き行動しなければならなかった。そう、父の異変にいち早く気づいた母も7歳離れた最愛の弟でさえも。
過去を振り返れば、皇王とその家族が臣民の前に顔を出す出御の儀に、7歳の頃から私だけが禁じられた。私と7つ離れた弟はまだ出生しておらず、通常ならば3人で出御を迎える予定ではあった。突然の父の発言に母は不審に言葉をぶつけたが、その頃新入りで入ったランバルトという側近の一人に窘められ、また臣民には突然の体調不良と言うことで片付けられ、私の存在が表に出ることはなかった。
思えばそこから一端は始まっていたのだ。
その後次々に官僚についた人間に、ファレディウルも不審を抱いていたことだろうが、元々父の側近だけ在って、表だって言葉にはしなかった。けれど、わずかに零れた言葉を私には聞かせていたことは…困ったことに何度かあったのだが。私は知らぬ振りを通した。そして、父に従順であるように…そう見せかける為に、幾つもの言葉を彼に欺き語ったことだろうか。実直なファレディウルには、申し訳ない気持ちではあったが、私はこのばかげた茶番劇を、きちんと見据えなければならなかった。
「また、ですか?」
その言葉に私は口の端に笑みを浮かべることしかできなかった。
「ナーセル様はよくて、何故シャナール様はダメなのです?」
曲がったことが嫌いなファレディウルだが、納得いかないことを長年続けられて彼も噴火しそうに言葉を伝えに来ただけの兵士に言葉をぶつける。ぶつけられた兵士は妙な汗を流しながら、返す言葉もなく「はあ」と言うばかりである。
「ファレディウル、よせ。今に始まったことではないだろう」
「しかし…納得いきません…」
「納得しなくて良い。その現実を受け止めなくても良い。はじめからなかったことと考えれば怒ることでもなかろう。お前が懸念することでも何でもない」
「しかしシャナール様」
今度は私がぶつかる対象になってしまったようだ。
その間兵士には手払いし去らせると、兵士に怒りの矛先を向けられなくなったファレディウルは歯を噛みしめて言葉を飲み込んだ。私にぶつけても仕方ないことを、彼も重々承知だ。そうやって、もう数年言葉を飲み込み続けてくれているのだ。それでも私の側付きを辞めると言い出さないのが、私にとっての一番の平安だ。この男を失ってしまっては、私も…精神的に耐えられるか分からない。
「今日はシャナール様のご生誕15年のお祝いなのに…」
ぽつりと呟かれる言葉。自分でも忘れていたが、そういう日だった。皮肉な日に出御の儀を執り行うものだ。あちら側が何を考えているのかはわからないが、7歳から出御に参加してない私にしてみれば、生誕祝いも何もないだろうに…。
「まあ、体調不良の私は、おとなしく部屋で寝ていることにするさ」
「面白くない冗談ですね…」
「冗談ではない…。どうせ出御の後は会食だろう。私はそこにも出席はできない。なんせ体調不良だからな」
「………」
また彼の腑に落ちない現状を思い出させ、不服そうな表情を浮かべて言葉を飲み込ませてしまう。
「済まない、お前をいじめたいわけでもからかいたいわけでもない。ただ、今日は悪いがそっとしておいてくれるか…」
「…かしこまりました」
いじけた皇子の役を演じてみたつもりだが、従順なファレディウルは不服そうにも私の言葉には従ってくれる。きっと吐き出したい言葉はたくさんあるだろうが、その全てを飲み込んで、彼は一礼して部屋を去った。
「ふぅ…」
困ったものだ、とソファに身体を沈ませる。目を閉じ、疲れたように意識を沈ませる…。
父王・ラナザールの周囲に集った者達が何をしたいのかは、今の所掴めていない。ただ、父を傀儡として自分達が城を乗っ取りたいのだろう事だけはわかる。だが、それも表だってすることはできないだろう。今は堅実な者達も多いし、母も気づくはず…いや、もう既におかしいことは疾うに分かってはいるだろうが…彼女にもどうにもできないのだろう。私はなんとしてでも母と弟だけは守らなくてはならない…そして、父を元の…厳しくはあったが優しい父に戻さなければ…。
「さて、どうしたものか…」
天井に手を伸ばして掴めるはずのない何かを掴む…手にしているのはただの空虚だ。
自嘲気味に笑みを浮かべれば、ふと慣れない気配に身を起こす。
「誰だ?」
誰もいるはずのない部屋の中に、確かに気配はあった。
「とうとう私を殺しにでもきたか?」
空虚にそう投げれば、一瞬のうちに気配が変わる。空気に裂かれそうな程のピリピリとした緊張感と威圧感。
護身用に身につけている短剣を袖内から手に落とし、身構える。恐らく本当に言葉の通りなのだろう。
ヒュッ…
微かに空気音が耳につき、避けたつもりだったが右頬に一線が描かれていた。姿は見えない。
「物騒だな…」
面倒くさいが対峙しなければ終わることはないだろう。
相手の意表をついてこちらが仕掛ければ空虚に紫電が走った。素早く次々と撃を繰り返せば、幾度となく紫電が散り、やがて赤い飛沫が散った。
「悪いが簡単に死ぬわけにはいかないのでね」
とどめを刺すつもりで振り下ろした短剣は、倒れていた影を捕らえられずに床を撃った。その瞬間影の気配も霧散する。逃げられたのだ。
「逃げ足が速いな…」
床に刺さった短剣を抜き、手巾で血を拭う。その瞬間、扉を打つ音が聞こえる。
「シャナール様、何か聞こえましたが大丈夫ですか?」
部屋の外に控える警備兵だ。やや悠長な物言いに、聞こえていたなら助けに来いと思いながら「なんでもない」と返す。今ここで兵を入れて現状を見られれば、ファレディウルが騒ぐ。色々と鬱陶しい今に、面倒事を増やしたくはなかった。
「そろそろ本気を出してきたのだな…」
そう呟いて、窓下に見える皇王宮を見下ろす…。
何か黒いものが蠢き始め、白亜を覆い尽くす影が燻り始めているのを感じざるを得なかった。