≪10≫鍛錬、騎士の訓練とタンクトップの中身の巻
ともあれ、僕が人間であったこと、しばらくの間、とある王女の元でいた事を、エリザベータに話し終えた時には、もう夜も更けていた。ボルゾイ先生は急ごしらえのログハウス地上に増設してくれたおかげで、僕たちは眠る場所には困らなかった。
これはエリザベータが身の危険を感じ、必死の交渉をした成果である。
「と、いうわけで、お前を一人前の騎士に鍛えてやることになった、エリザベータだ。これからはエリザと呼ぶように」
早朝、僕はそう言われて叩きおこっされ、口に干し肉を詰め込まれた後、今はこうして外で立たされている。立たされていると言っても、四本足で。
エリザは僕を正式に弟子にすると誓ったようで、今はその役柄に没頭することにしたらしい。彼女はかつて自分が父から受けた騎士としての教育を、そのまま僕にしてくれるというのだ。
「まず、お前は何だ!?」
「猫です!」
バカみたいな応答が続くが、きっとこれによって、エリザはもう一度この現実を再認識しようとしているのだ。たぶん僕の為に。
「そう、猫だ。変身できると言ってもお前は猫なのだ!猫であるお前に攻撃力など皆無。緊急時、特に変身前の奇襲は致命的と知れ!」
「マム、YES、マム!!」
「……なんだその返事は!!」
いけない。ついうちいつか見た戦争映画のセリフが口から出た。
「すいません。祖国語です!」
ちなみに異世界日本から来た事や、マリア―ジュが魔女であり、僕が第二の人生を歩んでいる事は伝えていない。秘密保持だそうだ。
「以後祖国語は禁ずる。では次!お前の変身可能時間はどれくらいだ?」
「普通の人間状態で1時間と30分です!!」
それが今の僕の限界だ。それ以上は人間の体が保てない。マリア―ジュ曰く、変身を続け、精神的・肉体的成長によっては変身時間は伸びるらしい。
それを言うと、マリア―ジュの声だけが僕の脳味噌に響いた。
(それはまあ、努力次第)
「そう、一時間30分だ。その時間中、お前は何回も変身できるのか!?」
「いいえ!一度変身をし直すたびに、10分から20分、変身持続時間が減ります!!」
これも昨晩幾度か試したあと、ボルゾイ先生が出した結論である。
「よろしい!では最後の質問だ。変身時のダメージは変身後にも残るのか!?」
「残りません!!」
僕がそう言うと、エリザは怖い笑みを浮かべる。
「と、いう事はだ。お前は地獄の訓練を幾度も行えるという事だ。覚悟しろよ」
そんなこと言っても。そう言いたかったが、弱音を吐くと、きっとこの後の訓練がもっと酷いことになる。精神鍛錬などと言う、恐ろしい響きの訓練は少ない方がいい。
「……覚悟しました……」
そう、元の僕にさえ戻れば、もう痛くはないのだ。何とかなる。
きっと数十分後にはその意見を180度変える羽目になるけれど、僕はそう思って覚悟を口にした。
「よろしい。では早速、お前を鍛えることにしよう。では自分が一番強いと思う状態で変身してくれ」
「はい。変身、堂ヶ島春貴、バージョン2!!」
バージョン2。それは昨日の失敗を生かして、夜寝るときに考えた、新しい僕。
具体的にはボルゾイ先生と、いつか見た総合格闘技選手の体を想像して、引き締まった身体に強化する。更に両足と背筋など、剣術に重要そうな箇所はあらかじめ聞いているので、その部分も強化している。
「変身できました!!」
いまや僕の体は前とは全然別物だ。身長も体重も大幅アップで、体脂肪率は激減。正に完璧な肉体だ。
ちなみに服装はボルゾイ先生の所で眠っていた、旧式の重い軽装甲鎧という、なんとも矛盾した物を装備している。曰くこれも訓練らしい。
「よろしい。体は出来上がっているようだな。最初の体作りが一番大変だというのに。運の良い奴め。では、先頭の基本を教えながらやっていくからな」
そう言ってエリザは僕に自分の持っている物と同じ形の長剣を渡して、構えるように指示する。
僕がそれにならって剣先を構え、いきなり戦闘が始まるのかと、僕が緊張すると、地味な命令が下された。
「ではまずは全速力で向こうの木まで何秒で走れるかやってみろ。その後は剣を真上に上げて、地面すれすれまで素早く降ろす。これを50回を何分でできるかやってみろ。これは毎日やるからな。みっちりだ。それが終わったら本格的に剣の話をしてやろう。では始め!!」
僕は剣を担いで走る。この鉄製の長剣は重い。
良くアニメや漫画で美少女が大剣を軽々振っているが、あれはフィクションだと痛感する。長剣は背中のケースに入れて走るだけでもいい重量があり、体に身に着けた鎧も動きにくいしさらに重いのだ。
しかし僕の体は歴戦の戦士仕様。体はなかなか悲鳴をあげず、しっかりと走っていれば負担も少ない。服も靴も変身の一部になる様なので、今は靴だけを軍隊で使っている様なの皮のブーツを採用したが、これがまた走りやすいのもある。そして地面にしっかりと力が伝わり、周囲の風景が今までにない速度で流れてゆくは気持ちが良かった。
「終わりましたッ!!」
そうして僕は言われた通り一連の作業を終えて、軽く息を付きながらエリザの元に戻る。
「いいだろう。今のタイムをよく覚えておけ。それからもう少し早くしたものを目標に、お前は自分の体の事を知っていく事になる。そして今から剣術の型の方だ」
そう言ってエリザは剣を持って上段に構え、僕の前でケンを一振りする。
剣圧から風が生み出され、僕の頬を撫でる。
「こうやって剣を振れば風が生まれる。これほどに長剣の威力は高い。昨日は後れを取ったが、本来の長剣の使い道は昨日の私の第一撃が最も効率的だ。足で距離を稼ぎ、遠心力と共に相手に一撃をぶつける。条件次第では重武装騎馬でも真っ二つに出来るぞ!」
「真っ二つですか?でも魔法使いにはどうするんですか?昨日の戦いを見た限りじゃ、魔法使いが戦いで有利過ぎると思います」
そう言うと、エリザは苦い顔をした。昨日の戦闘を思い出しているのだろう。
「そうだな。昨日のは魔法使い側が規格外だっただけだ。通常魔法と言う物は発動に時間がかかり、大掛かりな物は一人ではできない。更に魔法使いは貴族などの支配者階級の、もっと言えば庶民からすれば金持ちの道楽だ。本当の一握り以外は真面な単独戦闘など無理だ。覚えておけよ」
彼女が説明するには、魔法習得にはとても長い時間がかかるようで、仕事に忙殺される庶民には過ぎた者なのだと言う。
「僕は取り敢えず普通の人間との戦闘方法を学ぶというこですね」
「そうだ。じゃあ引き続き戦闘訓練だ。剣を構えろ!」
そう言って再び僕は鍛錬する。訓練は厳しかったれど、これも第二の人生と割り切る僕は変だろうか。
もし元の体でこの鍛錬をしたならば、きっと二時間で逃げたくなったはずだ。しかし、変身が解ければ体は全快。疲労度もゼロ。変身が解ければそれまでなのだ。
僕は彼女の言ったとおり、した通りの型を真似し、そして長剣の使い方や体のさばきかたを学ぶ。
そしてお昼を過ぎて座学を学ぶ頃には、エリザの方が疲れていたようで。彼女にとって教えると言う慣れない行為は疲労度が激しいのだろう。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。大丈夫だから、次だ」
そう言ってエリザは教科書の次のページをめくる。
教科書と言ってもこの本はこの国の成り立ちや、周辺諸国の誕生に書かれている絵本で、剣術とは何の関係もなかった。
「それにしても記憶喪失とは本当にある物なんだな」
エリザはそう言って溜息をつく。
「ご迷惑かけます」
「いや、それよりもだ。私は猫相手に子供も知っているような知識を教え込もうとしているこの現状がだな……」
「ニャ~」
僕は、あ~っと言おうとしたが、ニャ~っと言ってしまった。それを聞くと、ますますエリザは頭を抱えて不思議そうな顔をする。
きっと彼女は今戦っているのだ。きっとこれがすべてたちの悪い魔法使いの幻想や嫌がらせの類ではないのかと、心の一部が疑い続けている。それと今ここにいる僕があまりにも現実的過ぎるから、彼女は悩んでいるのだ。
「あの~これはなんと読むんですか?」
「これが私達の居た国、こっちが今いる国だ」
エリザは手に持った教科書の真ん中にある聖エルデルタールと、端の方に書かれたエリザの故郷であるエレンデル公国を指差した。
「結構離れてるんですね」
「そうだ。此処までの旅は長かった。旅の間に野盗を撃退する事2回、人さらいを切る事1回、そして決闘沙汰一回で、合計10人もの人を殺めてしまった」
十人。日本で十人殺したならば、たとえそれが正当防衛でも実刑判決を食らいそうだ。しかしここは異世界。自分の身は自分で守るのが筋である。
エリザのような女性の一人旅はもっとも危険に違いない。
「で、これはなんですか?」
僕が地図の東側。何も記されていない地域を指差す。
「ああ、これは未開拓と言う事だ。魑魅魍魎だらけのジャングルに、異種族の村々、そして邪教の総本山などがある」
そう言って彼女自身も知識でしか知らないと言う話を聞いているとき、僕はついつい他の事に気をひかれてしまう。何故ならば、午後になって室内での授業のためか、エリザは鎧を脱いで、薄いタンクトップのような服一枚になっていたからだ。
この世界は事前に僕がお願いした通り、本物がちがちの中世のようにトイレが無かったり、下着と言う概念が無かったりするわけではない。
しかし今この場面では、彼女自身の好みか事情により、彼女はタンクトップの下に何も着ていなかったのだ。
「そっそっそうですか~」
僕はそう言ってごまかしながらも、ついつい視線は下へ、下へ。
「おい猫、聞いているのか!?」
男勝りな口調のエリザだが、その体は確かに女性のそれでいいものだ。まとめてあった綺麗な赤毛が解かれて、今はそれが彼女の胸辺りまで伸びている。その間から覗く彼女の肌は、前線で戦う騎士とは思えないほどなめらかで……
……ドグシャーッ!!
教科書が僕顔を直撃した音だ。あまりにも露骨にラッキースケベを堪能していた僕は、彼女の投擲した教科書ごと、廊下へと落ちる。
「ぐにゃ~」
僕の声がログハウスに響いた。
「何を見ているこのスケベ猫。人間の体に欲情するなぁ!!」
「ごべんなざい……ゲヘ」
僕は猫である。しかし今だ人間の女の子の体には興味があるお年頃。
彼女がその上からローブを羽織るのを拒否したため、僕はそれ以降彼女の方を向く事を禁じられた。