7 妹の謀略(その2)
あー……なんつう恥ずかしい物を書いてたんだ、過去の私。
研修終わってから、これの続きとか書けるのかな? どういうラストにするつもりだったのだろう? タイムマシンがあったら聞きたいよ、過去の私!
主人公にとっては甘えたがりの可愛い妹……しかして、その実態は?
お兄ちゃんは滅多なことでは家に帰ってこない。
だからお兄ちゃんと出掛けるなら、お兄ちゃんの住んでいるアパートに押し掛けるのが手っ取り早い。
電車で駅3つなんて、あっという間だ。
休日、朝一からお母さんに借りた合い鍵で部屋に入り、お兄ちゃんを起こす。
「一緒にお出かけしよう」
不機嫌なお兄ちゃんのちょっと乱暴なスキンシップを受けて、朝食を作ってあげてからおねだりすると、渋々ながらも応じてくれる。
チョロいね。
悪い女に引っかからないか心配だよ。
こうしてお兄ちゃんとお出掛けするのは、月に一回くらいかな?
水族館とか遊園地とか、お祭りだったりショッピングとか、カラオケやボーリングにゲームセンターだったり、毎回趣向を変えてとにかく遊びに行くんだけど、さてどこに連れて行ってもらおうか?
否、今日のお出掛けの目的地は決まっている。
スーツに着替えたお兄ちゃんを連れて向かったのは、デートの定番(?)ともいうべき映画館だった。映画を見たあとは、ショッピングに付き合わせる。
「お兄ちゃん、これどうかな?」
「高! いや、俺はあっちがいい」
服飾コーナーでお兄ちゃんに似合いそうなTシャツを見つけて勧めたが、お兄ちゃんは首を横に振って、スーツやYシャツが並ぶ紳士服コーナーを指差した。
お兄ちゃんの感覚では、Tシャツごときに何千円もかけるのは有り得ないらしい。数は少ないけど、スーツやネクタイには何万円とかけているのに……。
就職してからというものの、ファッションセンスに自信のないお兄ちゃんは私服でもスーツのようなフォーマルファッションをするようになった。大学時代はメガネをかけていて、機能性を重視して選んでいた私服のセンスの無さをクソミソに言われて凹んだらしい。
今日は黒いスーツに青と紫のストライプのネクタイ、中に着ている清潔そうな白いシャツがなかなかにアクセントになっている。
確かに、スーツでカッチリ決めたお兄ちゃんは大人の男性って感じがして萌えるし、だらしない部屋着姿の隙だらけの感じも好きなんだけど……ラフでカジュアルに決めた感じのお兄ちゃんも見てみたいなぁ。
「嫌だ。こういうカッコが一番確実で安全だ」
……お兄ちゃんらしいね。スーツは誰が着ても様になるからね。
まあ、お出掛けにはメガネをやめてコンタクトにしたとこだけは偉いと思うよ。
たっぷりとお兄ちゃんを振り回して楽しみながら……私は目的地に向けて誘導していく。
さあ……勝負はここからだ。
「お兄ちゃ~ん、疲れた~。ちょっと休もうよ~」
「そうだな。て、こらっ!」
「私、甘いものが食べたい」
「わかったから! 恥ずかしいから、離れろ!」
抱きついておねだりすると、お兄ちゃんは呆れたようにため息をついて、私に手を引かれて一軒の喫茶店に入った。
静かで少し薄暗い木目調のクラシックな雰囲気の店内にはカウンターしかなくて、自家焙煎コーヒーのいい香りが漂っている。流れている音楽も大人っぽくてなかなか趣味がいい……ジャズかな? カウンターの向こうには、恰幅が良くて愛嬌のあるお婆ちゃんがニコニコしながらドリッパーにお湯を落としている。
これが明るくて若い女の子がたくさんいるようなお洒落なケーキ屋だったら、お兄ちゃんは絶対に入らない。
お兄ちゃんの好みは、入り口が小さくて古風なカウンターしかないようなヒッソリとした喫茶店で、食事よりも飲み物が美味しいところだ。特に珈琲には目がない。店内に入ったとたん、お兄ちゃんの目の色が期待で輝いたのは言うまでもない。
カウンター席に座ると、カウンターの向こうからお婆ちゃんマスターではなくて、別の女性店員が注文を聞いてきた。
「あら? 唯ちゃんじゃない!?」
艶のある長い黒髪を項の辺りで一つ括りにした、左目の下の泣き黒子が印象的な小顔の美人が、私を見て驚いた顔をしている。
40代の後半に差し掛かったはずだが、線が細くて、瑞々しく白い肌はとても2人の子供をもつ母親とは思えない。30歳と言っても通じるんじゃないかな?
彼女がユッチのお母さん、須藤 小夜子さんだ。
「小夜子さん、ここで働いてたんですかー?」
「そうよ。火曜日と木曜日の定休日以外はね。まあまあ、そちらはもしかして唯ちゃんの言ってた“お兄ちゃん”? 真面目そうで、写真で見るより随分素敵ねぇ。はじめまして、須藤 小夜子と申します。唯ちゃんには家の娘たちがよくお世話になっております」
「ど、どうも、はじめまして……」
今日のお出かけの目的は、小夜子さんにお兄ちゃんをお披露目することだ。なんとしても、外堀を埋める布石をここで決める。
女の人、とくに年上の美人が苦手なお兄ちゃんは、ユッチと違って人懐っこい感じの小夜子さんにドギマギしている。
ここで小夜子さんが働いていること、そして彼女のシフトについては、もう1年も前から調べてあった。グルメ情報誌で店のメニューとともに彼女の写真も掲載されていたので、見つけるのは簡単だった。雑誌に紹介されてから、小夜子さん目当ての男性客も多くなっている。
今日はじめて来ましたとばかりに振舞う自分を、我ながら白々しいなと思いながら、お兄ちゃんをとにかくプッシュする。
このときお兄ちゃんには、『仲の良い後輩のお母さん』としか紹介しなかった。ユッチ(本丸)の存在を明かすのは、まだまだ先がいい。
最初はワタワタとして落ち着きのなかったお兄ちゃんだが、珈琲を一口飲むと次第に落ち着きを取り戻し、何とか小夜子さんと会話ができるようになっていた。小夜子さんもお兄ちゃんの性質がわかったのか、さすがは客商売というか……うまく会話をリードしている。
「まあ。じゃあ製薬会社の研究員なんですね」
「いえ、どちらかというと、そのパシリといいますか、研究室の雑務と本社との調整が仕事でして」
話の内容は仕事の話に入っている。なかなかいい感じだ。
これまでのイメージ戦略が効いて、一緒に入店したことでお兄ちゃんが妹思いの優しいお兄ちゃんだという掴みはバッチリだ。
さらに、仕事の話はお兄ちゃんの真面目さが際立つエピソードが多い。時々残念なエピソードが入るが、そこは私がフォローして可愛い失敗談に変えていく。
小一時間ほどそんな風に過ごして、私たちは店を出た。
空はもう真っ赤に染まっている。
少し歩いたところで、お兄ちゃんは一際長いため息をついた。
「あー……緊張した」
ゲッソリとした顔で、今にもへたり込みそうだ。落ち着いて楽しそうに話していたように見えて、内心まったく余裕がなかったようだ。
「いい店なんだけどなぁ……。ああいうのは、もう無理」
「もう、お兄ちゃん、小夜子さん相手に緊張しすぎ。そんなんじゃ一生、女の人とお付き合いなんてできないよ。どうしよう、お兄ちゃんが一生独身だったら……」
「ほっとけ」
「けぷしっ!」
おでこにお兄ちゃんのデコピンが炸裂する。程よく加減された、優しい痛みだ。
「お前は母さんか? いいんだよ、俺は今のままで……」
私を見て面倒くさそうな顔で呟いたかと思うと、どこか寂しそうな顔で前を向いた。
私が企んでいることを、このときのお兄ちゃんが知ったらどんな顔をしただろうか?
お兄ちゃんと肩を並べて歩きながら、私は笑顔の下で腹黒く熟考する。
出だしは好調だが、小夜子さんの攻略にはまだまだ足りない。
麻衣ちゃんは最低でも、あと一押ししたいところだ。そのためには偶然を装ってお兄ちゃんと会わせて、なんとか好印象を持たせたい。
問題は、ユッチのお父さんだ。単身赴任で滅多に帰ってこない。お兄ちゃんを売り込む以前に、何とかして接触しなければいけない。情報の足りない、今のところ一番の難題だ。
ああ、それよりも、肝心のユッチにお兄ちゃんをいつ見せようか? 会わせるにはまだ早い。真面目な彼女にはまず遠くから観察させて、客観的視点で捉えさせつつ、私がフォローしながら、お兄ちゃんの良さを伝えたほうがいい。
特に期限は定めていないけど、あの寂しそうな顔を見ていると急いだほうがいい気がした。
(焦ったら駄目。落ち着いて考えろ、私。)
お兄ちゃんなら、こういう勝負事を持ちかけられたとき、どう対処するだろう? 時間の許す限りに熟考して、時間いっぱいまで手を回して、慎重に進めるはず。……否、案外、戦況不利と見た時点で、早々に落としどころを見つけて戦線離脱を計るんだろうな。
私が挑んでいるのは、お兄ちゃんでさえ匙を投げるような、ギリギリの戦いだ。
勝負に出る準備はまだできていない。幸い、まだ少し時間があるだけ。
それからしばらくして……ユッチの高校受験の日に、私が予想しない形で転機は訪れた。
ユッチのお父さんが、倒れたのだ。
転載している原稿のうち、過去編はとにかく長いです。どこでどう切るかが悩みどころです。