63 校長室3
長らく放置して申し訳ありません。
「じゃあね! 担任の吉井先生に代わって、校長の私が“教員としての責任”を持って言いましょう」
あれ? 白石先生?? それは、ちょっと……。
「須藤 結衣さん……貴女が望むようになさい。そして、妻としての責任を自覚し、彼と支え合い、貴女が望む『当たり前』を守りながら、立派な家庭を築くのですよ」
それじゃ、吉井先生の立場がないじゃないですか……。
吉井先生は目を見開き口を半開きにし、唖然とした様子で白石校長の方を見て固まっている。
そして、芝崎先生も、俺も、吉井先生と同様だったに違いない。小夜子さんに至っては涼しい表情を保ったまま……に見えたが、ほんの一瞬だけ小さく眉が跳ねていた。
白石校長、吉井先生の心情とか無視して、話をサラッと先に進めちゃった!!?
え? 良いの? いや、たしかに全校の責任を負う立場の人だけど、担任の意思とかは?
て、ゆうか……そんなアッサリと、話進めちゃって良いの? 何かしら疑問や不安はあるでしょ? 俺と結衣をそんな簡単に信用していいのか? 否、勿論、信用を裏切る気なんて全くないけど。
結衣も突然の進展に呆気にとられたのか、呆然としている。
校長室内の時間が止まったかのような錯覚に囚われたが、その止まった時間の中で白石校長はハンカチを取り出して額の汗を拭いながら、ノンビリとした口調でさらに言葉を続けた。
「で、さあ……白瀬君。交際の容認だけど、具体的に学校側は何すれば良いの?」
「ちょっと待ってください、校長!」
さすがに流せない、とばかりに吉井先生が割って入る。
「何を勝手に話を進めてるんですか!?」
「え? 駄目?」
「私はこの子の担任とし「私は君とこの子の“校長”だよ」……て!?」
白石校長の口調は相変わらずノンビリしたもので、穏やかでその落ち着き払った様子に吉井先生は面食らっている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
吉井先生の心情はわかるよ。私も現場経験あるからね。
教員という立場上、生徒を善導していく立場にある以上、自信の持てない発言も、責任のない放任もできない。事情をよく知る自分が担任する生徒のこととなれば尚更だ。
だがね、だからと言って、わからないから、自信がないから何も言わない、言えない、出来ないではいけないし、責任があっても過度な束縛はいけないし、いつまでも停滞させるのもよくない。何故なら、生徒の今後の人生を左右する学生生活という貴重な時間は、今こうしているときも刻一刻と過ぎていっている。失われている。
彼女は言ったね。
当たり前のことがしたい、と。
彼女が言った『当たり前のこと』とは、生徒にとって最も大切で優先されて然るべき日常……否、学生生活かな? ああ、いや、何と言えば適切かな……つまり『青春』であると私は思う。
でだ。
私は彼女の言う『当たり前のこと』を守り、且つ、それによって『彼女の今後の人生をより良くするための後押し』をするのが、教員としての勤めだと考える。
今ここで、ただ慎重に物事を見極めるのも確かに大切だがね、それを理由に長々と悪戯に時間を浪費するだけで、何も言えない、出来ないからと、停滞させては何にもならない。
何もならないどころか、この停滞は彼女から『当たり前のこと』を遠ざける。
では、進展させるのが必ずしもいいのか? というと…………私は校長として、教員として、人生の一先輩として、一人の大人として、自信を持って『良い』と言える。
“今回の件について”はね。
吉井先生はこの件について、進展させることを自信を持って『良い』とも言えないが『悪い』とも言えない……だから今、何も言えない、出来ないでいるのだろう?
その時点で、君には荷が重過ぎる事態だ。
いや、別に、気負うことはない。
言い方は悪いが、そういう手に余るどうしょうもないときこそ私に責任転嫁すれば良い。私は生徒や教師のためにいる“校長”なんだから。私が請け負おう。
まぁ、それでも君が何か言いたい、何かをしたい……君の中にある責任を全うしたいなら、早くすることだ。
遅ければ遅いほど、彼女にとって大切な『当たり前』は遠ざかり、『より良い今後』も遠ざかるのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あの……校長は何でそんなに、自信があるんですか?」
「ん? まあ……目の前の彼が信用できるからさ」
「はい?」
白石校長がすんなりと答えると、吉井先生の視線が今度は俺に向いた。
別段悪意も、しかし好感も感じない。胡散臭いでもなく、何か得体の知れない物を見るような目で俺を凝視している。
一方で白石校長は穏やかな笑みを保ったまま俺を見ると、笑いを堪えるかのように口元に手を添えながら一度俯き、そのまま上目遣いで目線だけをこちらに向けて口を開いた。
「……何かしら議論や説得を期待してたのかな、“白瀬君”? それは時間の無駄だよ。ねえ、芝崎君?」
「そっスね。こういう順序立てた行動するときの“先輩”のことですから、こちらが思いつく限りの課題は解決済みか、解決の目処くらい立っているはずでしょうし。少なくとも……先月でしたっけ? 胡散臭いプロデューサー連れてきて、学年での人気だけを根拠に芸能界行こうとした無謀なアノ子より、よっぽど現実的な選択だと思います」
話を振られた芝崎先生はいつの間にか力が抜けたような様子で、背凭れに体重を預けながらやる気なさげに答えた。てゆうか、何と比べてるんだろう? ……学校の先生って大変そうだな。
吉井先生は校長と副担任の口ぶりから、ようやく感づいたようだ。
「お知り合いですか?」
「10年も前に担任した生徒で、部活の顧問もしたからね……人柄から何から、彼だったら責任持てるよ」
「同じ部活で面倒見てもらってましたからね。信頼はできますよ」
ここでようやく、吉井先生は俺と白石校長、芝崎先生の関係に気が付いたようだ。彼は力を抜くように大きく息を一つつくと同時にソファーの背凭れに体重を預けると、疲れたように口を開いた。
「……わかりました。話を進めてください」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
学校側への要望は以下の通りだった。
まずは学校として俺と結衣の婚約と交際を認知すること。
全校集会でも開いて公表してくれ、というのではなく、教職員たちだけに徹底して欲しいというだけだ。
こんなことを広く知られたら、良くも悪くも騒ぎになる可能性がある。いずれ結婚してしまえば広く知られてしまうことではあるが、結婚前にあらぬ誤解を持たれて騒ぎになるとスムーズに事を進められる自信がない。後ろめたい事が何もなくても、痛くもない腹を探られるというのは時間と労力を奪われてしまい、たまったものではないのだ。もちろん万が一の時は全力で対処するが、できればやりたくない。
具体的に学校の教職員にどうして欲しいと言うことはないが、校内で結衣に対する見当違いな悪い噂が立ったり、騒ぎや誤解の芽を見つけたら、その情報をこちらに報告してもらう。可能であれば学校としてもそれとなく沈静化して欲しい。
そして、法的に婚姻が認められたら速やかに事実を公表してもらう。しばらくは結衣が好奇の目に晒されることになるが、こればっかりは仕方がない。担任の吉井先生には事実が浸透して落ち着くまでの間フォローして貰いたい旨を伝えると、真剣な面持ちで了承してくれた。
後は事務的な手続きの準備を今のうちから進めてもらうだけだ。苗字や住所、籍が変わったりする以上、書類上の変更事項がいろいろ出てくるはずだ。とくに、結婚して数日でも結衣の学生証が『“須藤” 結衣』のままだったりするのはマズイ気がする。どうマズイのかはわからないけれど……これは俺の気持ちの問題かな?
「とりあえず、これ明日にでも職員会議しなきゃね。吉井先生、今日中に連絡網を回しておいてくれるかな?」
こんなトントン拍子に事が進んでいいのか、と思うくらいアッサリと了承してしまう白石校長に俺は終始拍子抜けしていた。
そのまま白石校長は吉井先生や芝崎先生とザックリと今後についての動きを決めると、ハンカチを頬にあてながら、こちらに向き直ってニッコリと微笑んだ。
(あれ?)
この時になって俺はようやく異変に気づいた。
別に暑くもない室内でありながら、白石校長の額や頬にはジットリと汗が噴き出しテカテカと光っていた。さらに言うと、先ほどから表情はずっと笑顔のままだ。気のせいだろうか……眉間の皺が少し増えている気がする。口調もどことなく早口だ。背凭れに体重を預けたまま首だけを向けている。
なんだろう……俺はこの光景を昔見たような気がする。
それは、少し嫌な既視感であった。
「まぁ、とりあえず、まずはおめでとう、白瀬君。それでだね……」
白石校長は笑顔を崩さず、ゆっくり穏やかに祝福の言葉を述べたかと思うと、今度は今までにないくらい大きく息をついて俯いた。表情はよく見えないが、笑顔でない事だけはわかった。
「……吉井先生、救急車呼んで。このソファー沈みすぎて……多分これ、自力で立ち上がったら駄目なやつかも」
「「!!!」」
どうやら座りながら腰痛を悪化させたらしい。後で聞いた話では、普段から深く座るような椅子は避けているらしく、最近は腰どころか膝も悪化させたそうだ。
あの汗は我慢による脂汗で、笑顔は苦悶を隠すためのものだったようだ。そしてそれは、俺も高校時代に何度か見た光景であった。
恐らくこうも都合よく話がついたのは、俺たちの信用だけでなく白石校長がこの痛みに耐えかねて早く話を進めたかったのもあるのかもしれない。
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「白石先生も早く引退すれば良いのに……まぁ、でも、こうしてまだ現役だったお蔭で先輩の話を聞いてくれたわけですけど。てゆうか、先輩……こういう大事なことは事前に俺にも言ってくださいよ。ビックリしたじゃないっすか」
「事前になんて言えばいいんだよ? それに、お前がこの学校に勤めてるのは弟から聞いてたけど、結衣さんの副担任だなんて今日来て初めて知ったんだぞ」
ストレッチャーで運ばれる白石校長とそれに付き添う吉井先生を見送った後、鞄を取りに教室に戻った結衣を来客用の玄関で待ちながら、俺は芝崎(先生)と数年ぶりに近況を語りあった。
芝崎は高校時代に同じ部活の後輩だった。当時ようやく学校でインターネットができるようになったばかりのころから自力でホームページを作成できるような奴で、主に部活のホームページの作成や活動レポートの編集を任せていた。大学を卒業して長いこと就職浪人が続いていたそうだが、どうにかこの学校に非常勤として採用されてからは学校の情報システムやホームページの管理、さらには生徒のブログの監督まで任されたりと、技術的な分野でかなり重宝されているようだ。教員兼校内SEみたいなものだろうか?
「お待たせしました」
何故か背後から結衣の声がして振り向くと、彼女は俺のすぐ傍までやってきて俺の腕にギュッとしがみついた。
そういえば、生徒は玄関ではなく昇降口から出入りしているのだから、一緒に玄関から帰るのはありえなかった。
制服越しでもわかる温かく柔らかい感触を意識してしまい、上目遣いでこちらを見つめる大きな瞳に吸い込まれそうになりながら、心拍数が少し上がっていくのを感じる。顔が熱くなってきたのを感じて、空いた手で照れ隠しに結衣の髪を撫でて梳いてやると、彼女は嬉しそうに目を細める。
しかし、ここで俺は芝崎の視線に気がついて、今自分たちがいる場所は学校内の不特定多数の人間の目に付く場所であることを認識して、冷静さを取り戻した。
幸い明日からテストとだけあって、生徒たちは殆どが下校した後らしく、俺たち以外に誰もいない。
(とはいえ、早く帰ったほうがいいな)
「じゃあな、芝崎。白石先生にはお大事にと伝えてくれ。今日はありがとうな」
「先輩、おめでとうございます。あと、末永く爆発してください」
「……なにそれ?」
流行のスラングだろうか? どうも就職してから朝・夕のニュースくらいしかテレビは見ないし、基本的に情報源が職場にある朝刊だったりするので、流行に疎い……と言うよりも関心がない俺にはその意味がよくわからなかった。
「芝崎先生、さようなら」
「今日はありがとうございました」
結衣に続いて、小夜子さんが一礼すると、俺たちは駐車場まで歩き始めた。
メール 受信:1件
001
16時09分
白瀬 唯(妹・三女)
件名:終わった?
本文:お兄ちゃん、先生たちとのお話は終わった?
あのね……困ったことになっちゃった
ユッチから、もう聞いてるかな?
友達がね、勉強会しようって、もうすぐ家に遊びに来るの
それでね、お泊りなの
どうしよう(>_<)
すぐに次話を投稿します。