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51 女の勘

 冷静で落ち着いた様子の文香さんですが、内心は……?

「ふぅ……クスッ。ふぅ……ふふふ」


 ……ヤバい。私は多分、地雷を踏んだのだ。

 よく分からないけど、『この子は危ない』と子供を見てきた教師の勘が働く。

 否、『この女の敵になってはいけない』と女の勘が働いてしまう。

 教育実習でもそうだったし、前に勤めてた塾でも、今の学校でも、体格のいい不良相手でも怯むことなく睨みつけて指導できるし、セクハラしてきた上司や先輩を蹴り飛ばしたこともある私だけど、目の前の少女の持つ雰囲気は異質な脅威を孕んでいた。

 目の前で可笑しそうに、頬を染めてどこかウットリと夢見がちに笑っている美しい少女に、私は平静を繕って笑い返すだけで精いっぱいだった。

 知らず知らずのうちに背中と手の平にはジットリと汗が滲んでいて、声が震えそうになるのを笑って誤魔化すだけで精一杯だ。


「ふふふ……兄ちゃんが、ねぇ。くふふふ……いいわ。そういうことにしてあげる」

「ふぅ……くすっ。……そうなんです」


 とにかく、今の状況には何となく見当がついた。

 これは結衣ちゃんの一方的な片思いで、電話で話した感じを聞く限り兄ちゃんに結婚する意志はない。

 十分なお膳立てはされているようだが、それでも兄ちゃんにしてみれば未成年者と結婚なんて危ない橋でしかない。

 彼女の惚気話は嘘に違いない……でも、嘘をついてるように見えないのは何故?

 詳細は分からないけど、とりあえず兄ちゃんは目の前の少女と唯の協力によって取り返しのつかないところまで流されて現在までに至っている……といったところだろうか?


 さて、ここで私はもう一度、冷静に考えてみる。


 ……


 …………


 ………………兄ちゃんの意志を無視すれば、この結婚は賛成だ。


 兄ちゃんが本当のところ、何が不満で、何を恐れていて、何が嫌なのかは聞いてみないと判断できないが、結衣ちゃんとの結婚を断るのは勿体ないとしか思えない。

 唯は例外だとして、かつて兄ちゃんにこれほどまで想いを寄せてくれる女の子がいただろうか? 兄ちゃんに魅力を感じてくれる女の子がいただろうか?

 ましてや結衣ちゃんは、兄ちゃんの魅力を理解できる女の子だ。

 ちょっと怖いけど……こんな良い子と結婚しなくてどうするというのだ?

 それに、兄ちゃんは生涯独身でいて良いような男じゃない。寂しい人生を送って良いような駄目男じゃない。


 そして何より……結衣ちゃんに敵と認識されてはいけない。


 私はこういうヤバい目をした女を、過去に見たことがある。その巻き添えを受けたこともある。

 大学で友人の彼氏と同じ学部で、友人だけが別の学部で、彼とたまたま同じ研究室になって2人で話すことが多くなって……友人の誤解を解くのにどれだけ難儀したことか。思い出すだけで鳥肌が立つし……あれ以来、私はトラウマで刃物を持つことが出来ない。私に家事ができないのはそのせいだ。

 たしか彼女も彼氏の話をするとき……今の結衣ちゃんみたいに笑っていた気がする。卒業してから、出来ちゃった婚したんだっけ?

 もう人の色恋にかかわって巻き添えを食うのは懲り懲りだ。そもそも、私は兄ちゃんの婚約者(カノジョ)とやらに挨拶しに来ただけじゃないか。

 別に兄ちゃんが犯罪に手を染めてるわけでもないし、結衣ちゃんが兄ちゃんを騙して誑かして貢がせるような悪女でもないわけだし……うん、もう良いよ。夫婦の仲に余計な疑問を当てちゃ駄目だ。

 兄ちゃんには悪いけど、身の安全を考えて私は結衣ちゃんに味方しよう。


「いいわ。結衣ちゃんが兄ちゃんと良い夫婦になれるように、私たちも協力するわ」


 私がそう言うと、結衣ちゃんは元の可愛らしい少女に戻ってしまって、またあの眩しい笑顔を見せてくれたのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「おかえりなさい、裕一さん♪ お風呂の準備、出来てますよ」


 可能な限り急いで帰宅した俺を真っ先に出迎えてくれたのは、あの眩しい笑顔をした美少女だった。

(ああ……きっと、結衣さんにとって好都合な展開に進んだのだろうな。マジでどうしよう?)

「えっと……結衣さん。文香と聡子は?」

「兄ちゃん。そこはまず奥さんに『ただいま』でしょ?」

 部屋の奥から文香がどことなく怒っているような笑顔で歩いてきて、結衣の後ろに立つと細い肩にその手を置いた。


「さーて、兄ちゃん。ゆーっくりと話をしましょうか…………と言いたいところなんだけど、もう帰るね」


「「はい?」」

 文香が急に真顔になってそんなことを言うものだから、俺も結衣も思わず気の抜けた声を出してしまった。

 俺が帰宅するまで待っておいて、いったいどういうことだろう? てか、話するんじゃないの?

「タクシー呼んだからさ、あの物体運ぶの手伝ってよ」

 文香にそう言われて部屋に上がれば、酔いつぶれて寝ている聡子の姿があった。黙らせるって、こういうこと?

「飲ませたの?」

「うん。冷蔵庫に入ってたの2本、聡子が全部空けたよ」

「…………え? ええええええっ!?」

 テーブルの隅にある4合瓶2本を見て、俺は慌てて冷蔵庫を確認した。通販で買った酒蔵直送の熟成古酒(日本酒)と季節限定酒(同じく日本酒)がなくなっている。楽しみに取っておいたのに……。

「うにゅぅ……アニキのロリコン……」

 テーブルの横では聡子がTシャツから腹を覗かせて寝そべっていて、寝ながら脱ぎ癖が始まったのかジーンズのベルトを外し始めた。

「て……コラコラコラコラ! 聡子、待て! てゆーか、起きろ!」

 俺が大慌てで聡子の手を掴んで止めると、

「おー、ロリコン。帰っれきらはー」

酒臭い息と舌足らずな声を出しながら起き上った。


「結衣ちゃん。悪いけど、兄ちゃ……結衣ちゃんの旦那様を借りるわね」


 文香と共に聡子に肩を貸しながら部屋を出て階段を下り、やって来たタクシーに聡子を乗せると、文香はタクシーには乗らずに聡子だけで実家に帰らせてしまった。まぁ、この段階で意識は戻ってたし、聡子1人でも大丈夫だろう。

「さてと……兄ちゃん、少しだけ付き合って」

 走り去るタクシーを見送ってから、文香はそう言って俺を近所の公園まで引っ張った。

 ベンチに腰掛けて、途中で買った缶コーヒーをチビチビと飲みながら一息ついていたかと思えば、文香はいきなり俺の額にビシッと人差し指を突き付けた。


「兄ちゃん。結衣ちゃんと結婚しなさい」



 ◆ ◆ ◆ ◆



「結衣ちゃんの旦那様を借りるわね」


 私の旦那様……旦那様、旦那…………主人……………夫…………。


 文香さんは良い人です。

 私を裕一さんの奥さんだと認めてくれて、裕一さんを私の…………。


(裕一さん、遅いですね)


 酔いつぶれた聡子さんを運ぶだけなのに、何をしているのでしょうか?

 気になった私が部屋を出て階段まで向かうと、そこから下を見ればタクシーが走りだしていて……裕一さんが、帰ったはずの文香さんと2人で歩いているのが見えた。


(そうですか……結局、文香さんも唯先輩と同じで“妹”なんですね)


 気が付いたら私は、2人の後を追いかけていました。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「兄ちゃんが悪い! ここまで来たら責任を取れ!」

「責任って……いやいや、俺のどこが悪いのさ?」


 私にこれまでの事情を洗いざらい説明してくれた兄ちゃんだったけど、結局私の答えは「結婚しろ」の一言に尽きた。

「同情してズルズルと子供相手に流されて、ちゃんと拒絶してこなかったのがそもそもの失敗でしょ! 大人なんだからしっかりしなさい!」

 とは言いつつも……兄ちゃん、見事に嵌められたもんだわ。唯も結衣ちゃんも相当強引よね。しかも偶然とはいえ、仕事の多忙と体調不良が重なるなんて……。

 そして、兄ちゃんはもう詰んでいる。これ以上、兄ちゃんに駄々捏ねさせても悪戯に時間を浪費するだけだ。いい加減に折れてもらって、この一件については穏便に片を付けてもらいたいところだ。

 それに兄ちゃんだって馬鹿じゃないから、これ以上の抵抗は無意味だと頭の中では気付いているはずだ。でも納得してないだけで……ああ、もう、じれったい!

「結衣ちゃんの何が不満なのよ? 可愛いし、家事得意だし、兄ちゃんにもうデレデレだよ。それに……あの若い身体好きに出来るって思ったら最高じゃない。もうジタバタしてないで諦めなさい! 兄ちゃんの負け! 敗北! 完敗! 無駄な抵抗してるくらいなら、式場予約や色々な準備や手続きに時間使え!」

「あ……あの、文香? でも……」

「でもじゃない! 幸せを保証できない? んな無理難題を一生やってのける男なんかいるわけないでしょ! 愛さえあればやっていけるのは3カ月、10年だけでも幸せだったら大成功、結婚なんてのはそんなもんよ! ……いや、したことないけどさ」

 ベンチの隅にタジタジになった兄ちゃんを追い詰めながら、私はとにかく兄ちゃんに1択しかない結論を急がせた。


 この一件……もう私がトドメを刺す!


「兄ちゃんは出来ることをやればそれで良いのよ。出来ないことして欲しいなんて、結衣ちゃん一言も言ってないよ。結婚生活も、いつもみたいに地道にコツコツやったら良いじゃない。結衣ちゃんもそれで良いって言ってたし、大丈夫だよ。それにね、兄ちゃん自覚ないかもしんないけど、恋人としてなら駄目だけど、お父さんだったら兄ちゃんほど頼りになる良い男はいないんだよ! 結衣ちゃんが必要としているのはね、夢のような恋愛の楽しめる恋人じゃなくて、信頼して一生寄り添うことのできる夫なの! それだけの甲斐性と責任感持った男と結婚できたなら、結衣ちゃん十分に幸せだよ!! ようやく見る目のある女の子が現れたのに、なにをグズグズしてんのよ!?」

「文香、近い! 近い!」

 すでに私は兄ちゃんに額がくっ付くくらい詰め寄っていた。

 兄ちゃんは逃げるようにベンチから立ち上がろうとしたが、私がネクタイを掴んで引っ張り強制的に座らせた。この紐、本当に便利だな。

「ぐはっ!」

 苦しそうに咳をしながらネクタイを緩める兄ちゃんに、私はさらに言葉を続けた。

「もう一度言うわ。結衣ちゃんと結婚しなさい……じゃなくて、しろ。良い!? このままの関係ズルズルやってたら、そのうち通報されるよ。まずは結衣ちゃんのお母さんにも挨拶して、学校にもその旨伝えなさい。結衣ちゃんの16歳の誕生日がきたらすぐに役所行って手続きして、全部公にすること! わかった!?」

 胸倉を掴んで睨みつけると、兄ちゃんはガクガクと首を縦に振っていた。

「わ……わかりました」

「よし」

 言質は得た。

 私は兄ちゃんから手を放して立ち上がると、力が抜けて放心状態になっている兄ちゃんを残してその場を去ったのだった。


「文香さん」


 公園の出入り口付近で、聞き覚えのある鈴の鳴るような声に呼び止められて私は立ち止った。

 声のしたほうを向けば、またあの時のように大きな瞳を爛々と輝かせた結衣ちゃんが立っていて、私は鳥肌が立った。後ろに組んでいる手から、チラリと何か街灯に照らされて光るものを見た気がした。

「結衣ちゃん……女の子が一人で夜出歩くなんて、お姉さん感心しないなぁ」

「ふぅ……ふふ。裕一さんがなかなか帰ってこないので心配して見に来たら、文香さんと一緒にこの公園に向かっているのが見えてしまいまして。どうして、聡子さんと一緒に帰ったはずの文香さんがここにいるのでしょうか? 私に内緒でコソコソと、文香さんは裕一さんと何をしていたんですか?」

 ヤバい……失敗した。私……絶対誤解されてる!

 1歩、また1歩と結衣ちゃんがニコニコと作り物のような笑みを浮かべて徐々に近づいてくる。

「ちょっと、兄ちゃんに話があってさ。ああ! そうだ!! 兄ちゃん、結衣ちゃんの誕生日来たらすぐに婚姻届出すってさ! 結衣ちゃんのお母さんとか、あと学校にも挨拶行ってくれるって! で、私これでも教師だからさ、いろいろと相談受けてたんだよ」

 片手にカッターナイフらしきものを見て、私はとにかく結衣ちゃんにとって都合のいい情報を出して、なんとか彼女を宥めようと必死だった。

「そうなんですか。ありがとうございます。ところで、裕一さんはどこでしょうか?」

 ようやく結衣ちゃんが元に戻ったのを見て、私はホッとした。

 私が公園のベンチを指差すと、結衣ちゃんは私に一礼してパタパタと兄ちゃんのところに駆け寄っていく。

 まだどことなく力ない様子の兄ちゃんが立ち上がり、結衣ちゃんがその腕にしがみついている。

 兄ちゃんもついに諦めたのだろうか? 空いた手で結衣ちゃんの頭を撫でながら歩き始めた。

 なんだろう? 夫婦や恋人というより、父娘や兄妹を見ているみたいだ。



 まぁ、いろいろ大変かもしんないけど……お幸せに。

 文香さんのゴリ押しにより、裕一とうとう陥落!?

 そして、文香さんはヤンデレにトラウマを持ってました。このエピソードは気が向いたら書いてみたいもんです。



 それはそうと、次回更新いつになるかなぁ……?

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