47 小姑たち
久々に長女と女狐(次女)が登場です。
「聡子、夕方になったら文香と一緒に裕一のアパートに行ってもらえないかしら?」
「えー。なんで?」
「裕一にね、カノジョが出来たのよ」
「……は?」
「このまま行けば結婚して義姉さんになるはずだから、ご挨拶してらっしゃい。母さんは今日は仕事早く終わって、あちらの御家族に御挨拶に行って来るわね」
……母さん、今なんつった? アニキが結婚? 義姉?
「…………はい!? いやいやいやいやっ!! 何それ!? アニキにカノジョ!? 結婚!!? ちょっと、私初耳なんだけど!! ちょっと待って! 御挨拶って、いつの間にそんな進展してんのよ!? 私、何にも聞いてないんだけど!!」
「当然よ。知らせてないんだから。あちらのお嬢さんに色々と事情があってね、今まで伏せておいたのよ」
信じらんない……あの残念男子にカノジョ? それも、結婚前提で?
「とっても可愛らしくて、裕一には勿体無いほどの良いお嬢さんよ」
「な……なんで知らせてくれなかったの? 色々の事情って、いったい……?」
「それはお会いしてから聞きなさい。ちょっとデリケートな問題なんだけど、まぁあと2ヶ月もすれば解決するわ」
2ヶ月? デリケートな問題って何よ?
(それにしても、残念男子にもようやく春が来たか……でも訳ありっぽいけど、どんな嫁なんだろ? これは是非とも拝んでやらねば……)
私は好奇心に胸をいっぱいにして、既に出勤したアネキに電話をかけたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「白瀬先生、考え事ですか?」
朝のホームルームが終わって一限目の授業が始まっている頃、職員室にいる私は出勤前に母さんからされた話を思い出して、なんとも変な気持ちだったりした。ちなみに、今日の私の受け持ちの科目は2限目からだ。
「えっと、まぁ……ちょっと、身内で色々とありまして」
職員室の自分の机に肘をついて額を押さえながら、私は何度目になるかわからないため息をついた。
兄ちゃんにカノジョが出来たらしい。それも、結婚前提で付き合っている訳ありの女。
兄ちゃんにカノジョが出来たことはともかく、訳ありってのが気になって仕方がない。
それが原因で今日初めてその存在が明かされたのだが、いったいどんな女なのだろう?
母さんはその女とすでに会っていて、今日はその御家族に御挨拶に行くというのだから相当2人の関係は進展しているに違いない。
それにしても、いったいいつから付き合い始めたのだろう? 少なくともお盆の前に帰省してきた兄ちゃんには、まだ付き合っている女がいる気配は皆無だった。あの後すぐだとしたら、たかだか1ヶ月の付き合いで結婚前提にまで行くなんて……これに訳ありってのが関係しているのかしら?
そういえば、唯ったら昨日兄ちゃんとこに泊まるとか言っておきながら、遅くに帰ってきたなぁ。これも関係してるのかしら?
あれ? でも夏休みの間、唯のやつ頻繁に兄ちゃんとこ通ってたじゃん! 気づいたら騒ぎそうなのに、そんな気配なかったし……え? じゃあ、付き合い始めたのって、ついここ数日の話なの? それで結婚!? 御家族に御挨拶って……急すぎる!
ああ、もう、訳わからん! とにかく、その女と兄ちゃんには、しっかりと説明してもらおう!!
(それにしても……兄ちゃんと結婚したい女って、どんなのだろ?)
答えの出ない疑問にまた頭を抱えたとき、机の上に置いたスマホが震えた。
着信は妹の聡子からだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ご無沙汰しております、三田教授。中峰先生、大沢先生もお元気そうでなによりです」
夕方になり所長とともに懇親会の会場である居酒屋に向かう途中で、俺は懐かしい顔触れに出会った。
恩師である三田教授は、少し小太りで真っ白な髪を西洋絵画の貴族のようにフサフサに伸ばし、愛嬌ある顔立ちで独特の雰囲気をかもし出すお爺ちゃん教授で、社長とは中学時代からの付き合いだという重鎮だ。会社の人事、特に研究開発部門への影響力が強く、多くの教え子をこの会社に推薦している。
その他にも、会社が提携している大学や研究機関の学者が二人。三田教授とは大学の同期生らしく、入社してからたまに声をかけていただいている。
「聞いたよ。研究発表会の後、君のところ大変だったそうじゃないか? しばらく見ないうちに、ちょっとヤツれたんじゃないかい?」
情報漏洩事件のことだろう。でも、それは取り合えず落着しているわけで……俺の悩みは別にあるんだよなぁ。
(今頃母さんは、結衣さんのお母さんに会ってるのかな……?)
「疲れてないか、白瀬君? どこかボーっとしてるみたいだが」
「え? ああ、いえいえ。大丈夫です」
「そうかね。君はいつも無理をしがちだからねぇ」
どこか心配そうな視線を俺に送ってくる三田教授を見てると申し訳なくなってくる。
「あはは……気を付けます」
(結衣のことは今考えても仕方がない。今は仕事に集中しよう)
今更ながらにそんなことを考えながら、俺は気分と場の空気を一新するべく、
「そういえば、この前教授が発表された論文で……」
とにかく教授の専門分野に話題を振ることにしたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「昨日、泊まってくはずの唯が帰ってきたのって、間違いなくコレが関係してるでしょうね」
「唯のやつ休み明けるまでアニキんとこ通ってたよね? てことは、付き合い始めたのって早くとも今月入ってから……になんのかな?」
「たぶん、そうでしょうね。兄ちゃんに恋人でも出来ようもんなら、真っ先にあの子が騒ぐわよ」
「唯、アニキにベッタベタだからねぇ……。昨日、修羅場だったんかなぁ?」
「唯の様子、おかしかったしねぇ。結婚前提の付き合いって、つまり婚約者でしょ? あの子、相当駄々捏ねたんじゃない?」
「にしてもアニキに嫁って……」
「「どんな女よ」」
駅前でアネキと待ち合わせ、アニキの住んでるアパートまで2人で歩きながら、私はアネキとアニキの恋人とやらの人物像について想像を膨らませていた。
「そもそも、デリケートな訳ありってなんだろうね?」
「名家のお嬢様で、内密に交際するしかなかったとか? 何だかんだ言って兄ちゃん、大学関係者とかと繋がりあるし、そういう人脈あったのかも」
「隠すほどの身分差なんて、今の時代あんのかな? 私はどっちかって言うと、悪い事情を考えちゃうなぁ……元ヤンとか、前科持ちとか?」
「いや、それこそないんじゃ……兄ちゃん、そういうの怖がるし。あ! もしかして、障害者とか!?」
「それだー!! アニキって専門まったく違うくせに病院とかと繋がりあるし、入院してんなら唯と会うことないからずっと前から付き合ってても接点ないし、多分今月入って退院してアニキのアパートで同棲始めたんだよ! 今まで伏せてたのって生活に支障のあるレベルの患者だから、結婚生活できるか不安で……」
「兄ちゃんってさ、父さん母さんに心配かけたくなくて弱いとこ隠すもんね。お相手が結婚してくれるかどうかも、不安だったのかなぁ……見合い勧めても拒否ったりするのって、想う相手がいたからなんだねぇ。何が納得してる、よ……あの残念男子め」
白い病室で車椅子に座った薄幸そうで痩せた美女の後姿、その車椅子をアニキが押していて、一人じゃベッドに上がれない彼女を優しく持ち上げて寝かせて……キャー!!
ああ……それって、この前見たドラマみたい……。いつの間にアニキにそんな出会いが……。
「聡子……ヨダレ! ヨダレ!!」
「はっ!? いけない、いけない!!」
アネキの声に私は妄想から醒めて、自分の顎を伝う冷たい感触に気がついた。
ああ、私としたことがなんという乙女チックな妄想を……。
ハンカチなんて持ってないので、とりあえず手首で拭う。
「とはいっても、あくまで想像の域を出ないよね」
「う~ん……まあ、たしかにねぇ」
どこか冷静になったアネキの声に、私も少しずつ興奮が冷めてきた。そう、あくまでこれは想像でしかない……。
「そもそも、兄ちゃんの何が良くて結婚するんだろ? あの堅物、一緒にいて疲れないかな?」
「う~ん、たしかに……。でもアニキってさ恋人にするには『う~ん』なんだけど、“お父さん”だったらアリじゃない? 頑固親父で言う事やる事いちいちウザいけど、ちゃんとその人のために考えてるのは間違いないんだよね。きちんと就職して収入あって、自立してるうえに生活には余裕あって、自己管理はともかく周辺の管理はよく出来るし、家族大事にしてて責任感強いからアレコレ空回りしながらでもちゃんと人の面倒見るでしょ? 良いお父さんすると思うんだよね。それでさ、娘が反抗期や思春期になると絶対嫌われるんだけど、ちゃんと目を離さず責任持ってくれるみたいな……なんて言えばいいのかな?」
「いや、言わんとすることはわかるよ。要はアレだよね……兄ちゃんの性質って、少し歪んでるけど古き良き時代のオッサンなんだよね。同年代には理解されないタイプじゃないかなぁ。今になって思うと堅実っていうか正しいのかもしれないけど、兄ちゃんって何やるにしてもこれでもかってくらい地固めしてから行動するじゃない? 出来て当たり前ってとこまで準備詰めて、スタートがいつも遅くてトロいから、付き合わされると疲れるのよね。あげく、当たり前の成果だけとったら、それ以上は求めないでコツコツコツコツ我慢強く慎ましく……とにかく地味。どっちかっていうと何でもその場でスパッと決めて、ルール違反でも綱渡りでもいいから早くガンガン突き進んで成果挙げてく方が見ててカッコいいっていうか、魅力的なんだけど……兄ちゃんにその魅力は皆無なんだよね。だから残念男子。」
「でも、おかげで今となっては自立してて……良い男には違いないんだけどなぁ。もうちょっと歳相応に流行をチェックしつつ、ファッションとか生活とか価値観とか見直してくれて、休みの日は小難しい本ばっか読んで引きこもってないで、良い車にでも乗ってドライブとかしてりゃ自然とモテそうなのに……」
「なら、相応の歳になってオジサマになったらモテるかもね……寂しい未亡人とか、生活の苦しいシングルマザーとか。連れ子が懐くかが問題だけどさ……」
「それだー!!」
アネキの言葉に、私の中で色々なものが合致していく。
「アニキのカノジョって、バツ1子持ちなんだよ! 訳ありって多分それだ! 付き合いはカノジョの家だから唯は知らなかったんだ。連れ子が懐くまで通いつめて、今月やっと……」
「なわけあるか!」
「あべしっ!」
◆ ◆ ◆ ◆
「電気はついてるから、中にはいるみたいね」
「ねえ、アネキ。あの下着……女物だけど、ちょっと子供っぽくない?」
「どこに注目して……って、あ! 取り込み始めた!」
兄ちゃんのアパートの前まで着いて、外から兄ちゃんの住んでる部屋の様子を見れば灯りはついていて、干していた洗濯物が細い手によって取り込まれるのが見えた。
顔は取り込んでいる洗濯物に隠れてよく見えなくて、少しだけ見えた後姿は随分と細く華奢な印象を受けた。見るからに艶のある黒髪を後ろで一つ括りにしていて、青っぽい色のエプロンを着ていたように思う。
「すっかり奥さんやってるみたいだね。アネキと違って、家事は万能と見……痛!」
「ほら、行くよ」
聡子の額を軽く小突いてやってから、私たちは兄ちゃんの部屋に向けて階段を上っていく。
さてさて、兄ちゃんと結婚するという訳ありのお嬢さんとはいったいどんな女の子なんだろうか?
兄ちゃんの部屋の前まで着くと、私は期待と不安に胸を膨らませながらドアをノックした。
「兄ちゃん、来たよー」
「おーい、アニキ! 可愛いシスターズが遊びに来たよー!」
扉の向こうから、パタパタと気配が近づいてくる。
施錠が解かれる金属音がして、ドアがゆっくりと開いていく。
「お待ちしておりました。裕一さんの妹の、文香さんと聡子さんですね? はじめまして。須藤 結衣と申し……!?」
“バタンッ!”
……。
…………。
………………。
「「……そんなバカな!?」」
結構ベタなドア“バタン!”をやってみました。
聡子さんは妄想癖があったりします。
文香さんは家事苦手なのをコンプレックスに感じています。