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46 幸福?の前兆

 この結婚に幸福はあるのか?

「ちょっと母さん、どういうことだよ!? さすがにまずいでしょ。結衣さん、まだ子供(未成年)なんだよ?」

『あらぁ? この前まで“須藤さん”だったらしいのに、“結衣さん”だなんて……うふふ。進展してるみたいじゃない』

「何ふざけてんだよ!? 息子を犯罪者にしたいのか!?」

『え? もしかして裕一、あんた……』

「いや、母さんが想像したような事はしないから!」

『そうよね、あと2ヶ月して婚姻届出すまでは我慢なさい』

「ちょっと待て! あと2ヶ月って、なんだよ!? まさか……」

『孫はそれから2年後に期待するわ。お母さん、今日は仕事早く上がって、須藤さんのお宅に御挨拶に行ってくるわね』

「止めてくれ! 勝手に話進めんな!」

『裕一、もう観念なさい。あんな若くて良いお嬢さん夢中にさせたんなら、責任とりなさい』

「いやいや、訳わかんね……!?」


“ツーッツーッツー…………”


(切りやがった。マジでどうしよう……)

 母親と携帯電話でようやく話ができたのは、本社での午前中の会議が終わって昼の会食前の僅かな時間だけだった。

 結衣から聞いた情報を頼りに事態の全容を把握するべく母親に確認すれば、俺の知らないところで俺の意思は完全無視で話がトントン拍子に取り返しのつかない所まで進んでいて……ああ、もう! 何でこうなった!?

 最初に結衣と会ったころなら、まだ何とかなったかもしれない。あの時なら、まだ俺の周辺……つまり外堀は埋まってはいなかった。家族のために誠意を持って自身の苦境を打ち明け、身売り同然に求婚してきた彼女を助けたいと思ったが、助ける意思しか示さず逃げ出したのが失敗だった。あそこで逃げることなく彼女の母親に連絡を取り付けるなりして、もっと解決策を模索しても良かったはずだ。あの時ならまだ、選択肢は沢山あったはずなのに……。

 後悔してもしきれないが、とにかく状況を整理しよう。

 まず俺の周辺は、両親が完全に押さえられている。特に母親は、なんとしても俺を結衣と結婚させたいようだ。結衣は俺の父親とも接触していて、今朝の話しぶりでは父親もこの結婚に前向きな姿勢を見せていると見て間違いない。おそらく父親は事前に母親から説得されているのだろう。彼女は祖母から料理を習ったと言っていたし、おそらく祖母も……。今日の夕方には文香と聡子に会うらしいけど、ここまで話が進んでいては2人には反対する理由なんかない。反対したところでどうしようもないし、これはもう結衣にしてみれば消化試合だ。

 結衣の周辺は変化なしと見て良いだろう。彼女の母親も妹も、この事態に一切介入してくるように見えない。俺の母親が今日にも挨拶に行くらしいし、母親二人が手を結んだら……もう彼女の家族は後には退けなくなるだろう。

 特に問題なのは結衣だ。押し掛け女房に完全に世話されて、やましいことは一切ないのに致命的な写真を撮られている。流されるまま流されて、気がついたときには玄関で見送られていた。

 なによりも、どういうわけだか彼女の俺を見る目が変わっている。最初の頃は、彼女の瞳と声には求婚するにあたっての誠意と決意しかなかったはずなのに、今朝2人になってからはすごく好意的で親しみのようなものを感じる。母親によれば結衣は俺に夢中なのだそうだが、いったい何故? いったい俺なんぞの何が良くて……?

 ああ、くそっ! 状況整理のはずなのに、混乱してきたぞ。


「大丈夫か? 体調でも悪いのか?」


 気がつくと休憩時間は終わっていて、俺の隣に座っている高部 悟が弁当をつつきながら話しかけてきた。

 会食はすでに始まっていて、テーブルには今回の会議に付き添いで来た各研究所の所長付の助手が隣同士で談笑している。

 昼の会食は、所長は所長同士で、技術者は技術者同士で、助手は助手同士で集まって、お互いに他愛のない話をしつつ交流を深める行事だ。とは言っても、自然に話は別部門との職場環境や上司の比較になり、自然と意見交換会になってしまうのだが。

 高部は同期入社の健康食品部門の助手で、学部は違うが俺と同じ大学の先輩だった。学生時代にはまったく接点はなかったが、入社式でいろいろと意気投合して、たまに誘われて呑みに出掛けることもある。大学院まで卒業したものの就職の当てがなく、最近になって知ったことだが俺と同じように三田教授の推薦で就職したらしい。

「いえ……ちょっとプライベートでトラブルがありまして。大したことじゃありません」

 本当は誰かに相談したいところだが、美少女に押し掛けられて結婚させられそうです、なんて贅沢な悩みを打ち明けられるわけがない。殴られるか、早とちりで通報されて警察沙汰だ。


 俺は別に結婚願望がないわけじゃないし、結衣は魅力的な女の子だから俺は内心浮かれてもいる。

 それでも俺が彼女の求婚を拒むのは、この結婚は法的・倫理的リスクが高すぎるからでもあるし、彼女の未来を思ってのこともあるが……もっと言えば俺自身に自信がないのである。

 果たして俺は、伴侶を持てるほどの器だろうか?

 高収入ではないけれど、うまく遣り繰り出来れば生活をしていくことは問題ないと思っている。結婚したとして、その生涯に責任を負うだけの力は持っているつもりだ。

 ただし、幸福には責任を持てない。どうすれば女性が喜ぶのか? 幸せでいてくれるのか? 魅力ある男でいられるのか? 残念男子はこの分野において甲斐性無しなのである。そして俺に至っては、この分野における努力は生涯で一度もしておらず、周りに何を言われようと理解されまいとブレずに我を通してきた。

 そんな俺だからこそ、今の地位と生活があり満足している。女にモテなくても、一生独り身でも仕方ないと納得している。

 今更、自分を変えてまで何かを得る気など、ましてや家庭を持つ気なんてサラサラない。そんな男に伴侶を持つ資格があるのだろうか? 女はきっと後悔するだろう。

 もし俺と結婚する気なら、生涯そんな自分勝手で気の利かない男の“人格”を尊重出来る女だけだ。彼女に……結衣にそんなことができるとは思えない。

 だから俺は結婚しない。

 ところがまぁ、そんな俺の意思に反して周りが予想以上に動いているわけで……事態は刻一刻と悪化している。


(とりあえず明日から有給をとって、何でもいいから片っ端から直接説得していくしか…………ああ、絶望的だな。どうやっても、取り返しがつかない気がする)

 本当なら今日の夕方にすぐにでも母親を止めに向かいたいし、結衣が文香や聡子と会うのも止めたいところだが、今回の会議は終わった後で夜には懇親会が控えている。懇親会には会社と提携している大学の学者も出席して、その中には恩師もいて、俺の個人的な都合で席を外すわけにはいかない。

 まったくもって今の俺は、手も足も出ない状況だ。

「はぁぁぁぁぁぁぁ」

 自然と盛大なため息が漏れてしまう。

「おいおい、ため息なんかついてんじゃねーよ」

 状況の打開に悩む俺の耳に、露骨な嫌そうな高部の声が入ってくる。しかも肘で小突いてきやがった。

 俺としては少しでも状況を好転させるべく考えていて、未完成ながらも計画を立てているところに水を差されてしまい、少し腹が立った。気持ちを落ち着けたいからこそため息が漏れたのに、そこまで嫌そうにしなくてもいいじゃないか。

「いいじゃないですか、ため息くらい。気持ちを落ち着けるのには、これが良いんです」

「よくない。周りまで気分が落ちるだろ? せめて見えないところで……」

「なんで気分が落ちるんですか? ただの呼吸の一種でしょ?」

「だから、実際嫌な気分になるだろ?」

「だから、どうして嫌な気分になるのか、その生理的メカニズムを聞いているんです。どうして人は他人のため息で嫌な気分になるんですか?」

「それはその……ため息にはあまり良いイメージがないだろ? 聞いた側にしたら、精神的に負のイメージしか抱けないんだよ。よく言うだろ、“幸せが逃げる”って」

「そんなのネガティブに考えるのが悪いんですよ。だったらこう考えたらどうですか? “ため息をつくと幸せは出て行くけど、それは古い幸せを捨てて新しい幸せを取り込む準備をしているんだ”って。そうすりゃ幸せの前兆でしょ?」

「いやいや、無理だから。実際に悪いイメージしかないんだから」

「イメージだけで悪いと決め付けるのもどうかしてますよ! 実際ため息は自律神経系のリラクゼーションに有効で、ストレス解消の効果もあり、“ため息健康法”まであるくらいだ。酒に逃げて肝臓を傷めることも、タバコで肺を潰すことも、暴食で胃腸がもたれることも、散財して懐を冷やすこともない。イライラして暴力振るって他人に怪我させることもないし、多少二酸化炭素が多くても、悪臭のする屁やゲップよりはマシだし、ドライブやツーリングで出す排ガスよりはずっと衛生的だ。いつでも誰にでも出来て、人体に害がなく、非常にリーズナブルでエコロジーな自己管理であり、健康法です!」

「屁理屈言うな!」

「屁理屈じゃなくて、高部さんにとって都合の悪い正論でしょ!? てゆうか、ため息の効能は三田教授の講義で習ってますよね? 仮に講義がなくても、教授の卒論にあったでしょうが!? これを屁理屈呼ばわりすんなら、それ以上の学術的根拠を持って否定できるってことですね!?」

「教授の卒論まで読んでねえよ!」

「ただの呼吸法に勝手に悪いイメージ持って、勝手に落ち込んで、それを他人のせいにして被害者ぶって……そういうのを被害妄想っていうんですよ! みんながそれが嫌だと感じているからそれが悪いなんて、思考の放棄も甚だしいとは思いませんか!? 仮にも研究室助手という研究職の端くれなら……!」

「待て、白瀬……ちょっと落ち着け」

「……あ」

 高部の気まずそうな制止の声に我に返ると、室内の視線がすべてこちらに向いていた。イライラしたうえにヒートアップしすぎて、悪目立ちしすぎたようだ。

「すいません」

 俺は一言だけ謝罪して、あとは黙々と弁当をかきこむことしか出来なかった。


「悩みがあるなら聞くぞ。なんかお前、前よりやつれてないか?」

「ご心配、ありがとうございます。でもまあ、その……本当に大丈夫ですから」


 午後の会議の休憩の度に高部は俺に気を使ってくれたが、相談なんか出来るわけがなかった。

 高部を信用していないわけではないが、この問題は他人に打ち明けて良い様な気がしない。それが結衣の勝手な行動であるとしても、未成年との交際・結婚というデリケートな問題であり、相談するならキチンと守秘義務を持った専門家でなければ……。


「はぁぁぁぁぁぁ」


 何度も何度も、長いため息が漏れる。

 古い幸せを捨てて、新しい幸せを取り込む……高部にはそう言ったものの、果たして俺に幸福が訪れるのだろうか?

 もしそうなら、須藤 結衣との結婚は俺にとって“幸福”なことなのだろうか?

 ただ一つ言える事は、この先の判断を一つでも誤れば…………






 俺は須藤 結衣に“降伏”せざるを得なくなるだろう。

 すいません、駄洒落です。


 ため息は本当に体に良いものなので、悪戯に悪く言わないであげてください。あれをすることによって、人は精神の安定を保つことができるのです。

 ヘルシー、エコロジー、リーズナブルと、3拍子揃った健康法なのです。ポジティブに、偏見は捨てていきましょう。

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