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40 ハイスペックな嫁希望者と腹黒い小姑 その弐

 お待たせしました。

 結衣が本領を発揮します。

 須藤女史の手際は完璧だった。


 風呂敷に包まれた弁当箱は4つあり、オニギリの入ったもの、冷めてもそのまま美味しいもの、電子レンジ加熱が必要なもの、切る必要のあるものに分けられ、テーブルの上に華やかな夕食が広がった。

 空腹に耐えかねて箸を伸ばせば、止まらなくなってしまった。

 彼女の手のひらサイズの小さなオニギリを主食に、副食からあの日実家で食べた惣菜と自宅で数日間続いた懐かしい味と匂いがした気がして、胃袋が嬉しさのあまり痙攣した。嬉し涙に滲んだ視界でよく観察すれば……キンピラ、生姜煮、唐揚げ、ポテトサラダ……あれ? これ、メニュー一緒じゃね!?

 俺が食べている間に、彼女はベランダにある洗濯機を回していて、台所の洗い物と水回りの掃除を済ませると同時に洗濯機は止まり、中身を取り出して洗濯槽に第2段を投入し、洗い終わりをベランダの物干しに干していく。

 テーブルの上の食べ終わった弁当箱や食器を回収し、台所に戻った時にはいつの間にかコンロの上のケトルに湯が沸いていて、すぐに熱いお茶が用意された。残ったお湯には戸棚から取り出した麦茶パックが投入され、冷めたころには程よく煮出された麦茶が完成しているという具合だ。

 鼻歌を歌いながら弁当箱を洗い、先ほど洗った食器と一緒に水気を拭き取り、もとの棚に戻されていく。

(ちょっと待て……なんで人ん家の台所の配置に、こんなに詳しいんだ?)

 そして、最後の食器が棚に納まると同時に、洗濯機が止まり中身が干された。まるで、機械の駆動時間を知り尽くしているかのようだった。

 ものの一時間で、先程まで俺を憂鬱にしていた家事が全て終わってしまった。

 そして……、

「ユッチ、お風呂沸いたよ」

「わかりました。裕一さん、お先にどうぞ」

先程から妹の姿を見ないと思っていたら、風呂の準備がされていたようだ。

 須藤女史がクローゼットからタオルと着替えを取り出し、手渡された瞬間、俺は色々な意味で背中に大量の汗をかいた。


(か……完璧なフロー(流れ)。この子、何者?)


 セーラー服に淡い空色のシンプルなデザインのエプロンをつけた美少女は、直視出来ないほどの眩しい笑顔をしている。

(これは……ヤバい!)

 俺は着替えを受け取ると、逃げるように浴室に入ったのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



『主婦業って、究極の総合職なのね』


 私がまだ小さい頃、ようやく洗い物を手伝い始めたくらいで、お母さんは何かを悟ったかのようにそう言った。

 その時の私には、お母さんが何を言っているのか理解出来なかった。

 お父さんと結婚するまでお母さんは仕事一筋の毎日だったそうで、家事は全くの初心者だった。

 私が産まれてからしばらくして、それまでのお仕事を辞めて主婦に“転職”したのだと言っていた。


 なるほど……これはたしかに奥が深い。


 麻衣がランドセルを背負い始めたくらいで、お母さんの気持ちが少しずつわかり始めた。

 この頃になると、お母さんは知人の紹介で小さな喫茶店で既に働いていて、お父さんは単身赴任でなかなか帰ってこれなくなった。

 そして私は家のことを殆どこなしていたのだけど、物心ついた時からお母さんと肩を並べていた私には、お母さんがいない以外は変わらない日常……だと思っていた。

 学校の帰りに独りで買い物をして、独りで台所に立ち、独りで家の中を整頓して、麻衣の相手をしながらお母さんとお父さんの帰りを待っていて、そんな簡単な事ではないのだと気づかされた。


 ただ家事をやれば良いのではないのだ。

 何かが特別に出来る必要はないけど、全てが出来なくてはいけなかった。

 料理が得意なだけではいけない。綺麗好きなら良いわけではない。面倒見が良いだけでもいけない。我慢強さだけでは上手くいかない。そうした技術や能力は、家事をする……家を守るというなかで自然と身につくものだ。大切なのは自分に何ができて、生活の中に何が必要で何が無駄かを見極め、常に発見と向上を求め、潤いと余裕を持ち、それをいかに循環させるかなのだ。

 生活が理想的に流れるように、家族の、家計の、仕事の、行事の、ご近所の、あらゆる都合に合わせた行動をタイミング良くパズルのように組み合わせていく作業……それが主婦業だ。

 いつ・どこで・何を・どれだけ買い、いつ・どこで・何を・どれだけ料理して、いつ・どこを・何を使って・どこまで掃除をして、いつ・何を・どこで・どうやって洗い、いつ・どこで・誰を・何をして支えて……こんな途方もない数のパズルのピースを組み合わせていくのは、大変だけど凄く面白い!

 毎日、同じ事をしているように見えて、そこには複雑な積み重ねと計画、流れがあった。


『結衣は凄いな。これなら、いつでもお嫁にいけそうだ』

 たまに帰ってくるお父さんがそう誉めてくれて、私を膝の上にのせて大きな手で頭を撫でてくれるのが嬉しかった。

『まあまあ、結衣がお嫁に行っちゃったら、お母さん困っちゃうわ。家の事、任せっきりだから……お母さん、また独りで出来るかしら?』

 お母さんはそう言って、私を優しく抱きしめてくれた。

『お姉ちゃん……お嫁さんになったら、どこかに行っちゃうの?』

 麻衣が寂しそうに、私を見ていた。


『大丈夫。私、お父さんと結婚するね。そうしたら、ずっと一緒だよ』


 私がそう言うと、お父さんは困ったように笑っていた。


 だけど、お父さんはもういない。

 春には帰ってきてくれて、ずっと一緒にいられると思っていたのに、お父さんは結局帰って来なかった。

 最後に話したのはいつだっただろう? 高校受験の少し前だったかしら?

 入学式に一緒に来てくれるって、約束してくれた。


『お父さん、帰ってきたら何食べたい? 私、何でも作れるから、寄り道しないで帰ってきてね』

『また、一緒にお出掛けしようね』

『お母さんも私も麻衣も心配してるんだから、無理しちゃ駄目だよ』

『ずっと一緒だよ』


『わかった、約束するよ』


 嘘つき!! どうして、帰ってきてくれなかったの!?

 お母さんも私も麻衣も、お父さんとまた一緒に暮らせるって楽しみにしてたんだよ!

 唯先輩も自分の事のように喜んでくれて、唯先輩のお兄さんと見せ合いっこするって約束してたんだよ!

 どうしていつも無理ばっかりするの!?

 どうして最後に一度くらい、目を覚ましてくれなかったの!? 声を聞かせてくれなかったの?


 どうして…………。


 帰ってきたら、お父さんにしてあげたい事、いっぱいあったんだよ。して欲しいこと、いっぱいあったんだよ。一緒に行きたいところ、一緒にやりたいこと、一緒に見たいもの、一緒に……。


 お父さんの、バカ!


 裕一さんとお会いして少し経ったある日、お父さんを思い出して寂しくて泣いていたとき、唯先輩は私を抱きしめて言ってくれた。


『お兄ちゃんもね、ユッチのお父さんと同じなんだよ。だからね……ユッチがお父さんにしてあげたかったこと、して欲しかったこと、全部叶えてもらうと良いよ。お兄ちゃんと結婚したら、ユッチの好きなようにしてもらうと良いよ』


 唯先輩に組み伏せられて動かなくなった裕一さんを見たとき、ゾッとした。

 前にお会いしたときよりもずっと痩せてしまって、グッタリしていて、病院のベッドで寝ていたお父さんを思い出した。

 それだけじゃない。私は裕一さんを知れば知るほど、怖くなった。

 だって、裕一さんは……。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「あった。これにしよう」

 裕一さんがお風呂に入っている間にリンゴの皮を剥いていると、唯先輩は冷蔵庫を開けて、なにかを探しているみたいだった。

「何をしてるんですか?」

「二ヒヒ……疲れているお兄ちゃんが、よく眠れるようになるオマジナイ♪」

 唯先輩はそう言って、悪戯っぽい笑顔でスポーツドリンクの入ったペットボトルを取り出した。

 唯先輩はチラリと脱衣所の方の扉を見たかと思うと、

「ところでユッチ、お泊りの準備はちゃんとしてきた?」

コップと氷を用意しながら、私のほうを見て言ったのだった。


 今日、この部屋を訪れるのは、唯先輩の突然の決定だった。

 新学期が始まって以来、準備が整ったらすぐ決行するから何時でも動けるように心の準備だけはしておくように、と唯先輩は言っていた。

 そして、今日がその日なのだと言われて、いろいろと理由を作って唯先輩と学校を早退し、家で必要なものを用意し、唯先輩の家でお弁当の準備をして、この部屋に来たのだ。


「あ……はい、鞄には一応、一泊できるだけですけど。……その、唯先輩、もしかして私、今日……」

 手料理を作って、お世話をして……裕一さんは今、お風呂に入っていて、あとは……。

 頬がジンワリと熱くなり始めたとき、

「いや、ユッチ、はやまらないでね。さすがに私も、お兄ちゃんを犯罪者にはしたくないから」

どこか冷静な唯先輩のその言葉に、自分がしてしまった想像が恥ずかしくなって、一瞬にして顔から首や耳まで熱くなってしまった。

「もしかしてユッチ、今日そういうことするつもりで来たの? 意外と大胆なんだね」

 唯先輩は小首を傾げて、悪戯っぽい笑顔で私を見つめている。

「そういうことって、その……あの、えっと、ち、ちち、違いますっ! まだ私はその、えっと、まだ……まだと言うのは、あの、だからつまり、その……」

 一人で慌てている私を見ながら、唯先輩は変わらず冷静に口を開いた。

「多分お兄ちゃんは今、一人になって冷静に今の状況をどう打開するか考えているよ。お泊りはさせてくれないし、ユッチに触れたりもしないだろうね。だけど、ユッチのことを気にしていたから、とりあえずお話して、何か解決策を見つけようとしてくれて、9時くらいには見切りをつけて、車はないけど手段を問わず家まで送ってくれる……ってとこかな?」

 唯先輩の分析は、私と同じだ。

 押し掛け女房……なんて言葉があるけど、あの真面目な裕一さんを見ていると、駄々をこねて居座るのは心象が悪そうだし、強引な手段に出たところで唯先輩と2人掛かりでも男の人の力に勝てるとは思えない。色仕掛けや誘惑は恥ずかしくてできないし、軽蔑されそうだ。説得ができる自信もない。


「でも、そうはさせない。一泊どころか、このままズルズルと……ね」


 考えに沈んでしまった私だが、唯先輩の自信に満ちた声に我に返った。

 そういえば唯先輩は先程、不意を突いたとはいえ裕一さんを組み伏せてしまったほどだ。何か作戦があるのかもしれない。

 唯先輩は氷の入ったコップにスポーツドリンクを注ぐと、ストローで掻き混ぜながら、また悪戯っぽく笑っていた。

 とても自信に満ちていて頼もしいのだけど……なんだか、その笑顔が怖い。

 今日まで唯先輩は、裕一さんのためにどんな準備をしてきたのかしら?

「あ。お兄ちゃん、お風呂終わったみたいだよ」

 扉の向こうから聞こえる音に、唯先輩が反応する。

 Tシャツにジャージ姿で出てきた裕一さんは、よほどお湯が熱かったみたいで、のぼせたように赤い顔をしていた。

 そんな裕一さんに、唯先輩がコップを持って駆け寄っていく。


「ごめんね、お兄ちゃん。お風呂、熱かった? とりあえず、これ飲んで」


 コップを受け取った裕一さんがその中身を飲み干した時、子供らしく無邪気に微笑んでいたはずの唯先輩の瞳が、ギラリと一瞬だけ不気味に輝いたように見えた。

 主婦業は究極の総合職なのです。母は偉大です。

 さてさて、唯&結衣のお泊まりは実現するのか?


 更新ペースはかなり落ちておりますが、どうかこれからもお付き合いいただけますと幸いです。

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