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39 ハイスペックな嫁希望者と腹黒い小姑 その壱

 唯先輩の2つ目の作戦が始まったのは、お盆が明けてすぐのことだった。

 この頃の裕一さんは、どういう訳かお仕事が多忙になってしまったらしい。


「と、言うわけで、クタクタになって帰ってくるお兄ちゃんに、美味しいご飯を用意しようと思うの」


 胃袋を掴む……ってことですね? お料理は得意です!

 私、頑張ります!


「まさか! お腹を満たせば確かに感激してくれるかも知れないけど、その程度じゃお兄ちゃんは転ばないと思うよ。だからね……胃袋と言わずに“生命線”を掴むよ」


 お昼には裕一さんの住んでいるアパートを訪ねて、夕食作りにはまだ早い時間だったので、お掃除から始めて、食べたがっていたというお味噌汁を具沢山にして作ってあげた。

 翌日には、まさか一晩で完食されるとは思っていなかったので、男の人ってよく食べるんだと感心してしまった。そういえば、お父さんが家にいたときは、炊飯器で今の倍の量のご飯を炊いていたような気がする。

 空っぽのお鍋を見ると、なんだか嬉しかった。


(頑張ってきた甲斐があったな)


 実は夏休みが始まってすぐの頃から、私は唯先輩に誘われて、時々裕一さんのお婆さんの家に通いながらお料理を習っていた。

 唯先輩によれば、裕一さんにとってのお袋の味は祖母の味なのだそうだ。


『胃袋を掴むって言うじゃない? 進学や就職して上京してもちゃんと帰省するのって、実家の食べ物が美味しいかららしいよ。反対に、ちゃんと帰ってこないのは、上京先の恋人や奥さんの手料理が美味しいからなんだって』


 クラスの女の子たちがそんな話をしていたのを思い出して、そのときはまだ裕一さんがどういう人なのかわからなくて、それでも結婚して上手くやっていくのなら必要な事だと思って、私は唯先輩のお誘いに喜んで応じた。

 お婆さんは80歳になるにも関わらず畑仕事をしているような元気な方で、それほど大きくもない平屋建の家に独りで住んでいた。

「おや、唯かい? お盆にはまだ早かったと思うけど、どうしたんだい? それに、そちらのベッピンなお嬢さんは、どちら様だい?」

「私の学校の後輩で、須藤 結衣ちゃん。ややこしいと思うから……ユッチって呼んであげてね?」

「はじめまして、須藤 結衣と申します。唯先輩には、いつもお世話になってまして、その……」

「ユッチはお兄ちゃんと結婚したいんだって。だからお婆ちゃん、ユッチにお料理を教えて欲しいの?」

「ふぇ? ぃぃ……ええっ!? ちょっ……ゆ、ゆゆゆ、唯先輩!!?」

 考えてみれば、これって裕一さんの親族に挨拶をしているわけで……ご両親ではないといっても、いきなりお孫さんと結婚しようとしてますなんて……大丈夫なんですか、唯先輩!? それに私、写真と唯先輩の話だけ聞いてるだけで、裕一さんとはまだお会いしたこともないんですけど……。

「おやぁ……そうかい。こんな器量の良いお嬢さんが嫁に来てくれるなんて、裕一も幸せだのぉ。こりゃ、曾孫を見るのを諦めずに済みそうじゃ。狭いところだけどユッチさんや、おあがりんせぇ」

 あっさり受け入れてくれるお婆さんに、私は驚いてしまった。

「お婆ちゃん、身体と気持ちは元気だし、生活は出来てるけど、ちょっとずつ頭がね……。多分、ユッチが何歳って考えられないし、分からないんだよ。お兄ちゃんがお父さんと間違えられたこともあるし、私も時々小学生扱いされたりして過去と現在が滅茶苦茶なんだよね」

 一応、定期的に唯先輩のお父さんや叔父さんが様子を見に来ているそうだ。

 ちなみに裕一さんは、お婆さんの手料理を目当てに月に一度くらいのペースで訪れるらしい。

 そんなお婆さんから私は、お料理以外にも色々な生活の知恵を教わった。ちょっとした手間の掛け方や工夫が、とても新鮮だった。今度、麻衣にも教えておこう。

 7月が終わる頃には唯先輩によると、お婆さんは私のことを気に入ってくれたみたいで、お婆さんの頭の中では私はとっくに裕一さんの奥さんになっているそうだった。


「これなら裕一さんは、私と結婚してくれますよね?」

「ニヒヒ……、まだまだだよ。味方は多い方が良いからね」


 不適に笑う唯先輩に連れられて、私はとんでもない人と会うことになった。


「たっだいまぁ♪ お母さん、ちょっと良い?」

(あの……まさか、これって……!?)

 初めてお邪魔した唯先輩の家で、

「お帰り、唯。あら、お友達?」

私は唯先輩の……裕一さんのお母様にお会いした。

「は、はじめまして。須藤 結衣と申します。唯先輩には中学校の時から色々とお世話になっています」

「あのね、お母さん……この子がこの前話したお兄ちゃんと結婚したい女の子なの。」

「!!?」

「!!?」

 唯先輩の発言に、唯先輩とお母様と私しかいなかった部屋の空気が一瞬にして凍りついた。

(唯先輩、ストレート過ぎます!)


「もう、いきなり連れてくるからビックリしたじゃない。そう、結衣ちゃんって言うのね。裕一の母で、智子と申します。事情は唯から聞いて……なんだかややこしいわね。それにしても、大変なんだそうね」


 時間が止まったのはほんの一瞬だけで、驚いたことに、裕一さんのお母さん・智子さんは、あっさりと私を受け入れてくれた。

 智子さんは居住まいを正すと、

「まだ裕一とは会ってないのよね? 色々と不安もあるでしょうけど、あの子は本当に真面目で優しい良い子なのよ。きっと結衣ちゃんを大事にしてくれるわ。息子をどうかよろしくお願いします」

と言って深々と頭を下げてきた。

 唯先輩によれば、ずいぶんと前から智子さんは説得済みらしい。

 結婚に否定的で浮いた話の一つもなく、実家を離れて一人で暮らし始めた裕一さんを智子さんはずっと心配していたそうだ。唯先輩から私の話を聞いて色々と驚いたり躊躇ったりしたものの、「二度とない御縁だわ。今度、家に連れてきなさい」と随分も前から言っていたそうだ。


 唯先輩は本当にすごい。

 いったい、どこまで手を回しているのだろう?


 そうして私はお盆が明けて夏休みが終わるまでの間、唯先輩と共に裕一さんのアパートに通い続け、食事だけでなく溜まっていた家事をこなしていった。

 裕一さんはそれを唯先輩の仕業だと思っていたそうで、唯先輩は携帯電話の留守電に保存されたお礼のメッセージを聞かせてくれた。そこには必ず私を心配してくれている声があって、

「唯先輩。そろそろ裕一さんとお会いしても良いですか?」

私が唯先輩にそう聞くと、唯先輩は意地の悪そうな笑顔で首を横に振った。


「まだまだだよ。お兄ちゃんがユッチのサポートを当たり前に思うまでやるよ」


 そして夏休みが終わると、唯先輩の指示で私は裕一さんのアパートに通うのを止めた。

 唯先輩はまた意地悪そうに笑いながら、言ったのだ。


「今やってるのはね、典型的な兵糧攻めだよ。ニヒヒ……ユッチの作った美味しいご飯と完璧な家事が途絶えて、忙しいお兄ちゃんはどこまで生活できるのかなぁ?」


 唯先輩は悪魔だ。

 どこで情報を仕入れているのか、裕一さんは残業続きで疲労困憊になり、仕事以外の事が手につかず、日に日にヤツレていっていたそうだ。

 私は唯先輩の話を聞きながら、裕一さんのことが心配になってしまった。



 そして、今日この日……運命の時はきた。


「だったら、直接会って聞いてみたら?」


 携帯電話で楽しそうに話しながら、合い鍵を差し込んだ唯先輩は扉を開ける前に一度、私に微笑みながら言った。



「さあ……新妻の出番だよ」



 ◆ ◆ ◆ ◆



 お兄ちゃんのお城(生活)に梯子(手料理)をかけ続け、城壁(台所)を占領し、主導権を握った(胃袋を掴んだ)時点で勝負は決している。

 投石機(家事支援)はことごとく矢倉(生活能力)を破壊した。

 出城(職場)は私の手の平の上で、出城の主の姫君は私の騎兵ナイトが押さえているから、私の思うままだ。

 諸侯(家族)も私とユッチに味方した。

 これでお兄ちゃんは、もう完全に孤立てしまった。

 兵糧攻めで瀕死になったところを、衝車(合い鍵)で城門を破壊して、一気に雪崩れ込む。

 それでもお兄ちゃんは抵抗するだろうけど、陥落は時間の問題だ。

 既に“魔女の毒”に犯され続けてきたお兄ちゃんが、まともに戦える(生活できる)わけがない。


 ねえ、陥落寸前の城塞の内側で何が起きているのか、お兄ちゃんは知ってる?

 それはね、ただの一方的な…………虐殺だよ。


「さあ……新妻の出番だよ」






 ヤッちゃえ、ユッチ♪

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