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38 休息

 明けまして、おめでとうございます(遅?)。



 兄・裕一、とうとう限界?

 とりあえず、休息をとることに……。

 いかん……マジでダルい。

 いつまで俺は、こんな重たい朝を迎えなければならないんだ?

 もう、ヤバい。

 このままベッドで寝ていたい。


 だけど、今日も仕事なわけで……。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「しまった! バスが……」


 布団を跳ね飛ばした時には遅かった。

 メガネをかけて時計を確認すると、二度寝している間にいつもの出勤のバスは1時間も前に発っている。

 今から着替えて次のバスに乗っても、タクシーを呼んでも遅刻は免れない。

(どうなってんだよ、俺? てか、どうしよう!?)

 就職して初めての遅刻確定だった。

 ベッドから下りて、いつもの身体の重さに膝を折った。


『有給、とっても良いんだぞ』


 3日前くらいの所長の言葉が脳裏をよぎり、

(ここらが限界かもな)

俺は気づいた時には携帯電話を手にしていて、

「すいません。体調悪いので、休ませてください」

主任と所長の両方に休養を申し出ていた。



 ▼ ▼ ▼ ▼



「んぅ~っ……よく寝た」


 目が覚めた時には、時計の針は18時を指していた。

 主任も所長も突然の休養を承諾してくれたお陰で有給がとれ、何の気兼ねもなくゆっくり寝ることができた。

 ベッドから下りれば嘘みたいに身体が軽くて、頭痛も疲労感も吹き飛んでいる。

(所長と研究室のみんなに、マジで感謝だな)


“グウウウゥゥ”


 腹の虫が盛大に鳴き、そういえば朝から……否、昨日の夜から何も食わずに寝ていたことを思い出す。

 冷蔵庫を開け、すぐに食べれる物はないかと探してみるが……蒟蒻と人参しかない。台所を全て探せば、ゴボウとジャガイモが見つかるが……、これ全部味噌汁にして投入してしまおうかな? 豆腐はもうないけど、顆粒出汁はあるし、味噌は……ない。冷凍の白飯もなかったな。て言うか、自炊できるだけの体力・精神力が残ってるのか?

(参ったな。買い出し……否、久々にどっかで外食するか?)


“グキュルルウゥゥゥ”


 否、空腹もかなりきてるし、どっか食いに行くのは体力的にシンドい。

(ヤバい。マジで燃料切れ並みに腹減った。しょうがない……今日もカップ麺だな)

 しかし、戸棚を探しても何もない。ここ数日で食いきってしまったようだ。

(やっぱり、なんか買いに行くっきゃないのか?)


“グウウウゥゥ グキュルルウゥ グルルキュゥゥ”


 溜め息が腹の虫の悲鳴にかき消される。

(腹減った……また、婆ちゃんの味噌汁食いたいな。実家で食った魚の生姜煮とキンピラ、唐揚げ、美味かったなぁ。唯の作った春巻、また食いたいなぁ……)

 空腹でボンヤリする頭で走馬灯のように、実家と盆明けの自宅の懐かしくて温かい食事を思い出す。

(とにかく、栄養補給だ)

 覚悟を決めて買い出しにいくべく、服を着替える。

 流しにたまった洗い物、バケツに溜まった汚れ物を視界の隅におさめ、飯食って回復したらこれもやらんとな……と何回目になるか分からない憂鬱な溜め息がもれたその時、


“プルルルルルル♪”


部屋の電話が着信音をあげた。

 仕事に関わる調べ物や報告にインターネットをしたりファックスが必要になるため、俺は部屋に固定電話もついでに設置している。

 着信は……、


 『ユイ』


唯!?

 久々の妹からの着信に、俺は大慌てで受話器を取った。

「もしもし、唯か!?」

『そうだよ。お兄ちゃん、元気にしてる?』

 電話の向こうから、妹の元気な声が聞こえてきた。

「ああ、まあなんとかな……」

『なんとか? もしかして、また独りで倒れてたんじゃ……』

「ねぇよ。そんなことより……」

 須藤女史はあれからどうなったのだろう? やっと電話が通じて、俺はずっと気になっていた事を尋ねようとしたのだが、

『嘘だ。お兄ちゃんの“なんとかな”って、全然大丈夫そうじゃないよ。どうせ残業続きで毎日ヘロヘロで、今日はお休みでももらったんでしょ? だからケータイじゃなくて、コッチに出れたんでしょ?』

こちらの実情を看破されて言葉に詰まった。


『ちゃんとご飯食べてる?』

 このところ、自炊はおろか食事もマトモにとれてないような……。


『夜はグッスリ寝てるの?』

 それは、まぁ……、死んだように。


『朝は独りで起きれるの?』

 ぐぅっ……今日は起きれなかった。


『忙しくて疲れちゃって、洗い物たまってない? お部屋の掃除できてるの? 冷蔵庫の中、もう空っぽだったりしない?』

 ちょっと待て! お前、エスパーか!?


『ニヒヒ……もしかして、図星?』

 もう、言葉も出ません。


『ねえ、お兄ちゃん……私がお兄ちゃんのお嫁さんになってあげようか? 朝は優しく起こしてあげて、朝御飯作ってあげるよ。ネクタイも結んであげる。仕事から帰ってきたら、温かいご飯とお風呂があるよ。……それとも、わ・た・し? ニヒヒ……子供は3人作ろうね♪』

「なに馬鹿なこと言ってんだよ。それよりも……」

『うそ!? もしかして私、お母さんみたいに5人も産まなきゃいけないの? わかった! 私、頑張るから、優しくしてね』

「違う! 話の腰折るな!」

『あはは……、冗談だよ。本気にした?』

 電話の向こうでニヤけ顔をしている妹の姿が容易に想像できて、少し腹が立った。

(くそ……完全に遊ばれてんな。怒ると余計に腹が減る)

「それはそうと、その……なんだ、夏休みの間、食事とか色々ありがとな。忙しすぎたから、マジで助かった。それで気になってんだが……」

 冷静になって、とりあえずこれまでの礼を述べ、続いて本題に入ろうとしたが、

『あはは♪ そんなんで、お兄ちゃん大丈夫なの? いつまでも独りでいないで、早く結婚しなよ。私もいつかお嫁に行っちゃうんだから、いつまでもお兄ちゃんの面倒みきれないよ』

からかうような声にすぐに話を挫かれる。

「お前は母さんか? 否、それよりも、須藤さんはあれからどうしてるんだ?」

 ようやく本題を切り出すと、電話の向こうで妹は悪戯っぽくクスクスと笑い出した。

『ユッチが気になるんだぁ? だったら、直接会って聞いてみれば?』

「直接会ってって……お前なぁ、何言ってんだよ?」


“カシャン”


「?」

 玄関の扉から、聞き慣れない音がした。

 それが外から鍵が開けられた音だと気づくのに、数秒を要した。

 ゆっくりと、玄関の外開きの扉が開く。

(え? ……なんで!??)


 夏セーラー服を着て手には学校指定の鞄、買い物袋と大きな弁当箱らしきものを包んだ風呂敷をそれぞれ持った少女が2人、開いた扉の向こうに立っている。


 1人は俺の妹・唯だった。

 そして、もう1人は……須藤女史!?


 目の前の事態に思考が追い付かず、受話器を握りしめたまま呆然としていると、2人は当然のように靴を脱いで俺の部屋に上がり、


「こんばんは、お兄ちゃん♪」

「その……お久しぶりです、裕一さん」


「なっ!?」


須藤女史が一礼するのと同時に、唯は鞄と買い物袋を置いて床を蹴り、一気に俺との距離を縮めると、そのままの勢いで俺の下腹部に飛び付いた。

 空腹で力の入らない俺は、その勢いを支えきれず、床に尻餅をついて倒れる。

 持っていた受話器が、床を転がった。

「ちょっ!? 唯! お前何を!?」

 肩を押されて床に押し倒され、パニックになった俺の上体の上を這うように移動され、あっという間にマウントをとられた。

(こんな技、どこで覚えた!?)

 妹の膝が俺の両腕両肩を封じ、手を使って押しのけることができない。全体重が鳩尾にのしかかり、上体が起こせない。

「ニヒヒ……、つ・か・ま・え・た♪ すごいなぁ、これってホントに動けなくなるんだね」

「唯! いったい何のつもりだ!?」

「きゃっ! はふぅっ……ちょっとモゾモゾしないでよ、エッチ! パンツ見るな!」

「無茶言うな! だったら放せ! ムグゥ……ッ!」

「あんまり暴れると、このまま制服脱いで大きな声出すよ、お兄ちゃん」

 口を片手で塞がれてそう宣言され、俺は言葉を失った。妹は空いた手で上着をたくしあげ、下着が見えそうなあたりで俺は慌てて目を顔ごとそらして動きを止めた。

 暑いのでベランダに通じる窓は開けたままだ。もし妹が宣言通り行動したら……。

 明日の朝刊の一面に自分の写真が載るのを想像して、一瞬にして血の気が引いた。

「ニヒヒ……」

 抵抗を止めた俺を見て唯は満足そうにニッコリと笑うと、口を塞いでいた手を放した。


「あ……あの、唯先輩、それ脅迫です」


 唯の背後から、風鈴が鳴るように涼しげで透き通った、どこかオロオロとしたような声が聞こえ、妹の肩越しにこちらを覗きこむ大きな瞳が俺を捉えた。

 ヒンヤリとした水晶球のような光を放つ須藤女史の瞳に俺の目が釘付けになり、あの図書室の時のように、また吸い込まれそうな錯覚を覚えるが、


“グキュルルウゥ”


静かになった室内に響く自分の腹の虫の鳴き声に意識を現実に戻され、情けなさと恥ずかしさから目をそらした。

 妹の襲撃に貴重な体力を消耗してしまい、もう動くのもシンドい。

 2人とも何しに来たのか知らないが、もう好きにしてくれ。


「あの……裕一さん、動かなくなっちゃってますけど?」

「可哀想なお兄ちゃん……よっぽどお腹すいてたんだね。もう動かなくなっちゃった」

「唯先輩、大変です! 裕一さん、すっごくヤツレてます! すぐにお食事の支度をしますね」

「うん、任せた!」


 須藤女史はヒドく慌てた様子で台所に向かい、何やら作業を始めたようだが、妹が邪魔で何をしているのか全然見えない。

 妹はピクリとも動けない俺を満足そうに眺めながら、ニンマリと口を開いた。






「とりあえず、ご飯にしよっか」

 とうとう襲撃!?

 城門は破られ、裕一の城(生活)は蹂躙されていく……。

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