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36 女王様(2)

 お待たせしました。

 美緒さんの結婚観を聞いてやってください。

 2人とも幸せになる必要がどこにあるの?


 私が支配者でマサ君は所有物、私はそんな関係を作るつもりよ。

 私が幸せだとして、マサ君が不幸だったとしても別に構わないわ。


 私はね、マサ君で自分の支配欲や庇護欲を満たしたいの。妥協も諦めも必要ない最高のパートナーに育て上げて、それを独占して、みんなから羨望の目で見られたいの。そんな最高なマサ君の心と身体と人生を、お腹いっぱいに貪り尽くしたいの。

 嫌がっても逃がさない。泣いて叫んでも放さない。反抗でもしようものなら腕の一本くらいへし折ってあげて、押さえつけて、ゆーっくりお話して立場をわからせてあげるわ。


 今のあなたがあるのは誰のお陰かしら? ってね。


 今はその仕込み期間。

 私がいないと何もできないって間に、たーっぷりと負い目を負わせて、主導権を握ったままマサ君と結婚するわ。

 料理して(調教して)、皿に盛って(結婚して)、フルコース(彼の未来)を独り占め。デザート(子供)も楽しみね。

 あはは……食い物にするって、良い表現だわ。

 2人一緒に幸せになろうなんて対等な関係じゃ、こうも美味しくいかないわ。


 罪悪感? あるわけないじゃない。


 まあ、確かに私がそういう風にリードしちゃうわけだけど、マサ君も納得して契約書(婚姻届)にサインするわけでしょ?

 一度納得した契約に異を唱える方がおかしくない? むしろそっちが罪悪感を感じなさいって思うわ。


 人生っていうのはね、戦争なのよ。人間関係は一つ一つが戦いなの。仕事も恋愛もみんなそうよ。目的は我が意思の強要といったところね。

 戦争に勝つためには闇雲に戦うのではなく、確実に勝てる態勢を整えて勝つか、確実に勝てる弱い相手を仕留めるの。弱みに付け込むなんて、常套手段よ。

 それでね、いつの時代も勝者が正しいのよ。敗者は勝者に服従するのが正しいの。

 勝者は敗者を好きにしていいの。敗者は勝者を拒む権利なんかないの。


 ねえ……私はそんな相手をあんたに紹介してあげるわ。


 2人そろって幸せなんて、そんな無理難題に挑む必要なんかないわよ。

 対等な関係なんて、あんたの場合は気を使いすぎて禿げるわよ。ストレスで寿命を縮めそうね。


 亭主関白って言葉があるじゃない。

 そういう夫婦もアリだと思うけど、どうかしら?



 ◇ ◇ ◇ ◇



(いや、なんか違うだろ)


 本社からの帰りの電車に揺られながら、俺は美緒の言葉を思い出していた。


 とりあえず、夫婦が対等である必要がない、という考えまでは頷ける。

 そもそも、どの世帯にも家長というものがあり、一家としての最終的な決定権は夫婦のうちの誰かが持たなければならない。

 いくらか時代錯誤があれど、亭主関白も悪くはない。

 それによって巧く回っている家庭もあるが……だからといって、独裁が許されるわけじゃない。

 どうもそのあたりを、美緒は勘違いしている気がする。


 そして、美緒は弟に様々な負い目を負わせ、弱みに付け込み、従順にならざる得ない契約をさせるつもりだ。そして、契約違反は許さない。

 そうやって美緒は俺の弟と結婚し、自分の欲望を成就させ、目的を達成する。

 契約するにあたって、もちろん弟も美緒に対して何かしらの要求はするだろう。何かしらの目的を達成するだろう。

 美緒にとって結婚とは、欲望の成就や目的の達成を条件に納得した上で、そのなかで生活が成り立ち、そのためにお互い裏切らないことを誓う終身契約なのだ。


 でも、まあ……美緒と弟なら大丈夫だろう。

 確かに弟は美緒の言いなりになってしまうだろうし、彼女に骨までしゃぶられる人生になるだろうが、きちんと恋愛が成立してできた愛情のある関係であるのだから、問題な……否、やっぱり不安だ。


(それはまあ、置いといてだ)


 俺は須藤女史を思い出す。

 彼女は家族のためという目的の達成を条件に、俺に求婚してきた。

 彼女は俺に対して誠意はあったが、愛情はなかった。

 俺は彼女の求婚に浮かれはしたし魅力的だと思ったものの、受け入れることはしなかった。

 愛情だけで夫婦が成り立つとは考えないが、愛情のない関係なんてお互いに不幸だろ。

 一緒に過ごしているうちに愛情が芽生えて……などと言う意見もあるが、今の時代それは恋愛の段階でやるものだ。

 否、愛情云々以前に、彼女はまだ子供なわけで……結婚なんかしたら、お互い取り返しのつかないことになるだろう。

 やろうとすることの内容は結局のところ、援助交際と変わらない。

 断った俺の判断は間違っていないはずだ。断り方に問題はあったかもしれないが。

 美緒の薦める相手とやらとも、きっとそんな感じになるだろう。


(……て、そうやって慎重になってるから、俺はいつまで経っても独り身なんだろうな)


 だからといって、軽率な行動は御免だ。

 その軽率な行動の結果が周囲には溢れていて、彼らは惚気より愚痴が多くて、ああはなるまいと思ってこその独り身だ。


 そういえば俺は……、俺がもし結婚したいと思うなら、それはどんな女性だろう?

 結婚できないことを納得してるとはいえ、結婚願望は持っている俺だが……あれ? そもそも俺は、どんな女性と結婚したいのだろう? どんな生活をしたいのだろう? そもそも何故、結婚したいと思うときがあるのだろう?

 美緒のような欲望? 須藤女史のような目的? 世間体? 長男としての責任感? 生物としての本能? 寂しさ?

 んん? ……どれもピンとこない。

 本当に俺は結婚願望を持っているのか?

 否、だけど……たまに、どうしようもなく虚しくなるのは何故だ?


 そんな考えに沈んでいるうちに、気がつけば疲労によるものなのか、俺の意識は落ちていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 白瀬 裕一はとても虚しい人間だ。

 一緒に仕事をしていて、彼が人間として空虚であることに私はしばらくして気がついた。

 その生き方は人間として終わっている。まるで一個の自律した機械だ。

 何かをやりたいという思いはなく、何が出来るかを考えている。

 何をしたいかではなく、何をするのが正しいかで行動する。

 欲しいものがなく、必要なものを求める。

 タバコもギャンブルもしない。熱中する趣味もない。大きな夢も持たない。夢中になる異性もいない。何かを守っているわけでもない。何が楽しくて生きているのか、何の為に生きているのかよくわからない。

 なのにどういうわけか、仕事は一生懸命だ。役目をこなすことに一生懸命だ。

 自分に出来ることと出来ないことをキチンと区別し、言われたとおりのことを自分のペースで淡々とこなし、多少の無理をするとしても自分の意思を持たず役目を果たすことだけを考え、そうしてただ平凡に生活できるだけで満足らしい。

 時折、家族を心配する面が見えたが、それはただ長男としての責任感のようだ。あくまで、自分の役割しか考えていない。

 彼はなかなか良い素材だ。人間として感情は持っているくせに、人間性に……否、人間味に欠けている。

 決して優秀ではないし、何か特別な特技があるわけでもなく、その能力はあくまで凡庸そのものだが、その在り方は理想的な道具だ。奴隷としての才能を持っている。

 巧く手懐ければ、生涯を私のためだけに尽くす従順なパートナーとなってくれるだろう。

 彼は恐ろしいほどに役割に染まってしまうタイプだ。人格=役割なのかもしれない。そこに、作る楽しみがある。

 理想に実力が追いつかず、そのくせ堅物すぎて誰からも煙たがられて必要にされなかった彼だが、逆にその姿勢こそ良しと認めてくれた三田教授の誘いに靡いてしまった。それまでの進路を変えて、教授の求める色に染まった研究者に変わってしまったのが良い例だ。

 ならば同じように、私が彼にあなたが必要だと囁けば、そしてパートナーとしての役割を与えれば、案外簡単に落とせるだろう。私の色に染まった、私の支配欲を満たす存在となるだろう。

 問題は、彼が納得するだけの根拠がない。彼はとにかく自己評価が低く、自分に出来ることは誰にでも出来ると豪語している。そして私は彼より優秀すぎて、彼より強すぎて、彼を貶し過ぎた。そんな彼にただあなたが必要だと言っても、疑われるだけだ。

 とにかく彼を説得するには、それなりの根拠と誠意が必要で、さらに何かしらの役割を与えなければならない。

 考えあぐねた挙句、とにかく彼に深入りしてみることにした。どこかでキッカケは掴めるだろう。

 弟の、マサ君のことで悩んでいた彼の心の隙間に、半ば強引に入り込んだ。

 そしてすぐに、諦めた。


『お兄ちゃんに近寄るな、この魔女』


 彼にはとんでもない狂犬が懐いていた。彼は尻尾を振って懐く妹の恐ろしい本性に、まったく気がついていない。


『見るな。聞くな。匂うな。触るな。話しかけるな。……汚したら全力であなたを攻撃します。私はあなたを認めません』


 ゾッとするほどの剥き出しの怨嗟を、彼の妹は発していた。

 彼自身を手に入れることは出来ても、彼女から奪うとなれば怪我では済まないことが容易に想像できた。そこまでして手に入れるのは割にあわないと感じた。

 だけど、それで引き下がるのも癪だった。


『じゃあ、正志君を頂戴。それなら良いでしょ?』

『はい。あんな兄でよければ、どうぞ』


 今になって思えば、これで良かったと思う。

 彼と違ってクセがあったものの、彼の言うとおり頭の出来はよく、手先が器用で十分な才能を持っていて、若いだけあって飲み込みが早く色々なことを吸収してくれる。将来性を考えると、むしろこちらの方が私の人生を彩る素材として最高だった。どんどん私の色に染まり、支配欲だけでなく、庇護欲まで満たしてくれた。

 それにしても、彼の妹は彼をどうしたいのだろう? 何か考えがあるようには見えたけど、何をする気だろうか?

 このままでは彼は一生、空虚なままだ。

 ただただ無為に生き続ける日々が続くのだろう。

 そんな風に考えていたら、夏に入ってすぐくらいで彼女から連絡が入った。


 まったく……あんなものを、何に使うのかしら? 嫌な予感が……いいえ。楽しい予感しかしないわ。


 彼女は、彼を壊すつもりかしら? 壊した後で作り直すのかしら?



 ◆ ◆ ◆ ◆



(あー、もう疲れた。明日も早いし、早く飯食って寝よう)


 美緒とのやり取りが精神的に堪えたのだろうか? 電車で目が覚めたときには4駅ほど乗り過ごしていて、慌てて下りから上りに乗り換えてようやく自宅の最寄り駅に着いたときにはホッとした。

 どこかスッキリしない目覚めと重たい足取りなため、歩いても帰れる距離だがバスに乗ってどうにかアパートまで到着し、それほど急でもない階段を上り、クタクタになりながら自宅の扉の前まで到着して、ポケットから鍵を取り出して差し込む。

 ふと腕時計を見れば、夜の22時だ。寝静まるには早い時間だが、周囲に明かりは殆どない。


(お腹空いたな……晩飯なんだろ?)


 唯はほぼ毎日、俺の部屋に来て夕食を作ってくれていたりと家事全般をサポートしてくれていて、このところ残業続きで帰りが遅くなっている身としては非常に助かっている。

(昨日は春巻きだったな。一昨日は素麺とゴーヤーの天ぷら、その前は揚げ出しか)

 特に食事の準備がしてあるのが一番助かる。メニューによっては残り物をそのまま翌日の朝食や弁当に出来るので、あまり手の込んだ調理が出来ない俺の質素な食生活に華が咲く。

 特に一昨日の素麺はサッパリしていてなかなかよかった。割子蕎麦のように一口大に麺が丸められていて、その一玉一玉がくっつき防止に胡麻油がコーティングされているのだが良いアクセントになっていた。一緒にあったゴーヤの天ぷらも麺つゆとの相性が良かったが……そういえば麺つゆは多分手作りだろうな。祖母もよく手作りしていたが、どうやって作るのだろう?

(そういえば、また味噌汁が食べたいな……て、あれ?)

 そんなことを考えながら扉を開けて部屋に入ると、なにやら違和感を感じた。

 ブレーカーを上げて部屋が明るくなってからしばらくして、俺はその違和感の正体に気がついた。

(今日は……来なかったのか?)

 部屋の中の様子は、今朝俺が出勤する前と変わっていなかった。

 台所の流しには朝食に使った食器がそのまま残っていて、コンロはまったく使われた様子がない。もちろん、夕食の用意もない。

 洗濯バケツの汚れ物はそのままで、ベランダの物干しには今朝干したワイシャツと白衣がかかったままだ。

(俺としたことが、まいったなぁ……)

 ほんの1週間と少しだろうが、いつの間にか俺の生活の中で妹のサポートが当たり前になっていたようだ。

 所長の件もあって、忙しさや疲労からついつい妹に甘えていた。

 ここ1週間と少しの間、帰ったら食事があるのが当たり前で、洗い物も洗濯物もすべて終わっていて、キチンと掃除もされていて……そんな生活が当たり前になっていた。

 そのため、今日も帰りに何も食べるものを買っていなかった。帰宅して家事をする気持ちも持ち合わせていなかった。

(何が自己管理と自己完結だ……これじゃ妹離れの出来ない駄目兄貴じゃねえか)

 ついつい自嘲気味になり、独り笑いが自然と漏れる。

 とりあえず今日は、まともに食事を作る気になれない。ましてや、洗い物をする気力も沸かない。

 早く寝たい。なんてダルいんだろう……これってやっぱり、歳だろうか?

(おいおい、28にして老け込むには早いだろ)

 カップ麺にお湯を注ぎ、何度目になるかわからない自嘲をこめた独り笑いとため息が漏れてしまう。


 それにしても、今日はなんで唯は来なかったのだろう?


 別に唯がいつも家事をしてくれるのが当たり前だとは思っていない。

 思ってはいないが……こうも急にサポートが止まるのは調子が狂う。

 せめて何かしら教えてくれてもいいだろうに。電話は無視するし、メールは届かないし、一方的に家事をして一方的にそれを止めて……ああ、自分の妹が理解できん。

 どこか味の濃いコッテリしたスープと麺を啜っていると、壁にかけてあるカレンダーが俺の視界に入る。



(ああ、そうか。新学期……今日からなんだな)

 妹による補給が断絶。

 独り身の裕一本来の日常が戻ってくる……?



 せっかくなので、美緒さんにも一枚噛んでいただくことにしました。

 う~ん……私、伏線の張り方下手だな。

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