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35 女王様

 新キャラ登場。

 物語にはあまり関係しないと思うけど、どうしても書きたかった“女王様”です。


 多忙なる夏を送る祐一の周りには、ロクな女がいない……?

 唯はいったい何を考えているのだろう?

 てっきり機嫌を直してくれたのだと思ったのだが、電話は無視するし、メールアドレスはわからない。とりあえず夕食のお礼は留守電で伝えておいたのだが……妹からはまったく反応がない。

 かと思えば、毎日のように所長を手伝って遅くなり自宅に戻れば、きちんと夕食が用意されていて、洗濯は終わっていて、部屋は掃除されていて、メモにはいつも『ごめんなさい』だ。

 電話に応じてくれないなら直接会って話そうかと思い、疲労もあってか休んだほうが良いと感じてもいたので所長に頼んで早退してみれば、まるで俺が部屋にいるのがわかっているかのように唯が来ることはなかった。

 そして翌日も、その翌日も、俺がいない間に俺の自宅の家事は全て終わっていて……。夏休みだから、時間には余裕があるのだろう。

 喧嘩した後で顔を合わせ辛いし話し辛いとか? いや、こっちは直接話したいんだが……、須藤女史はあれからどうなったのだろう?

 仕方がないので昼食時に実家に電話してみると、聡子が応じてくれた。

 俺が唯と話したいと言うと、もうアニキの部屋に行ってるよ、とのこと。

 自宅に帰ってから実家に電話すれば、母親が応じてくれた。

『唯はね、あんたがずっと独り身だから心配してるのよ。早く結婚……』

 速攻で通話オフ……実家は駄目だ。

 そんな感じで何もできないままの日々が続いた。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「あんたさあ、所長にいじめられてんの?」


 久々に出向いた本社にある農業薬品部門に与えられた一室に1人で、隅の机でノートパソコンと睨めっこする俺を見て、背の高いスーツ姿のバリバリのキャリアウーマン風の美女が後ろからそう声をかけてきた。

 常に人を見下ろせる身長(たしか180cmだったか?)と、どこか鋭利な刃物を思わせる冷酷そうな鋭い目付きには、自分にも他人にも厳しい上司の風格が備わっている。常に自信に満ちて尊大な態度は、有能な仕事の女を絵に描いたようだ。

 背中まで届く長い黒髪を無造作に後ろで一纏めにし、スカートは履かずにパンツルックで最低限の薄化粧はお洒落には無関心といわんばかりだが、整った顔立ちと線の細さ、そして小玉西瓜でもいれてんのか? と言いたくなるような大きな胸が周囲の男たちの視線を集めてしまう。

 彼女は化粧品部門の研究所の所長で、名前は香坂 美緒という。

 彼女は俺の1つ上の先輩で、三田教授の教え子の一人で、3年前には俺の所属する研究所で主任をやっていた程の敏腕研究者だ。

 その当時には彼女の下で臨時の助手として仕事をしたこともある。

 それが今では会社で花形の化粧品部門の研究所長とは……恐れ入ったね。

 1コ違いでここまで差が開くのは、彼女がきちんと薬学部を卒業して必要な資格を取得しているのもそうだが、頭が良くて人使いの上手い有能な人間だからだろう。

「こんなミスするなんて、あの親馬鹿オヤジがただの馬鹿で能無しなのか、あんたを苛めてるとしか思えないんだけど。てゆうか所長同士の報告会に欠席して、なんでたかだか助手のあんたが代理で来てるの?」

 そう言いながら、彼女は俺の背後からノートパソコンを覗き込み、少なくとも20年は先輩で年配の所長をズケズケと貶している。

 俺の両肩に手を置いて、頭の上には彼女の頭がのり、いい匂いがするかと思えば、何やら柔らかくて大きなものが背中に当たっているのを感じて、俺は顔がほんのり熱くなるのを感じながらキーボードから手を引いた。

「あの香坂所長……頭、重いです。あと胸、当たってます」

「当ててんのよ。あと、2人のときは美緒って呼びなさいと言ったでしょう。それに、ため口でも良いわよ、お・に・い・さ・ま♪」

「職場なんで上下関係のケジメはつけてください。あと今度は何するんですか!!?」

 長い腕が俺の頭を捕らえて、そのまま後ろから美緒の柔らかくて大きな胸の中にむにゅぅーと納まっていく。

 顔が一瞬にしてボッと火がついたように熱くなり、頭の中が真っ赤に染まっていく。

「あんたの臭いつけてるに決まってるでしょ。マサ君、鼻が良いから、あんたの臭いってわかると嫉妬してくれて、夜がすっごく激しいの♪ このところ淡白だったから、協力してくんない? 前にあんたと一緒に居酒屋行って帰った夜なんか……」

「やめてください! 聞きたくない!」

「えー。他人の惚気話は好きでしょ? あの日のマサ君ったら、私今日危険日だって言ってるのに聞かなくて、もうほとんど無理やり○○○○してーーーーーで、△△△に興味もってたみたいで◆◆◆◆されちゃって、そしたらその後■■■■■■して、あんまりにも一方的で悔しかったから◇◇◇してやったら#####になっちゃって、気がついたら朝まで……」

「わーわーわー!! 身内のそんな生生しい性生活は聞きたくない!!!」

 たしかに他人の惚気は夢物語聞くようで好きだが、この女の場合は身内の生々しい痴話が絡むので遠慮したい。

 椅子に座ったままジタバタとして、どうにかその腕と胸の中から逃れると、俺はすぐに立ち上がって美緒から距離をとって身構えた。

 そんな俺を見て、美緒は悪戯っぽくクスクスと笑っていたかと思うと、気になるものでも見るように俺のパソコンを再度覗き込んだ。

 パソコンの画面には所長から預かった見積書の内容がのっている。訂正作業も、今日中に終わる予定だ。

「やっぱり、これ確実におかしいわ。いじめとしか思えない。あんた、あの所長の恨み買うようなこと何かした?」

 怪訝そうな顔をしてマウスを動かしながら、美緒は確信のこもった声で言う。

 美緒の言う疑問は俺も感じていたことだ。訂正作業をしながら、これはミスではなくて意図的に数字を書き換えたものではないかと疑ったこともある。俺を残業させて追い込んでいるのではないか? と一瞬でも考えてしまうくらい、所長の見積書のミスは変なのだ。

 しかし、そういう目に遭う心当たりが全くない。所長の顔に悪意は見えないし、俺をいじめるメリットなんか特にないはずだ。しかも俺が残業しているときは常に近くで何かしらの仕事をしていて、相当なストレスを負っているのか時々唸り声をあげている。所長のほうが苦しそうだ。

 今日は胃痛を起こした、と言っていた。顔色が悪くて冗談でもなんでもなさそうだ。次任者は各研究室の主任の誰かのはずだが、今日に限ってどこも忙しいそうで、報告だけだから俺でもできる、という話になってしまって報告会には俺が参加することになった。今日も帰りが遅くなりそうだ。

 原因は不明だが、やはりこの件は所長のミスだろう、と俺は結論付けている。

「気をつけなよ。なんだったら、私の研究所(ところ)に引き抜いてあげよっか? 助手なんてしみったれた仕事じゃなくて、私の秘書でもやんない?」

「やりません。秘書なんて仕事したことないし、俺がそういう人に気を利かせる仕事苦手なの知ってるでしょ? 化粧品なんて全く知識ないし、確実に役立たずになりますよ。まさかと思いますが……俺まで飼い馴らす気ですか?」

 俺の言葉に、美緒は一瞬だけキョトンとしたかと思うと、お腹を抱えて転げんばかりに笑った。

「あはははははははははははっ……! ひっひっ……ぷくく、それはない。時間がたてば同じものが、より美味しくなって私の手元にあるんだよ」

「俺と弟は全く別物なんだがな……」

 言いながら俺は、得体の知れない寒気と恐怖を目の前の女に感じて、静かに身震いした。



 美緒は3年前、俺が一人暮らしを始めて、あの後輩が左遷されてきたのと同時期くらいで、研究所の研究室の一つに主任として赴任してきた。

 魔窟と名高い研究所の長い歴史においては、珍しく若い女性主任に研究所は一時色めきたったが、

「能無し」「キモい」「クズ」「髪いじりする手があるなら仕事しろ」「役立たず」

美人で仕事のできる女だが、口が悪くて遠慮がなく、人使いが荒く、印象どおりの冷酷さを発揮して、近づいた男の中には精神に障害を負った者もいた。

 特に助手の扱いが酷かったので、当時美緒に専属でついていた助手がたまらずに所長に誰かと変えてくれと泣きつく騒ぎが起きて、所長が彼女に掛け合ったがどうにもならず、

「すまん。2週間でいいから、香坂主任のところで助手をしてくれ」

という所長の言葉によって、残念コンビで彼女の助手をする羽目になった。彼女の助手が代わるのは、これで3度目だった。

 美緒の悪名は研究所内では知れ渡っていたし、『魔窟の女王陛下』という二つ名までつく始末で、俺も後輩も憂鬱な気分になって彼女の研究室に入ったのだが、不思議なくらいに何とかなった。

 そして、他の助手が可哀想な目を見た。

「この研究所の最底辺の残念コンビが、どうしてこんなに仕事をしてくれるのかしら? あなたたちはクズなの? いいえ、違うわ、それじゃクズに失礼だわ。この二人より仕事が出来ても大した自慢にはならないけど、それ以下なんて飼育庫で保管してる実験用のゴキブリ以下ね。実験で使って欲しいなら、いつでもいらっしゃい?」

 今まで脱落した助手を見つけるたびに、嫌味たっぷりに言うのである。しかも、まったく俺たちにもフォローなし。

 別に俺も後輩も、そこまでたいした仕事はしていない。言われたことを、誰にでもできる方法で、時間をかけて(昼休み削って)、時間をかけて(残業して)、時間をかけて(時に睡眠時間を削って)、どうにか彼女のペースについていっただけだ。リミットカットと後輩の忍耐力がなければ、どうにもならなかっただろう。

 そんな調子が実に半年近く(本当は2週間の臨時のはずだったのに)続いたわけだが、心身ともに何とか持ちこたえたのは今になって思えば彼女のお陰だろう。

 冷酷で人使いが荒いように見えて、ちゃんと部下の限界が見えているらしく、倒れる寸前で無理矢理休ませて……ああ、余計性質が悪い。要するに倒れるギリギリを綱渡りさせられ続けてたわけだよな。今思えば彼女が来てから頭痛薬をピルケースで常に持ち歩き始めたような……。


 だが、この女の恐ろしいところは、この程度のことではなかった。


 秋に入り始めたくらいの頃、俺は頭痛に耐えながら、休日には当時高校生の弟の受験勉強を見ていたのだが、遊びたい盛りで勉強嫌いの弟の成績はいっこうに上がらない。俺と違って頭の出来はいいはずだし、手先は器用でスポーツもできて、人付き合いも上手なのだが、もったいない。

 そのことを後輩に愚痴っているのを美緒に聞かれて、

「ふ~ん……あんた、受験生の弟いるんだ。写真ある?」

言われるままに携帯電話のフォルダの中から家族写真を取り出して見せると、

「じゃあ、私が家庭教師をしてあげるわ」

と言って、今まで見たことがないほどの笑顔で……今思えば映画で見た悪女のような笑みで笑っていたように思う。

 美緒が俺の実家に通うようになってから弟の成績はみるみる内に上がり、定期試験が終わる度に彼女が弟に「ご褒美のデートよ」と言って車でどこかに連れ出すようになり、気づけば付き合い始めて、現在の彼女の自宅から通える距離の有名大学医学部に合格して、今では同棲しているという始末。

「いい男がいないから、自分で育てることにしたのよ。マサ君は最高の素材だわ」

 美緒はそう言って研究所を去っていき、今では所長という地位にいて順風満帆な出世街道を歩みながら、日々俺の弟・正志を彼女好みに調教中だ。

 弟がたまに帰省すると、別人ではないかと思うくらいお洒落になって、育ちの良い彼女の教育の賜物かいろいろな技能を見せ、妹たち(なぜか唯だけは無関心だった)が惚れ惚れするような優雅な立ち振る舞いをするようになっていた。

 この一件以来、俺がしばらく女性不信陥ったのは言うまでもない。

 後輩が失踪した時、本社に何度か来て美緒に会ったのだが、来年の弟が大学卒業する手前でゴムに穴あけて妊娠してやる予定だと聞いて、リミットカットで尋常でない頭痛がさらに増したのは言うまでもない。

 まあ、弟は幸せに暮らしているみたいだからいいんだけど……、本当に良いのかな?



「あんたも良い素材見つけて飼っ……育ててみなよ。女子大生で学費払えなくて生活にも困ってる子、紹介したげようか? 不景気だからそういうの結構いるのよ。4年間養ってる間は、一生懸命あんたの言いなりになって好き放題に出来るわよ」

「バカなこと言わないでください。それじゃただの援助交際じゃないですか」

「じゃあ、終身契約すれば?」

「?」

「結婚しろってことよ。そうすれば買春にならないでしょ? あなたのお母様だって喜ぶわよ」

「ふざけんな! そんなことが許されるわけ……」

「私が今、あんたの弟にやってるでしょ? ああ、違ったわ……一応、私とマサ君の間には恋愛が成立しているわね。式の日取りが決まったら、お義兄様はちゃんと有給とっておいてね? 仲人の席に座っていただくから。ところで、良い話だと思わない? 心当たりのある子は……そうね、去年高校を卒業したばかりで、家事はちょっと苦手だけど清楚可憐な美人さんよ。若くて従順で理想的なパートナーが、あんたは欲しくないの? いろいろな形はあるかもだけど、援助交際にしても結婚にしても契約なんだから、周りに迷惑だけかけないで、お互い納得さえしてしまえば問題ないのよ」


「……一つ聞いていいか?」


 俺はあの日の図書室での出来事を思い出した。

 生活に苦しむ一人の少女が、身売り同然の結婚を俺に申し込んできた。

 輝かしい青春も未来も捨てる覚悟で、家族のために自分を犠牲にして、経済力に若干の余裕があるだけの全く冴えない10以上も年上の男に嫁ぐなど、どんな気持ちだろうか? その先に、幸せなどあり得るのか?

 目の前のこの女の提案は、それを肯定しているように聞こえる。

 俺と同じ疑問は沸かないのか? 一時の苦境と弱みに付け込んで一生を食い物にするような行為に、罪悪感はないのか? 葛藤はないのか? 良心は痛まないのか?

 弟の場合は経緯はどうあれ恋愛だ。俺は何も言うまい。

 だが、あの子の場合はどうなのだ? この女が言った提案はどうなのだ?


 美緒の目は冗談を言っているようなそれではない。

(ふざけんじゃねえぞ、この悪女め!)


「そんな結婚をして、二人は幸せになるのか? 少なくとも片方は不幸だろ」


 ニタリ……と美緒の口角が吊り上る。

 そのどこかおぞましい笑みにゾッとして不覚にも一歩後ずさった俺を、冷酷そうで鋭い目が、馬鹿にするように、呆れているように、哀れなものでも見るように俺を捉え、可笑しくてたまらないとばかりに爛々と輝いている。

「あはは……バッカみたい。その倫理観、いいえロマンチズムかしら……理解不能だわ。ねえ、私にも質問させて頂戴?」






「どうして2人とも幸せになる必要があるの?」

 これもまたヤンデレ属性? そして逆光源氏計画の成功者……こんな女いたら怖ぇよ。

 妹・唯とどちらがマシだろうか……?

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