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28 白瀬家の食卓

 実家に帰った裕一は……。

 白瀬家の食卓風景です。

「あれ? 母さん、今日は婆ちゃん家に行ってたの?」

 実家に帰り、部屋着のジャージズボンにTシャツ姿で台所に行くと、食卓の上に様々な種類の惣菜が入ったタッパーが並んでいた。

 きんぴらごぼう、肉じゃが、糠漬け、魚の生姜煮、煮豆、ナスの煮浸し、出し巻き卵、南瓜の煮付け、ふろふき大根、から揚げ、ポテトサラダ等々……これらは祖母のフルコースだ。否、味噌汁だけないのか。

 俺にとってお袋の味と言えば、母親の手料理ではなくて父方の祖母の手料理だ。

 両親が共働きのため、小学校に入学する前はよく父方の祖父母の家に預けられていたので、自然とその味覚が定着してしまった。

 俺が小学校に入学してからは祖父母が実家に通うようになったが、そうなってからは食卓がいろいろと大変だった。

 やれ味噌は赤だの白だの、出汁はカツオだの煮干だの、ここは塩より醤油が良い……言い争いの内容は当時は聞いててもよく理解できなかったが、嫁姑戦争が台所で繰り広げられていることだけは子供ながらに感じていた。

 そういう時、俺は祖母に味方したが、どういうわけか父親や妹弟たちは母親に味方していたものだ。

 う~ん……俺は味覚も残念なのか? 否、それはない! 断じてない! ただ好みの問題だ。

「違うわ。もらいものよ。お義母さんの家には来週行くわ」

 母親はそう言って、なにやら機嫌が良さそうに鼻歌を歌いながら、台所で野菜を刻んでいる。味噌汁の具……かな?

 母親と祖母はそこまで仲がいいわけじゃないから、この機嫌の良さはありえない。てことは、本当にいただき物なんだろう。こんなにたくさん……ご近所さんの誰かだろうか?


 しばらくすると、妹・唯が帰ってきた。

 俺と目が合うなり不機嫌そうに頬を膨らませて自分の部屋に入ってしまった。

「唯とケンカでもしたの、裕一?」

「ケンカっていうか……まあ、全部唯が悪い」

 母親がなにか心配そうに聞いてくるが、俺は曖昧に返しておいた。

 今日あったことを、どのように説明すればいいのかぜんぜんわからない。

 須藤女史のことを聞いておきたいところだが、あの様子じゃ口も利いてくれないかもしれない。まあ、頭が冷えたら、ちょっとは話せるようになるだろう。


 夕食の食卓には、俺と母親と父親、妹2人(長女、三女)がついていた。

 もう一人の妹、白瀬家の次女は大学を中退してからずっとフリーターで、今日もバイトで帰りは遅いらしい。苦労して受かった大学だが、講義についていけずに嫌気が差して2年でやめてしまった。

 弟は大学に進学して以来、高校時代にいろいろと経緯があって付き合い始めた彼女の自宅で同棲中で、よほど仲がいいのか実家にはなかなか帰ってこない。卒業したらそのまま結婚するつもりのようだが……長続きするものだろうか? もうすぐ盆だから帰ってこいよ。

 すっかり頭が真っ白になってしまった父親と発泡酒の缶を開けて、食卓の中央で皿に盛られたあのお惣菜たちに箸を伸ばす。

「ん……美味い」

 その味は祖母の味にそっくりで……否、ほぼ同じで、非常に俺好みだったのだが……なにか違う。

 別に気に入らないわけじゃあない。何が違うのかわからない……ただそれだけだ。

 しばらくして、その違和感の正体になんとなくだが気がついた。

 祖母の作ったきんぴらごぼうはごぼうが千切りだったが、これは削ぎ切りだ。肉じゃがは鶏肉を使っていたが、これは豚肉が使用されている。唐揚げはサイズが少し小さい。ポテトサラダは全部潰さないのが祖母流だが、これは全部潰されている。

 しかし、食材や切り方、調理法に微妙な違いはあるものの、味付けの根幹となっている部分は祖母のそれとほぼ同じだ。そこに何かしらのアレンジが加えられて、なかなか面白い出来栄えになっている。

 これで味噌汁がなぁ……と考えながら、母親の作った味噌汁を啜っていたところで、ふと母親に睨まれていることに気がついた。

(しまった……顔に出ていたのか?)

「……」

「……」

「……美味しい?」

「うん、惣菜(おかず)はね」

 味噌汁は不味いわけじゃないし、これはこれで美味しいんだけど、なんかこう……違う。

 俺の正直な感想に母親は少しため息をつくと、俺を見て言った。

「あんた好みの味噌汁作ってくれる(ひと)早く見つけなさい! 誰かいい(ひと)、いないの?」

(最悪だ……始まったよ、いつもの)


「いるわけないじゃん」


 そう言って口を挟んだのは、白瀬家の長女である文香だった。

 中学の教員免許も取得して、大学院を卒業したものの就職先が見つからずに就職浪人中だったが、今年になってなんとか近所の中学校で非常勤の講師をすることになったそうだ。髪を明るい茶色に染めていて、気の強そうなつり目をした綺麗系の美人(この感想は身内贔屓かな?)で、家事が一切できないからこそ就職することに一生懸命な日々を送っていた。就活の次は婚活かな? 全面的に家事をしてくれる男なんているだろうか?

 父親の隣で缶酎ハイをチビチビとやりながら、なにやら不機嫌そうに口を開く。

「兄ちゃんの嫁に来るような女の子いたら見てみたいよ。それにお母さん、お婆ちゃんと同レベルで料理や家事できるような女の子は日本では既に絶滅してると思う。専業主婦が当たり前の時代は、終わったんだよ」

 そりゃ言いすぎじゃね? まあ、残念なる俺の色恋事情はともかくとして、家庭的な女の子はまだ沢山いると思うよ。それに、専業主婦じゃなくても家事スキルは男女に限らず必要な能力だと俺は思う。

 て言うか、文香の場合あれか? 家事ができないことへのコンプレックスからそう言ってんの?

「そんなことないわよ。ねー、唯?」

 文香の言葉に、母親は唯の方を見て同意を求める。

 唯はどちらかといえば家事はできる方だ。昔から母親が留守だと、家の家事を面倒臭がる姉たちからあれこれと押し付けられたりしていたせいで、家事スキルは高くなっている。文香……お前の自業自得だ。

 話を振られた唯は母親の方を見て、

「そうだね。私の後輩は、お料理がすっごく上手だよ」

と言ったかと思うと、今度は俺を不機嫌そうに睨んで、

「お兄ちゃんの馬鹿」

と呟くように言ったかと思うと、拗ねたように頬を膨らませてプイッと顔を背けてしまった。

 きっと須藤女史のことを言っているのだろう。唯は彼女のことを超ハイスペックだと言っていたな。

(いや、無理だから! ちょっとくらい頭冷やせよ)

 そういえば、俺のためだったらしいよな。どうやったのかはわからんが、彼女の母親まで説得済みだと言うのだから、相当な時間をかけて根回ししてきたんだろうな。しかも、けっこう美人だったから断ることなんかないとでも思っていたのだろうが、俺は断った。

 頑張ってきたことがふいになって不機嫌になるのは分かるが……あのね、常識で考えようよ。大人びて見えるけど、あの子まだ子供でしょ?

(こりゃ本当に、しばらく口利いてくれんな。須藤女史が気になるところだが、ホトボリ冷めるまで待ったほうがいいのかな?)


「とにかく、裕一! あんたもう28でしょ! きちんと就職してくれたのは嬉しいけど、そろそろ結婚しなさい! 文香、同級生で誰か紹介してあげなさい」


(もうこのノリやだ)

 騒がしい母親の様子に、ウンザリする。帰って来るんじゃなかった。

「兄ちゃんと結婚したいなんて友達、たぶんいないよ。ファッションセンスないし、高収入でもないし、お金もってる分だけケチ臭くて貧乏臭いし、スポーツできないし、頭は良いかもだけど抜けてるし、やることいちいちトロいし、真面目通り越して爺ちゃん並みに堅物だし、会話力ないし、社交性低いし、読んでる本は小難しくて流行にも疎いから話が合わなくて一緒にいて疲れるし、とか思ってたら先にストレスで胃を痛めてるし、もう無理じゃない」

(やめてくれ文香! 俺に何か恨みでもあんのか!?)

 いつもならここで唯が何かしら味方してくれるものだが、

「そうだねー。もう、一生無理だろうねー」

不機嫌な彼女が味方してくれる可能性は皆無だ。いつにも増して言葉が冷たい。

 父親は黙々と箸を動かしながら静観している。

 母親は文香の突きつける残酷で厳しい現実に、言葉を失っている。

(誰かフォローしてくれ!! 何この拷問プレイ!?)

「いっそのこと、唯に一生面倒見てもらったら? どっかの晩年の作家みたいに。兄ちゃんのアパート2Kだし、私は目を瞑るから、もう結婚しちゃいなよ。」

(それこそ無理だろ)

「てゆーか、私、知ってるよ。兄ちゃん、一生独身って決めたんだよね。遊びも恋愛も友情も輝かしい青春時代全てを犠牲にして社会人になって、悲観しつつもいまさら焦っても疲れるだけだから諦めて、老後の生活のことを真剣に考えてるでしょ?」

(概ね正解)

「馬鹿なこと考えちゃ駄目よ。諦めるにはまだ早いわ。今度、母さんの知り合いの相談所にでも行ってきなさい。誰か良い(ひと)紹介してもらいましょう」

(黙って聞いてりゃ、好き放題いいやがって!!)


「別に諦めてなんかねえよ」


 俺の言葉に、食卓にいる全員の視線がこちらを向き、両親の目は期待の、妹たちの目は驚愕の色を湛え始めた。


 これでも結婚願望くらいは持っている。

 それでも、どうしようもならないのだから仕方ないじゃないか。

 ただ、俺の生き方に誰も寄り付かない。近づいても煙たがられた。この生き方はきっと辛いのでは、取り返しのつかない人生になるのでは……そう気づいたときには手遅れで、それでも間違っていないと信じ続けた。

 面白くもない、楽しくもない、面倒くさい、トロい、カッコ悪い、頭が硬い、気が利かない、融通が利かない、馬鹿正直、マニュアル人間……、ああ、そうだよ! 悪かったな! だけど間違っちゃいねえだろ!!

 面白いから、楽しいから、楽だから、すぐ終わるから、カッコ良いから、“皆がそう感じているからそれが正しい”だと!? ふざけんな!! だったらこの世界に、法律も規則も良識も存在しねえんだよ!!

 自分を押さえつけてそれに従って生きている人間の、何が悪い!!

 自分を律する事を放棄して、個性だ、自由だ、権利だなどと宣って、怠惰に暮らす人間のどこが良い!!

 勤勉な姿勢を馬鹿にして、空気が読めないだの、応用力がないだの、クソミソに貶して楽な方に楽な方に流れていって、遊びだの恋愛だの充実した青春だのに現を抜かして、それで失敗しても俺を指差して孤立している俺を残念呼ばわり…………。

 ああ、そうとも、俺は残念男子さ! 俺はこのまま正しく残念なまま、親を見送って一人で棺桶に入ってやるよ! 俺と結婚するっていうのは、そんな覚悟を決めた残念男の決意を破砕して、この面白味のない堅物の生き様を肯定して一生ついてくるってことだ! できる女がいるわけがない!


 『私と結婚してください』


 一瞬だけ、脳裏にあの子の姿がよぎって、俺はかぶりをふった。

(馬鹿な……君はまだ子供だ。何も知らないし……俺なんかと違って、ちゃんと青春を謳歌するべきだ)

 とにかく、俺は今の俺である限り一生結婚はできない。

 だけど、今の俺を変えるつもりはない。それはこれまで積み重ねた全てを否定することで……俺自身の正義を否定することだ。

 残念でも不幸じゃないんだからいいじゃないか……。そうやって生きてきて築き上げた自分の地位を、生活を、俺は誇りに思っている。

 残念……それは俺にとって最高の褒め言葉だ。

 だからもう……俺が結婚できないのは仕方のないことなんだ。


「俺はね、結婚できないことに納得してるの」


 俺の言葉に両親は全てを諦めたように言葉を失い、妹たちは盛大なため息をつき、食卓は静けさに包まれた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 何が『納得してる』よ! 私は納得いかない! 絶対に認めないんだから!

 頑張って無茶しちゃうお兄ちゃんを一人になんて、私がさせない!


 お兄ちゃんはユッチと結婚して、毎日ユッチの作った美味しいご飯を食べて、ユッチにネクタイ結んでもらって、ユッチにキスして見送られて、疲れて帰った夜は一緒にお風呂入って、お休みの日は手を繋いでお出掛けして、雨の日はお部屋でイチャイチャして、寒い日はピッタリくっ付いて、それで……、それで……子供は三人くらいいて、ユッチのお父さんみたいに危なくなったらユッチが止めてくれて…………。

 私がお兄ちゃんにしたいこと、したかったこと、夢見たこと、全部ユッチにしてもらうの!!

 私がお兄ちゃんにしてほしいこと、してほしかったこと、夢だったこと、全部ユッチがしてもらうの!!


 ねぇ、お兄ちゃん。

 ユッチをお嫁さんにしてよ…………




 私の代わりに、ね?

 諦めたのではない。納得しているだけだ。

 残念男子の悟り(?)。

 妹はそれを決して認めない。




 次の更新、多分週末です。

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