27 遭遇したのは……
実家までの帰り道にて……
もしかしたら俺の判断は間違っていたのではないか?
学校から実家までの帰り道、高校時代に使っていた古くなって所々に錆の浮いた自転車を漕ぎながら、俺はぼんやりと考えていた。
勝手に援助の理由をつけて、一方的に頼れと言ってしまった。
真面目そうなあの子が、それで俺を頼ってくるだろうか? 一人で抱え込んでしまうのではないのか?
くそっ……なんという自己満足だ。結局、何も解決してないのに、勝手に落とし所をつけて、逃げてしまった。
もしかしたら俺に断られたことで、今この時、別の方法を考えているのではないか?
他の結婚相手を探すとか? いやいや、何か別の……。援助交際とか始めたりしないだろうな……?
いろいろと心配だな……、あとで妹に様子を聞いておこう。
「お兄ちゃん?」
どこかで聞いたような声が、俺を呼んでいた。唯の声ではない。
実家までもうすぐというところで信号待ちをしていた俺の横に、小学生くらいの女の子が立っていた。
誰かによく似た大きな目と顔立ち……だけど、ニコニコと子供らしく笑っているところと、小麦色に日焼けした肌が、とても活発そうな印象を受けた。唯と須藤女史を足して割って小さくしたらこんな感じだろうか? 小さなポニーテールがピョコピョコと揺れている。
(誰だっけ? どこかで見たような……。いやそもそも俺を呼んでいたのか? そもそも俺が“お兄ちゃん”?)
誰か別の人を呼んでいるのではと思って周囲を見るが、同じように信号待ちしているオバちゃんしかいない。
どういうことだろう?
「じーぃぃぃ……」
「…………?」
「じいいいいいいいいいいい」
「……!? え? 俺!? ちょっと待って! え!? なに!?」
女の子はその大きな瞳で俺を見つめながら、つま先立ちして背伸びをしながら、額がくっつきそうになるほど詰め寄ってくる。
思わず仰け反って、自転車に跨ったままこけそうになるのをなんとか堪えていると、彼女は俺からいったん引いて、プーと拗ねたように頬を膨らませて今度は睨んでくる。
「私のこと忘れちゃったんですか、お兄ちゃん?」
こんな妹分を持った覚えは……あれ? いや、待てよ?
(え~と……確かあの時、唯を迎えに行って……ああ! あの時の! えっと確か、名前は……?)
「君はえっとあの時の……駐車場でたしか唯といた……ごめん。誰だっけ?」
「麻衣です! 須藤 麻衣です! むぅ……女の子の名前を忘れるなんて、先輩さんの言ってた通り本当に残念男子ですね」
残念……というフレーズを使うところとしては合っているのか微妙だが、……うん、ごめんね。
(てゆうか、君と前に会ったの半年くらい前だよね? 思い出せただけでも許してよ)
「そうです、見ての通りの残念男子です。ごめんなさい」
自分でもよくわからない謝罪を述べていると、今度は打って変わってその目をキラキラと輝かせて
「おー……」
俺を中心にして回りながら、興味深そうに360度から俺を観察し始めた。
「今日はえっと……くるぅびずですか?」
「それって、クールビズのこと?」
俺は基本的にスーツやワイシャツが私服だ。大学時代まではラフな格好をしていたが、学友たちからファッションセンスのなさをクソミソに貶されて、『これなら文句ねえだろ!』と逆切れして以来ずっとこのスタイルだ。管理するのに手間はかかるが、どこに着て行っても失礼にはならないし、毎日着るものを選んだりしなくて済むのは気が楽で良い。
しかし、夏は暑いので上着とネクタイはなし。薄手のスラックスとカッターシャツでクールビズだ。
今日に関しては、うっすらと淡い青色のカッターシャツを着ている。
「そう、それです! お仕事でもないのに、いつもそうなんですか?」
「まあ、いろいろあってね」
残念男のファッションの終着点だよ、なんてとても言えない。
あれ? そういえばこの子の家は近所ではないはずだ。どうしてこんなところに?
「えっと……麻衣ちゃんは、なんでここに?」
気になって問いかけると、彼女は「二ヒヒィ」とどこか妹に似たような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
コロコロと表情が変わるところが、妹と同じだ。そういえば動きもどことなくオーバーアクションだが……妹とよく遊んでいたようだし、その影響か?
「今日はお姉ちゃんからお使いを頼まれたんです」
(おつかい……ね)
買い物か? と思ったが、買い物袋は持ってないし、これから行くにしてはこんな遠くに徒歩で手ぶらだし……、届け物の帰りかな?
「あ。バスが来た! それじゃあ、お兄ちゃん、私はこれで!」
彼女はいきなりそう言って走り出した。
(早ええっ!)
彼女が走っていく方向、ここからおよそ300mくらいの位置に路線バスのバス停があるのだが、彼女はほんのついさっきバス停に止まったばかりのバスに飛び乗ってしまった。測ってはいないが、1分以内で、この距離を走ったような……妹といい勝負するんじゃないか?
走り出したバスの最後尾の席から手を振っている彼女に俺も手を振り返し、信号もとっくに変わってしまっていたなと思ってペダルを踏んだ瞬間、目の前の歩行者信号は青から赤に変わってしまった。
(う~ん、残念)
……ん? あれ?
…………須藤 麻衣? 須藤!?
妹は仲の良い後輩の妹だと言っていたが、まさか!?
◆ ◆ ◆ ◆
先輩さん……お義姉ちゃんのおつかいを済ませた帰り道で、私はお義兄ちゃんを待ち伏せた。
別に何かしたいとか、何か話したいとかではなく、様子を見てみたかった。
ずいぶん前に見たときはジャージ姿にメガネだったけど、今日はまったく印象が変わっていて驚いた。
私服でもスーツなんて嘘だろうと思っていたけど、クール……ビイズ? でいるのだから、どうやら先輩さんの話は本当らしい。
私の名前なんかすっかり忘れていたけど、会ったことは覚えていてくれてホッとした。
私がお姉ちゃんの妹だって、気づいたかな?
それにしても、先輩さんはなにを考えているのだろう?
「お兄ちゃんのお城を落とすために、麻衣ちゃんはまず梯子をかけてね。麻衣ちゃんはね、私とユッチの……だよ」
何のことを言っているのか、私にはさっぱりわからない。
てっきり今日にでも、お兄ちゃんはお姉ちゃんと婚約するものだと思っていたのに、先輩さんは時間がかかる、お兄ちゃんは頭が硬いから……なんて言っていた。
だから私に、お兄ちゃんが家にいない間に最初のおつかいを頼んだ。
公衆電話で先輩さんにおつかいが終わったことを連絡したら、お兄ちゃんは予想通り断って逃げたと言っていた。
むぅ……お姉ちゃん美人だし、家事は何でもできるパーフェクトなお嫁さんなのに、お兄ちゃんはお姉ちゃんの何が駄目なんだろう?
まさか、胸? それだったら望み薄いなぁ……、お母さんも細いし。
でも多分、今日私が持ってきた“アレ”で、お兄ちゃんはお姉ちゃんと結婚したくなるはずだ。
先輩さんはそれでも時間がかかる、じゃなくて時間をかけると言っていたけど……、私は早くお姉ちゃんがウエディングドレスを着たところを見てみたいなぁ。
ううん……、焦っちゃ駄目だね。
先輩さん、私は先輩さんを信じるよ。だって私は…………
お姉ちゃんと先輩さんの『騎兵』だから。
先回りしていた『騎兵』・麻衣。
すでに次のチェス盤の上に、唯の手の平の上にいることを裕一は知らない。