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18 考える結衣

 ユッチ・結衣視点です。

「うちのお兄ちゃんと結婚したら?」


 最初、私は唯先輩が私を元気づけようとして、冗談を言っているんだと思った。

 だけど……。


「冗談を言ったつもりはないよ」


 唯先輩の目は真剣そのものだった。


「私のお兄ちゃんは素敵な人だよ。」

「妹の私が保証する」

「私のお義姉ちゃんになってよ」


 唯先輩……どうしてそんなこと言うの?


「お兄ちゃんは大人だから、子供の私やユッチには出来ないことができる。優しい人だから、きっとユッチを助けてくれるよ」

「ユッチにはお兄ちゃんが必要だよ。ユッチを助けられるのは、私はお兄ちゃん以外に考えられない」


 私のために?


「私の大切なお兄ちゃんを、大好きなユッチにあげる」


 そんな……お兄さんは、唯先輩にとって大切な……。


「お願い! お兄ちゃんを助けて! 私には……妹の私には、それができないから!!」


 唯先輩は私の手を握って、いつになく必死に、泣きそうな顔で訴える。

 こんな激しい唯先輩を見るのは、初めてだった。


「お兄ちゃんもいつか……ユッチのお父さんみたいに死んじゃう」


 唯先輩の語った、私のお父さんの死の真相は……多分、本当だ。

 お母さんは、お父さんは頑張りすぎて危ない人だと言っていた。

 そして……唯先輩は、お兄さんもそうなのだと言った。


 でも唯先輩……どうして私なの?

 どうして、私にお兄さんを……?



 ◇ ◇ ◇ ◇



 唯先輩と初めて出会ったのは、中学一年生の夏休みで、とても暑い日のことだった。

 買い物を終えて、冷房の効いた店内から外に出たとき、あまりの気温の変化に私は目眩を起こしてうずくまった。


「大丈夫!?」


 駆けつけて、私を助けてくれたのが唯先輩だった。


「結衣ちゃんっていうんだ。私も唯っていうんだよ。いっしょだね」


 不思議な人だった。

 私より年上の先輩なのに、コロコロと表情の変わる、動きがいちいち大袈裟で、いつも落ち着きのない、妹の麻衣のようにとても子供っぽい人だった。

 だけど、優しくて一直線で、とても頼もしい先輩だった。

 いつも家の事ばかりで友達の少ない私を気にかけてくれて、困っていると一緒に悩んでくれて、私が泣くと一緒に泣いてくれて……。


 お父さんの病院に行ったあの日……、今にも死んでしまいそうなお父さんを見て、私は無意識のうちに唯先輩に電話していた。

 ただ恐くて……、唯先輩の声が聞きたかった。


「私もそっちにいくから!」


 泣いている私にそう言って、本当に来てくれた時はビックリした。


「会いたかったよ……、ユッチ」


 ドアに顔からぶつかって、ずっと走っていたのか大汗をかいていて、涙と汗と鼻血でグチャグチャの顔で笑いかけてくれた唯先輩を見て、私は可笑しくって……嬉しかった。


 お兄さんが大好きな人だった。

 いつも気がつくと、お兄さんの事を誇らしげに、幸せそうに語っていた。


「お兄ちゃんはね、地味で目立たないけど、真面目で堅実で、コツコツやる努力家で、とても頼りになる人なんだよ。でもね、たまに空回りしちゃうから、ほっとけないんだ」


 とてもお兄さんを大切にしていて、尊敬していて、心配していて……。

 だけどそんなお兄さんと一緒なのに、時々寂しそうな表情をしていた。

 ある日、唯先輩は言っていた。


「私はね……夢を見るには遅すぎたんだ。今の私はね……兄妹が結婚出来ないって知ってるから、もう夢を見ることができないの」


 寂しそうに語ってくれた唯先輩を見て、私は幸せだったのだと思った。

 小さい頃、お父さんのお嫁さんになる夢を、私は描いていたときがあった。

 今はそんなこと考えられないけど、その時間は確かに幸せだったと思う。

 唯先輩には……そんな時間がなかったんだ。

 それでも唯先輩は、お兄さんのことが好きで好きで、離れられなくて、手放したくなくて、


「いくらユッチでも、お兄ちゃんは渡さないよ」


いつだったか、唯先輩は笑いながらそう言っていた。


「お兄ちゃんに彼女が出来ても、私は絶対に認めない。お兄ちゃんのお嫁さんは、私が見つけて、私が認めた、最高の女の子にするの」


 こんな妹さんを持ったお兄さんを少し可哀想に思ったけど、きっと私のお父さんみたいに素敵な人なんだろうなと思った。



 そんな唯先輩が、私の為にお兄さんを手放そうとしている。

 それもお兄さんの為だと言っているけど……。

 だけど唯先輩……、私は…………。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 家に帰った私は、自分と妹の部屋の二段ベッドに寝転がって、夕食を作ることも忘れてボンヤリと唯先輩の提案について考えていた。


 最初はとんでもない提案だと思った。

 まさか高校1年生の自分が、結婚だなんて。

 それも相手は、唯先輩のお兄さんだ。


 何を馬鹿なことを言っているのだろう?


 そう思ったけど、私に詰め寄った唯先輩の目は本気だった。

 ひたすら真っ直ぐで、真剣で、一切の曇のない瞳で、本気で私のために言っていた。

 そしてそれは、お兄さんのためでもあるのだと、言っていた。


 寝返りをうちながら、私は考えてみる。

 唯先輩のお兄さんは、唯先輩からこれまで聞いてきた話では自立した立派な大人だ。

 そして、唯先輩の学費を出すと言うくらい、生活には十分な余裕を持っている。

 唯先輩は卒業後は大学には進学せず、アルバイトをしながら専門学校に行くと言っていた。私のためにそうするのではなく、入学当初からの進路志望がそうなっていた。だからお兄さんが何も知らずに唯先輩のために持っていた余裕は、そのまま残っている。

 私一人くらいなら、養うことくらいどうにでもなるのだろう。

 そして、私が唯先輩のお兄さんと結婚すれば、お母さんの負担が大きく減ることになるのは間違いない。

 これ以上、私の家族が辛い思いをすることはない。

 確かに、良い方法かもしれない。


 だけど……そんな結婚は許されるの?

 はっきり言って、これはお金目当ての結婚だ。

 きちんと恋愛して、お付き合いをして、お互い一緒にいたいと想い合って、やっと……そういうものじゃないの?


 でもそれはもしかすると、私が夢を見すぎているのかもしれない。

 高台から街を見て、そこから見えるたくさんの家の屋根の数だけ、そんな恋愛があったのかしら? 皆、そんな結婚をしたのかしら?

 多分、答えはノーだ。

 だけど、幸せそうに暮らしている家族はいる。

 一緒になってから、少しずつ愛情が生まれて……そういう夫婦や家庭も、存在している。


 そういえばお父さんとお母さんも、そんな感じだったのかもしれない。

 もともとお父さんは、お母さんの部下だったらしい。

 頑張っているのに要領が悪くて空回りして、無理して残業しているお父さんを心配して一緒にいるうちに、お母さんはお父さんに「危なっかしくて放っておけないから、一生私の傍にいなさい」と言って半ば強引に結婚したらしい。

 結婚するまで手を握ったことすらなかったそうだ。お付き合いといえるような、やりとりすらなかったらしい。

 お父さんもお母さんも、結婚してから恋愛したような気持ちだった、と言って微妙な顔をしていた。

 だけどお父さんとお母さんは愛し合って、私が生まれて、麻衣が生まれて……お父さんもお母さんも、とても幸せそうに笑っていた。


 結婚の形は、きっといろいろあるのかもしれない。

 大切なのはきっと……その後なんだ。


 唯先輩のお兄さんは、話に聞く限り私のお父さんにそっくりだ。

 否、唯先輩によれば、全く同じらしい。

 私はお母さんの娘だから……きっとそんなお兄さんを好きになれるのかもしれない。


 結婚する……という選択は、もしかしたら良い方法なのかもしれない。


 でも、本当に大丈夫かしら?

 だって私は……唯先輩のお兄さんに、まだ一度も会ったことがない。

 どんな人なのか、私には全然わからない。お兄さんだって、私のことは知らないはずだ。

 唯先輩が嘘をついているとは思えないけど……やっぱり不安だ。

 それに、お母さんはなんて言うだろう?


「ただいまー」


 玄関の方から麻衣の声が聞こえた。

 部屋にランドセルがあるので、一度帰ってから遊びに行ったのだろう。

 付けたままの腕時計を見て時間を確認すると、すでに夕方の7時を過ぎていた。日が暮れるのが遅い季節になってきたけど、小学生の帰りには遅すぎる。

 こういうことはちゃんと注意しておかないと、常習化したら大変だ。

 私はベッドから起き上がり部屋を出ると、

「あれ? お姉ちゃん今帰ってきたの? ダメだよ、こんな遅くまで女の子が外にいたら」

(それ、私のセリフじゃないかしら?)

冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに注ぎながら、私を見つけてキョトンとした顔の麻衣がそう言った。

 そして、そんな妹の言葉に、私は自分がまだ制服姿のままだったことに気がついた。

 着替えることまで忘れて、私はずっと考え込んでいたようだ。

(なにやってるのかな……私)

 妹を叱る気持ちもなんだかなくなってきて、私はため息をつくと、

「晩御飯作るから、そのあいだにお風呂沸かして、先に入りなさい」

短パンにTシャツ姿で、遅くまで友達とバスケットボールでもして遊んでいたのか汗だらけの麻衣にそう言って、着替えるために部屋に戻った。



 唯先輩のこと、お兄さんのこと、私の家族のこと……結婚するという選択肢、それらが私の頭の中でグルグルと巡って、迷って、気がつけば手が止まってしまう。

(私は……どうしたいのかな?)


「お姉ちゃん、焦げてる!!」


「ふぇ? きゃああああああああ!」

 突然、麻衣の慌てた声が聞こえて我に帰ると、コンロの上に置いたフライパンの中身がとんでもないことになっていた。

(なにをやってるの、私)



 こんな調子で、布団に入るまで私は上の空だった。

(しっかりしなくちゃ……戸締りはしたし、大丈夫よね?)

 今日もお母さんの帰りは遅いらしい。

 最近になって、お母さんは今まで働いていた喫茶店やパートを辞めて、お父さんの上司だった人の紹介で昔の職場に復帰したそうだ。そっちの方が、お給料がいいらしい。


「とても忙しいところだけど、昔と仕事の内容はそんなに変わらないし、皆気を使ってくれるから、思ったより楽なのよ。だから結衣は心配しないでね」


 と、お母さんは言っていたけど、日に日に帰りが遅くなって、どんどんやつれてきて、疲れたようにため息をつくことが多くなって、最近は体調を崩しがちだった。

(このままだと、お母さんまで……)

 お母さんもきっと、時間の問題だ。


 もし私が今を変えたいなら……私に残された時間はあまりにも少ない。


「お姉ちゃん、起きてる?」

 ベッドの上の段にいる麻衣が、下にいる私に顔をのぞかせた。

「どうしたの、麻衣?」

 私にはその顔がとても、寂しそうで、不安そうに見えた。

 私の問いかけに、麻衣は今にも泣きそうな顔で、私を見ながら言ったのだ。


「ねえ……お父さんの次は、お母さんがいなくなっちゃうの?」


「!!」

 麻衣の言葉に、心臓が一瞬にして凍るような感覚がした。

 妹は何も知らないように毎日無邪気に過ごしているように見えて、お母さんが無理をしていることに気がついていて、私と同じようにお母さんを心配していたのだろう。

 そして妹の場合、私以上に無力なことをわかっている。不安そうな表情をすれば、お母さんにも私にも心配をかけてしまうから、いつも子供らしく笑ってばかりいたのかもしれない。

 もし、私が……否、麻衣も心配しているように、お母さんまで倒れたら、どうなってしまうのだろう?

 手足が冷たくなるくらいにサッと血の気が引いていくのを感じて、私は妹になんと言っていいのかわからなかった。

 しばらく何も言えずに黙っていた私に、妹は……、

「お姉ちゃん……私は神様より、先輩さんを信じるよ」

そう言った麻衣は、そのまま信じられないことを口にした。





「お姉ちゃんは……先輩さんのお兄ちゃんと、結婚するといいよ」

 妹の言葉の真意は?

 次回は、結衣の妹・麻衣視点です。

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