14 妹の采配(決断)
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過去編、もうちょっと長引きますが、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
翌朝、起きたときにはお兄ちゃんは私の腕の中を抜けていて、ドアの開いている隣の部屋からカタカタとパソコンのキーボードを打つ音が聞こえた。
時刻は朝の6時だ。
隣の部屋に行くと、パソコンを睨みながら唸り声を上げるお兄ちゃんの背中があった。
一人暮らしには広すぎる2kのアパートの一部屋を、お兄ちゃんは仕事部屋にしている。
キッチンを抜けてすぐの部屋はただの生活スペースだが、ドアから向こうにはパソコンの他にも膨大な仕事に関わる資料や本やらがたくさんある。
私の気配に気づいたお兄ちゃんが、私の方を振り向いた。
「おはよう、唯。ああ、もちろん、ちゃんと寝たぞ。起きたのはついさっき、えーと、5時半くらいかな?」
嘘だ。
すでに仕事用のスーツに着替え終わっているし、髭も剃ってしまって洗面は終わっているようだ。
(本当に、嘘が下手だなぁ)
怒る気力もなくなって、私はため息を一つついて、できるだけ笑って見せた。
「じゃあ、朝ごはん作っておくね。」
そう言って部屋を出ようとしたとき、お兄ちゃんの机の上のパソコンの横に見覚えのある薬の瓶を見つけた。
(あれは、たしか……)
私はキッチンに向かいながら、背筋が凍るように寒くなるのを感じた。
ユッチのお父さんと、同じだ。
▼ ▼ ▼ ▼
ゴールデンウィークが終わり、中間テストのテスト週間に入る頃、私はユッチの家を訪れた。
この日は珍しく、最近はいくつも仕事を掛け持ちしていて家に帰るのが遅くなっていた小夜子さんがいた。今日だけは、お休みをもらったそうだ。
事前にユッチからその事を聞いていたので、どうしても小夜子さんに確認したいことがあった私は、ユッチのお父さんに線香をあげると、小夜子さんに言った。
「話したいことがあるんです。ちょっと外に出ませんか?」
私はユッチや麻衣ちゃんを残して、小夜子さんを連れて近所の公園のベンチに並んで座った。
ボロボロになったバスケットボールのゴールが、ベンチから眺めた先で破れた網を揺らしている。ここではよく、麻衣ちゃんと遊んでいた。
小夜子さんはお仕事で随分と疲れているようで、連れ出すのは気が引けたが、ユッチたちの前でできる話ではなかった。
「話って、なにかしら?」
小夜子さんはそう言って、私の方を見た。
ちょっとやつれているようで、今にも消えてしまいそうな、儚げな印象をうけた。
「ユッチのお父さん……いいえ、小夜子さんの旦那様のことで、聞きたいことがあるんです」
私はそう言うと、小夜子さんにお兄ちゃんの部屋にあった薬の瓶を見せた。昨日、お母さんから合鍵を借りて、お兄ちゃんの部屋から拝借したものだ。
小夜子さんはそれを、懐かしいものを見るような目で見ていた。
「これはお兄ちゃんもよく使っているものです。中身はもちろん、普通の鎮痛剤です。変な薬では決してありません」
「そうみたいね」
「この鎮痛剤は、頭痛に対してよく効くといって、お兄ちゃんは愛用しています。眠くならないから、これを飲めば徹夜でも仕事ができるって、言ってました」
「そう……なの」
小夜子さんの声が、僅かだが震えてきた。
「小夜子さんの旦那様は、作業に集中すると食事や睡眠といった休息を一切とらずに、徹夜で酷い頭痛がしてもこの薬を飲んで、倒れる限界まで働く人ではなかったですか?」
私の言葉に、小夜子さんの目が大きく見開かれた。
小夜子さんはもともと、ユッチのお父さんの会社の上司だった。毎日、全力で空回りしてヘトヘトになっていたユッチのお父さんをほっとけなくて、気にかけているうちに結婚したんだと、葬儀の後で小夜子さんが話してくれた。ユッチのお父さんの仕事ぶりを、一番よく知っているはずだ。
信じられないものを見るように、私の顔と薬の瓶を、交互に見ている。
「私のお兄ちゃんも、そうなんです」
私はお兄ちゃんの病気、リミットカットとオーバーヒート、燃料切れについて小夜子さんに説明した。
小夜子さんの白くて綺麗な顔が、見る見るうちに青ざめていく。
やがて、搾り出すような声で、小夜子さんは声を震わせながら言ったのだ。
「あの人も……そうだったわ」
お兄ちゃんの家を出た後、私は薬のこともそうだが、もう一つ引っかかることがあった。
あの日、倒れていたお兄ちゃんは胸を押さえていた。
あの後、お兄ちゃんにその事を言うと、
『え? 見間違いじゃないか? 頭痛とかはあったかもしれないけど、心臓とかなんともなかったぞ』
と言っていたが、すぐにそれが嘘だとわかった。
私は一言も、“心臓”だなんて言っていない。
胸が痛いなら、食道だったり肺だったり、他にもいろいろと原因がある。
なのにピンポイントで“心臓”と言っていたということは、何かしら異常を感じているということだ。お兄ちゃんは製薬会社の社員で、研究職の端くれだ。大学で専攻が違っていて詳しく習っていなくても、仕事で必要な知識ならキチンと勉強しているはずだ。わからないわけがない。
お兄ちゃんの嘘は、私を安心させるには下手すぎる。
ユッチのお父さんは、休むことも忘れて頑張りすぎる人だと、ユッチは言っていた。
倒れた日には、胸を押さえて倒れていた。
頭痛もちで、お兄ちゃんと同じ薬を飲んでいた。
あまりにも似すぎていて、私は不安になっていた。
そして今日、それを確信した。
「唯ちゃん!」
小夜子さんは顔を真っ青にしたまま、私の両肩をその細い指で掴むと、震えながら言った。
その震えはもしかしたら、私のものだったかもしれない。
「お兄さんを止めないと。私は単身赴任で上京したあの人の傍にはいられなかった。いいえ、いなかったわ! だけど、唯ちゃんのお兄さんは、まだ唯ちゃんの傍にいるわ。唯ちゃん……お兄さんから、目を離しちゃ駄目よ」
必死になって、叫ぶように言う小夜子さんに、私は首を横に振った。
「無理です」
「どうして……?」
信じられないとばかりに目を見開く小夜子さんを、私は真っ直ぐに見据えて言った。
「私は、お兄ちゃんの妹です。ずっと一緒にはいられません」
そこまで言って、私は静かに深呼吸をして、口を開いた。
私は自分がこれから口にすることが、良いことなのか悪いことなのか、よくわからない。
私のお兄ちゃんが、ユッチのお父さんに似ていることで同情を引いて、こうして自分の目的を達成するために利用している。
だけど、私の今日までの3年間は、この目的のためにあったはずだ。
本当はもっと、別の形で……みんなが納得して、2人が好き合って、心から祝福しながら、幸せになれる……そんな未来に誘導するはずだった。
この誘導は、私が当初考えていたやり方ではない。
だけどもう、これしかない。
お兄ちゃんが壊れたら……死んじゃったら……。それだけは嫌だ!
そうならないために、私は何でもやると決めた!!
これはまず、最初の賭けだ!
「小夜子さん……ユッチを、お兄ちゃんのお嫁さんにください」
決断した妹・唯。
ついに、運命の日に向けて動き出します。




