12 妹の采配(休戦)
妹の采配は休戦に入ります。
ユッチのお父さんのお葬式は、ユッチの卒業式が終わった次の日に執り行われた。
親戚やご近所さんと、小さくひっそりと葬儀は行われた。
唯ちゃんには色々とお世話になったから、という小夜子さんによって、身内ばかりのその中に特別に私も参列させていただいた。
ユッチのお父さんの会社の上司だという人が、大泣きしながら必死に小夜子さんに頭を下げていた。
「申し訳ありません! ご主人の事は、私の監督不行届でありました! あの日……、否、もっと早いうちに、私が彼を止めていれば……こんなことには……」
額を床に擦り付けて土下座し、「申し訳ありません」「私のせいで」と、何度も何度も……。
単身赴任終了の前の大事なプロジェクトの中核に、ユッチのお父さんはいたそうだ。
これが終われば小夜子や娘たちに会える、そう言いながら、毎晩遅くまで一人会社に残り、徹夜も珍しくない日が続いていたそうだ。
集中しすぎて食事をとることも、休憩することも忘れてしまい、無意識のうちに自分を追い込んでいた。不眠不休の作業で頭痛が始まり、それでも薬を飲みながら机の上でパソコンを一日中睨み、ようやく一休みしようと立ち上がれば貧血を起こして病院に運ばれた。
無理をするなと言っても、ちょっと休み過ぎました、あと少しですから……と言って、そのときはまた職場に復帰したそうだ。
だんだんと体調が悪くなり、お腹を痛そうに抱えたり、立ちくらみを起こしたり、胸焼けがすると言って大きく息を吐きながら胸を手でさすっていたそうだ。
特に頭痛がひどかったそうなのだけど、薬を飲めば平気なのだと言って、机の上には頭痛薬が常備されていたのだそうだ。
そして、あの日の朝、ユッチのお父さんは倒れた状態で発見された。
過労による、多臓器不全だったそうだ。
そして最後まで意識が戻ることはなく、ユッチのお父さんは死んでしまった。
「こんなものは取り上げて、疲れているなら無理矢理でも会社から追い出して、休ませていれば良かったんです!」
そう言って、その上司の人はポケットから薬の瓶を取り出した。
市販の鎮痛剤のようだが、どこかで見たような気がする。お兄ちゃんの会社で作っているもの……ではないようだ。ラベルには「眠くならない解熱・鎮痛剤」と書かれている。
「鈴木さんのせいではありません。どうか、頭をあげてください」
小夜子さんは上司の人(鈴木さん)にそう言って、遺影を見て呟くように言った。
「あなた、疲れたでしょう? 私や娘たちのことは大丈夫だから、ゆっくり休んでね」
それからというもの、小夜子さんはお父さんの葬儀が終わったかと思えば、弁護士の人といろいろ話したり、ユッチの入学の手続きや準備があったり、須藤家では毎日が慌ただしく時間はあっという間に流れていった。
そして、ユッチは高校生になり、また同じ学校の後輩になった。
お父さんが亡くなったショックで、最初は話しかけても何もかも上の空だったユッチだったけど、生活のためにと小夜子さんが喫茶店とは別にパートを始めてから、自分もしっかりしないといけないと思ったのだろう。入学式が終わって2週間も経たないうちに、元気……とは言えないけど、普通に話せるようにはなった。
それでも時々、どこかボーッとしているところがあって、気づいたら図書委員を押し付けられていたりした。
(大丈夫かな?)
私は休み時間になるとすぐにユッチのいる教室を訪れて、話すようにしていた。
なんでもいいから、とにかくユッチには早く元気になって欲しかった。
私はユッチの前で、お兄ちゃんの話をしなくなった。
ユッチの大切な人が死んじゃったのに、私が自分の大切な人の話をすることなんてできなかった。
少しずつ、少しずつ、ユッチが今までのユッチに戻るまで、私は何日でも何年でもかけるつもりだった。
ごめんね、お兄ちゃん。お兄ちゃんのお嫁さん、もう無理だと思う。
お兄ちゃんのために3年近く頑張ってきたけど……もうダメだね。
こんな状態のユッチを放っておけないよ。
こんな状態のユッチに、お兄ちゃんの話はできないよ。小夜子さんにも、麻衣ちゃんにも。
今日からユッチのために、頑張るようにするね。
それからしばらく経ち、ゴールデンウィークが近づいた頃のことだった。
「白瀬先輩って、須藤さんとよく話してますよね?」
「うん、そうだけど……。中学の時からいろいろとあってね」
部活が終わって、今日はユッチが図書当番なので一緒に帰ろうと思いながら更衣室を出たとき、後輩の一人がそう話かけてきた。ユッチのクラスメートらしい。
「須藤さんって、モデル事務所通ってるって噂、本当なんですか?」
「へ?」
いったいどうして、そんな話になっているのだろう?
「すごく綺麗で可愛いんですけど、誰にもケータイの番号やアドレス教えてくれないし、委員会のない日はすぐ帰っちゃうし、先輩以外の誰かと話しているところ見たことないんで。一般人とは付き合えません……みたいな」
ああ、そういうことか。
ユッチが可愛いのは当たり前だとして、ユッチは携帯電話を持ってないし、すぐ帰るのは小夜子さんが仕事を増やしてしまって家事を全面的にせざるを得なくなっているからで……あまり他の人と話せないのは、まだお父さんのショックを引きずっているだけだ。中学の頃からの数少ない友達が、別の学校やクラスに行ってしまったからでもある。
あまり深いところまでは話さず、私は後輩に「ユッチに何かあったら教えて」と協力だけお願いして、更衣室をでた。
図書室にいるユッチを誘って、一緒に下校する。
最近になって、ユッチはメガネをかけ始めた。
縁のない薄いレンズの奥で、どこか寂しそうで憂いの滲んだ光を放つ黒くて大きな瞳は、なんだか知的でどこか危ういような魅力がある。図書室にくる男子生徒が増えたと、司書の先生が言っていた。
実際は受験勉強で視力が落ちたそうで、お父さんの使っていたメガネのレンズを交換したものらしい。
お父さんがすぐそばにいるみたいで少し安心するのだと、寂しそうに言っていた。
2人で並んで自転車を押しながら、帰り道を歩いていく。
会話は間が持てばなんでもいい。私が一方的にしゃべるだけでもいい。
後輩のしたユッチの話をネタにしたりして、ただただ話続ける。
ユッチはただ、話の所々で相槌をうってくれるだけだったのだが、
「あの、唯先輩?」
急にこちらを見て、私を呼んだ。
なんだろう? と思っていると、彼女はおもむろに口を開いた。
「お兄さんの話……しないんですね」
「……えっと、その……」
なんて言えばいいのだろう?
「唯先輩。……いろいろ気を使わせてしまって、すいません」
ユッチの言葉に、私はそれ以上、何も話しかけることができなかった。
今日はユッチの家に寄って、麻衣ちゃんと遊んであげようと思っていたけど、なんだかそんな気分にはなれなかった。
お兄ちゃん。私はどうすればいいのかな?
気づけば私は、家ではなく駅に向かって自転車を走らせていた。
そのまま電車に乗って、お兄ちゃんのいるアパートに向かう。
ユッチのお父さんのお葬式から、お兄ちゃんには会っていない。
ユッチのことが気がかりで、それどころではなかった。
お母さんの話によると、最近お兄ちゃんはまた仕事が忙しくなったらしい。
なんでも、会社の研究室でトラブルがあって、その始末に追われているらしい。
情報漏洩がどうとか言っていたらしいが、よくわからない。
アパートの前までついて、お兄ちゃんの部屋の窓を眺めると、電気がついていない。
まだ帰ってないのかな?
部屋で寝てるだけかも……。
あ……それこそ、ないか。忙しい時ほど、無理しちゃうんだった。
それでも、もしかしたらと思って、お兄ちゃんの部屋の扉の前まで歩く。
お兄ちゃん……ちょっとだけでいいの。甘えさせて?
今日は合鍵を持ってないので、ドアをノックする。
返事がない。やっぱりいないみたいだ。
しかし、ドアノブに手をかけると……。
開いてる? お兄ちゃん、いるの?
ゆっくりと、外開きの扉を開けていく。
中は真っ暗だ。鍵を閉めずに外出したのか、それとも寝ているのか?
無用心だな……と思いながら、玄関口のブレーカーを上げる。
何もないときは、電気を消すのではなくブレーカーを落とすというお兄ちゃんの徹底した節約ぶりを今更ながらに苦笑しながら、靴を脱ぐ。
照明がつく前に部屋に上がった私の足に、何かが当たった。
ちょっと暖かくて、少し柔らかくて重い……何か。
なんだろう? と私が思ったその時、部屋が明るくなった。
「ひっ!!!」
見慣れた2Kのアパートの一室の、玄関から入ってすぐのキッチンの床の上に……
「お兄ちゃん!!!?」
お兄ちゃんが、胸を押さえて倒れていた。
倒れていたお兄ちゃん・裕一!?
いったい何が!!?