11 妹の采配(転機4)
お待たせしました。
走る。
とにかく走る!
ユッチはどこ!?
階段を駆け上がりながら、私は病棟の各階を探して走り回った。
病院の消灯時間は早い。暗く静かな廊下に、私の足音だけが響く。
ようやく病院まで着いたものの、入院患者名簿に須藤という苗字はいくつかあった。
ユッチのお父さんの名前を私は知らない。
須藤と表示された病室を片っ端から開けて、ユッチがいないか確認していく。
途中、すれ違った看護士に注意された気がしたが、構わず探し回った。
五階まで上がった時には、息も切れ切れで、早歩きするだけで精一杯になっていた。
夜も遅いし、ユッチはもう病院にいないのではと一瞬考えたが、それは有り得ないと考えた。
お父さんの事をあんなに嬉しそうに話していたユッチが、こんなときに病気のお父さんの傍を離れられるはずがない!
(もしもお兄ちゃんが倒れたりしたら、私ならずっと傍にいる!!)
呼吸が苦しいのを我慢しながら、私は病棟を探して行く。
名簿で確認できた最後の部屋が、もうすぐ先に見えた。
ちょうどそこから、誰かが廊下に出てきた。
向こうも私に気づく。
私の姿を捉えた綺麗な黒くて大きな瞳が、見開かれる。
白くて綺麗な頬に、大粒の涙の雫がこぼれ落ちていく。
「唯……先輩、……なんで?」
「ユッチ!」
最後の力を振り絞ってダッシュして、彼女の細い体を抱きしめようとして…………
“ゴンッ!!”
「ぶぎゃっ!?」
突然、廊下に開いた病室のドアに顔からぶつかった!
この病棟の病室のドアは内外に開くタイプだった。
そのままズルズルとドアに沿って、私は崩れ落ちる。
(あー……痛いし、走り疲れて体は重いし、カッコ悪いし、……最悪)
「あれっ? 先輩さん?」
「唯先輩!?」
ドアの影からひょっこりと顔を出した麻衣ちゃんが、目を白黒させて驚いている。
ユッチが大慌てで寄ってくる。
こんなとき、どんな顔すれば良いんだろう?
「あはは……、失敗しちゃった。会いたかったよ、ユッチ」
鼻血をダラダラと流し、嬉しくて自然に涙も流れてきて、私は人生で最大の不細工な顔でユッチに笑いかけた。
ユッチもつられて……泣いているのに、どこかホッとしたように、可笑しそうに笑った。
◇ ◇ ◇ ◇
「唯先輩、どうやってここまで……?」
「あー、いや、その……とりあえず頑張っちゃいました。お兄ちゃんが、その、なんというか……」
鼻の穴にティッシュを詰め込んだ情けない顔で、ここまでの経緯をどうにか説明すると、ユッチも小夜子さんも麻衣ちゃんも、驚いていた。
今、私たちがいるのは、ユッチのお父さんの病室だ。
ユッチのお父さんは今、私たちの目の前でベッドの上で眠っている。
両腕に点滴をつなぎ、鼻によくわからない管を通した状態で、今は落ち着いた様子で眠っている。お医者さんのお陰で、つい先程容態が落ち着いたそうだ。
小夜子さんよりも少し若い、穏やかで優しそうな人だった。
(これがユッチのお父さんか……)
ユッチを自然と笑顔にした、ユッチの大好きなお父さん……早く良くなってね。
「あの……それで先輩のお兄さんは?」
私がユッチのお父さんを見つめていると、ユッチが話しかけてきた。
「なんかお仕事で疲れてるみたいで、ぐったりしてて下の待合所で寝てる。だから見せ合いっこはまた今度ね」
私がそう言って笑いかけると、ユッチは
「はい。お父さんが起きたら、電話しますね」
と言って、微笑んだのだった。
▼ ▼ ▼ ▼
それから、お兄ちゃんの仕事が終わるまで、私はお兄ちゃんと同じホテルの部屋に泊まりながら、毎日のようにユッチのところを訪れた。
あの後、お兄ちゃんは私を一人で呼び寄せた事を、お母さんからこっぴどく怒られていた。
お母さん、私はそんな子供じゃないよ! とお兄ちゃんの携帯電話を奪って言うと、お母さんは呆れたようにため息をついていた。
結局、私がユッチのお父さんの病院に通っている間に、ユッチのお父さんが目を覚ます事はなかった。
「私はもう大丈夫ですから、先輩は先に帰って待っててください。」
家に帰る前日、私に心配をかけまいとしているのか、ユッチはそう言ってくれた。
ユッチの綺麗な瞳が不安そうに揺れていたけれど、そのさらに奥に何かよくわからない強さを感じて……、
(もう大丈夫……だよね)
「新学期は、一緒に登校しようね」
と約束して、私はお兄ちゃんと一緒に家に帰った。
ユッチは高校受験を難なく、合格していた。
見せ合いっこは、入学式の日にしよう!
新幹線の中、隣で疲れて眠っている、私のこれまでの奮戦なんか一切知らないお兄ちゃんの無防備な寝顔を鑑賞しながら、私はウキウキしながら「お兄ちゃん御披露目作戦」を考えていた。
そして、それから数日後……
ユッチの卒業式の前日の朝……
ユッチのお父さんは、亡くなった。
結衣のお父さんが亡くなりました。
転機を迎えた唯の行動やいかに?