10 妹の采配(転機3)
こんな兄貴、絶対いねー。
堅実なお兄ちゃんは、普通の人が考えないくらいに用心深い。
いざというときには、通帳やカードにいくら預金があっても、すぐ使えないという現実を知っている。
現金の方が急な出費にすぐ対応できると言って、非常時に備えてアパートの自室にヘソクリを持っている。
電話でその在処とお兄ちゃんの忘れ物を聞いて、私はすぐに荷造りをしてお兄ちゃんのアパートまで走った。
お兄ちゃんの部屋に入り、重要なデータが入っているというCDーROMと、ヘソクリの入った封筒を手に入れた私は、休むことなくダッシュする。
陸上で鍛えた私の脚と肺活量の実現できる限界の速度で駅まで走り、飛び乗るように快速車に駆け込んだ。
息を切らしながら封筒の中身を覗き込むと、お年玉でももらったことのないほどの……に、し、ご……五万!?
お兄ちゃん! 過去にどんな非常時が!?
とりあえずこれで、お兄ちゃんとユッチのもとに駆け付けることができる。
▼ ▼ ▼ ▼
「はい! お兄ちゃん、忘れ物!!」
「助かった~(泣) ありがとう、唯!」
待ち合わせの駅まで到着して、指定された改札口を出ると、私はすぐにお兄ちゃんを見つけて、バッグからCDーROMを取り出した。
受け取ったお兄ちゃんは感極まったとばかりに力一杯私を抱きしめた。
お兄ちゃんの匂いに包まれて嬉しい限りだが、今はそれどころではない!
「ちょっと、放して! 今、それどころじゃない!」
突き飛ばすようにお兄ちゃんから離れると、目を白黒させて驚くお兄ちゃんに私は叫ぶように言った。
「□□総合病院ってどこ!!?」
▼ ▼ ▼ ▼
その後のお兄ちゃんの対応はさすがだった。
さすがは製薬会社の社員だけあって、病院関係の検索はお手のものだった。
と言っても研究職であるお兄ちゃんには、営業と違って病院関係者へのコネが殆どないので、同僚の営業員に連絡を取っていた。
「そう□□だ! 専門? えっと……多分、循環器系だと思う。 ああ、そう、多分それ。……悪いな。今度奢るよ」
慌てていた私は、お兄ちゃんにどう状況を説明したか覚えていない。取り乱したユッチみたいに支離滅裂な説明だったと思うが、お兄ちゃんは冷静に話を聞いて、コンビニで買った地図を片手に睨み、既に骨董品と化した機種の携帯電話で話しながら、すぐに病院の目星をつけていった。
お兄ちゃんに手を引かれて駅前のタクシー乗り場に出ると、外には高層ビル群の煌びやかなライトアップが広がっていた。
すっかり忘れていたが、もう夜もだいぶ遅い。
ユッチはまだ病院にいるのだろうか?
どこかで一人で泣いているのだろうか?
早くユッチに会いたい!
私に何が出来るのか分からないけど、出来ることは何でもしてあげたい!
お兄ちゃんと同じくらい、ユッチことも好きだから。
◇ ◇ ◇ ◇
私がお兄ちゃんを大好きなように、ユッチもお父さんが大好きだった。
システムエンジニアのユッチのお父さんは、麻衣ちゃんが小学生になったばかりの頃に単身赴任となり、滅多に家に帰ってこれなくなった。
とても真面目で勤勉な、誰かに頼りにされると断れないようなお人好しで、気がつくと無理をし過ぎる危うい人なのだと言っていた。
そんなお父さんが大好きで、心配だと言っていた。
「唯先輩のお兄さんと似てますね」
そうかもしれない。
ユッチがそう言ってお父さんの事を話してくれたのは、受験日の少し前だった。
週末の夜には必ず電話がかかってきて、最近の出来事をユッチも麻衣ちゃんも夜遅くまで話して聞いてもらうそうだ。
「卒業式の日に、お父さんが帰って来てくれるんです。それで、単身赴任もようやく終わるから、これからはずっと4人で暮らせるよ、って言ってくれたんです。」
嬉しそうに話すユッチの笑顔はとても眩しくて、幸せそうだった。
あまりにも眩し過ぎて、お兄ちゃんのために、ユッチのお父さんを説得するのは大変そうだな……と、私が強敵の存在にため息をついたのは言うまでもない。
だけど、ユッチの本当に幸せそうな笑顔を見ていると、いつも静かでどこか寂しげな彼女が、明るくて楽しげなもっと魅力的な女の子に変わっていく気がして、早くユッチのお父さんが帰ってくればいいと思ったんだ。
「ねえ、ユッチのお父さんに、私も会ってみたい」
ユッチをここまで笑顔にできるお父さんは、きっとお兄ちゃんみたいに素敵な人だ。
ユッチを笑顔にできる魔法を、私は知りたい。
「私も唯先輩のお兄さんに、会ってみたいです」
ああ……ユッチのこの言葉。
多分今が、頃合いだ。
「いいよ! ユッチのお父さんと、私のお兄ちゃん、見せ合いっこだよ!」
ユッチが卒業したら
ユッチのお父さんが帰ってきたその時
私はお兄ちゃんの為に
全力の勝負を始めるんだ!!
◇ ◇ ◇ ◇
「なんで……、こうなるの?」
せっかくユッチとまた同じ学校で話せるようになって、ユッチのお父さんがユッチをいっぱい笑顔にしてくれて、私がお兄ちゃんを自慢して…………お兄ちゃんの為に、やっと全力の勝負が始められるはずだったのに!!!
なんで!?
どうして!?
「唯!」
「ひゃあっ!」
突然、お兄ちゃんの声が聞こえたかと思うと、何かすごい力で引っ張られた気がして、気づいた時には私はお兄ちゃんの膝の上でお兄ちゃんを見上げていた。
タクシーのシートの上で、お兄ちゃんの膝枕に頭をのせているのだと気づいて……お兄ちゃんの顔が近くて、お兄ちゃんの……。
「いたっ!」
お兄ちゃんの手が私の頭を撫でてくれるのかと思ったら、おでこをパチリと中指で弾かれた。
「なにするのよ~?」
「お前こそ何やってんだ?」
ヒリヒリする額をさすりながら訴える私に、お兄ちゃんは呆れたようにため息をついたかと思うと、急に真剣な目をして言ったのだ。
「お前はこれから何しに行くんだ? お父さんが大変なことになってる大事な後輩を、励ましに行くんじゃないのか?」
「そうだけど」
「余裕のない奴や不安な顔した奴に励まされて、なんか変わんのか? むしろ悪化するぞ」
あれ? 私、なんて顔してるんだろう?
お兄ちゃんの言葉で、お兄ちゃんの瞳に映った自分の顔を見て、気づいた。
ヒドいや……。
今にも泣きそうで、強張って、怯えてて、迷ってて……。
しっかりしなきゃ!
私は……ユッチの頼れる先輩なんだから!!
「運転手さん、やっぱUター……」
「待って、お兄ちゃん!!」
私を見かねてタクシーの行き先を変えようとしたお兄ちゃんを、慌てて止めた。
「なんだよ……、俺より残念な奴がいると思って、ちょっといい気分だったのに」
呆れたような笑顔で、だけど満足そうにお兄ちゃんは呟いた。
私の中で、何をするかは決めてないけど、とにかく何かをする決意が決まっていた。
「残念キャラは、お兄ちゃんだけで十分だよ」
「うるせー」
また額を弾かれたけど……、今度のそれは優しかった。
しばらくすると、目的の病院の駐車場に、私とお兄ちゃんを乗せたタクシーが滑りこんだ。
嘘をつくのが苦手な馬鹿正直なお兄ちゃんが、宿直の看護士を相手に四苦八苦しながら、なんとか面会時間の終わった病棟に入る許可を取る。
「いってこい」
「お兄ちゃんは?」
「お前の大事な後輩だろ? 俺まで行ってどうする?」
そう言いながらお兄ちゃんは、待合所の自販機で水を買って、ポケットから出したピルケースの中の錠剤を一つ飲んで長椅子に横になった。
ずっと余裕がなくて気がつかなかったが、よく見ると顔がやつれている。
年度末が近づくと大変なのだと、いつだったか言っていた気がする。
「年度末事務やら研究発表の付き添いやら、先週からバタバタして疲れてんだ。少し休ませてくれ」
「じゃあ、また“今度”ね」
今度、ユッチと合わせてあげるね。
ユッチのお父さんのいる病室に向けて、私は走り出した。
なんとか転載作業を終わらせたいけど……、フロッピーディスク、ネカフェじゃ使いづれー! データ古すぎて、トラブル半端ねー!
更新ペースが遅くなりそうですが、アクセスして下さる読者の皆様のためにも、休日は余裕のある限りで頑張りたいと思います。