蠢く罠への招待状
「ちょっと抜けると言って出て行って、陛下!貴方様は真昼から幼き妻を寝室に連れこみ一体何サボってらっしゃるのですか!?」
リーナの寝室にシルジェスが踏込み、フェラルドを迎えに現れたあれから、二人は国王の執務室に戻って来ていた。
「お前がご機嫌伺いしろと言ったのだろう。シルジェス」
ふんっ!と飴色の光沢を纏う豪奢な執務椅子に深く腰掛けたフェラルドは、リーナとの甘く美味しい時間を邪魔されてむくれ気味に返した。
「だからと言って会議の最中に抜けて行くことは無いでしょう!」
「ああ、それか。だが、重要な案件はもう決まっていただろう。残りの軽いものは俺がいなくとも適当にお前が処理して、重臣達をそれとなく納得させれば済む話だ。それにあんまり国王だからと若造の俺が出しゃばるよりこのぐらい任せたほうが嫌味にならん。彼らのねんきの入った自尊心も保たれるしな」
「…天才というものは手の抜き加減まで計算されているという事なのでしょうか?ああ、もうっ!腹立たい!確かにあれから何事もなく、残りの件も彼らに提案だけして方向性を誘導したら、後は希望通りの答えを上手く導き出して下さいましたよ。万事無事、貴方様の計算どうり彼らは自尊心を満たされ満足げに会議室から出て行かれましたとも」
「そらな?俺がいなくとも良かっただろ?」
ニヤリと絶世の美貌のしたり顔を向けられたシルジェスは深い深いため息をこぼした。
「勝手にただのサボりを正当化しないでいただきたいですね」
フェラルドはシルジェスのこぼした正論を黙殺し、この話の区切りはついたとばかりに、執務机の端に乗せられた報告書類の束から一枚を手に掴んだ。
それを軽く目で流していたフェラルドだったが、途中から彼の顔が怪訝なものに変わる。
「………おい、この黒銀星石の採掘量の数値は先月と比べ何故こうも減った?」
そう言いながら眉間に深い皺をよせると、フェラルドは自身の手にある報告書を有能な部下に渡した。
黒銀星石とは、近年ジルンタールで採れ出した希少な鉱石で、黒い石の中に銀色に光る星を無数に散りばめたかのような美しい鉱石だ。
金や銀、ダイヤモンドとならぶ高価な代物である。当然ジルンタールの国家収益の一部を担う大事な資金元でもある。
「本当ですね。採掘の最高責任者であるマジェスター国土大臣からは、先程の会議で特に何も聞いていませんが…」
素早く書面に目を走らせたシルジェスも同様に眉根を寄せた。
「ではこのふざけた報告書をそのまま俺に寄こした阿呆大臣を呼んで話を聞いて来てくれ。確か鉱脈探査団の話ではまだここ何十年かは、採掘の盛りな筈だ。それにまだまだ手付かずの鉱床にも相当数の埋蔵鉱量が眠っていると聞く。こんな戯けた報告書をよくも見過ごせたものだな。これだから自尊心ばかり無駄に高い年寄りの怠慢な仕事は困る。一度その自尊心、二度と再生不能なほどこっぱ微塵に粉砕してやろうか!」
そう吐き捨てるとフェラルドは盛大に舌打ちした。
フェラルドの言う通り、報告書には劇的な程の差異では無いが、明らかに先月と比べて数値は減っていた。今まさに採掘の盛りを迎えている黒銀星石が、採掘量の数が増えることはあっても、減ることはまず無い。フェラルドはこの不穏な差異がどうしょうもなく引っかかった。
これは確実に何か面倒な裏があると、そう直感したのだ。
そんなフェラルドは、苛立ちを隠すことなく……
「ああ、くそっ!使えん高給取りのジジイめ!一月もの間何やってたんだ?少しはその鈍った頭と感を働かせろ!ボケるぞ!俺の仕事が増えるだろがっ!いやもうボケてるな。ついでに禿げろ」と大魔王も泣き逃げしそうな勢いで本物の大魔王がごとく悪態をつきまくった。
そんな主をシルジェスは半眼で見つめながら思わず突っ込んでしまった。
「……先程とおっしゃてる事がまるでちがいますが…………。こほん!分かりました。ではこの件は取り急ぎこちらで調査いたします」
自尊心を保てと言ったかと思えば粉砕するぞ、という恐ろしい早変わりに戸惑う事無く、優秀な側近はこの苛立ちはおそらく問題事で新妻をかまう時間が減る事からだろうと確信していた。
そして先程の嫌味にならないなど、重臣達の自尊心がたもたれるから、などの殊勝でご立派な言葉はサボりの言い訳のための全くの方便だと、こちらも改めて確信した。
****
翌日の正午の執務室。
シルジェスは昨日フェラルドに言われたとうり、マジェスター国土大臣に話を聞いたそれを主に報告していた。
「では、マジェスター大臣は採掘量の減りについて特に何も知らぬと言うんだな?」
「はい、そのようです。現場の総責任者からの定期報告にも、ここ最近大きな事故やアクシデントなどは無く、特に変わった事は無いそうです」
「定期報告だけでなく現場の採掘日誌まで確認してるのか?」
「いえ、そこまでは聞いておりませんでした。ですが…あの様子だと多分していないかと…」
「まあ、あの報告書に疑問を持たずそのまま上げてきたわけだからな。もとよりあの大臣が何も知らんというのはほぼ想定内だ。それにしても現場の総責任者からは特に何もって……仕事しろよジジイ。」
フェラルドは苦虫を嚙み潰したような顔でため息をついた。
「そのあたりも引き続き調査して参りたいと思います」
「わかった。引き続き頼んだ。何か分かったら知らせてくれ。ところでそろそろか?」
フェラルドは机の上にあるすでに採決済みの書類束を脇に置くと、そわそわと逸る気持ちを落ち着かせる様に、執務椅子にゆったりと腰掛ける。
誰かを待つように目の前の豪奢な扉をじっと見つめる。その表情は微かだがゆるんでいる。
「はい、そろそろですね。陛下、口元の締りが悪いですよ」
「うるさい、ほっとけ。」
辛口の側近からの無表情な指摘にも、扉から目をはなす事無く返す。
三分経過。
「………………」
「………………」
五分経過。
「……………………」
「…………珍しく時間がずれましたね」
八分経過。
「……………………………」
「…………少し遅いですね」
十分経過。
「………………………………………」
「もしかするとまだお休みなのかもしれませんね」
「うるさいぞっシルジェス!」
くわっと目をむいて側近を睨む。
おかしい。「忙しいフェラルド様をお待たせしないように」といつも時間どうりか、何なら少し待つくらい早めでリーナはあの扉から愛らしくひょこっと顔を少し覗かせ、お昼の食事兼お茶を呼びに来るのに。
どうしたというのだろう。
しばしの逡巡の後、フェラルドはがたりと席を立つ。
「ちょっと迎えに行ってくる」
「はい。畏まりました。お昼間という事だけお忘れなく、おきおつけて」
こうゆう場合だけシルジェスは無駄に麗しくにこりと笑む。そして顔の横で女のように小さく手を振るのだ。
リーナがやったら抜群に可愛いしぐさだが、いくら中世的な顔立ちとはいえ男にやられるのは気持ち悪い。
そしてしっかりと昨日の事もあり釘を刺された。
真っ昼間から盛らないでくださいね!と。
リーナの部屋とフェラルドの部屋は別だが、勿論夫婦なので中で扉一枚でつながっている。
未だその扉を開き境界を侵したことはどちらも無い。フェラルドからは開けないとなぜか彼は自身に固く誓っている。簡単に理性を捨て狼になったがそれはそれということらしい。
「リーナ……入るぞ」
こんこん。と軽くノックをして声をかけた。
すると中から慌てて侍女が扉を開ける。部屋に入ると中でフェラルドを迎えるためにソファーから立ち上がったリーナも、どこか焦っている様子である。
もじもじと前で組んだ細い真珠のような手をいじっている。
「フェ、フェラルド様、おはようございます」
「?それは朝食の時に聞いたが?今は昼だぞリーナ」
「あっ、そ、そうですね!私ったら間違えてしまいましたわ」
朝昼晩と二人は共に食事をとる。忙しいフェラルドだが、可愛い新妻に少しでも淋しい思いをさせない為にと、出来るだけ共に過ごす時間を作る様にしている。
と、いうのは勿論建前だ。
いや、確かにそういう理由もあるが、愛しい新妻と一分一秒でも共にいたいのは彼のほうである。
朝昼晩とその可愛く愛らしい笑顔で「いってらっしゃいませ」「おつかれさまです」を聞くのが彼の最近の癒しなのだ。この至福のひと時だけはどんなに忙しくとも彼は死守すると決めている。
「あらためて、おつかれさまです、フェラルド様」
腰を折りにっこりと極上に可愛い天使の笑顔をフェラルドに送る。
「ああ、ありがとう」
今彼は至福のひと時を深く味わった。
おそらく他の誰にも見せたことの無いだろう柔らかく慈愛に満ちた優しい微笑を浮かべて。
「ところで、今日はどうされたのですか?」
小首をかしげきょとんとするリーナ。その姿にフェラルドは小さく片眉をあげた。
「どうって、いつも昼にお前が時間どうりに俺を呼びにくるのに、今日はなかなか現れないからこちらから呼びにきたんだが?」
「あら、まぁ!もうそんなお時間でしたの?!すみません少し侍女たちと話込んでしまいましたわ」
「いや、かまわないが…………何をそんなに侍女たちと一生懸命話ていたんだ?」
口元に手を添え焦るリーナの顔を、フェラルドは訝しげに軽く覗き込んだ。
「いえ、あの、大した話ではありませんから…」
愛らしい顔の前で両手を何でもないと小さく振る。だが長いまつ毛に縁どられた澄んだ緑の目が泳いでいるのは明白だ。
フェラルドはちらっとほんの一瞬壁際で控える侍女たちを窺がう。
そしてすぐに視線をリーナに戻すと極上に麗しく優しい笑みで「そうか、わかった」と答えた。
嘘のつけない娘だ。とフェラルドは改めて思った。
微妙に様子のおかしい愛妻を訝しむも、彼も無限に昼休憩がある訳ではないので、とりあえずこの時は一旦昼食をとるためにリーナを連れ添い食堂に向かった。
****
数日後。
昼下がりの午後。国王の執務室の扉が控えめにノックされた。中からの誰何の問いに緊張感を孕みながらもしっかりとした声で答えたのは、この王宮の情報伝通部の伝達官だった。
情報伝通部は国内の各所に配置されている。王宮内は勿論、国内の要所な砦や、国のあらゆる機関などにも、速やかな情報連絡の統制の為にだ。
その役割は配置された場所によって多少異なる。
王宮内では主に、執政各部署の様々な伝達や、国内の大量な嘆願書や各部署への書簡の仕分け配送、諸外国からの重要な書簡まで、大小幅広く扱う雑用係……もとい伝書鳩…もとい郵便屋さん…もとい重要な連絡係だ。
「入リなさい」
シルジェスは簡潔に入室の許可を出す。
伝達官が控えめに入室すると、伝達官は金製の細部にまで意匠を凝らした豪華なレターソーサーを恭しく掲げ、シルジェスに渡す。
本来は国内から国王へ上がって来た大量の書簡は、伝達官から忙しいフェラルドの代わりにシルジェスが一度纏めて受け取り、彼が確認し厳選仕分けされた最も重要な国王が直接確認する必要が有りそうなもののみフェラルド行きとなる。それでも大量だ。
だがその例外がある。周辺諸国の王族からの直々の書簡だ。その場合は国王であるフェラルドが開封する決まりのため、彼のもとに直接書簡は届けられる。それが今回の例だ。
皿ごと受け取ったシルジェスは伝達官に一つ頷き彼を退室させると、それを同様にフェラルドに恭しく渡した。
皿から手紙を取ったフェラルドはペーパーナイフで開封すると手紙をひらいた。無表情に手紙を眺める主にシルジェスは声をかけた。
「やたら見覚えのある無駄にりっぱな封蝋ですが…………」
「ん?これか?そう我が愛しの妻のお義父上さまからだ」
「でしょうね。で、なんと?」
フェラルドは読み終わった手紙をスッと無造作にシルジェスに渡す。シルジェスはそれを受け取ると素早く目を走らせる。
「近々メイスィルで王家主催の宝石のお披露目会があるそうだ。メイスィルの上級貴族達も集まり一週間もかけてなかなかに盛大にやるらしい。メイスィルとは暇な国だな。最終日には目玉となる王家の秘宝とやらのお披露目もあるそうだ。それにぜひ、俺たち夫婦も参加しろとのことだ」
やれやれと面倒くさ気にフェラルドは説明した。書面に目を走らせ終わったシルジェスはくわっと険しい顔をする。
「一週間もですか!?こちらはそんなに暇ではありませんよ」
「ああ、俺もそう思うが…………まあ仕方ない。行くしかあるまい」
「別にいくらリーナ様をお迎えしたからといって彼の国に義理立てする必要はありません。どうせ国王が溺愛している愛娘に会いたいだけでしょうに!?でなければ只の罠です」
長年の小競り合いに終止符を打つためと縁戚を結んだとはいえ、やはり元敵国である。警戒は否めない。
とはいえ国力も軍事勢力もこちらの方が格段に上である。いきなり捕えて討つなどの暴挙は、条約違反で、周辺諸国に見限られ彼の国は一瞬で終わりである。なのでそんな極端な心配はいらない。が…………
「だが、行かないわけにもいかないだろう?和解の為に結んだ縁戚とはいえリーナを迎えたんだ。たとえそれが向こうにとっては表面上の形だけのモノだとしても知らない顔も出来ないだろ。それにこれからは互いの国とも交流を重ねていかねばなるまいしな。でも、まあ………確かに何かはありそうだがな」
はあ~と深い息をついたフェラルドだが次の瞬間、スッと顔を真正面に向けた。
その美貌の顔にはニヤリと不敵な笑みがのっていた。
「とりあえず行ってやろうじゃないか。そしてその秘宝とやらをとくと拝見させてもらおう」
「ああ、まったく…………何ですか!そのやるならやってやる的な挑発的な笑みはっ!分かりましたよ。ですが、一週間分の政務を片付けてからお願いしますよ。まあ、あなた様でしたら造作も無い事でしょうがね」