イタズラなごちそうさま。
この世界の名はカテラシア。
自然溢れる大陸には、小高い山々や標高高い切り立った山、美しく雄大に広がる海、さまざまな場所がある。
その恩恵を受けつつ寄り添う様にカテラシアには人間が築いた国がいくつかある。
その中でも数少ない大国とされる国の一つ、それがジルンタール王国である。
広大な国土の南を海に面して、北を年中雪積もるガベール連峰で囲われ、東西を緑溢れる平地や川でおおわれていた。
その西側に隣接する、ジルンタールよりも少し小さい国それが長年の敵国メイスィル王国だった。
メイスィルの妖精姫がジルンタールの若き賢王のもとに嫁いできて一ヶ月がたった。
妖精姫と吟われるほどの、可憐な容姿に裏切らぬ愛らしい中身の素直なリーナ姫は、今日もまたお気に入りの裏庭をお散歩していた。が、
「あら?らら?もしかして、また迷ったのかしら?フェラルド様にいつも言われているのに、また裏庭の奥まで来てしまったみたいね」
この何とものんびりとした姫が、裏庭を散歩する度に極度の方向音痴で遭難するので、その度に周りが心配して大騒ぎとなるのだ。
最近では彼女が裏庭の散歩に行くとフェラルドが知ると、極力同行するのだが、いかんせん彼は忙しい。
毎回同行とは流石に行かない。
城内なのでよほどの事がない限り大丈夫だが
それでも、十六歳と二十七歳という十一歳も年の離れた可愛い新妻を、過保護に案じてしまうのは仕方ない。
なので、自身が同行できぬ場合は、その辺にいる侍女でもいいからついて来て貰うよう、毎回口すっぱく念を押しているのだが…………
残念な事に毎回少しだけならと、自身の方位磁石を過信し、一人裏庭の大冒険に出ていって、迷子という遭難をしてきてしまうのだ。
「う~んと、こっちからきたから、あっちかしら?」
そう言うと、白く細い人差し指をペロッと舐めて難しい顔でそれを立て、風をよむ素振りをする。
もちろん、何も読めて無い。
「ん、こっちね!」
どうしてそっちなのか?!誰も分からないがだがこれが毎回遭難時の彼女の常なのだ。
「ふむ?ふむむ!おかしいわね………通りの回廊に出ないわ、どうしてかしら?」
そうして、うろうろ、うろついているあいだに疲れたのか、やたら見覚えのあるバラ園らしきものの横にあったベンチで、休憩する事三分…………。すぅすぅと寝息を立て始めたのだった。
一方のフェラルドは、昨日も一昨日も受けたリーナさま裏庭遭難事件の一報を再び聞かされていた。
「何故、誰も付き添わなかったんだ!一人で行かせたらこうなる事は分かっていただろう!?」
「「は、はいっ。申し訳ございませんっ!」」
報告にきた侍女達を叱責するも、彼女達だけが悪い訳でもないので、あまり強くは言えない。だが仮にも一国の王妃の侍女でありながら、(特に危なっかしい)目を離し、見失うとはその学習能力の悪さは十分に責められる所だ。
「おや?またですか。リーナ様のかくれんぼは」
「シルジェス、お前、何を呑気な事を言っている!?」
豪奢な執務室の扉を開けて中に入ってきた側近を、フェラルドは軽く睨んだ。
その整った端正な黒い目に臆する事なく、シルジェスは淡々と口を開く。
「ですが、そう言う陛下も、最初よりあまり慌ててませんよ。もう分かっているからでしょう?彼女がどこにいるか」
「む、まあ、な。だが、何処の誰が狙ってないとも限らないだろう!」
「まあ確かに。それはそうですね」
「とりあえず俺は今から彼女を迎えに行ってくる。後は頼んだぞ!シルジェス」
「はい、承知致しました。バラ園のベンチまで行かれるのですね、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
主の去って行く後ろ姿に、シルジェスはひらひらと手を振って見送る。
そうなのだ。
シルジェスが言う様にリーナが裏庭遭難してたどり着く先は毎回、裏庭奥にあるバラ園なのだ。最初は大騒ぎになったが、回を重ねるごとに彼女のおかしな帰巣本能が知れて、現在ではあまり慌てるものもいない。
とはいえ、一国の王妃の行方が(だいたい分かっているが)分からない状態は流石にのんびり落ちついて放置も出来ない問題だ。何にせよ迎えに行かねば彼女が帰ってこられないのも事実なのだから。
そしてそれを毎回フェラルドが心配しながら彼女を迎えに行く。それがリーナ姫が嫁いできてからのジルンタールの王城での日課となってきていた。
****
「うぅん………もう食べられないですわ…………フェラルドさま~………」
「そうか、俺はもっと食べたいぞ。リーナ、何なら腹ペコだ」
遭難娘を特にあちこち探す事もなく、真っ直ぐ足を運んだ先に案の定可愛い新妻がいた。彼女を迎えに行くと毎回このバラ園のベンチで彼女は寝ているのだ。
(一体何の夢を見てるんだ?だが俺の夢を見てくれているのは正直かなり嬉しいが、これだけ可愛いらしい美少女がこんなところで無防備で眠ってたら危ないだろうっ!)
そぅ、実際のとこフェラルドの毎回の心配は、ここだ。
人形の様に愛らしく可憐な美少女が、こんな人気の無い場所で無防備に眠っていたら、通常の男でもドキドキ、キュンキュン、男の本能を擽るのに、心卑しき男なら城の者でもどうなるか分かったものじゃない。と思っているのだ。
だが普通に考えて、冷酷非情な畏怖すら抱く賢王の、可愛い新妻に手を出せる愚かな勇者は…そうはいないだろう。
すぅすぅ気持ち良さげに寝息をたてるリーナの、ふわふわの金髪を、フェラルドはそっとすくった。
「…………柔らかいな、お前の髪」
そのまま手にした一房をそっと口元に運ぶ。
迷子のリーナを迎えに行く彼の密かな楽しみ。
それが眠りこけてるリーナに可愛いイタズラをする事だ。
可愛い寝顔を見つめて、スベスベのおいしそうな白い頬をふにふにして、その額にそっと唇を当てる。
こうして散々遊んで(健全に)満たされたら、リーナを起こしてあげるのだ。
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「ナ…………ーナ………リーナ起きろ、リーナ」
(あら、フェラルドさまのこぇ。低くて、やさしくて、気持ち良くて、いつまでも聞いていたいわ…………。でも、どうして?もぅ政務のお仕事は終わったのかしら?今日も一緒にお散歩に行ってくださるのかしら?………おさんぽ………)
ぱちっ。
「ふぇ?」
リーナは気の抜けた声を出して、ようやく目覚めた。
目を覚ましたリーナの視界に、真っ先に飛び込んできたのは、いつみても蕩けそうなほど綺麗で端正な顔のフェラルドのアップだった。
「きゃっ!」
どうやら彼の膝の上に横抱きに乗せられ、その硬い胸板に頭と上半身をもたれかせていたようだ。それを彼にしっかりと抱き込まれている。寝起きにフェラルドの美貌は初心な乙女には刺激が強過ぎた。
小さく可愛い悲鳴を出したリーナをフェラルドは満足そうに至近距離から見つめる。
「おはよう、リーナ。ようやく起きたか?」
「えっ?あ、はい。おはようございます、フェラルドさま。あの~………」
(ち、近いわ、フェラルドさまの綺麗なお顔がとっても近い気がする。ど、どうしましょう………すごく嬉しいけど、何となく落ち着かないかも…………)
「ん?なんだ?どうした?」
「いえ、フェラルドさまの綺麗なお顔が、何となくち、近いような………気がして………」
「そうか?俺は近いほうがお前を良く見えるからいいけどな。いやか?」
うっすら人の悪い笑みを履いて、面白そうにフェラルドはリーナを見る。
「いえっ!そんなっ、フェラルドさまの綺麗なお顔を近くで見られるのは私もとっても嬉しいですっ!で、でも…お膝の上にいつまでも乗っている訳にはいきませんから…重たいですし…」
顔を赤らめ慌てるリーナの可愛いさに、フェラルドは男心を擽られて、ついもう少しいじめたくなってしまう。
「そうか、ならば良かった。リーナは全然重くないぞ。軽すぎて俺の胸の中に居ないのではと、心配になって確かめたくなるくらいだ」
そう言ってフェラルドはリーナを抱く腕の力をさらに強めた。
「では俺はもう少し近くでしっかり新妻の可愛い顔を見るかな」
「あっあっ、あのっ!」
そう言っている間にもどんどん近づくフェラルドの顔に目を開けていられず、リーナはきゅっと目を瞑った。
暫くして、リーナのさくらんぼのような唇にチュッ。と小さな音と熱が落ちた。それはすぐに離れたけど、何だかもっとそうしてたいと思うほど気持ち良かった。
(?キス?)
顔のあたりの気配が遠退き、一抹の寂しさと名残惜しさを感じながら、リーナはそっと目を開けた。
「ごちそうさま、リーナ。お前は本当に可愛いな」
そこには、すでにリーナの顔から離れたフェラルドのイタズラが成功して満足そうな顔があった。
「あ………もうっ!からかわれたのですね!」
ようやく自分がフェラルドに遊ばれていたと気づいたリーナはさくらんぼの唇を尖らせ、ぷいっと横をむいた。
するとクスッとフェラルドが笑う気配がした。
「悪かった、リーナ。お前があんまりにも可愛いからついな。それともこんなイジワルをする夫などもう嫌いになって許してはくれないか?」
「そっそんな事ないですっ!嫌いだなんてあり得ませんわ!それに私そんなに怒っているわけじゃ…………」
くるっと彼の方に向き直り、慌てて言いつのるリーナだが、じきに目の前のフェラルドの様子がおかしい事に気づく。
いつも背筋を伸ばし胸を張って堂々と美しい姿勢で、まっすぐ前だけを見据える。そんなフェラルドだが、今はリーナを膝に乗せながらも長身の上背を横に捻って、顔を隠すように俯いている。その肩は上下に薄く震えていて、良く見えないがリーナを支えていない方の片手を口元に当てているようだ。
「?」
一瞬どうしたのか、体調でも悪くなったのか?と心配した優しいリーナだったが、クククッ!と彼の声が漏れ聞こえて…
「っ!もう知りませんわっ!」
やっと悟った。
残念リーナ…頑張れリーナ…。悪魔に負けるな清き天使よ!