推理編【その3】
海原は脱衣場のイスにすわると、目をつむって精神を集中させ始めた。子供のころからの、彼の考え事をするときのクセだ。
海原のために断っておくと、海原が事件を解決しようと考えたのは別に探偵気取りで捜査に加わろうとか、警察に協力しようと思ったからではない。彼は基本的に警察を嫌っていたし、日本に帰ってきての初日を落ち着かないところで過ごしたくなかった、ただそれだけのことだ。どちらの方が世間では聞こえが良いとかはこの際まったく抜きにして。
彼の直感は犯人が彼を除く容疑者五人のなかにいることを感じ取っていた。ただ一つ、捜査にあたっている警察と同じように、どのようにして買ったばかりのタバコに毒薬をつけたかが分からないのだ。
「ちょっと待てよ。視点を変えれば見えへん事も見えてくるはずや……。考えるべきことはどうやって犯人がタバコに毒薬をつけたんか、と言うことではない。つまり、どういうわけでタバコに毒薬がついたんかという事……。あかん、いい考えやと思たんやけど全然分からん」
海原は伸びをすると、側にいた警官に断って外にでてタバコを一つ買ってきた。海原はタバコをまったく吸わないのだが、これも海原流の考え方の一つなのだ。頭の中で考えるより、実物が手元にあった方が考えやすいものだ。海原の買ってきたのは、被害者が持っていた物と同じ物だった。
「ふむ。箱はフィルムで包装されてんのか……。まったく気づかれんとタバコを1本取り出すことは無理やなぁ」
そこへ横溝刑事が現れて、海原の隣に座った。
「死斑がでました。ウチの検察官によると、海原さんの言うとおり青酸カリによる青酸中毒死という可能性が非常に高いそうなんです。鮮紅色の死斑がでたんです」
「そうですか」
「そうなんです」
横溝刑事がおもむろに切り出した。
「海原さん、たしか青酸カリには非常に扱いにくい性質がありましたよね?少しおうかがいしたいんですけど」
海原は笑いながら言った。
「いいですけど、刑事さんならそのぐらいご存知でしょう?それとも、ただの医学部出身者がこんなこと知ってるんでおかしいと思ってるんですか?」
「まさか、そんな事はないですよ。少なくとも僕は海原さんが無実だと分かってるんです」
海原は目を輝かせて横溝刑事の方に向き直った。
「それはどういった根拠からなんですか?」
「海原さんのロッカーは右端の入り口に近いほうでしたよね?被害者のロッカーは同じ列の左端ですし時間の点から考えても、証言の通りなら誰にも気づかれず犯行におよぶのは不可能です」
「なるほど、そう言うことですか」
海原はふたたびさっきの体勢に戻った。その時、離れぎわに横溝刑事が声をかけた。
「ところで、海原さんはタバコ吸いはるんですか?」
「いや、吸わないですけど。ちょっと気になることがあったんで買ってきたんですが。何か気になることでも?」
「いや、別に大したことじゃないんですけどライターを持ってないみたいなんで僕ので良ければ貸そうと思ったんです。吸わないんでしたらいいですね」
「どうもすいません」
海原は返事をすると、精神統一をはじめた。今の会話の中に気にかかる言葉があった。しかし、それが何なのかはまたしても海原には分からなかった。しかしその時、突拍子もないことに海原は気づいた。
「そうか、よく考えたらさっきの考え方は間違ってなかった。タバコに毒薬がついてたんやない。元々は手についてたんや。と言うことは、犯人が被害者に毒薬のついた何かを握らせた、と考えたらいいんかな」
海原は手に持ったタバコをもてあそびながらぶつぶつつぶやいている。
「もう一度、被害者が倒れていた状況を思い出せ……何かあるはず……」
もはや光の失われた、うつろに開かれていた目。右手の先には吸いかけで火のついた(海原が消してしまったが)タバコ。シャツのポケットに入っていたライター。左側頭部からの出血。左側を下にして、体をやや丸めて倒れていた被害者の姿を思い浮かべた。と、突然海原の頭の中に閃光がきらめいた。
「そうや!やっと分かった!なんや足らん思とったんはそれやったんや!」
海原は横溝刑事を呼び止めた。
「すいません刑事さん、調べて欲しい事があるんですけど、しろうとを満足させるためにと思ってお願いできませんか?」
「ええ、いいですよ。元々警察なんてもんは一般住民を納得させるためにあるんですから」
「ありがとうございます。恩にきます」
海原は二言三言横溝刑事に伝えると、今一度自分の推理を練り上げにかかった。時刻はすでに午後10時をまわっていた。うまくいけば、今日中に家に帰ることができる。
海原の目は今までとは違っていた。きらきらと、異常なまでに輝いているその目は、彼の脳細胞がフル回転していることを証明していた。




