17
「とうとう、今夜。」
アウラはポツリと囁くように呟くと、ソファーに埋めていた身体を起こし白いタキシードの裾に腕を通した後、黒いネクタイを首にかけ結びあげた。
所々跳ね上がっている髪に丁寧に櫛を入れ、ゴムで肩の部分で一つにくくると、頭の動きに比例するように髪の先が揺れる。そうしてチェストの上に置いておいたモノクルを瞳に填め、シルクハットをかぶる。
彼女はおもむろに一切の光を遮断するように手で両瞳を隠すように覆い、刹那、すっと横に腕をひき、シルクハットのブリムを下ろし口元に弧を描いた。
これでようやく、機才は眠りから覚めるのである。
「お待たせしました。さあ、参りましょう」
何かから逃れるように赤いカーテンを横にひいた。
淡い桃色のドレスをきたイョは隣の男の腕に自らの白いしなやかな腕を絡め、厳つい黒のスーツを着ている男に招待状を手渡している様子を見ていた。
厳つい男がふと自分の方を向いた為に目を細め口角をあげると、訝しげな表情を浮かべていた彼も頬を緩め目礼を返し、彼女たちを扉の向こうへと招き入れた。
ギィと頑丈そうで年忌が入っているだろう扉の向こうに足を踏み入れ、思わずイョはコバルトブルーの瞳を細めた。何十もの蝋燭が灯された幾つかのシャンデリアが我が身を競うが如く光り輝く。
それに負けず劣らずの宝石の類を身につけている者達が集まっている絢爛な中央を見ると今回の式典を開いたウェルコート卿を見つけた。
イョは一瞥したのみで我関せずに視線を外し共にいた男からワインが注がれているグラスを受け取った。
「あら、ありがとう。それにしても人が多いのね」
「今回最大のゲストがアイツだからだろうな。くれぐれも自分の名に恥じるような間違った行動は起こすなよ」
そんな男の注意に、当たり前でしょう?と挑発するように彼女がクスリと微笑を零したのを男は見届けるとそのまま背を向けた外へと歩き姿を人混みの中へと消した。
残ったイョは、声をかけてくる者達の相手をし終え、ワインが注がれているグラスを手元で遊ばせながら注意深く、しかしさも自然に周囲を見渡していると、面識がある幾ばくかの人を見つけ、ふいに目の前を過ぎった一人の男にキュッと形の良い眉をよせた。
長い髪を耳にかけるついでに違和感がないように小さな耳元のピアスにそっと触れ、ワイングラスをおもむろに近くのテーブルにおいて窓際へと足を向けた。
それと同時刻―。
「まったく何で私が・・・」
ありえないですよね?ええ、ありえません。
ポケットをがさがさとまさぐる手を止めケホ、と小さくその黒い影は咳込んだ
「・・・・・・!」
わなわなと震え、取り出した小型機械をひとつ取り付け、耳にはめてある機械の突起を押す。
クレインが一足先に玲に渡したルアン製の無線通信機だ。
「もしもし?レイさん聞こえますか?」
『・・・問題無し。アウラ、G03ポイントへ移動よろしく』
「はい。解りました」
プツ、と切れた音がした後、黒い影が狭い迷路のような通路をはいつくばって進んで行くと目の前をネズミが横切った。埃に小さな足跡が刻まれる。
「っと、ここですね。」
あらかじめ仕掛けておいた痕跡を見つけ先程取り付けたものと同様の小型機械を取り付ける。そして足元のくぼみに手をいれ持ち上げ出来た隙間に体を捩込んだ。
広い個室に備えられているソファーに座っていると頭上から何かを擦るような音にクレインは気がついたと同時に黒い影が華麗に着地した。
硝子の入れ物に入っている角砂糖を舌の上で転がし小さく息をつく。
「第三段階終了しました。クレインさんお疲れ様です。こちらは万事抜かりなしですよ。アウラもすっかり怪盗モードですし」
「そうか。会場にはイョを忍び込ませているからなんとかなるだろう」
漆黒の忍び衣装を纏っている玲は顔を覆っていた仮面を外しニコリと笑うとクレインも目を細め軽く笑いソファーから立ち上がり手元の時計に目を走らせた。
「さすがにあの人混みは苦手でな。ああ、そういえばイョから連絡があったんだがどうやら番犬が来ているらしい。イョ、番犬に接触はできるか?」
『無理よ、この顔では会えないわ』
『放っておけば良いですよ。女王陛下が眼をお瞑りになさるみたいですしね』
ざーざーと雑音が走り、イョとアウラの声が届く。
ヤードでも普通の警察でもない、大英帝国女王陛下直属、秘密警察組織、それが番犬。
もしもの有事に展開される作戦コード‘C019’
番犬の動きや存在を等閑視することは後々の行動に支障がでるだろうとクレインが脳内で何十もの算段をした一つ。
『そうなったら面倒ですね』
小型マイク越しに、小さなため息が届いた。