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「おい、フィン!大変だァア!!」
扉を開けたかと思った途端聞こえた鼓膜を揺らす大声にフィンは思わずジャック・ザ・リッパーに関する資料を机に放り、耳を塞いでミックを若干睨み付けると肩で荒く息をしていた彼が「すまん」と手を合わせた為、フィンはそろりと手を降ろし首を傾けた。
「一体全体どうしたんですか?」
「そ、それがだな・・・!」
次いでミックの口から発せられた言葉に、フィンはがたりと椅子から立ち上がった。
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ブランドンの背を見送ったキュンメルはそのままジャックから告げられた一言に眼をなんどか瞬かせてから、ようやく言葉を紡いだ。
「・・・俺、ボスから受けた仕事やらなきゃならないんすけど」
「その必要は無えよ」
「いやいやいや、だからってコーサ・ノストラを抜けろって言われても困るだけですって。つうか抜けるって、ええ!?ボスからの許可は!?ジャック・ザ・リッパーはァア!?」
未だに混乱しているキュンメルが、うわァアと頭を抱えた。
「頭の回転が悪い奴だ」と口に出して罵った後、ジャックは、しゃがみ込んでいるキュンメルの背を蹴り飛ばしそのまま口角をつり上げた。
「だって―――――ボスは、このオレだからな」
「は?っぐへッ!」
蹴飛ばされて転んだまま振り返ってぽかんとしたキュンメルの表情が気に入らなかったジャックは、ずかずかと歩み寄るとその背中に足を乗せた。
―――――・・・そう、俺がボスだ――
「よぉ、ボス」
真夜中、外に出たジャックの眼の先にはボスであるリチャードがいた。リチャードはジャックに呼ばれてある路地に居たのだ。彼が口に挟んでいた葉巻の炎がいやに暗闇にちらついた。
周囲に視線を配り気配を伺ったジャックに気がつくとリチャードはふん、と鼻であしらった。
「誰も居ない。お前が言ったんだろう一人で来いと」
ジャックは少し俯いてから、見えないように小さく笑った。ここまで信頼されていたとは!
「まさか本当に一人で来るとはな。好都合だ」
「・・・ジャック、これは何の冗談だ」
「冗談じゃねぇぜリチャード?」
懐から出された黒い銃に気がついた彼は不快感を顕わにしてジャックを睨み付けた。憤懣を堪えても次々とわき上がる怨恨や困惑が瞳にありありと映しだされている。
だが、ジャックはリチャードから漂う怒りを意にも返そうとせず静かに、けれども気を抜かずリチャードの動静を探った。途端ぴくりと彼の手が動いた瞬間、ジャックは冷たい銃身を握りなおしセーフティを外した。カチリと冷たい音がする。
「動くと撃つぜ?まぁ、どうせテメェは死ぬけどな」
「掟を忘れたかジャック」
「掟?・・・覚えてるぜ」
弱者は守れ
仲間を殺すな、必要ならば手をさしのべよ
盗むな
他の男のものである女を望むな
警察のスパイとなるな
自らより立場が上の者に逆らうな
「そして―――」
一度区切った後、ジャックは銃口をリチャードの額に向けた。
「―――一切を外に漏らすな、だろ?」
冷たいロンドンの夜を、切り裂く音が鳴り響く。
銃口から硝煙が立ち上り、空に溶ける。
役目を終えた銃を下ろしべっとりと跳ね返った血を鬱陶しそうに裾で拭いながら落書きに塗れた壁を背にずり落ちていくリチャードをジャックは何の感情をその双眸に浮かべることなく見下ろした。
「指輪の中の連盟証が奪われたんだってよ。遅かれ早かれこうなってたんだ。テメェの死、借りるぜ?」
ふいに、頭上の街灯が冷たい風に吹かれて静かに消えた。
ホワイトホール、テムズ川沿いの路地で男の銃殺体が発見された。額の中央の銃傷から判断して至極至近距離から撃ったものだと判断出来る。
男の手元には、一つの拳銃が握られていた。
両足を投げ出し力なくもたれ掛かっていた壁には塗り潰すように赤いペンキで
「Iam Jack the Ripper」
私がジャック・ザ・リッパーである
と記されていた。