12
星のない夜、アウラは屋根の上で寝転がりながら、月を眺めていた。
ほうと息をつくと、白くなった吐息が天へと消えていく。身を起こし、首にまいたマフラーに顔をうずめた。
すると暗闇の街をひた走る足音を耳が拾い上げ、屋根の上から下の様子をのぞき見ると
フードをかぶった者が近くの家に入っていった所だった。
「遅くまでご苦労様だね」
大英帝国に来た日、暴漢達を伸している最中感じた強い視線を覚えているだろうか。あの夜、アウラは玲とホテルで別れた後その強い視線を送ってきた者の元へ実は赴いたのだ。
すっと瞳を閉じて逡巡する。
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アウラは、ソファーに体を埋めながら目の前の男に視線を向けた。
「よくオレだと分かったな」
「懐かしいものだったからねぇ。それで、いったい何のようだい?」
「依頼だ」
「・・・君が依頼だなんて珍しい、ジャック」
「まぁな」
ジャックが、そう返答をしながら前のソファーに腰をおろす様子をたいして興味もなさそうに眺めながら、ジャックに関する記憶を引っ張りだす。
「・・・こっちは忙しいってことを承知の上なのかい?」
じと目で視線をよこすと、ジャックは口を弧に歪めた。
「キュンメルを『儀式』も行わず内密にコーサ・ノストラに入れた恩を忘れては、いないだろうな?」
「・・・ははは、忘れるだなんてする訳ないだろ~?」
そう、彼にはその恩がある。
コーサ・ノストラ、通称マフィアの一員となるためにはある特定の儀式をする必要があった。儀式の内容は明らかになっていないが、その道の噂を拾い上げると、ある部屋に一同に交いした名誉ある男たちの前で新参者が忠誠を宣誓する必要があるらしい。
薄暗闇の中、己が血を逆十字に捧げ、初めてコーサ・ノストラの一員となれる。
そんなことを思い出しつつも、忘れたまんまでいろよと大げさに肩をすくめ、ソファーの上に足を乗せた。
「で、ジャックの可愛くないお願いは一体何だい?」
一種の意趣返しのアウラの言葉にジャックは、ひくりと口をひきつらせたが、元の顔にすぐに戻し気を落ち着かせるように長い足を優雅にくみかえた。
「切り裂き野郎の正体を暴くのを手伝ってもらう」
「ふうん。ジャック・ザ・リッパーね。それならキュンメルを使えばどうだい?」
「アイツだけだと心許なくてな。俺が欲しいのはいざというときの保険だ」
「・・・仕方ないね~」
「悪いな」
「君の立場というのもあるだろうし仕方無いことさ。おかげで"ココ"では始終気を張らなくて済む」
「女王陛下も眼を瞑って下さるそうだ」
「ワォ、君の飼い主が?そりゃ流石だね」
*******
闇夜の中、ジャックとの会話を思いだした。約束したことだししょうがない。
さァて、お手伝いさんの、お手伝いさんによる、しがないお手伝い。
手首をひねると、ダイヤのトランプが手の中に現れる。人指し指と中指でトランプを挟んだ後、純白に輝く銃のボディを優しくなであげた。
銃を握っている方の手を静かにあげ、銃口を空へと向けて静かに引き金をひく。
しゃらんと銃口の先の闇夜に、光が零れ落ちる。
それは、ロンドンの夜の街にはよく映えた。まるで天啓のように。
さあ、君はどうする?
コーサ・ノストラの若きアンダーボス。
――・・・いや、大英帝国女王陛下の番犬。
純白の銃をホルダーにしまい込み、アウラは風に靡く髪を押さえて瞳を閉じ闇夜に身を隠した。
その頃、ロンドンに浮かんだ光に気がついたジャックとキュンメルは光が現れた付近にたどり着いた。
ジャックは、それとなく周囲に視線を滑らせ向けていたが、ふいに眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに舌打ちをした。
「くそ、あいつトンズラしやがったな」
「アイツって誰っすか?」
「おまえの鼻も利かねぇな」
「??」
ハ、と嘲笑を浮かべた先にジャックは、とある家の扉のドアノブの部分に目が止まった。
ドアノブの部分に何かが張り付けられている。
「何だあれは・・・」
ジャックが近づいてみると、それは黒い紙であった。
腕を伸ばし、手にとって裏返すと、大きな鎌を持った死神姿が印刷されていた。
これはただの黒い紙じゃない、トランプのジョーカーだ。
キュンメルは前に回り込みジャックの手元に目を留めてきょとんとした後、眼を見開いてビシイッと指さし声をあらげた。
「ななな!?なんでそれがここにあるんすか!!」
ジャックは慌てふためくキュンメルをからかってやろうと口角をつり上げた。
「キュンメルちゃんはこれが何か分かってるようだなぁ?」
「いッ!」
キュンメルは思わず舌をかんでしまい、苦々しい表情を顔に浮かべた。
だってこのトランプが師匠のしたことだってバレたら、目を付けられるかもしれないんっすよ!?よりにもよってこんな男に!
一度目をつぶり、自身を落ち着かせ、素知らぬ顔をした。
「知らないっすよ、なんすかねコレ。ジャックは分かるんすか?」
「アウラの目印だろう。」
あっさりとジャックがアウラの名前を出すと、目が飛び出そうになるくらいキュンメルは唖然とした。そして一気に怒りが沸き立ってジャックの胸倉を掴み挙げた。
「何でテメェが知ってんだ!つうか師匠の名を呼び捨てにするんじゃねぇえええ!!」
「キュンメルちゃんよ、素が出てるぜ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「いやいやいや、それは横に置いておくとして何でジャックが師匠を知ってるんすか。というか何で師匠のトランプがここに?」
「そんなもん、オレとアウラが知り合いだからにきまってんじゃねえか。今回アイツに依頼したんだよ」
「!!」
キュンメルが新事実に愕然としている中、ジャックはジョーカーのトランプをひらひらとさせた後、乱雑に外套のポケットにしまい込んだ。
「つうか、何でアウラは、ここに行き着いたんだ?切り裂きがいつどこに来るなんて分からねえはずなのに・・・」
まるで、最初から分かってたみたいだな。
ふ、と難しい顔をして思案したが切り裂きの居場所を突き止めたのだから気にしすぎることはないかと疑問を放り投げた。
彼がするのは、切り裂きを泳がせ監視し、最終的な処分を下す。それだけだ。
胸ぐらを相変わらず掴んでいるキュンメルの腕に手をかけオレにそちの気はねえと、軽薄な笑みを浮かべ突き放し身を翻した。
犬っころのようにきゃんきゃん喚くキュンメルに内心うぜえと思いつつも歩き続けると、ようやく屋敷が見えた頃に喚いていたキュンメルが一瞬口籠もり、首を傾げた。
「あれ、あそこにいるのトムじゃないっすか?」
「ああ?んな訳ねえだろ。あのチビがこんな時間まで起きてる理由が・・・」
だが、途中でその言葉も消える。眼を細めて屋敷の方を眺めると扉の前で、ちょこんとしゃがみこんでいる小さな影を捉えたからだ。
「ほらやっぱりトムですって」
「何やってんだあいつは!」
冬が過ぎ、暖かな春がきたとは言え、ロンドンの夜は冷える。呆気なく凍死する者がそこらにいる時代だ。
ジャックが苛立たしそうに歩むスピードを速めると、小さな影が足音に気づきハッと顔をあげた。トムは慌てて立ち上がり、二人に向かって頭を下げる。
鼻や頬が赤らんでる様子を見るとこの寒空の下、長い間一人で待っていたのだろう。
上から見下され、伸ばされた手にトムは反射的に眼を瞑ったが、頬に触れた暖かな手に瞳をゆるゆるとあける。
「冷てえな。テメェが風邪ひいたら誰が面倒みるんだ、このチビが」
スッと手をトムの頬から離し、吐き捨てるように言うとジャックは手につけていた黒い手套をポッケに押し込みながら振り返ることもせずに屋敷に入っていった。
キュンメルの、きょとんとした顔に、次第に面白そうなニヤニヤとした笑みが広がっていき、そして冷えたトムの頭を撫で回した。
「不器用な男っすねぇ。素直に心配だって言えば良いのに」
面白げに呟やかれた言葉に、トムはキュンメルに頭を撫でられながら、ほんのりと小さな微笑みをその顔に浮かべた。