3.罠にかけて
乙女ゲーム"ニゲラのためいき"、攻略対象の一人であるグレン・リーヴズ。
この事を知っているのは自分の前世の記憶を見たベラドナ・シェード以外には誰も居らず、また、前世の記憶を夢だと思っている彼女がそれを他人に伝える事は無い。
だが、彼女は夢の中で見た物語りの中の自分のように、易々と恋を諦めるような女ではなかった。
想い人を連れ出したベラドナは庭園に建てられた東屋に腰を下ろし、立って居心地悪そうにしている後輩へまぁ座れと隣りを軽く叩いて示した。
「…変わりませんね、先輩は」
「母の言いつけ通り、学園にいた頃からずっと貞淑な舞手をしていたのですから、その面が剥がれた部分を知っている貴方からしたら変わっていないと感じるでしょうね」
「それで、今夜お誘いする相手ってもしかして、サラトリア王子でしたか?」
よっこいしょ。態とらしく少し離れた場所へと腰を落ち着けたグレンへ、身を寄せたベラドナが眉根も寄せて言われたことを否定する。
「いいえ、違うわ」
「ではもっと上の、あぁ、今年から舞台役者の道に入ったという」
「違う」
「あの学園で王子と並ぶ顔の良さを誇るのは彼ぐらいでしたけれど」
「私が誘いたかったのは貴方、グレン・リーヴズ、白狐商会を営む一世かぎりの准男爵様よ」
美人は頬を膨らませても美人らしい。学生時代から変わらない、何故か平民である自分をよく構ってきた天上の人であるはずの先輩に白けた目を向けるグレン・リーヴズ准男爵。
長く小さい溜め息を一つ吐き、卒業後もまさか絡まれるとはと肩を落として話を聞く。結局のところこうして無理に連れ出されてくれるぐらいには彼もお人好しなので。
「……今度はどんな頼み事ですか、失くした耳飾りの代わり?それとも使い切ったのを忘れていたノート?それとも誰かとの顔繋ぎ??」
「私が飽きないような恋をさせて」
お人好しにも、聞ける頼みと聞けない頼みがある。言われたことを噛み砕き、飲み、飲めない、理解を彼の脳味噌が拒否している。
冗談だろとグレンの視線がベラドナに向いたが、彼の想定よりも近い場所で扇子の先を自身の唇に当てるベラドナの表情は変わらない。
商会持ちだが准男爵、相手は伯爵令嬢、言いがかりをつけられては堪らない。彼の首を冷や汗がつたい落ちる。
「…………ベラドナ先輩、今、僕に何をしろと仰いました?」
「私が飽きないような恋をさせなさい」
「…………ラルフ・スウィート様などが適任かと」
「アレは思っても無いことを言うから嫌」
「でしたら、ロッディ・バンバディア様は如何で」
「ソレは体裁と賞賛だけが目当てで、女に興味ないでしょう、剣か武勲、話がつまらないわ」
「……いっそ隣国のメルキオール・ゴードンを狙っ」
「私、ハレムの中の一人になるつもりは無くてよ」
並べ立てたご令嬢に人気の方々はどうやらベラドナの趣味では無いらしい、痺れを切らした彼女が先ほどから真っ青を通り越し真っ白な顔色のグレンの手を掴む。
顔を覗き込み、覗き込まれ、熱い視線を絡ませ、逃げるように目を逸らし、胸が触れるほど身体を寄せ、触れる前に背後にずり下がる。
「貴方が良いの、グレン・リーヴズ、商家を自ら興し、准男爵位を授けられた貴方が」
喉元に剣先を突きつけられるような告白。両者とも胸が苦しくて、心臓が破れそうで、今にも死んでしまいそうな顔をしている。
先に口火を切ったのはグレンの方だった。消え入りそうな声だが、夜闇の中、遠くで喧騒の起こる今夜であれば十分な音量。
「……ベラドナ・シェード様」
「なにかしら」
「貴女は伯爵令嬢です」
「そうね」
「准男爵位の僕では些か力不足かと思いますが」
「私が良いと言っているのだから、問題無いの」
「嫁入りしたとして、商家の妻になるんですよ」
「社交界で壁の花を演じているより楽しそうね」
「ドサ周りにも連れて行きますし商品の目利きも面倒なご令嬢相手の茶汲みもさせますよ」
「そんな脅し文句で私が引くと思っているのならば新進気鋭の謳い文句は尾鰭と見做すわ」
ベラドナが指を絡めれば必死に解こうと手首から先だけで指を蠢かせるグレン、ぐっ、ぬっ、と手を離させ、サッと距離を取る彼を彼女は睨む。
今まで自分が手を握って頬を赤らめなかった男など居ないのに、目の前の後輩は赤らむどころか月明かりより白い顔をしている。失礼だ。
しかし、グレンの方も必死である。学生時代からよく絡まれて胃が痛いなぁと思ってはいたが、まさか交際を申し込まれるとは思っていなかった。
自分は平民上がりの准男爵なのに、正気かこの先輩頭おかしいんじゃないかとずっと考えている。そもそも、家格が下だからと相手の意思を無視して迫り続けるのもどうかと思う。失礼だ。
両手を上げ降参ポーズを取る後輩に、拳を握りふるふると怒りで震える先輩。はたからみたら痴話喧嘩、仲が大変よく微笑ましい光景だ、しかし彼彼女は恋人でもなんでもない、異様な光景だ。
「……私のことを妻として迎え入れたく無いのはよぉく、とぉってもよぉく分かりましてよ」
「当たり前でしょう難破船が鯨の水死体引き連れてきたようなものなんですよ認識としては」
「その上で、商人の貴方ではなく、グレン・リーヴズとしての貴方に質問したいのだけれど」
「シェード家が傾いたという噂は聞きませんが、金ですか、土地ですか、それとも謀反ですか」
「グレン・リーヴズ」
頬を張られるか、それとも突き飛ばされるか。目を瞑った彼が感じたのは痛みでも衝撃でもなく、裾を控えめに掴まれる感覚だった。
そろりと目を開けると、随分としおらしい顔をして自分を見上げる、一つ年上の、美人で、気安くて、優しい先輩。
「…………貴方の、恋人として、私は力不足?」
上着がはだけ首も胸元も露出して、艶のある髪がさらりと彼女の首筋を撫でる。金剛石の耳飾りが煌めき、それに劣らない輝きを持つ彼女の瞳も輝いてみせた。
男としては最高の据え膳だろう、しかし、家格差、何故自分なのかという疑問、目の前の先輩に好かれている理由は不明、今後自分の立てた商会に対して来る色々な厄介ごと。
───グレン・リーヴズの脳が導き出した答えは、純粋な恐怖だった。
「力が有り余り過ぎて僕の商会では取り扱い不可能なので、矢張り他所で御相手を探して頂くというのが賢明な判断かと思われますね」
「未婚の娘にここまで言わせておいて貴方」
「商売の腕を見込んで頂いた事は大変嬉しく思いますが、かの有名な紫電の舞姫、ベラドナ・シェード嬢が選ぶ相手としては僕はあまりにも」
「言葉を変えましょう」
家柄、世間の目、一過性の熱に対して重過ぎる責任。身を捻り逃げようとするグレンの胸ぐらを掴んだベラドナは、哀しげで、苦しげで、それでいて愛しいと心の奥底から滲む瞳で彼を射抜く。
「グレン・リーヴズ、私は、貴方のことを愛しています、学園で、私にこの耳飾りを譲って下さったあの日から」
ベラドナの耳で一等星が煌めいた。金具は時代遅れでデザインも古めかしい、片側が弛んでいた筈、しかし、それは紛れもなく彼が彼女に渡した物だった。
グレンの手が、胸ぐらを掴むベラドナの手にかぶさり、震えるその手を外させる。彼女が期待したような目で目の前の後輩の顔を見つめるが、一向に視線は合わない。
「…………そ、れは」
「……好いていない相手に婚約を申し込むほど私も、家も、切羽詰まった、状況には無いのです」
「……僕の方の益しか無いでしょう、商会の種は蒔いたとはいえ、芽すら怪しい、そんな中で貴女の家を後ろ楯に、とは、話が出来過ぎている」
「…………私に好かれているというのは、貴方にとって迷惑かしら」
「………………………学園に在籍していたころより、存じ上げております、国内の精霊願いの舞手として、一等……」
視線が合わない代わりに、ベラドナには彼の耳がよく見えた。ふちまで真っ赤に染まる熟した林檎にも負けないぐらい鮮やかな色合いのそこに、彼女の目が釘付けになる。
「いっとう、ぉ、綺麗で、あらせられた、ので……」
ぐ。と、離れてくださいとばかりに震える後輩の手で肩を優しく押され、瞼を瞬かせるベラドナ。
震えるその男らしく骨ばった手の、手首を彼女の手がそっと握ると、大袈裟なほどグレンの身体が跳ね、羞恥の滲む視線を向けられる。
「………………貴方、私より可愛げが御座いませんこと?」
「お戯れを……ッ!」
「本当に可愛らしい方……そもそも、この商談は、私に連れられて夜の庭へと出た時点で貴方の負けですのよ」
「ベラドナ先輩…?」
上着を脱ぎ通路側に投げ捨て、さらに遠くへと煌めく扇子を放り投げたベラドナ。肌寒いというのに滑らかな曲線を描く肩周りを晒し、髪を振って少し乱した。
足元にぽとりと落ちる髪飾り。目の前で繰り広げられる奇行に慄くグレン、その反応も想定内なのであろう、彼の両手を取り、自分の腰へと引き寄せる。
「なッにをッッ」
「ね、グレン・リーヴズ、貴方、私に好かれるのは嫌では無いのね」
「おやめくださいッ、貴女はっ、伯爵令嬢でっ、僕では到底っ……!!」
「私の興味をひいたのだもの、社交界の花の一つ、たかが一輪、されど、皆が欲しいと望む一輪」
慌てて身体を離そうとしたグレンの背後、先ほどベラドナが身に付けている物を投げ散らかした方向から息を呑み、後退りする音が聞こえた。
無理やりベラドナの手から自分の手を引き抜き振り向いたグレンだが、遅かった。
品の良いドレスの裾と男物の上着の裾が仲良く闇の中に揺れ消える。
月明かりの下、その場に膝をつくグレン・リーヴズ准男爵。地面に散らばる星屑を集めたようなベラドナの上着と、暗い庭園の中でも月明かりを受け煌めく扇子。
髪とドレスを直し、項垂れる想い人の近くへと足を進めるベラドナ。裾が汚れることも厭わず彼の隣に膝をつき、その背を摩る。
「……責任、とって下さいませ、ね?」
彼女は何が何でも彼のことが欲しかった、たとえ報われない恋だとしても、前世の記憶という名の、気紛れな精霊の見せる夢に赦されていない愛だとしても。
彼女の前世は後悔で終わったらしい、それを知った今世の彼女は、悔いのないように生きると決めたから。だから。
月明かりの下、物語の脇役が投げた一石は、見事狙いの獲物へと致命傷を与えたのだった。




