幼い記憶 3
こう思い返してみるとロクに食事を食べれていない訳だが、ごく稀にまともな食事の時もあった。
例えば卵焼き。
たまに出される卵焼きは一切れが私の握り拳くらいの大きさで、生成と浅黄の中に緑茶のような韮が刻んで入っている。
男の顔を伺いながら箸で慎重に卵焼きを掴む。
私は箸を使うのが嫌いだった。少しでも箸の握りが、掴み方が悪いとすぐに男から菜箸の様な細い長い物で手を何度も叩かれた。なにかを怒鳴られながら叩かれたと思うが何を言われてたなんて思い出せない。
激しい痛みで叩かれた手はミミズのように腫れ、その後痛くて手首をうまく動かせなくなることも多々あった。
そんな苦痛と背中合わせの緊張のまま口に運ぶ。
美味しいかどうかなんて私にはどうでもよかった。興味すらなかったのかもしれない。ただ飲み込めるものであれば何でも良かった。
幼い頃の一般的な家庭の味というものはこの韮の入った卵焼きだけだった。
あとは青い箱の子供用のレトルトカレー。今でも売っているのを見かけると、心が締め付けられる様な、懐かしい様な嘔吐感を味わう。
ある日の昼間、男を何を思ったのか子供用のレトルトカレーを買ってきて私に食べろと言った。
状況もよく理解できないままの私を椅子に座らせ、眼の前にカレーを差し出してくれた。
そのカレーは全体的に深黄というよりは櫨染に近いくすんだ色をしたルーの中に星型の野菜が入ったもので知らない形の物体が入ってることに衝撃を受けたのを今でも覚えている。
甘かったのか、辛かったのか味はよく覚えていないが比較的食べやすかったように感じる。
皿の半分ほど黙々と食べ進めた頃だろうか?男は急にカレーの皿を取り上げ一口食べた後、不機嫌そうに顔を顰めそのまま流しに捨ててしまった。
そんなにカレーが不味かったのだろうか?気に入らなかったのだろうか?それとも特に反応も示さず喜びも騒ぎもしない私を見てうんざりしたのだろうか?
ともかく理由もわからないまま男の気分一つで私の記憶の中では初めてのカレー体験は終わりを告げた。
思い返してみれば不思議なもので私の中での作ってもらった食事というのは大抵男が作ったもので、女が作った物を食べた記憶がない。男よりも私に興味がなかったのかもしれない。
白黒の濃淡でしか無い私の遠い記憶の中でもそれら食べ物に関しては色があった。
リビングから見える洗面台に私の歯ブラシが見える。
それは確かに私の存在を証明するものだった。しかし同時に私の生を否定するものでもあった。
毎日食事を食べるわけでもないのに毎朝使う道具が置いてある、そんな光景がひどく歪で滑稽に思えた。




