【アップ】2025年6月29日(日)10時半 主日公同礼拝
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日メッセージ】
シンガポール日本語キリスト教会
松本章宏牧師
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=eMDXYrJ1aws
※まだメッセージ動画と、牧師のまとめ記事が用意出来ておりませんので、
代わりの同箇所のメッセージと筆者のまとめノートのみを掲載します。
聖書
『使徒行伝』(第二一章二七〜三六節)
『詩篇』(第三五篇一〜一〇節)
讃美歌〜♫
讃美歌513
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=5CLcceV0Au0&pp=ygUM6K6D576O5q2MNTEz
讃美歌273B
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=P4Xi2Jwh9_4
(Mynote)
二〇二五年六月二九日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「イエス・キリストの栄光の実現を表す言葉は何ですか。」
「キリストが、神の右の座に着いて居られるとの言葉です。」
イエス様は、全ての人の罪の為に十字架に付けられ殺された。そして三日目に甦られ、天に上り、全能の父なる神様の右の座に座われた。これは全ての人(罪人)にとっての栄光となる。その罪から信仰に依り、救われる事が確約されたのだから。イエス様は今でも変わらず罪から人を救う為に祈って居られる。本当の人の王である。
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第二一章二七〜三六節)
『詩篇』(第三五篇一〜一〇節)
この『使徒行伝』の箇所は、パウロが市の人達により非難され、蔑まれ、捕えられて、殺され掛ける場面である。
先ずこの時、パウロを非難し始めたのは、アジアから来た少数のユダヤ人達だった。この点に注目せねばならない。初めから全ての人がパウロやその仲間を非難し、殺そうとして居た訳ではない。少数に唆されて、市全体がその風潮になり、それから殆どの人達が同じくパウロを捕え、罰しようとしたのである。
人はちょっとした情報で左右され、その情報が刺激的で、或いは自分の興味があるものなら本気にし、更にその情報を都合の良い土台とし、あとは本能の赴く儘に振舞う事がある。この事は人の習慣に甚だ多く見られる。
この時も情報発信者は特定の少数人であり、市全体の人々がその少数に踊らされる形でパウロに向かった。
「人々は千卒長や兵卒達を見て、パウロを打ち叩くのをやめた。」(『使徒行伝』第二一章三二節)
そしてこの騒ぎを聞き付け、百卒長や千卒長が市内にやって来た時、保身を繕い、それまで騒ぎ続けた市民達は一度黙った。そして千卒長はパウロを捕え、彼を二重の鎖で縛っておく様に命じた上、「パウロは何者か?また何をしたのか?」と市民に尋ねた。
しかしパウロを訴えた市民達は皆、それぞれバラバラな理由(違った事)を叫び続ける為、騒がしくて確かな事が分からない。なので千卒長はパウロを兵営に連れて行く様に命じた。パウロが階段に差し掛かった時には、群衆の暴行を避ける為、兵卒達に担がれて行くという始末であった。
「市民達は皆、それぞれバラバラな理由(違った事)を叫び続ける為」
この様に、騒ぎ続けていた市民達も「自分が何で騒いでいるのか?」分からない儘、ただ少数人に言われた理由を鵜呑みにして居た為、他者を傷付ける確かな理由を以て居なかった。ただそうしたいからパウロを傷付け、暴動を起こして居た。これは自分の欲望を満たす為だけの行為になっている。市民達はこの事を、この時には明るみに出さない。これが保身にある。
「この人は、至る所で民と律法とこの場所に背く事を、皆に教えている。その上に、ギリシャ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」。(『使徒行伝』第二一章二八節)
この「背く事」にしても、当時のユダヤ人達が勝手に決めて居た事により、神様の教え、即ち、イエス様の教えには無い。
「ギリシャ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」
とは、イエス様の御言葉に真っ向から歯向かう言葉・行為にあろう。信仰に救われる道にある人を「人の主観」により引き離し、その人の信仰の邪魔をする。詰りこのユダヤ人達は、人で在りながら神様の領域に自分達を置き、他者を裁いて居る。これはイエス様がサマリヤ人達に教えた「傲慢の罪」にあろう。ここで言うギリシャ人とは、異邦人を意味して居る。ユダヤ人達は、救われるべき道に在ろうとして居るその彼等(ギリシャ人)を、傲慢の罪により排除しようとして居た。そしてこれは口実を作る為の欺瞞にあり、偽りを以てただ「パウロを訴える為の理由」にして居たのである。これ等の一連の行為は、そのまま悪魔の行為に在る。悪魔は人を欺き、その欺きと傲慢により人を信仰から離し、貶める。
この少数のユダヤ人達は、自分達の神を自分達のものだけにしようとして居た。そのユダヤ人達に認められない者は全て汚れた人(その対象)とし、その誤った「人間の信仰」により、誤った行動を貫き通すのである。「誤った信仰」である以上、その信仰は本当の信仰には無い。詰りこの時この少数のユダヤ人達は、無い信仰を元に他者とその他者に関係する人を裁き、正しい信仰に無い事から、その他者を訴える正当な理由さえ以て居なかった。故にこの少数のユダヤ人達に唆され、それぞれバラバラな理由(違った事)を叫び続けた市民達も、パウロを捕え、訴えようとして居るその理由が分からない。この結末は、当然のものに成る。
これ等の事は、現代にも人の間で頻繁に見られる。「誤った信仰による過ち・裁き」である。この「過ち」「裁き」は罪に在り、悔い改めねば成らない。
我々は、煽動されて居ないだろうか?常に正しい信仰を持ち、その為に必要な糧を聖書(神様とイエス様の言葉)から聴き、誤った方へ歩もうとするその途で、自分を律する信仰・正義を以て居るか?その事を、常に神様の前で自分に問う必要がある。これは信仰の試練に在る。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s
「SEIZE THE DAY / 今を生きる」
https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM
イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)
https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
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