2 第二師団の憂鬱①
ーーーーー帝国軍第二師団本部にて
「未だ消息不明、か」
革の椅子に座った人物が溜息混じりに呟く。ここは誉れ高き帝国軍第二師団の本部、その中でも最も厳正な部屋。
大きな木の机に足を乗せて提出された資料を読むのは、燃えるような赤い髪の女。他でもなく師団長リリア・コージスその人である。
肩に掛けた軍服には大量の勲章。20にも満たぬ内から戦場を駆け、『赫獅子』と恐れられた彼女の威厳は平和な時代でも揺るがない。
いつでも事態に対処できるよう、団長室といえど剣はすぐ抜ける位置にある。
その刺し貫くような鋭い目は薄い資料を睨んでいた。
「……申し訳ございません。終戦以降、足取りを完全に消していましてーーーー」
眼鏡を掛けた壮年の兵士が深く頭を下げる。
「良い、奴が相手だ。そう簡単に見つかるとは思っておらん」
リリアは資料を机に置き、コーヒーの入ったマグカップを手に取った。一口飲んだあと、「もう下がっていいぞ」と、報告に来た部下に指示する。
部下は申し訳なさそうに一礼して部屋を出ていった。
(陛下からの恩賞さえ受け取らず……どこへ消えたのだ?)
リリアは今、王命によってある一人の人物を探している。
ただ、下された命令は消息の調査のみ。普通なら憲兵か警察の仕事であるが、対象が対象だけに軍の管轄となった。
その人物は元々軍部の所属でリリアの同僚だった。彼女だけではない。現師団の団長の大半は対象の顔を見知っている。否、何度も寝食を共にしている。だからこそこの任務の難易度は周知の事実だったし、成功した際の手柄は目に見えて大きいのだ。
「いやぁ、もう10年。長いねぇ」
「……入室を許可した覚えは無いぞ、副団長」
「ひどいなぁ、名前で呼んでよ」とぼやきながら、細身の男が部屋に入ってくる。
団長室のドアと同じくらいの高身長で、ベルトに長剣を提げたその男。眠そうな眼で軽く会釈をした後、図々しく応接用のソファに腰を下ろした。(座る時、剣が突っ掛かって転びそうになっていた。)
「それでぇ?なんか分かったの、あの人の事」
「何も。ここ数年報告書には言い訳しか書かれてない」
「あはは、そりゃそうだ。あ、このお菓子もらうね」
男はゲラゲラと笑い、来客へと用意された菓子を食べ始めた。
リリアはそれをジト目で眺めながらコーヒーを啜る。
「あのな、ゼス。笑い事じゃ無いんだぞ?なにせあの人はーーー」
リリアが言いかけると、
「分かってるよぉ。国を一つ滅ぼせる爆弾が野放しにされてる。いつ爆発してもおかしく無いヤツがね」
ゼスーーーこんなでも第二師団副団長だーーーが話を遮った。
そして、
「国家を挙げて、それこそ世界一の軍隊を挙げて捜索してるのにねぇ。あの人らしいや」
と笑いながら続けた。「分かっているのなら真面目にやれ」と突っ込むと、「やってますよぉ」と気の抜けた返事が返ってくる。
ゼスは寝癖そのままの紫髪を掻き、大きく欠伸をした。
「……でも、『烏』も狙ってるって噂ですよねぇ」
ゼスが頭を掻きながら言う。
リリアの耳がピクリ、と動いた。初耳だった訳ではない。ただ、『烏』に関する情報は団長会議でしか取り扱っていないはずであった。一個師団の副団長とはいえ知り得るはずがない。
一瞬、問い詰めようと考えたリリアだったが、
(……コイツ、そういえば有能だったな)
と思い出してやめた。このゼスという男、このナリでもやる時はやる人間だ。やらなくていい時もやるが、まぁ能力だけはリリアも一目を置いている。
「こんな性格じゃなければ優秀な副官なんだが……」
「なんか言いましたぁ?」
「ゴホン、何でもない。全く耳の痛い事だ。取られでもしたら、軍の威信は血に落ちるぞ」
口に出ていたことに気付いて咄嗟に咳払いで誤魔化した。
「それだけは避けたいですよねぇ……」
良かった、聞こえてなかった。リリアは安堵し、コーヒーをもう一口飲む。
この捻くれ副官は一旦拗ねるとそれはもう面倒臭いのだ。
「ああ、何としても先に見つけねばな」
取り敢えず無難に答えておく。
とは言え。それだけに集中している訳にはいかないのがリリア達の実情である。
近頃怪しい動きをしている魔族や、何処ぞから武器を輸入している隣国への警戒など。十年前の戦争以来、平穏が続いている今でも帝国軍の仕事は余るほどある。ただ剣と盾より、書類とペンの方が使う機会は多くなっていた。
「もしかして、髭面のオッサンになってたりして」
菓子をバリバリ食いながら、ゼスが冗談半分に言った。
「はは、まさか。」
「何たってあの人だぞ、軍人の鑑だ」「だよねぇ」他愛もない冗談に場が和む。
その後も暫く雑談していたが、「あっ」とゼスが何かを思い出しす。
「そう言えば来週の入学試験、どうするの?まだ書類受け取ってないんだけど」
「……なんだそれは」
リリアが目を見開いてゼスを見る。
一瞬冗談かとゼスは笑みを溢したが、文字通りポカンとしている上官と目が合った瞬間、どんどんと顔を青くしていった。
「え、マジ?」
この日、リリアとゼスは(デスクワークで)夜を共にした。