第七章 ユキのダチ、ちょっとヤバイ
一年があっという間に過ぎた。今は二年生の一学期。年子の妹ユキも中学生になっている。制服を着たユキは見た目の子供っぽさがなくなり、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とオレを頼るベタベタした会話もなくなった。そもそもオレがアルバイトから帰ってもユキの姿がない。
「どこで遊んでるんだろう?……」オレもそうだが中学生になってユキの生活パターンが変わった。いつも夜十時ごろ帰ってくるとすぐ寝ちゃう。もう一週間も会話がない。
「ガタッ」十時半、ユキだ。なんとなく気になっていたので一応聞いてみる。
「どうでもいいけどさ、この時間までおまえどこにいたのよ?」
「……言わなきゃいけないの?」とユキは口をとがらせる。
「言わなくてもいいけどさ、隠すこともねえじゃん」
「マリンちゃんとこだよ」
「マリン? ……ああ、親が警察官の、……うーんと、立浪さんかぁ。あの子、三年生じゃん」
「そうよ」
「ふうん……だけどあの家ってこんな遅くまで居てもいいんだ」
「うん、おばさんは亡くなったからいないし、おじさんは警察官だから当直の日はマリンちゃんしかいないんだよ」
「で、何してるの? トランプとか?」
「そんな、子供の遊びなんかしないよ。もっと大切な事、何でも教えてくれる。いろんな事。……お化粧とか……」
ユキは、はにかみながらほほ笑んだ。――分かった、母親の代わりが欲しいんだ。
「オッケー、好きにしなよ。オレは自分の事で精一杯だから」
夏休み。ユキはマリンちゃんの家に入り浸り。ニ、三日帰ってこない事もある。
暑い日。三笠ビル商店街をユキとマリンちゃんが一緒に歩いているのを見た。その日は仲間が別に二人、オレはちょっと驚いた――連中のファッションに。
スカートが異様に長い。まさに『つっぱり姉ちゃん』そのもの。そして化粧がキツイ。
「……」オレは何も言うことがなかった。ユキがとうとう自分の世界を見つけたんだもの。
「ヒロシ、そのビール、六ケース、前側に積んで、次にコカコーラ八ケース、積んだら呼んで、すぐ出るから」
「ハイ、ここに並んでる順でいいのね?」
「そうそう、おまえ一緒に乗って行って。二階に上げなきゃなんねえから」
「ハイ」
九月になってさらにアルバイトが増えた。近所の酒屋、田中商店の手伝いだ。夕刊の配達が終わるとすぐ倉庫に行く。今日の配達は中央駅近辺。積み終わって遼さんに声をかけた。
「いいですよー」
「オウッ」遼さんが出てきた。一緒に軽トラックで中央駅近くの『国際』へ行く。『国際』とは横須賀唯一のストリップ劇場だ。そこの二階の控室、裏の狭い階段を登れなければならない。ただでさえ狭いのに、空き箱やゴミが置いてあり、ビールケースを肩に担がないと通れない。一番かったるい場所へ運ぶのだが、そこに行くのは二度目。心はウキウキ。
「チワー、酒屋でーす」遼さんが裏口からズンズン入ってゆく。オレも続く。
「ヒロシ、ビールは冷蔵庫の右、コーラは左に置いといて、オレはちょっと専務と打ち合わせあるから奥の事務所に行く、十五分ぐらいかな、終わったらここで待ってて」と指示すると遼さんはグルグルと控室を回る。
「チワちゃん元気ィ? サッちゃん眠そうだね、あれっナッちゃんまだ来ねーの? ハイ、これからお疲れさん」てな声をかけながら事務所に入っていった。
ここの専務と遼さんは同級生だそうだ。「打ち合わせ」とは、週末の博打のメンバーの確認らしい。
荷下ろしの終わったオレは部屋の隅のベンチに小さく座っていた。踊り子たちはストレッチをしたり、衣装をつけたり、それぞれ気ままなことをやっている。
「胸、ケツ、でかい……足、細い……」オレは前回同様、無言で彼女らを眺めている。
部屋の反対側にあぐらをかいて座っている女がいた。その人が身に付けているのはブラジャーだけ。下を向いて何かやってる。――突然女は反対向きに座りなおした。当然オレの目はそこに釘付けになる。
「毛の手入れ?……」女はハサミで下の毛を整えているのだった。
「フフッ」こっちを見て女が小さく笑った。
「あんた、口あいてるよ」
言われて気が付いた。オレは呆然と間抜けな顔して見てたんだ「カッコわるい」
「あぁ、……ハハッ」テレて頭をかいた。
「ちょっと……」彼女が手招きをしている。
「ハイ」
「あたしチアキ、おっぱい触りたい?」彼女はそう言いながらモソモソとブラジャーを外した。
「エッ」
「エッ、じゃないよ。触りたいんでしょ」
「……」
「もぉ、こっちに来なさい」
彼女の命令には逆らえない。吸い寄せられるようにおっぱいの前に。
「いいよ」と言われるままに膝間づいて両手を構えた。「なんて格好だ」と思いながらジワッと手を伸ばす。
「待った!」突然彼女がオレの手を押しとどめた。
「乳房片方五十円、乳首百円だからね」
「エーッ、お金取るんですか?」
「あたりまえ。体は商品だから」
オレが戸惑っていると彼女は続ける。
「そのかわり、お金払えば下もオッケーよ。えーっと下は千円。ただし指ね」
そんなやりとりをしていると部屋中の女たちが集まってきた。オレは頭が混乱した。
触りたいのは山々だけどこれだけ皆が集まってくると、その前ではちょっと。
「なにウジウジしてんだよ、男だろ!」そう叫ぶとチアキさんはオレの人差し指をつかむと強引に彼女の恥部に。
「ハイ、千円、お汁つき」チアキさんがオレの指を高く上げると女たちの大爆笑が始まった。
「ハーハッハ」
「ヤーダ、バカみたい」
「もう、ハッハッハ」
オレはもう、まともに彼女らに目を合わせられない。下をむいて目をつぶった。
「バタンッ」事務所から遼さんが出てきた。
「なんか賑やかじゃん。ダメだよヒロシで遊んじゃあ。こいつ中坊なんだからさぁ」
遼さんが出てきて爆笑は収まった。オレはフラフラしながら部屋を出た。
「中学出たらストリップ見においで、サービスするから」とチアキさんの声を背に受けながら。
十月、体育祭の練習で下校が遅くなった。東と二人、新聞屋へ急ぐ。歩きながらの話。
「ヒロシ、知ってる? ユキのダチ、ちょっとヤバイ」
東が珍しくユキの話をする。そういえば最近帰宅時刻がバラバラだ、以前はいつも同じパターンだったのに。
「ヤバイってどうヤバイ?」
「ほら、前はマリンちゃん家に入り浸りだったじゃん。いまは『マーメイド』ってクレイジー京子がヘッドのグループに入ってるみたいだぜ」
「『マーメイド』――なんだそれ?」
「『カツアゲ』とかやりまくって保護観察中の『京子』って子が四人ぐらいの仲間集めて『マーメイド』を作ったって聞いてる。皆、カツアゲ用のナイフ持ってるって。この辺じゃあ一番ヤバイグループらしいよ」
そういえばマリンちゃんの父親、立浪さんが静岡に転勤になったってユキが泣いてたのを思い出した。マリンちゃんはもう横須賀には居ないんだ。
オレは思い当たる節がある。最近、家に帰ると部屋が『モク』臭い。「マリンちゃんも少しタバコ吸ってたからユキが影響受けたな」って思ってたけど最近匂いがキツい。それとチャラチャラした飾り物を身に付けている。おやじが小遣いを増やしたとも思えない。――何かある。
「ほかに何か知ってる?」と東に聞こうとするが、突然「ブンブーン」とバイクのエンジンを煽る音。
「お前ら来るの遅せえぞ」の声に振り向くとバイクに乗った新聞屋の店長が後方に来ていた。
「すいませーん」オレたちはバイクに追われて全力で新聞屋に向かう。
夕刊の配達を終えた。ユキの件、続きを聞こうと思っていた東は先に帰ってしまった。
最近、酒屋のバイトが終わると、そば屋の出前を取ってくれるようになった。今日はカツ丼。出前が届く直前にドブ板の裏道の小さなバーのマスター張さんと薬局の小嶋さんが到着した。ちょっと遅れてもう一人。これからチンチロリンが始まるんだ。酒屋の奥に四畳半の畳の部屋があってそこが博打場だ。メンバーがそろった時、出前が到着した。とりあえず皆はカツ丼を平らげる。オレ、いつもはしばらく博打の成行きを見て帰る。
チンチロリンが始まった。「じゃあ、親決め」遼さんがサイコロを振る。
「ハイ『3』ね、次、張さん」
ゲームは始まったばかりだが、なんか今日は家が気になる。
「ごちそうさま、オレ帰ります」席を立った。
「ハイハイー、明日も来てねー」もう皆はオレのことなんか頭にない。
家に着いた。ユキが帰ってるか、そぉっと音を立てずに家に入る。
「ん、……」匂う。シンナー臭だ。部屋から漏れてくる。
「ユキ!」勢いよく戸を開けた。
いる。ユキは机に置いた牛乳ビンからシンナーのガスを吸引しているところだった。
「なに……お兄ちゃん……来たの?」
反応が凄くトロい、けっこう来てる。口が半分開いてて目が虚ろな感じ。焦った。完全に『ラリッ』てるじゃんか。
「お前、そんな事やってたら死ぬぞ」と強引に牛乳ビンを取り上げ、外のドブにシンナーを捨てた。
部屋に戻るとユキは半分寝たような感じで机に突っ伏している。
「寝てんじゃねえ! 起きろ」とオレは強く言って髪の毛をつかんで強引に引き起こした。
ちょっと強すぎた。
「アーッ」椅子が傾いてバランスを崩したユキは椅子から落ち、床に倒れ込んでしまった。
「エッ」オレは一瞬慌てた。急いでユキを抱き起こす。
「オイ、目ぇ覚ませ」と叫びながらユキの頬を両手で叩いた。
「パン、パン」何度も。
音が出るほど強く叩くと目が覚めたようだ。
「ごめーん、お兄ちゃん、もうしないから」と泣き出した。
「ばかやろう、もういいから寝ろ」と言葉を投げて部屋を出た。
「ちょっとほったらかすともうこれかよ……」と歩きながら思う。
「この町にはヤバイこと多すぎる……」オレは外に出てドブ板通りのギラギラしたネオンを見ながら腕を組んだ。
「あぁ、ヤバイ、ユキの面倒も見なきゃ……」と思うがどうすりゃいいんだよ。