第四章 中学生時代
おやじの怪我が癒えるころ、せっかく手にした金も使い果たした。また貧乏暮らしに戻る。
もう三月、心配事がある。話そうとするとおやじは目を逸らす。「分かってるな……」と思う。
オレも言いそびれてたがもう聞かないと、と口に出した。
「おとうさん、学生服、買える?」
「えっ、おう、いま計算してる。お前も待ってるだけじゃなくて調べて来い。……安いやつ」
「やっぱり……」思った通り。
「一週間も酒、止めれば買えるじゃん」と言葉を飲み込んだ。
あと一週間。
「ヒロシ、ほら」ちょっと早めに帰ってきたおやじが呼んだ。どこで工面したか学生服一式を買ってきた。
「うん、サンキュー……」それ以上言う言葉はなかった。最低なおやじだけど最低限は守ってくれたから。
「きょうは早く帰る」おやじはオレをチラッと睨んで仕事に出た。
今日は中学校の入学式。学生服を着る。ちょっと緩いが三年着るからこんなもんかな。 鏡を見る。横を向いたり、ちょっと角度つけたり。不思議なもんで学生服を着ると別の世界に入って行くように感じる。
中学校は少し離れた所にある。電車で通学だ。
入学式が始まった。ほとんどの生徒は着飾った母親が付き添っている。――おやじ、当然来てない――まぁ二日酔いのおやじなんか来たら困る。
式は昼前に終わる。終わる間際にふっと後が気になった。横に並んだ父兄の列に目をやる。
「やっぱりいないよな。来るわけねえし……」、「ふふっ」自分に笑っちゃう。
オレは中学生になった。中学生になったメリットは大きい。大っぴらにアルバイトができるんだ。この地域では『アルバイトは中学生から』となっているから。
アルバイト、何でもやるぞぉ、と意気込む。新聞配達、酒屋の配達、ビラ配り、何でも。
働いた分、金がもらえるなんて、なんて素晴らしいシステムだ。なんて思った。
一学期が始まった。学級の雰囲気は小学校とはまるで違う。同級生だが知らないどうしなので表情は固い。なんとなく緊張した退屈な授業が終わった。下校時刻になると二年生の連中が待ち構えている。運動部の勧誘だ。オレはそれをかわしながら、ある生徒を捜す。
いた、東が下校の集団に混じって歩いてる。ヤツは新聞配達のアルバイトの仲間だ。
「東!」と声をかける。
呼び声に気付いた東が振り返った。「おう、直行する」と東が返す。オレたちは夕刊の配達に新聞屋に向かう。
東隆夫、小学校からヤツのことは知っていたがクラスが違っていて話したことがなかったのだ。三月末から始めたアルバイトでヤツと一緒になった。
「クラブの勧誘、しつこいなぁ」
「クラブなんて暇な事やってられっか、アルバイトで金稼がなきゃ」
東とは『貧乏比べ』で気が合った。
「オレん家、電気止められたりして最低なんだぜ」とオレが話すと、「オレん家だってそんなの珍しくねえ、頭使えばいいんだ」と東はニヤける。
「オレん家、諏訪神社に近いじゃん。神社の一番高いとこに外灯があるの知ってるべ、あそこからもらっちゃうんだ。電気屋にもらった三十メートルのコード持ってるから外灯の電球外してソケットいれれば電気取れる。夜は見に来ねえから大丈夫、朝になったら元に戻しちゃえばいいの」と身振り手振りで解説。
「それ、電気泥棒じゃんか」とオレが言うと、「電気って形がねえじゃん。重さもねえし、
物じゃねえんだよ。だから泥棒じゃねえ。誰も来ないとこの外灯なんか意味ねえからウチで使ってやるんだよ」と東流の無理筋で強弁する。
既に東の悪ガキぶりは近所で有名になっていた。思いつくと何でもやっちゃう。善悪関係なしに。
ある朝、新聞を配り終えると、東が手招きする。「歯医者の隣のパン屋、いつも朝に店の前に木の箱が置いてあるじゃん。あれ、絶対パンの元みたいな何かが入ってるぞ」
「パンの元? そしたら粉じゃねえの? 」
「いや、絶対食えるものが入ってる」
「で? 」
「あれ、かっぱらって食っちゃおうぜ」
「盗るのかよ……」
「あの店よぉ、オレが行くと変な目で見るんだよな。『万引きするなよ』って感じで」
「あぁ、あのデブのバアさんな」
「やってねえのによぉ、だから『じゃあ、ご希望通りやってやるよ』ってことさ。いまだったら全然人通り少ねえから、普通の顔して、自然な感じで自転車に載せちゃえば、だれも不審に思わねえ」
「でもなぁ……」オレは戸惑った。
「ヒロシ、お前、新聞屋でもらったアンパン一個だけで足りる? オレは全然足んねえ。今日はオレんち帰っても食う物ねえんだ。おまえん家はどうよ?」と東に振られると、確かに腹がキュウッとなる。
「……」オレは親指立てて、『ゴーサイン』を出した。パン屋に向かう。
パン屋に着くと幸い周囲には誰もいない。二人でしらっと木の箱を自転車に積み込む。
「なんか結構重いじゃん。これ本当にパンかぁ? 」
木の箱は十キロぐらい。中身を確認する余裕はなかった。すぐに走り出す。
「諏訪公園の石碑のとこな」東が並走しながら行き先を示す。
オレは期待半分の何とも言いようのない気持ちでペダルを漕いだ。
「ふうっ」諏訪公園に付いた。坂道を全力で漕いだのでけっこう足に来てる。
「ヘヘッ、食おうぜ」と東が箱の蓋をこじ開けた。
「エーッ、なんじゃこりゃぁ」東がのけ反って叫んだ。
こんにゃく、しらたき、ニンジン、ネギ、じゃがいも、中身は八百屋の野菜だった。
「なんだよぅ、食えねえじゃん、東、……しらたき食うかおまえ? 」
「……」東が無言で目を吊り上げて怒ってる。
「クッソー」東は大声を上げると、しらたきを掴んで神社の大木に向かってブン投げた。
「パンッ」しらたきがバラバラにはじけ散る。
「ユーフォウ」オレも叫びながらこんにゃくを空高く投げ上げる。こんにゃくはクルクル回ってガケ下に落ちて行った。
「コンニャロウ」
「ハハハッ、割れろ」
オレたちは悔し紛れに全ての野菜を諏訪公園の広場に投げ散らかし、ペタッと座り込んだ。
「腹へったぁ……」オレはぐったりして東を睨む。
コンビニなんか存在しないこの時代、弁当を作ってもらえないオレはいつも朝食抜きだった。月曜日の一時間目、英語の授業。学年主任がやってきた。オレはノロノロと席に着く。
「坂上先生は風邪でお休みです。今日は自習とします。レッスン4から6まで読んでおいてくださいと指示が出てます」
学年主任が帰ると皆、「ドヤドヤ」と席を離れ勝手な事を始める。しかしオレはそんな気力もない。
「あーっ、腹減った」動くのもイヤだ。学校を抜け出してパン屋に行くヤツもいるが一キロも先まで歩かなきゃならないし、生活指導の先公に見つかったら面倒。
後向きに座って足を机に乗せると教室の後ろ側の物入れが見渡せる。オレはその一ヵ所が目についた。「田中敏郎」の物入れの蓋が壊れて開けっぱなしになっている。風呂敷に包んだものが見える。
「田中の弁当じゃん……」
「くっくっ、くっ」オレは笑いをこらえる。
自習の時間が終わる五分前、教室の生徒はほとんど外に飛び出しボール遊びに興じている。田中の弁当を掴むとオレは即行で体育倉庫の裏へ。
「かーっ、うまそう。ソーセージに卵焼き、煮豆かぁ」弁当を一目見ただけで凄い勢いで腹に詰め込む。もうちょっと味わいたい気もするが時間がない。五分間で食べ終わり、きちんと風呂敷に戻すと、すっ飛んで教室に戻る。教室には生徒が二人戻っていたが視線を合わさず風呂敷を物入にしらっと戻す。
「ピンポンパンポーン」午前の授業は終了した。教室は「ドヤッ」とした雰囲気になって、それぞれ弁当を取り出す。同時にパン屋の配達が届き、オレは注文してあったものを受け取りに教室の隅に向かう。
どうしても「田中敏郎」が気になって気になってしかたがない。横目でチラッとヤツを見る。
「…………」田中が固まっている。目が点になっていた。無言で空の弁当の蓋を机に並べてじっと見つめている。
「グッ……」――笑っちゃいけない――と思うがちょっとだけ声が漏れてしまった。あわてて目を逸らす。
腹の筋肉が痙攣しそうだ。笑いをこらえるのがこんなに苦しいとは思わなかった。
ようやく筋肉がほぐれたころ、もう一度田中を見る。
田中は黙って丁寧に風呂敷を結んでいた。何度も首を傾げ、顔に力が入って頬が少しピクピク痙攣している。
怒っているのか? その顔を見てまた腹筋がブルブル震えだした。こんどはさっきよりキツイ。「グウッ」っと声を漏らすと、行き場がないオレはその場にしゃがみこんだ。
「なんだぁ、ヒロシ、大丈夫かよ?」回りが心配してオレを覗き込む。
「グウッ」笑いをこらえている姿を皆は「オレが体調を崩して苦しんでる」と思っている。――それがまたおかしくて腹筋が限界を超えた。
「ヤバイ、息ができねえ」笑うのを無理にこらえたために息を吐くことも吸うこともできなくなった。
「おい、ヒロシがおかしい、痙攣してる。保健室の先生呼んで来い」と聞こえたところでオレは意識が飛んだ。
中学校の昼休み。
「ちょっと集まれよ」ケチャップ大島が声をかけた。ヤツはハーフで体が大きく気が強いので何となくクラスの悪童のリーダー的存在になっている。本名はケチャム大島なのだが、
本人が受けを狙ってケチャップと呼ばせている。
「へへっ、ちょっと面白い遊び、やろうぜ」と集まった五人が輪になる。近くにいたオレと東は聞き耳を立てた。
「オレが言う物を明日、万引きしてあさってここに持ってこい」とケチャップはメモ紙に何か書いている。
「よーし、これで行こう」ケチャップはニヤけながら、タケシを呼ぶ。
「おまえニッカウィスキーの小瓶な」
「エーッ、ウィスキーかよ……」とタケシは困った顔をする。
「全然簡単、午後六時ごろなら必ず酒屋にのんべえが集まってるじゃん、店員が奥に引っ込むタイミングで棚に手を伸ばせば小瓶なんか簡単に取れる。それ、みんなで飲もうぜ」
「うーん……」タケシはしぶしぶ頷く。
「それと……マサオはだな、キャンディーズのカセットテープ」
「いいけどどこで盗るの?」
「流通センター。あそこは簡単に盗れる。客に混じって監視員が二人いるけど、特徴教えてやる。そいつらのいない時間帯も分かってるからあとで教える」
「分かった……」
そんな感じでケチャップは残りの三人にも指示を出した。
「ケチャップの万引き遊びかぁ……セコイな。オレたちみたいに堂々とやんなきゃ」オレは東と顔を見合わせた。
『万引き遊び』はニ、三度やってバレたらしい。
「ドジなーっ」間抜けなヤツら。オレは東とウインクを交わした。